第40話 ハグの日、誕生日
神殿での仕事は相変わらず午前中だけ通っている。
最近は神殿内外の空気がとても綺麗で仕事がしやすい。浄化しきれず残業となることもなくなった。
神殿内で働く人々も、なんとなく以前より明るくなったような気がする。今まで喋ったことのない職員から声を掛けられたり、仕事の途中で事務所からお茶休憩に誘われたり、神官たちから一緒にお祈りをしてほしいと頼まれることが増えた。全体的に、のどかで和やかな雰囲気に包まれている。理由はよく分からないけれど、嬉しいことだなと思う。
先日などは、たき火をするから来てほしいと声を掛けられ裏庭へ行ってみると、そこでは『栗を焼いて食べる会』が開催されていた。
主催は神子様のようで、子どものような笑顔をした神子おじいちゃんが、大きなたき火の前で小枝に刺した芋を掲げ、「他にもいろいろ焼いて食べよう!」とのたまいご機嫌である。
栗や芋の他にも、きのこやマシュマロ、バナナのような果物や、様子を見に来た使用人達がどんどん集まり、完全に仕事はそっちのけとなった。結局神殿職員総出の「大焼き栗パーティ」となり、焼いたり食べたり騒いだりして楽しかった。
その日も無事に仕事が終わって、同じく帰宅準備を済ませたミシェルさんと小径の途中までを一緒に歩いた。ミシェルさんとは家の方向が違うので、一緒に歩くのは分かれ道のところまでだ。
ミシェルさんは残業が減ったことをとても喜んでいた。午後からは自分の趣味に費やす時間と決めているらしい。
今は子どもへのプレゼントのポーチを手作りしていて、刺繍のデザインを考えるのに苦労しているのだと言う。苦労していると言いながらも、ポーチづくりの話をするミシェルさんはとても楽しそうだ。大切な人へのプレゼントについて考える時間って、楽しいもんな。ポーチ作りが上手くいくといいな。心の中で応援しながら話を聞いた。
いつもの分かれ道の所にさしかかり、俺が「それじゃあまた」と挨拶をしようとしたら、
「アヤト」
ミシェルさんに名前を呼ばれたかと思うと、突然ふわりと抱擁された。
「??」
俺が戸惑っていると、ミシェルさんはふふっと笑ってすぐに抱擁を解く。
「今日は親愛の日でしょ。親愛の日には、大事なお友達とか普段から敬愛を抱く相手にハグをするのよ。相手への感謝や親愛の気持ちを込めてね」
そう、優しい笑顔で教えてくれる。
ああ、この国にはそんな記念日があった気がする。この間までの四年間、そんな素敵な行事とは無縁の生活を送っていたから全然馴染みがなかったけれど。
そういえば、今日は仕事中に何人かの神官や他の使用人達から「ハグさせて欲しい」と言われてムギュムギュされた。あれは、今日が親愛の日だったからなのか。
ミシェルさんの身体からは花のような良い香りがした。
「ありがとうございます」
俺が照れながらお礼を言うと、ミシェルさんはふふふと笑い「良い午後を」と言って軽やかに手を振って帰路を行く。俺もとても嬉しい気持ちになって、「良い午後を」と挨拶を返した。
今日は親愛の日らしいけれど、同時にルークの誕生日でもある。
プレゼントを何にするかで俺はさんざん悩んで、結局ハンドクリームを送ることにした。ルークの手は、傷こそないもののいつも結構ガサガサしている。きっと騎士の仕事や家事で手が荒れるのだ。
街中には香油を売っているお店がわりと多い。そういったお店では、ハンドクリームにちょうど良さそうなボディオイルも、いろいろな種類が手ごろな値段で売られているのだ。この世界では乾燥肌に悩む人々が意外と多いのかもしれない。
ルークの肌に合いそうな、あまりべたつかないものを選んだ。小瓶に詰めてもらい、プレゼント用に包装してもらった。
渡すのが楽しみでわくわくして、夕方になり仕事から帰ってきたルークに、俺はさっそく駆け寄った。
「ルークおかえり! 今日誕生日でしょ? 俺ね、プレゼントがあるよ」
本当は夕飯後に渡そうかなとも考えていたけれど待ち切れなかった。
ルークは驚きつつも嬉しげな様子で、
「プレゼント? 何だろう?」
と優しい眼差しで俺を見る。
「あ、でも、手を洗ってからだよ。俺こっちで待ってるから洗ってきて」
そう言うとルークも、
「そうだな。綺麗な手で受け取らなくては」
頷いて、洗面所できちんと手洗いとうがいをする。
そうしてリビングへと戻ってきたルークに、俺はさっそくプレゼントを差し出した。
「はい! 誕生日おめでとうルーク! えーと、28歳?」
「ありがとう」
ルークは美しい翡翠の瞳で俺を見て、それから手のひらの上のプレゼントを見て、感動したように礼を言う。
「開けてみても?」
「うん」
プレゼント用の包装を解くと、何故かルークはハッとしたような顔をした。それから、わずかな興奮と艶めきの混じったような表情で俺を見る。
「……これは」
「ハンドクリームだよ!」
俺は教えてあげた。もしかしたらルークは、こういった香油に疎いのかもしれない。
「手に塗るとすべすべになって手荒れが治るよ」
世の中には、手荒れを治すためのオイルというものがあるのだ。いい匂いがするし、あかぎれ予防にもなって良いのだ。
するとルークは、何故だか一瞬ぽかんとしたように俺を見た。
だけどすぐに、
「な、なるほど! ハンドクリーム! 素晴らしいな!」
少し大げさなほどに驚いた。
「手ががさがさでどうにも困っていたところだった! とても嬉しいよ!」
喜んでくれて良かった。俺はこちらまで嬉しくなりながら、「もうひとつあるよ」と伝えた。
「もう一つ?」
「両腕をこうやってみて?」
ルークは不思議そうな、だけど穏やかな表情で俺の言葉に付き合ってくれる。プレゼントを一旦テーブルの上に置き、両腕をペンギンのように少し広げた。
それで俺は、大きく一歩近づいて、ルークの胴にぎゅうっと強く抱き付いた。
「今日はハグの日でしょ? 親愛の日? 好きな人にハグする日」
ぎゅううっと、日ごろの感謝の想いをいっぱい込めてハグをする。
「……っ、アヤト」
息を飲むような、相手の気配が伝わってくる。そうしてすぐに固く抱き返された。
お互いの存在を、確かめ嚙みしめるように、心を込めて祈るように。抱擁はしばらくのあいだ続いた。混じり合う熱に身体を委ねる。
「……ありがとう。嬉しいよ、……とても嬉しい」
やがて吐息交じりにそう囁いて、ルークは俺の髪に口づけをした。
プレゼントを喜んでもらえて本当に良かった。
親愛の日に、こうして大切な人とハグができて、俺は幸せだなと思う。
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