第6話 ニセ物の石の話

 今日の俺は、あまり運が良くなかった。

 午前中に犬の散歩代行のバイトに行ったのだけど、散歩中に他の犬のう○こを踏んでいしまい、狼狽えているところを連れていた犬に引っ張られて転倒、泥まみれになった上にズボンに穴を開けてしまった。


 公園の池のところで靴を洗い、服の泥を払ってからとぼとぼ帰る。

 近道をしようと思い立ち、普段はあまり通らない裏通りの路地を歩いた。

 商店や古いアパートの裏を抜ける細い路地は、人の気配があまりない。濡れた靴に穴あきズボンという出で立ちなので、人目がないのはありがたかった。

 ボロい民家の朽ちかけた壁や塀には、怪しい薬の広告や、紹介します、探します、という如何わしげなはり紙がいくつか見られる。俺の知らない世界がたぶんあるのだ。いろんな人々の様々な生活がそこにある、その一端を覗くようで、面白くもあり怖くもあった。

 だけど不信なものには近寄らないのが一番だ。まっすぐ帰ろう。濡れた靴も早く乾かしたいし。

 俺は早足で路地を通り過ぎようとしたのだけれど、不意にそのはり紙を見付けてしまった。


『魔鉱石 特別激安販売中 珍しい大きいのもありマス』


 ……魔鉱石。しかも、大きいの? 

 ちょっと……、いや、かなり気になる。気になりすぎて足が止まる。

 俺は少し迷いながらも、「こちら→」と矢印のある方向へ、角を曲がって行ってみることにした。


 「こちら→」のはり紙に誘導されて、いくつかの角を曲がって行った先には、知らない狭い空き地があった。明るい色の小さなテント小屋がひとつあり、その下で、露天商が商売をしていた。

「さあさ、どうでしょう。なかなかお目にかかれない、希少な逸品、珍しい石もご覧あれ」

 眼鏡に髭の露天商は、唄うような売り口上でお客さんを呼び込んでいる。

「魔鉱石といってもただの魔鉱石じゃないよ。新鮮、極上、しかも大物。ここら辺では手に入らない貴重な物を、今日だけ特別に、お安くしておきますよ」

 台の上に並べられた幾つかの石を、2、3人のお客さんが吟味している。

 小さくて綺麗な石たちは、磨かれて美しく光って見える。大きなものも小振りなものもあるようだ。値段を見ると、たしかに、普通の店で買うよりも安いような気がした。

「世の中は自分で身を守る時代だよ。この魔鉱石があれば、いざという時に便利だよ。魔力の補充に、灯りにも、魔道具を動かす時にも便利だよ」

 俺はそっと近づいて、石をよく見てみることにした。

 乳白色のものが多い。けれどうっすらと青い色も、淡いピンクの石もある。真ん丸いものもあれば、いびつな形のものもある。

「今や勇者はあてにならない。落ちて雲隠れした勇者など、木偶の坊と変わらない。魔物を封印した石も、いつまでもつかは分からない」

 一番奥に、一際大きな石を見付けた。艶々と不思議な色に光り美しい。小型犬ぐらいの大きさがある。

『二万八千ベリ』

 値札にはそう書かれていた。

 高いと思う。俺が二日間、朝から晩まで働いたって届かないような値段。だけど、頑張れば買えないことはない。こんなに大きな魔鉱石が、こんな値段で売られているなら、かなり安い方ではないのか。

「こ、これ、売っていますか?」

「おや、お客さんお目が高いね。それは珍しい石ですぞ」

「俺、これを買います! 売って下さい!」

「うむ、良いでしょう。二万八千ベリですが」

「今は持っていないんです。家に行ってお金を取って来ますので、待っていてください!」

「分りました。あなたのために特別に、この石を一時間だけ取り置きにしておきましょう」

 それで俺は露天商に礼を言って、大急ぎでアパートの部屋に戻った。そうして自分の部屋の秘蔵の貯金箱を開けて、二万八千ベリ分のお札を取り出した。

 今日の俺はついていないと思っていたけど、もしかしたらついているのかもしれない。珍しい大きな魔鉱石に巡り逢えて、とてもお買い得だなんて。

 早くしないとあの露天商の気が変わって、他の人に石を売ってしまうかもしれない。俺は走ってまたあの路地へ行き、露天商から不思議な色の大きな魔鉱石を買った。

 

 よろこんで買ったは良いけれど、紙に包んでもらった石は非常に重かった。

 両腕でしっかりと抱え、うんうん言いながらゆっくり歩く。

「随分大変そうだねぇ」

 アパートの隣の花屋の親父が、笑顔で声をかけてくる。この親父はおしゃべり好きなところがちょっと面倒くさいけど、基本的には人の好いおっさんだ。

「はい、ちょっと重いものを買ってしまって」

 俺は愛想笑いを浮かべながら答えた。

 あまり詳しくしゃべったら、安い値段で魔鉱石を買ったことがばれてしまう。嫉妬ややっかみは極力避けたい。

「ほほお。それは良いね。そういえば最近路地裏でまがいモノの魔鉱石を売っている商人がいるらしいから、君も気を付けた方がいいよ。まあ、見ればすぐに偽物だと分かるようなインチキ商品らしいけどね」

