第9話 買い出しでのこと

 俺達は、休日が重なった日などに、たまに一緒に食料の買い出しに出かけるようになった。その方が、一度に沢山の荷物を運ぶことができるからだ。

 と言っても、実は荷物の半分以上を持つのはルークの方だ。

 ルークは非常に力持ちで、しかも疲れ知らずだ。俺ならば十歩でへばりそうな重い荷物も、こともなげに持って悠々歩く。

 たまには俺が荷物の半分持つこともあるけれど、少し寄り道をしたり休憩したりするうちに、いつの間にかルークがほとんどの荷物を持っている。不思議だ。

 先日、どうしてそんなに力持ちなのかと聞いてみたら、本人は「うーん」と考え込んで、特に理由はないと答えた。騎士はだいたいこんなものだ、とも言っていた。冴えない答えだ。俺だったらそんな風に聞かれたら浮かれてしまって、「俺のトレーニング法が良いからさ」などとドヤ顔で答えそうだ。ルークは謙虚と言うか、全然偉ぶったりしない。

 ちなみにルークは、おやつを半分こした時には、いつも大きい方を俺にくれる。「これ、好きじゃないの?」と尋ねると、「好きだけど、俺はこっちでいい」と言う。そうして、俺がもぐもぐ食べるのを、ほんの少しだけ表情を緩めて眺めたりする。


 その日は丁度二人とも休日で、午後から商店街へ燻製肉と果物を買いに出かけた。

 俺は匂いのきつい肉が苦手なのだが、一緒に買い物に行くと、どの肉がおいしい肉で、どれが匂いのする肉なのか、教えてもらえるからありがたい。

 果物も、俺の知らないものが色々売られているから、気になったものを買ってもらって食べている。最近の俺はこの世界での食べ物について、もりもりと知識を身に付け中だ。

 商店街通りでは、馬車道と歩道が分けてあり、さらに馬車の乗り入れが大幅に制限されているから、安心して歩くことができて良い。行き交う人々も楽しげで、活気のある街だなと思う。

 

 目的の買い物を大方済ませ、あとは帰るだけとなり、なにか飲み物でも買おうという話になった。俺達は歩道沿いの空いたベンチに荷物を下ろした。

 道を挟んだ向こう側に、果実水を売っている店がある。

「たまには俺が驕るから、ルークはここで休んでて!」

 俺はポケットの中の財布を確認し、ベンチにルークと荷物を残して、果実水の店へと向かった。俺だって、たまには甲斐性のあるところを見せたい。買うのは数百ベリのジュースだけど。


 果実水の店では、色とりどりの美味しそうなジュースが売られている。

 店頭で注文し、お金を払ってから、カップに入れてもらった果実水を受け取る仕組みだ。

 先に小さな子を連れた親子がいたので、俺はその後ろでメニューとにらめっこする。綺麗で珍しげなジュースがいろいろあって、どれにしようか迷ってしまう。興味のあるのを2種類買って、ルークの分を一口味見させてもらうという手もあるな。さて、どれにしよう。

 迷っていると、背後でガタゴトと音がする。木箱を高く積んだ大型の荷馬車が、ゆっくりと近づいて来るところだった。

 どんな街でも物流は欠かせない。賑やかな商売の街ではなおさらのこと、各地から集められた様々な物品が、定期的にこうして木箱に入れられて届くのだ。

 幼子が果実水の入ったカップを片手に、馬車道へと駆け寄ってゆく。

「おんましゃん!」

 4頭立ての馬車に向かって手を振っている。御者はそれに応えるように、鷹揚な様子で白手袋の手を振りかえしている。

 俺も小さな頃は、町道を走るバスが好きで、通過する時間に待ち伏せしては手を振っていた。運転手さんに手を振りかえしてもらえた日には、その日一日すごくハッピーな気分だった。

 どんな世界にあっても、乗り物は小さな子どもの憧れなのかな。


 そのとき不意に、ガタンッ、と車輪が嫌な音を立てた。

 どこかの螺子が緩んでいたのかもしれない。

 大きく荷台がぐらついて、規則正しく積まれた木箱が、スローモーションのようにゆっくりと傾いてゆくのが見えた。

 俺は咄嗟に駆け出した。迷っている暇はなかった。

 すぐに走れば、あの子どもを守ることができる。母親も気付いて手を伸ばしているけれど、俺が盾になった方が、親子が助かる確率は上がる。

 間に合え。早く。急いで駆け寄り子どもと母親を身体で庇った。

 間もなく木箱が落ちてくる。

 俺は奥歯を喰いしばり、次の瞬間に訪れるであろう痛みに構えた。


 けれど。

 痛みはやって来なかった。

 キィーン――……

 どこかで空気の鳴るような音がして、まるで水中にでも潜ったように、一切の音が遮断された。


 視界の端を、幾つかの木箱が、ゆっくりと俺達を避けて落ちてゆくのが見えた。

 視線を上げれば、なだれ落ちる木箱の向こうにルークの姿。

 髪を逆立て、真っ直ぐにこちらを凝視している。伸ばされた手のひらからは閃光が迸り、翡翠の瞳が昏く瞬く。

 圧縮された重力のようなものを感じた。ビリビリと刺さるような熱も感じる。

(……あれは、本当に、ルーク、なのか……?)


