第16話 上手くいかなかったこと

 今日は買い物をする用事があったので、神殿での仕事の帰りに商店街へ寄り道をした。

 実は昨日、キッチン戸棚の扉が急に壊れてしまった。俺が何気なく扉を開けたらパキッという音がして、いきなり扉がガコンと外れたのだ。

 こ、壊してしまった……!

 と一瞬かなり焦ったんだけど、気が付いたルークにすぐに「アヤトのせいではないよ」とフォローをされた。

 扉はもともと少しぐらついていたらしい。「まだいけるだろうと放置していたのがまずかった」とのことだったのでちょっとほっとした。

 蝶番の金具さえ交換すればなおるだろうというルークの見立てで、新しい蝶番を金物屋で調達することになった。ルークは今日は朝から夕まで仕事があるとのことなので、午後から時間のある俺が買い物に行くことになったのだ。


 金物屋へは壊れた蝶番を持って行き、店主に同じものを探してもらって無事に見つけることができた。購入ついでに取り付け方のコツや手順も聞いておいた。

 俺がとどめを刺してしまったようなものなので、修理は俺がしたいと思う。代金はルークから預かったお金で十分足りた。


 寄り道ついでに、夕飯用の食材を少しだけ買う。

 今夕は俺が食事を作る当番だ。安くて美味しくて栄養がありそうなものを吟味しながら食材を選んだ。

 通りでは様々な店が軒を連ね、色取り取りの料理や甘味が売っていて、旨そうな匂いについ吸い寄せられそうになるけれど、無駄遣いは貯蓄の敵だ。食費はルークが出してくれているとはいえ、散財しすぎないように気を付けないと。

 そうして歩いている途中、とても煌びやかな飾り窓が目にとまって、俺は思わず足を止めて見入ってしまった。

 そこには、美しい桜色の魔鉱石が華やかに飾り立てられ、展示されていた。

 大きさは漬物石の半分もないぐらい。だけど丸みを帯びた綺麗な形で、吸い込まれそうに艶やかな色をしている。値札にはお洒落な字体で『三百万ベリ』と書かれていた。

 あの大きさで三百万ベリか……。

 もっと大きな魔鉱石なら、いったいいくらぐらいするんだろう。とても手には届きそうにない。

 しばらく眺め、ため息を吐いてその場を離れた。


 神殿へは週に2回働きに通っている。豆の殻むきのバイトにも行っているし、犬の散歩代行のバイトも辞めてはいない。頑張って働いているつもりだけれど、お金ってそう簡単には貯まらない。

 神殿での仕事は、順調と言えば順調だ。だけど、順調じゃないと言えば順調じゃないかもしれない。

 神殿で働く浄化師は、俺とミシェルさんの他に三人ほどいて、交代で勤務している。みな優秀な浄化師らしく、仕事はスムーズで完璧だ。俺はどうしてももたもたしてしまうし、俺の浄化力では不十分らしく、一緒に仕事する相手に俺の仕事した場所をやり直しされることも度々あった。

 今日は、ニーニャさんという若い浄化師と一緒に仕事をしたのだけれど、

「あなた、本当に浄化能力をもっているの?」

 冷ややかな表情で腕組みをするニーニャさんに、人気のない廊下の隅で問い詰められた。

「もう少し本気を出してやってくれない?」

 俺は、懸命にやっているつもりだったから、そんなふうに言われるのは心外だった。一瞬何か言い返したいと思ったけれど、……。

 実際に、俺の魔力は微々たるもので、浄化能力だって、本当にあるのかどうか分からない、すごく弱いものだと思う。神殿で働く優秀な浄化師達にしてみたら、俺の働きぶりは物足りないのに違いない。

「……すみません。気を付けます」

 そう答えると、ニーニャさんは気に喰わないという目で俺のことを一瞥し、それ以上は何も言わなかった。

 気を付けるとは言ったものの、浄化能力や魔力の使い方について俺は疎い。浄化ってどうやるんだっけ。魔力ってどうやったら出力できる? 

 分からないまま身体に力だけが入って、結果的に非常に疲れた。



 夕刻になり、ルークの立てる物音で目が醒めた。

 俺はぼんやりと目を開けて、自分がソファに凭れたまま眠ってしまっていたことを知った。

 ルークはだいぶ前に帰ってきていたようで、キッチンのテーブルには美味しそうな料理がいくつか並べられている。

 ルーク本人はというと、キッチン戸棚の扉の前で片膝をつき、何やら器用な手つきでドライバーを操っている。

 俺が起き上がってのろのろと近づいて手元を見ると、新しい蝶番は綺麗に扉に取り付けられて、扉はスムーズに開閉できるようになっていた。

「アヤト、起きたんだな」

 ルークは俺に気が付くと、穏やかな微笑でそう言って立ち上がり、静かに俺を見下ろした。


 俺は、お礼を言うべきだったんだと思う。

 夕飯作りは本当は俺の当番なのにルークに作らせてしまったし、しかも俺が作るよりもずっと品数が多くて美味しそうだし。蝶番を付け替えるのだって、後でやろうと思っていたのを、代わりに取り付けてくれたのだし。

