第15話 童貞なのかな

 神殿での仕事は、予想していたのの半分も大変じゃなかった。というかものすごく楽で、こんなんでお給料をもらってしまっていいのかな、と不安になるレベルだ。

 初日はミシェルさんという女性と一緒に仕事をした。ミシェルさんはたぶんルークと同じぐらいの歳で、癖のあるベージュの髪を後ろで束ねて背に垂らしている。俺と同じ、浄化能力をもっているとのことだった。

 出勤したら、まずは白い制服を渡された。手触りの良いゆったりとした上着とズボンだ。女性はワンピース型となっている。

 案内された更衣室で着替えをし、それから礼拝堂へ行ってお祈りをする。

 礼拝堂では俺達とは少し違う制服の人達が並んで、祭壇の前でお祈りをしていた。

「あの人たちは神官よ」

 ミシェルさんが小声で教えてくれる。

「神官?」 

 て、なんの人? と首を傾げる俺に、

「神様のために働く人」

 説明が簡潔なのはありがたい。

 簡単にお祈りをすませると、礼拝堂を出て、事務所のある建物のずっと奥まで移動する。『クリーンルーム』という札のかかっている部屋へ着いた。

 そこには広い棚があって、洗濯済みの制服やタオルなどが綺麗にたたまれて並べられている。大きな明り取りの窓からは、緑の日差しが溢れるほどに注ぎ込んで、室内を白く眩しく浮かび上がらせる。

 仕事に使うのは、棚の一画に置かれた、おろしたてのように白い布巾だった。微かに爽やかな植物の香りがする。

 布巾を持って神殿の建物へ戻り、拭き掃除を開始する。ドアノブや柱、椅子や机や棚の上など、人が触りそうな場所を拭いてゆく。

「力を入れて拭かなくていいの。さらりと撫でるだけ」

 ミシェルさんは本当に優雅にゆっくりと、掃除というよりは何かそういう儀式のように、白い布巾でいろんな場所を撫でてゆく。

 俺は最初はどうしても汚れを拭うつもりでやってしまっていたのだけれど、ミシェルさんが言うには、「それでは疲れてしまうから駄目」なのだそうだ。本当のお掃除係りは別に居るから、綺麗になどしなくていいのだと言う。

「浄化師は、この神殿のお浄めをするのが仕事なの。いつの間にか紛れ込んだ穢れや瘴気を拭い去る、つまり、神殿内を浄化するのが仕事なの」

 『掃除係り』だけど掃除をしない。ちょっとカルチャーショックだった。

 とりあえずミシェルさんの真似をして、棚や机を触れるように拭いてまわった。当然ながら布巾はちっとも汚れない。けれどそれで良いらしい。

 建物の中はどこも静かで、明るい場所とほの暗い場所がある。

 浄化をしなくても良い部屋もいくつかあった。特に、神様が祭ってあるという奥の部屋はやらなくても良いらしい。

 入口のホールや礼拝堂、廊下や事務所、面談室や会議室などを順番に行う。

 こんなふうに撫でたくらいで本当に浄化ができているのか。という疑問はあるけれど、とりあえず言われたままにやってゆく。

 最後に花瓶の水を替えたり、庭の落ち葉拾いを少しだけした。これも植物や庭の浄化のためなのだという。デッキブラシで床をごしごし磨いたり、雑巾でガシガシ擦ったりしていた宿屋での掃除とは全然違う。体力をほとんど消費しない。


 いつの間にか時間が過ぎて、初日の仕事は無事終了した。更衣室で服を着替え、神殿事務所とミシェルさんに挨拶をして建物を出る。ミシェルさんはまだ少し残って仕事をしていくのだという。

 労働時間は午前中だけだし、身体はあまり疲れていない。でも初日で緊張していたからか、気疲れはしたかもしれない。

 あんな感じで良かったのかなと、少々の不安が残る。従来の掃除の仕事だったなら、汚れが落ちたり部屋が綺麗に片付けば、仕事をしたという達成感が得られるけれど、浄化の場合、目に見えないからよく分からない。

 

 建物を出て、木々の間の小路を帰る。

 お腹が空いたような気がする。喉は乾いてはいない。小休憩で茶を何度かもらえたからだ。

「少年よ」

 突然、すぐ傍からカサリと落ち葉を踏む音がして、面談の日に見かけたのと同じ、白い服を着た老人に呼び止められた。小柄で白髪の、人の好さそうなおじいちゃんだ。

 俺は少々驚いたけれど、とりあえず足を止めて「こんにちは」とあいさつをした。 

 おじいちゃんは皺くちゃの笑顔で俺を見て、

「君は良い人材じゃのう」

 と言う。

「あ、ありがとうございます」

 仕事初日で、自分が役に立てたかどうか全然自信がない状態だったので、その言葉は適当な社交辞令でもちょっと嬉しい。

「君には勇者を助けてほしい。勇者は気の毒な若者なのじゃ」

 老人は、なぜだか唐突に勇者の話をし始めた。

「勇者はああ見えて不器用なのじゃ、いろいろ苦労をしておるのじゃ」

「う、うん。勇者のことは応援してるよ。でも俺が助けなくても大丈夫だと思うよ」

「いや、勇者には君の助けが必要なんじゃ。迷いがあって悩んでおるのじゃ。それに勇者は童貞なのじゃ」

 童貞?