 笑いながら親父が教えてくれた。

「……」

 俺は無言で、両腕に抱えた重たい紙の包みを見つめた。

 まさかな。


 仕事から帰ってきたルークは、薄暗い部屋の隅っこで、膝を抱えて座っている俺に気が付くと、すぐに飛んできておろおろと膝をついた。

「アヤト? どうしたんだ? 腹が痛いのか?」

「ルーク」

 俺は涙を拭って、もさもさ髪の騎士を見上げた。

「本当のことを教えて。この石は、魔鉱石なの? それともニセ物の石なの?」

 ルークは驚いたように、俺の傍らに鎮座している灰色の石を見下ろした。そうして、すべてを悟ったらしかった。

「これは……、ただの石だな」

 やっぱり。

 花屋の親父の言葉を聞いて、すぐに怪しいと気が付いた。一旦石を部屋に置いて、急いで空地へ行ってみたけど、もうテントも露天商も何もなかった。

 部屋に戻ってきて石をよーく調べてみたら、表面に青紫色の絵の具が塗ってあるだけで、水洗いしたらこんな灰色になってしまった。これではもう、ほんとうにただの石である。

 いくら払ったのかと聞かれたので正直に答えたら、さすがのルークも無言になった。

 悲しくて再び涙が零れ出てくる。二万八千ベリのお金。頑張って働いたお金だった。騙されて払ってしまうなんて、俺は何て馬鹿なんだろう。

「しかしこれは、……」

 ルークはしばらく灰色の石をペタペタ触っていたけれど、「ううむ」と唸る。

「これはなかなか良い防腐石でもあるな。ピクルスを漬ける際の重石に丁度良い。俺が二万ベリで買おう」

 ……漬物石に二万ベリ。

 そんなの明らかに高すぎるよ。そんな値段で漬物石を買う人なんて、さすがにいないよ。

 俺が言うとルークは首を振り、「アヤトが頑張って運んだ石だ。それくらいは払って当然だ」と言う。

「……じゃあ、特別に、一万ベリで」

 俺が言うと、

「半額だな。ありがたい」

 本当に一万ベリを払ってくれようとするから、冗談だよと断ったけれど、やっぱり一万ベリを押し付けられた。ルークは優しい。

 俺がめそめそする横で、ルークは石をさっそく漬物石にするらしく、洗ったり乾かしたりして忙しそうだ。

 俺はしばらく落ち込んでいたけれど、ルークが晩ごはんに出してくれた野菜の浅漬けがとても旨くて、ぽりぽり食べていたら元気が出てきた。

 明日は別の野菜でピクルスを作ると言って、ルークはなんだか張り切っている。



 シャワーを済ませ、寝支度をしていたら、

「アヤト、怪我をしているじゃないか」

 深刻な顔でルークに言われて驚いた。どうやら転んだ時にできた膝の擦り傷のことを言っているらしい。

 だけどこの擦り傷ならば、血は止まっているし全然大したことはない。明日にはきっと痛みも消えている。

 そう伝えても、ルークは納得してくれなかった。俺をソファへ抱えて行って腰掛けさせる。どうやら回復魔法を掛けてくれようとしているらしい。

 ルークは回復魔法を使うことができる。小さな怪我や疲労ぐらいならば、すぐに治してしまえる。

 ただ、これをされる時、俺は目を閉じてじっとしていなければならないから、ちょっと苦手だ。

「ほら、目を閉じていろ」

 俺の目蓋をルークの大きな手のひらが覆う。

 素直にじっとしていると、いつものようにルークの気配が濃厚になり、唇にふにっと柔らかいものが当たった。

 途端に身体が楽になる。膝の痛みも消え失せた。

 俺は目を閉じたまま、しばらく呼吸を整える。

 これをされると、気持ちが良すぎてぼうっとする。そのことも、俺が回復魔法をちょっと苦手だなと思う要因だった。

 俺が動けるようになるまでの間、ルークは俺の身体を胸元に抱き寄せ、背中や腕をさすってくれる。ルークの厚みのある身体は居心地が良くて、必要以上に凭れていたくなってしまう。甘えすぎるのは良くないことだとは思うけれど。

「……俺ね、勇者ルーカスは、今でもカッコいい勇者のままだと思うんだ」

 あれからもう一つ、ずっと心の中でモヤモヤしていた事柄があって、どうしても納得がいかなくて、我慢できずに口にしていた。

 あの時、露天商は勇者のことを、『落ちて雲隠れした木偶の坊』だと言っていた。けれども俺は、全然そんな風には思わないし、勇者のことをそんなふうに言う人がいることが、なんだかとても悔しくて、残念だった。今でも思い出すと嫌だなあと思ってしまう。

 ルークは俺の背中を撫でながら、黙って俺の話を聞いてくれる。

「俺、勇者は木偶の坊なんかじゃなくて、きっと今でもどこかで、人々のために頑張って戦っていると思うんだ。勇者は、ずっと勇者のままでいるんだと思う」

「……」

 それまで背中を撫でていたルークの手のひらが、ゆるりと止まった。

 あれ。急にどうしたんだろう。

 俺は閉じていた目をそっと開いて、ルークのことを見上げてみた。

 ルークは口元に手をやって、物憂げな表情のまま、虚空を見つめて固まっているようだった。

 だけどすぐに、とても微かな吐息を吐いて、背中を撫でるのを再開した。そして、

「……そう、だといいな」

 と小さく呟いた。



 俺はファンレターを書くことにした。

 もちろん、『美貌の勇者ルーカス』の作者宛てにだ。

 本の最後を調べてみたら、意外なことに、作者はこの街のどこかに住んでいるようなのだ。でも詳しい住所は分からないので、本を作った作業所に送ることにする。

 『勇者の話、大好きです。またカッコいい勇者の本を書いてください。続きを読みたいです』


 勇者は姿を消している。

 どうして姿を消したのかは分からない。その後のことは誰も知らない。と、本の中にも書かれてあった。

 だけどどこかにいるはずなんだ。

 俺は本当は、勇者に応援を送りたい。

 頑張ってほしい。

 誰かになにかを言われても、挫けないで。


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