第16話

「大丈夫。遅くなるかもしれないから、先に帰ってて」

「遅くなっても待ってるよ」

「大丈夫だってば。学園の敷地内だし、帰るの寮だし。クルスだってやる事が沢山あるでしょ?」

「……分かった」


 二回きっぱりとエスト嬢から拒否をされて、クルスさんは渋々うなずきました。

 クルスさんは、この学園で生活するための適性がなさそうです。貴族を前にそのような不服を顔に出してしまうとは。もし性質の悪い方と相対すれば、さあ罰してくださいと言っているようなものですわ。

 わたくしはそこまで趣味の悪い性格はしておりまんけれど、注意ぐらいはするべきでしょう。貴族として、そして彼の今後のためにも。


「貴方、商家の出ですわね? それなりに裕福だとも見受けられますわ」


 平民相手だけの商売では、彼の身なりの良さはあり得ないでしょう。


「確かに僕は商家の子どもですが、それが何か?」

「ご自分の立場を、もう一度見直しなさい。その様な態度では、早晩己の家を潰すことになりましてよ」

「脅す気ですか」


 権力には屈しないとばかりに、むしろわたくしを睨み付けてきます。この方、学園どころか商人にも向きませんわ……。

 将来、彼が直接貴族と関わらないことを祈るばかりです。


「忠告です」


 他意はありません。わたくしには。


「クルス、本当に大丈夫だから。――ラクロア様、行きましょう」

「そうですわね」

「エスト、待ってるから!」


 エスト嬢に呼びかけつつも、その実はわたくしへの牽制。……の、つもりなのでしょう。浅はかですが。

 もしわたくしに害意があるのなら、平民一人が待っているからと言って、行動を変える理由はありません。

 彼のご両親は、子どもに一体、どのような教育を施したのでしょう。


「……悪い奴じゃないんです」

「ええ、ご立派な友愛だと思いますわ。発揮するべき場とやり方を間違えていますけれど」


 わたくしの声に怒りの感情がないと分かったのか、エスト嬢はほっとした顔をします。先程の言葉と併せて、この表情。もしかして。


「彼が、あなたを助けてくれたという幼馴染みですね?」

「そうです。そして、攻略対象でもある……」

「攻略対象?」


 奇妙な物言いです。エスト嬢はどなたかと、彼の何かを巡ってゲームでもしているのでしょうか。


「……やっぱり、分からないんだ」

「貴女の言うことは、時々意味が分かりません。気を付けなさい」


 言葉とは、発した方の意図など然程意味がありません。受け取った側の印象こそが、その言葉の形を決めます。

 だからこそ誤解が生まれぬよう、意識せず相手を不快にさせないよう、熟慮の上で発するべきなのです。


 わたくしは、不快な物言いをしてきた方が無意識だとは思いません。いえ、無意識であるのならば、別方向で侮辱的です。

 意識して傷付けようとしているか、こちらを見下しているか。それだけの違いしかないのですから。


 たとえ平民ゆえに教育がなされず語彙が少なかろうとも、心は表れるものです。良き感情、悪しき感情、両方共が。

 エスト嬢の言い方は、後者に思います。

 己が知っていることをわたくしが知らない。それを確認したとき、どことなくわたくしを侮ったような感覚がありました。


「失礼しました」


 エスト嬢は謝罪をしましたが、その言葉は実に軽い。わたくしの感情にも重きを置いていない証ですね。

 エスト嬢の才覚は素晴らしいものですし、一歩間違えば蛮勇と化す勇敢さには、惹きつけられるものがあります。

 でも、友人にはなりたくありませんわ。たとえ身分差がなかったとしても。


 わたくしが彼女を連れて入ったのは、図書館です。他に一般の生徒が利用できる、人気のない空間が思いつきませんでした。

 読書スペースには何人か勤勉な方がいらっしゃるので、その先、古代語の書を集めたコーナーへと足を運びます。

 読むのには専門知識が必要で、知識がある方にはあえてここで読むほど重要なものではない。その様な書が集められたコーナーですから、この辺りはやはり人気がありませんでした。


