第8話

 わたくしがそうと言えば、お母様はお叱りになるでしょうけれど。

 年が上がるにつれ、お姉様とお母様の主張は互いに一切の妥協のない、平行線の形で終わりました。おそらくお二人とも、ご自分の考えを理解してもらうことを諦めてしまっていると思います。


 わたくし自身は、お姉様の平等思想を好ましく感じている。ですがそれはあくまで、理想でしかありません。

 実現しようとするならば、国を根本から変える大改革が必要となるでしょう。

 理想は、お姉様が好ましい。けれど現状で生きるためには、お母様が正しい。それがわたくしの考えです。


 王でさえ、己の考えた政策を通すのに利益を操って賛同者を作るのです。正しいから政策が通るのではなく、利益があるから賛同する。それがこの国の政治の形となってしまっています。

 そのことの方が、はるかに嘆かわしいのではと思うのですが……。わたくしにできることは何もありません。


 そしてそんな彼らが、お姉様の理想を快く思い、受け入れるでしょうか? そうであるならこの国の在り方はとっくに変わっているでしょう。

 ともあれ、お母様がどの行いを指して仰ったかは分かりました。

 わたくしがエスト嬢に名乗らなかったのを、悪い噂の方の理由であると思ったのですね。


「ラクロア。貴女は国で最も高貴な血を継ぐ者の母となるのです。ゆめゆめ、忘れないようになさい」

「……はい、お母様」

「話はそれだけです。今日は慣れない場所へ行って疲れたでしょう。ゆっくりお休みなさい」

「お気遣いありがとうございます。では、失礼いたしますわ」


 よかった。大分穏便なお話でしたわ。

 お母様に一礼し、部屋を辞します。

 扉が閉まり、廊下を進んで――ある程度の距離を取ったところで、ようやく肩から力が抜けてきました。お母様やお父様とするお話は、どうしても緊張してしまうのです。


「ロア」

「きゃっ」


 ふうと息をついた瞬間を見計らったかのように、お姉様がひょこりと廊下の角から顔を覗かせます。

 今のは、驚かせようとして故意になさいましたわね?


「ふっふー。成功ね」

「もう、お姉様。急な悪戯はびっくりするではありませんか」

「びっくりさせるための悪戯だもの」


 にこー、と笑うお姉様につられて、つい、わたくしの頬も緩んでしまいます。

 そう、きっと。こうしてわたくしが笑えるように、やってくださっているのですよね。


「ココア淹れたの。一緒に飲もう? 温まるから」


 言いながら、お姉様はわたくしの手を取って両手で包みました。

 ……温かい。

 お姉様の体温が特別高いのではなく、これはわたくしの手が冷えているのでしょう。


「はい。ぜひご一緒させてくださいませ」


 そのまま手を引かれて、お姉様のお部屋にお邪魔します。

 これもお姉様のお人柄の賜物でしょうか。とても居心地がいいのです。


「朝に聞きそびれちゃったから、ちゃんと聞こうと思ったの。ロアはヴァルトレス殿下との婚約に前向きなんだよね? 義務とかじゃなくて」

「はい」


 義務で出会えたのがトレス様であってよかったと、心から思っています。


「殿下って、どういう方? そのー、ちょっと影があったり病みぎみだったりで、放っておけない感じとか……?」

「いえ。穏やかで優しい、素晴らしい方ですわ」

「それ、もの凄く丸くした表現ってわけじゃなくて?」

「はい」


 うなずきつつ、首を傾げてしまいます。お姉様はどうして、トレス様を捻くれた人物にしたいのでしょうか。

 ――あ。


「トレス様の生い立ちのことで、そのように考えられているのですね?」


 トレス様は交友関係も広くないですし、公の場にもあまり出ていらっしゃいません。陛下がそうされているせいですけれども。

 可能性としては、お姉様が仰ったお人柄であってもおかしくはないのでしょう。しかし想像だけで決めてかかるような物言いは、お姉様らしくないように思います。


「う、うん。まあ、そんな感じカナー」

「なぜ棒読みなのです?」


 それでは嘘だと言っているようなものですよ? 真正直なお姉様らしくて、わたくしは好きですけれど。


「ええっと、深い意味はないの。うん!」

「そうですか」

「納得しちゃう!?」

「だって、お姉様が仰ることですもの。わたくしが知る必要がないと判断なさったから、口にされないのでしょう? それならば、わたくしは知れずとも構いません」


 お姉様がわたくしに悪いことなどするはずがないのですから、情報の秘匿にどのような問題がありましょう。


「ロア。……あの、ごめん」

「本当に、構いませんわ。お姉様が話したいときに話してくださればいいし、時が訪れなければそれもよいのです」

「ううん。ロアには話したい。もう少し……そうね。この一年が終わったら」

「では、その時をお待ちしておりますわ」


 わたくしはお姉様のことを信じていますが、内に抱えているものを共有させていただけるのは、やはり嬉しいのです。

 それは話すに足ると、お姉様が認めてくださった証ですもの。

 大好きで、尊敬している方から認められて、嬉しくない者はいないと思います。


「――でも、ロアの気持ちが分かってよかった。つまりヴァルトレスによる秘宝アルカディア暴走イベントも防がないと駄目ってことね……」

「秘宝の暴走?」


 お姉様、今凄く物騒なことを仰いませんでした?


