第39話 ちょっと不思議
異世界にやって来て四年と半年ほどが経ち、こちらの世界のことがだいぶ分かってきたし、生活にもけっこう慣れた。
とはいえ、いまだに知らなくて戸惑うことや、予想外なできごとに驚かされることも多い。けれどここは、魔力が存在する世界なのだから、多少の不思議は受け流そうと思っている。
だけど、やはりどうしても受け流せないこともあって。
「昨日たしかにケチャップの飛沫が飛んでいって、床のこの辺に着地したはずなのに……、今朝見たら汚れていない」
朝ごはんの途中で、昨日の晩ごはん中のアクシデントを思い出し、俺は床にしゃがみこんで首をひねった。
昨晩のメインは特性ソースのたっぷりかかったハンバーグだった。
ルークの手作りで、肉の旨味のぎゅっと詰まった分厚いハンバーグに、トマトの甘みを濃縮したような特性のケチャップソースがよく絡んでいて美味しかった。
それをフォークで刺して頬張って食べている最中に、うっかりハンバーグの欠片を皿のソース溜まりの上に落としてしまって、ソースの飛沫がピッと飛んでしまったのだ。汚れた床は後で拭こうと思っていてすっかり忘れ、今になって思い出したというわけである。
「何かの魔法の力かな……?」
「アヤト、早く食べないとスープが冷めてしまうぞ」
ルークの声に促されて、俺はあわてて椅子に座りなおした。そういえば、今は朝食の途中だった。
今朝のメニューは、黒パンにチーズとソーセージと野菜を挟んだものと、緑豆のスープだ。どちらも美味しい。
「室内には清潔魔法が施してある。汚れや埃は時間とともに消滅するよう仕組まれている」
ああ。そんなような説明を、この家に連れてこられた初日にされたような気もするなぁ。だけどあの時は疲れていたし、環境の変化に目が回っていたから、聞いた話のほとんどが、右の耳から左の耳へと抜けていって頭には残っていない。
「そうだったね。すごいね、清潔魔法」
ぽんこつな俺の誤魔化し笑いを、呆れることなく穏やかな眼差しで受け止めてくれるのだから、やはり勇者というのは器がでかい。
それにしても、清潔魔法とは便利なものだな。つまり、掃除なんかしなくても清潔だってことだよな。汚したり零したりしても大丈夫とは、なんと気楽でありがたいんだ。
「ちなみに昨夜寝る前にそこを通りがかったらケチャップの塊を踏んでしまい焦ったが、拭いておいたから問題はない」
「えっ、うえぇっ、ごめん、ルークっ」
そうか、汚れはすぐに消滅するわけではないということか。まさかルークの足裏を汚してしまっていたなんて。恥ずかしいし申し訳なさすぎる。
「……じゃあ、じゃあさ、……もしかして……」
俺はふと、とある事実に思い至ってしまい、たちまちのうちに青ざめた。
昨夜は寝る前に、ソファで二人でくつろいでいて、つい『そういう雰囲気』になったのだが。
二人で抜き合いを行った際、俺はコントロールが効かなくて、勢い余って床に飛沫を飛ばしてしまった。そうしてそのまま、寝落ちしてしまったような気がする。
「昨夜の床のアレも……?」
俺が恐る恐る尋ねると、
「もちろん拭き清めておいたから心配はいらない」
イケメン勇者は男らしいどや顔で「グッ」と親指を立てて見せた。
「うあぁ、やっぱり。ご、ごめんなさい」
ルークに床に飛んだ精液の処理をさせてしまった。
片づけはちっとも苦にならないから気にするな。と、勇者は男前な笑顔で言ってくれるけれど、もちろん気にするよ。
「汚いものを掃除させてごめん」
俺がもう一度謝ると、
「アヤトの精液はとても綺麗だ」
ルークは微塵も曇りのない瞳をして言う。
……いやいやいや。
そんなワケはないでしょ。と、突っ込みを入れたくなるけれど。
……そういえばこの男、何度か強引に俺の精液を飲んでいるし、手に付いたものを舐めようとしたこともあったっけ。俺のちんちんを舐めたり吸ったりも、全く躊躇なくやりたがるしな……。
もしかして、俺の出したモノを本気で汚くないとか思ってる?
俺はサンドイッチを頬張るのを止めて、目の前の男の顔をまじまじと見た。
「……変態?」
「え?」
「あ、ううん。何でもない」
変わった性癖の男が一人や二人存在したっておかしくはない。なんたって、魔法の存在する世界なのだし。
俺はもう一度ぽんこつな笑顔で誤魔化して、サンドイッチを頬張ることに意識を集中することにした。
そういえば、分からないことといえば、もう一つある。
食後にソファでくつろぎながら、俺は膝の上にのせたこげおの丸いおなかをモフモフと揉む。
この際だから、疑問符を付けて声に出して言ってみようか。
「こげおって、ネコなのかな? それともクマなのかな?」
この、のほほんとしたお顔のぬいぐるみの正体が、いまいち分からないでいる。
ネコにしては耳が丸いし、クマにしては中途半端にしっぽが長い。可愛い、ということだけは分かるのだけど。
しかし、それに対するルークの返答はとても意外なものだった。
「ゲラングロラモだよ」
「え?」
「だから、ゲラングロラモ」
ルークの説明によると、『ゲラングロラモ』というのは、ネコでもクマの仲間でもなく、狂暴、凶悪な魔獣の一種とのことだった。牙に猛毒を持っていて、悪魔のような叫び声を上げながら獲物に襲いかかって来るのだという。
ヒエェ……、怖い。
俺は抱っこしていたこげおを思わず放り投げそうになったのだけど、
「こげおはこげお」
そんなヘンな生き物ではない。と思うことにした。
ルークにも、「こげおはネコとクマとモフモフを足して三で割った可愛い生き物だからね」と念を押すことにした。でないと怖くて、二度と一緒に眠れなくなる。
ルークは真面目な顔つきで頷きながら、「了解した。今日からそう思うことにしよう」と応じてくれた。
さすがは勇者だ。柔軟な対応が非常に素晴らしい。
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