「お話って、何でしょうか」

「遅くなりましたが、まずは先日の無礼を謝罪いたしますわ。家名を名乗った貴女の礼儀に反した行いをしたこと、お許しくださいな」


 胸につかえていたことを、ようやく解消できました。


「気にしていません。初対面の人間に、名乗られたからって名乗り返したりする方が警戒心薄いなー、って思うぐらいですから」


 そしてトレス様が言っていたように、エスト嬢は本当に気にしていないようでした。拍子抜けした様子さえ見せています。

 けれど、今日の本題はここからです。


「――それと、忠告です」

「忠告?」

「婚約者のいる男性に、無闇に近付く真似はおよしなさい。己の身が、周囲の人間が大切ならば」

「それ、アリシアじゃなくて貴女が言うんだ……。婚約と一緒に、やっぱり悪役令嬢も引き継いでるのかな……」


 先程忠告したばかりですけれど、エスト嬢に効果はなかったようです。意味不明な独り言を呟きながら、勝手に納得しています。


「はい、とは言わないのですね。今日は」

「そもそも、無闇に近付いたりとかしていませんから。自分の将来のために必要な伝手を作ることは、学園でも推奨されています。――だってそれが、この学園が平民を受け入れている意義ですもんね」

「……」


 エスト嬢は、理解されているのですね。多くの方が先々で悟ることを、入学したばかりのこの段階で。


「イシュエル殿下は平民でも才有る者には相応の躍進の場を、って仰ってくださいましたから。わたしは王家が、国が認めているその場所を得たいだけです」


 聞き良い言葉にしていますし、何ならイシュエル殿下は本気かもしれません。ただし、それは平民が希望するものとは乖離しているでしょうが。

 あの方はきっと、自覚もしていらっしゃらないでしょう。『平民の躍進』に『相応』なのはそこなのだと、常識だと、考えていらっしゃるでしょうから。


「分かっていて、貴女は騎士を目指すのですか」


 騎士の身分を手に入れたところで、出世はできない。いえ、平民の出で正騎士に登用されれば大変な出世だとは言えますが、組織の中で見れば、おそらく最下層から昇れません。

 優秀な平民を受け入れるのは、使い捨てることのできる、使い勝手のいい人材を得るために過ぎないのです。


「不相応な願望を抱くよりも、身の丈に合った相手を探すのがよろしいのではなくて?」


 エスト嬢は有能です。だからこそきっと、騎士になった暁には、危険な役目を多く押しつけられることになるでしょう。

 無様なことだと思います。己の安全と楽のために、他人を犠牲にすることを厭わない。


 選べる立場にあるのならば――傷付くのが嫌だというなら、騎士になどならなければよい。重たい義務を負う地位に就かなければよい。

 権利とは、義務を果たすために存在しているのです。権利だけを得ようとする、本来の在り方を忘れた者が何と多いことか。

 ……生まれによって選べないのであれば、覚悟をするしかありませんが。


 嘆かわしいとは思いますが、それがまかり通っているのが現実です。だからこそ、思わずにはいられません。

 幸いにしてエスト嬢は、可愛らしい顔立ちをしています。……過剰に容色が重要視されるのも抵抗感がありますが、仕方ありません。


 わたくし個人は、容貌の価値をもっと落とすべきではと思います。

 容貌など、たまたま持って生まれたものでしかない。さらには時代によって美貌の定義は常に変質し、年を取れば衰えていくのが確定している。

 そんなものよりも、その人がその生の中で培ってきた技術にこそ、重きを置くべきではないでしょうか。


 それは、どのようなものでも構わない。優秀である必要もない。優れていればより素晴らしいですが、大切なのはそんなことではないはずです。

 昨日できなかったことが、今日できるようになった。もしくは、望みの形に近付いた。それこそが、その人自身が磨き上げてきた価値ではありませんか。


 容色に関わる事であっても同じです。第一に褒められるべきは生まれ持った顔の造形ではなく、その美しさを保ち続け、磨き上げた努力です。

 肌のケア、立ち居振る舞い、服飾のセンス。すべてが努力です。そして本来は、そちらをこそ称えるべきだと考えます。


 けれど今の世の中は、そうではない。そして男性よりも女性の方が若さと美貌を求められる比重が高いです。

 第一には家格ですが、女性が妻として幸せに暮らすためには、美貌はあった方が良い。なぜなら、多くの男性が当然のように女性に求めてくるからです。だから、女性が美にかける執着が高くなる。


 女性は男性と結婚し、家に入るしか命を繋ぐ術がありません。満足な収入を得る手段がありませんから。貴族に至っては更に絶望的です。働くことさえ許されない。

 業腹ですが、それが常識で、世の仕組みです。その中でエスト嬢は、間違いなく恵まれていると言えるでしょう。


 だから、わざわざ自分を使い捨てにしようとする職になど就かなくとも、この学園を卒業したステータスを持って、自分に優しい場所に嫁いだ方がよいのでは。


「貴女は、多分それで耐えられるんでしょうね。この世界の常識と教育で生きてきてるから。――でも、あたしは無理」

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