「こ、こっちの話! それより、えっと――そうだ! 序盤の大きなイベント、じゃない。一年生には大きなイベントがあるわよね?」

「ガーデンパーティーのことですか?」


 学園恒例のイベントです。

 主催を一年生が行い、上級学年の皆様をおもてなしするのを趣旨とします。将来、自身でパーテイーを開くときのための演習を兼ねているのです。今の年齢なら失敗しても許されますから。


 魔法科、一般科、騎士科の隔たりなく同じ目的のための準備を進め、人を使うこと、使われることを覚えるための場でもあります。

 そこには面識のない方々と親睦を深めるようにという、学園の配慮も含まっていると思われますね。


「実行委員、やりたいなとか思う?」

「やりたいかどうかで聞かれると困りますが……。立候補はするつもりですわ」


 まとめ役の中に名を連ねるのは、クラウセッドの義務だと考えます。

 とはいえわたくしは女の身。委員になったとしても、女生徒への連絡係がせいぜいですわ。

 委員長を務めるのは今年の首席入学者でもある、レグナ・アスティリテ様でしょう。


「……そっか」


 なぜわたくしが立候補しようとしているか、理由を察したお姉様が困ったお顔をします。


「それでも、降りるつもりはない?」

「理由をお伺いできますか?」


 いかにお姉様の仰ることとはいえ、容易く快諾はできかねました。

 今年入学のご令嬢の中で、爵位が最も高いのはクラウセッド侯爵家――わたくしです。そのわたくしを差し置いて委員に納まることを、多くの方がためらうでしょう。


「多分、Dクラスからはエストが代表になると思う」


 平民クラスに学科はありません。Dクラスが平民クラスなのです。学ぶ学科はすべてを浅く、といったところでしょうか。


「ええ、わたくしもそう思っておりますわ」


 彼女の存在感は飛び抜けている。すでに噂になっていることですが、彼女は座学の成績も悪くないようなのです。

 これはもう、彼女が天才でなければあり得ません。


 なぜなら平民には学を得る場がないから。己の名前が書けて、簡単な計算ができれば上々と言えるでしょう。

 だというのに、教師について事前に学問を習う貴族たちと比べても、彼女の成績は悪くないのです。

 まるで、お姉様のよう。


「エスト嬢は、目的があると仰っていました。そのためには貴族へ遠慮して手を抜くことは絶対にしない、と」

「学年主席まで上るつもりなのかしら。誰狙いでも成績は上げて損はないけど、そこまでガツガツいくならイシュエル狙い? もしくは逆ハーエンドか……」

「お姉様?」


 今、イシュエル殿下のこと、呼び捨てにされませんでした?

 身分に左右されず、当人をのままを見られるのはお姉様の美点だと思っておりますけれども、相手が相手なので危険ですわ……!

 しかし、不思議です。


「お姉様は、王家にあまり敬意を持っていらっしゃらないですよね?」

「えっ。そ、そんなことないわよ」

「……」


 じい、とお姉様を見つめていると、数秒で目をさまよわせ始め、すぐに両手を挙げられました。


「降参。内緒よ?」

「勿論ですわ。けれど、なぜ敬意を持たれていないのか、お聞きしたいです」


 わたくしにとって、王家は敬うべき存在です。王は国の頂点に座する、尊き方ですから。


「だって、王様って所詮、役職よ? しかも世襲制の。陛下自身のことはよく知らないけど、わたしが生きてきたこの十七年間、政治的に目覚ましい結果を出したってわけじゃない。国は安定してるから、多分政治家としての能力は普通? その席に座るなら、それぐらいの能力持っててほしいなってレベル」

「ま、まあ……」


 わたくし、聞いたことを少し後悔しました。冷や汗が背中に流れていきます。

 このお話、誰にも聞かれていませんわよね……? 不敬罪で首を刎ねられてもおかしくない内容です。

 ……けれど裏を返せば、お姉様はそれだけわたくしを信用してくださっているということ。

 ええ、わたくし、今聞いているお話はお墓の中まで洩らさず持っていきますわ。必ず!

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