 俺はぱちぱちと目を瞬いた。話が急に下世話な方向に転換したぞ。

「ゆ、勇者は童貞じゃないと思うよ」

 一応、おじいさんにそう意見してみる。

 勇者といってもいろんな人物がいると思うけど、とりあえず一番身近な勇者、ルーカスの例でいえば、雄々しい美貌の持ち主で、富と名声を得ているはずで、女性がほっとくわけがない。それに若くはないはずなのだし、とても童貞とは思えない。

 「でもやっぱり気の毒なのじゃ」と、なおも言い募る老人に、思わず憐れみの情を抱いてしまう。

「うん。そうだね。それじゃあ俺、行くからね。さようなら」

 申し訳ないけれど、適当にそう言いながら手を振って、その場を離れることにした。でないといつまでもその話をされそうだ。

 やっぱり呆けているんだな。気の毒に。



 疲れていないつもりでも、やはり疲れていたようだ。

 俺はいつの間にか居眠りしていて、ルークが料理をする音で目が醒めた。

 家に帰ってきて一人で簡単な昼食を食べ、ソファで本を読んでいて、そこからの記憶がまるでない。

 今夕は俺が夕飯を作る当番の日だったはずだけど、もう出来上がりそうな雰囲気だったので、ありがたくそのまま作ってもらう。お皿を準備したり、飲み物を用意するのは辛うじて手伝った。

 食後もなんだか眠くてたまらず、片付けはやらなきゃと思っていたのに身体が重い。

「アヤト、寝てしまう前にシャワーを浴びておいで」

 ルークに促されたので、なんとかのろのろとシャワーを浴びて、シャワー後は再びソファに撃沈してしまう。

「アヤト、そんなに疲れたのか?」

 いつのまにか片づけもシャワーも済ませたルークが、俺の隣に腰掛けながら心配そうに覗き込んでくる。

「ううん、大丈夫。眠いだけだよ。仕事はすごく簡単だったよ。スイスイーって布巾で拭くだけ」

 ルークが、まだ湿っている俺の髪を、タオルで優しく拭ってくれる。髪を乾かすのが面倒だなと思っていたからありがたい。

 大きな手の感触が気持ちが良くて、俺は目を閉じたまま思わずくふふと笑ってしまった。

「無理はしない方が良い。神殿はとても疲れる場所だ」

 ルークがそう助言をくれる。

 俺はうんうんと頷いて、そうえいば少し気になったことがあったなぁと思い出した。

「あのさ……」

「うん?」

 ルークは俺の髪を丁寧に拭きながらのんびり返事する。

「勇者って童貞なのかな」

 ゴホッ ゴホッゴホッ

 ルークがむせた。ルークは本当によくむせる。

「な、なぜ突然そんな話を」

「帰りにこの前のおじいさんに会って、おじいさんがそう言ってた」

 するとルークは、忌々しげにぐぅと唸った。

「あの老人はボケている」

「うん。そうかもね」

 俺も肯きながら、おじいさんの言葉を思い出していた。

 勇者は気の毒な青年なのじゃ。

 勇者のことを、遠い過去の人物ではなく、まるで身近にいる等身大の青年のように語っていたな。


 ……ちなみに、ルークは童貞なのだろうか。

 ちらりと隣を見てみると、タオルで額の汗を拭う青年の姿が目に入る。

 恋人とか、女性の影とかちっともなさそうだけど、よく見ると男前だし、身体つきだって立派で格好良くて俺よりずっと年上なのだし。

 意外といろいろ経験してそう。

 勝手に想像をしていたら、

「? どうかしたか?」

 ちょっと不審がられた。

 翡翠の瞳が前髪の隙間から俺を見る。男らしく整った顔立ち。わずかに触れている身体からは、逞しい筋肉の張りが伝わってくる。石鹸の香りに交じって、肌の匂いを微かに感じる。

「ううん。なんでもないっ」

 思わず誤魔化して視線を逸らした。

 妙な想像をするなんて。それで狼狽えてしまうなんて。どうかしている。俺は欲求不満なのかな。



 







 


 


 

 


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