 ガンッ、ゴトンッ! ガシャンッ!

 重いものが落下する音が立て続けに響いて、一気に周囲の音が戻った。


 うあーんっ、と子どもが泣き出して、母親が慌てたように宥めはじめた。どうやら親子は無事のようだ。

「アヤト!」

 叫ぶ声に顔を上げれば、髪を乱したルークが駆け寄って来て、膝をついたままの俺をすぐに抱え起した。

「そこの兄ちゃんっ、大丈夫か?!」

 慌てて馬車を止めた御者が、焦ったように声を掛けてくる。

「大丈夫、です」

 支えられて立ち上がった俺は、なんとか返事をしたけれど、身体がガクガク震えてしまって、ルークに掴っていないと立ってられない。

「何だったんだ、今のは」

 通行人の声が聴こえる。

「まるで荷物が弾き返されるみたいに落下したぞ」

「何か特殊な魔力のようなものを感じなかったか?」

「今のが魔力によるものならば、よほどの能力者だということになるぞ」

「なんにせよ、怪我人がいなくて良かったよ」

 

「行こう」

 ルークに促されるようにして、俺達はその場からそっと離れた。

 周囲には、騒ぎを聞き付けた野次馬達が集まりつつある。騒ぎの中にいても良いことなどは何もない。

 ベンチに置いていた荷物は、ルークがすべてを抱えてくれた。俺達は無言でアパートまでの道を歩いた。

 

 部屋の中に辿り着くと、ようやく心臓の音が治まってきた。

 椅子に腰かけると、ルークがグラスに水を汲んで差し出してくれる。ありがたく受け取って、休憩しながら少しづつ飲んだ。

 ルークは俺が水を飲む間、無言で荷物を片付けていた。だが、やがて俺が水を飲み終え一息つくと、片付けの手を止めて俺の前までやって来て、床に膝をつくと俺を見上げた。

 重い前髪の隙間から、怒っているのかなと思うくらい真剣な眼差しが俺を見ていた。

「アヤト。あんな風に人を庇うのは良くない。人助けは自分の身の安全を確保したうえで行うものだ。自分が傷つくことで相手を救う方法は、人助けとは言わない」

 真っ直ぐな瞳でそう言われ、俺は少しだけ視線を落とした。

 確かにその通りだなと思う。俺のしたことは、ただの無鉄砲だ。

 だけど、もしもあそこであの子どもが怪我をして、万が一にでも死んでしまうようなことがあったら、あの母子は離れ離れになって、二度と会えなくなるんじゃないのか。死んでしまった子どもはこの世界からはじき出されて、どこかで迷子になるかもしれない。悲しい思いをするかもしれない。俺はもともとこの世界の人間じゃないから、はじき出されるのならば俺のほうが……。

 と、そこまで考えて思考を止めた。

「……ごめんなさい」

 俺が謝ると、ルークはしばらく無言になった。それから、ゆっくりと両腕を伸ばし俺の身体を抱き寄せてくる。

 気が付いた時には、俺はルークの分厚い胸の中にぎゅうっと閉じ込められていた。


 生きている人の体の温かさを感じた。 

 速い心臓の音が聴こえる。規則正しいのに、どこか苦しげな呼吸の音も。

 俺は、思った以上に心配を掛けてしまったのかもしれない。

 ごめんなさい。もう一度小声で謝ってみる。ルークは何も言わないまま、俺を抱く腕の力を少し強めた。

 

「……さっきのは、ルークが助けてくれたんだよね」

 心臓の音に耳を傾けたまま聞いてみる。

「……」

 ルークは何も答えなかった。けれどそれが、多分肯定の意味だと思う。

 ルークの魔力は、きっと俺が想像する以上に強い。

 騎士とは、皆あんなふうに強い魔力を持つものだろうか。離れた場所から一瞬にして見えない防御壁を造り出し、俺と親子の身体を守った。

 そのルークが、今は無言で俺の身体を抱いたまま、動こうとしない。


「……手、繋ぐよ」

 気付けば、そんな言葉を囁いていた。

 ルークの腕に、そっと手のひらで触れてみる。

 『手を繋ぐと心が安らぐ』

 先日ルークはそんな風に言っていた。

 無謀な行動をして迷惑をかけてしまったことが申し訳ない。少しでもその埋め合わせができればと思う。

 と同時に、俺の行動一つで、こんなふうに無言になり感情を波立たるルークの姿に戸惑いも覚える。

 それだけ大事に思ってくれているということかな。


 ルークは、一瞬躊躇うような様子をみせたが、やがてゆっくりと俺の背中に回していた右腕をほどいた。

 俺はルークの右腕に触れ、探るように辿って、ルークの手のひらに自分の手のひらを重ね合わせた。

 しっかりと握り込む。

 大きくて硬い、少しだけ冷えた手のひらをしている。俺の体温が伝わればいい。


 助けてくれて、ありがとう。


 感謝の気持ちを口に出したら、ルークの手にも力が籠った。ぎゅうっと握り返してくる。

 繋いだ手のひらを通して、互いの熱が混ざり合ってゆくのを感じた。

 ふたり分の呼吸と、心臓の音に耳を澄ませる。

 

 


 




 

 



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