 だけど、

「なんで、なんでルークがやってるんだよ! 俺がやるって言ったじゃんっ」

 俺の口から出てきたのは、明らかに刺のある言葉だった。

 こんなのは良くない。早く謝らなければならない。

 頭の中ではそう思うのに、次の言葉が出てこない。謝るのも、お礼を言うのも、どうしても口にしたくなかった。

 ルークの微笑がたちまちしゅんとしぼむのが、視界の端に映ったけれど。

 俺は乱暴に踵をかえして洗面所へ行き、洗面所の内側からバンッと扉を閉めた。


 ……俺はアホだ。

 洗面所の隅っこで、膝を抱えてうずくまる。

 俺は今日、夕飯を準備するつもりでいたし、蝶番だってちゃんと取り付けるつもりでいた。そうしてルークに「ちゃんとできたよ」と、胸を張って言うはずだった。俺だってちゃんと役に立っている、と自分を誇らしく思うはずだった。

 だけど結局、家に帰って少しご飯を食べて休憩したら眠くなって、何もできないまま寝入ってしまった。本当は、不甲斐ない自分自身が、この怒りの一番の原因なのだ。矛先は己に向けるべきものだったのに。

 ルークにイライラをぶつけてしまった……。


 何度も顔を洗ってからキッチンに戻った。

 ルークは食卓の椅子に腰かけて新聞を読んでいる。食事をしている様子はない。

 俺はそっとテーブルの傍らへ行き「ごめん」と小さく謝った。

 いつもつい、ルークの優しさに甘えてしまうけれど、俺は本当はただの居候だし、一応「専属浄化師」という立場らしいけど、専属らしいことなどなにもしていないし。

 こんな風ではそのうち嫌われてしまうかもしれない。ルークに捨てられたら、俺はきっとこの世界では生きていけない。

 俺が謝ると、ルークはハッとしたように顔を上げた。だけどすぐに、どこか苦し気にうつむいて小さく首を振り、「いいさ」と言った。

 そうして立ち上がり、俺に温かいお茶を淹れてくれる。

「さあ腰掛けて。夕飯がまだだった」

 美味しそうなおかずを、俺のお皿に山盛りに盛り付けて渡してくれる。

 夕飯はどれも美味しかった。俺が考えていた献立よりもはるかに見栄えが良くて、栄養もありそうだし確実に味も良い。

 もそもそと頬張りながら俺が「おいしい」と感想を言ったら、ルークは安心したように表情を緩め頷いた。

 そしてほんの少しだけ口をつぐみ、「……よかった」と呟いた。

 

 お皿を片付け、シャワーも浴びて、ソファでぼんやりと休憩をする。

 実は今日は買い物のあと、本屋さんへも寄り道をした。

 いつもの、街中に紛れ込むようにして建っている小さな書店だ。

 魔力や浄化能力について、少しでも調べたいと思って立ち寄ったのだ。

 俺は今まで、あまり魔力に興味がなくて、「なんとなく」でしか魔力や浄化について理解していなかった。

 だけど、浄化師として働くのなら、やはりちゃんとした知識を身に付けた方がいいんじゃないか。いい加減な姿勢で取り組んでいては駄目なんじゃないかと思ったのだ。

 ただし俺は、若年向けの簡単な文字しか読み書きできない。今の俺に必要なのは、難しい言葉で書かれた専門的な情報だというのに。

『浄化は、対象者の穢れや呪い、毒素といった不浄を浄め、健全な心身をもたらすもので……』

 うう。やはり難しい。もっとやさしい言葉で分りやすく教えてくれよ。

 魔術について書かれた本は、どれも分厚くて文字が小さい。ぺらぺらとめくって何か少しでも分りやすそうなヒントはないかと目を走らせる。

 購入して家でじっくり読めばいいんだろうけど、こういった書物はべらぼうに高いから、そう簡単には買うのは無理だ。

 

 ――召喚魔法により異世界の人間を引き寄せ……


 ふと、引っかかる言葉を見つけたような気がして、俺はページを何枚か戻した。

『召喚術……魔術により異世界から目的に適合する人間を引き寄せるもの。引き寄せた人間には、運命を肩代わりさせることや番いとして利用することも……』 

 ……駄目だ。難しすぎて所々意味の分からない文字がある。もっと勉強をしなければ解読できない。

 でも、『召喚』っていう言葉、『異世界から引き寄せ』って、……なんとなく、自分に関わりがあるような気がする。

 何にしても、もうちょっと字の勉強をしてからでないと読めない。

 俺は購入するのを諦めて、とぼとぼと家に帰ったのだった。







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