第17話

「――?」

「わたしは必ず、ここで目的を叶えます。でないと、生きていけないから。でも、セティ様の婚約者の方を不安がらせたのなら、謝罪します」

「その謝罪に、意味はあると思ってよろしくて?」


 理解していて、クロエ様に申し訳なく思っているのなら、疑われるような行いは慎むべきです。

 でもわたくしには、今のエスト嬢が発した謝罪に、その意味合いが含まれているとは思えませんでした。


「気持ちは本当です。信じていただくしかありません」

「気持ちだけは、の間違いでしょう」

「……」


 エスト嬢は、答えません。

 そうでしょうね。彼女は、クロエ様が不安になったことを分かっていた。けれど態度を改めなかった。それがすでに答えです。


「わたしが言うのも何ですけど、婚約者をもっと信じるべきではないでしょうか。一回二回、異性と立ち話をした程度で疑われていたら、セティ様だって息苦しいと思いますよ」

「貴族の社会を知らない平民が、伯爵令嬢を侮辱するのはお止めなさい」


 ええ、エスト嬢の言い分には一理あるでしょう。ですが貴女は、自身の魅力を軽んじすぎています。

 クロエ様が一番不安になっているのは、異性だからではありません。セティ様がクロエ様に見せたことのない表情を見せた、貴女だからです。


 そしてもし、その結婚に己の人生がかかっていたら、貴女は同じことが言えるのですか?

 たとえセティ様のお飾りの妻となったとしても、クロエ様が飢え死ぬことはないでしょう。ですが社交界では確実に槍玉に挙げられ、嘲笑され続けることになる。ましてや、敗北したのは平民の女性にです。


 衣食住があるだけよい、と言われれば、否定はできません。

 ですが人を殺すのは、肉体への害だけではないではありませんか。

 肉体の命が健やかでなければ話にならないのは、道理。それは最低限です。


 心を殺す冷たさを怖れるのを、貴女は傲慢だというのですか? エスト嬢。

 身も心も、どちらも大切です。両方なければ幸福とは言えません。


「……侮辱だなんて、そんなつもりは」


 ――?


 エスト嬢は急に声を落とし、怯えたような口調になります。

 今更、冗談でしょう? 貴女はわたくしを怖れてなどいない。一体、どういうつもりで……。


「そこで何をしている」

「!」


 苛立った口調で割って入ってきた第三者に、わたくしは驚き、勢いよく振り返ってしまいました。


「イシュエル殿下……」

「ラクロア。こんな人気のない場所で、一体何をしている」

「……少し、お話をしていただけですわ」


 疚しいところはありません。が、状況は些か外聞の悪い形にはなっています。

 他人の目のある場所ですべき話ではないと思ってのことでしたが、裏目に出ましたかしら。

 何よりよくないのは、エスト嬢の態度でしょう。まるでわたくしに追い詰められているようなか弱い振りは、一体何ごとですか?


「とてもそうは見えないが」


 見えないかもしれませんわ。相手がどうも、そのように振る舞っていますから。

 まさか、わたくしを陥れようとでも?


 ――片腹痛い。


「そう仰られましても、困りましたわ」


 話の内容すべてを始めから聞いて頂ければ、誤解は解けるでしょう。わたくしは何ら恥じる言動はしていません。けれど、エスト嬢の協力が得られそうにない以上、不可能です。

 今彼女に話を向ければ、どのような曲解が出てくるか分かったものではありませんわ。

 わたくしと彼女の主張が食い違ったとき、イシュエル殿下がどちらを信じるか……。どうも、エスト嬢を選ぶような予感がします。


「義妹になるからと言って――いや、義妹になるからこそ、私はお前を特別扱いするつもりはない。むしろ王家の系譜に名が載るお前が、軽率な真似をするのは決して許されないと思え」

「承知しております」


 まったくの正論ですわ。


「……アリシアなら、下らない貴族の矜持などで平民を威圧したりしないだろうに。実妹であるはずのお前は、なぜ悪習に染まっているのか」


 わたくしは貴族として、常識が求める在り方に従っているつもりです。それがお姉様の姿勢とは違うことに異論はありません。

 けれど、殿下。貴族の矜持が下らないと、王太子たる貴方が言うのですか? 貴族にそれを求めている王家の一員である、貴方が!


「ファディア、来い。このような呼び出しには一々応じなくていい。何かあれば私に言え。貴族の行いの監視も、私の仕事の一つだからな」

「ありがとうございます、殿下」


 心からの感謝を表す深いお辞儀をしてみせるエスト嬢の殊勝な態度は、助けに入ったイシュエル殿下に満足感を与えたことでしょう。

 それが事実ではないことを知るのは、わたくしだけ。

 わたくしの横を擦り抜けながら、エスト嬢は早口で囁いてきます。


「これ以上の余計な口出しは控えて。悪役令嬢になりたくなければね。やっぱり、シナリオ補正通じるみたいだし。――あたしだって、誰かの破滅を踏み台にして何とも思わないわけじゃないんだから」


 貴女がどこで何をしていても、見て見ぬふりをしろ、と?


「でも、邪魔をするなら遠慮もしない。あたしが一番大切なのは、あたし自身だから。自分が泥水啜る生活から抜け出すためなら、他人に泥水を啜らせるわ」

「――……」


 侯爵令嬢であり、王子殿下の婚約者でもあるわたくしに、そのような可能性があるとでも?

 常識的に考えて、あり得ません。

 けれどなぜでしょう。心から断じることはできませんでした。


 去っていくイシュエル殿下とエスト嬢を見送るわたくしの胸に、不安の黒い染みがポツリと落とされた気がしました。

 ……気のせい、ですわよね? きっと……。




 何だか今日は、凄く疲れてしまいました。


 部屋着のまま、ごろん、とベッドに横になってしまいます。誰かに知られればはしたない、みっともないとお母様からお叱りを受けるのは確実ですが、自分の体を支えていることさえ億劫だったのです。

 枕を抱き締め、ぼんやり天井を見上げて過ごしていると、扉が控えめにノックされました。


「ロア、少しいい? 話したいことがあるんだけど」


 ――お姉様!


 慌てて身を起こし、返事をします。


「大丈夫ですわ。どうぞ、お入りくださいませ」

「じゃ、お邪魔します」


 扉を開けて入ってきたお姉様は、わたくしがベッドに腰かけているのを見つけると、迷わず隣に座りました。


「大丈夫? ちょっと元気がないみたい」

「――」


 御用があっていらしたのでしょうに、お姉様が一番に口にしたのは、わたくしを気遣うお言葉でした。

 だからこそ、お姉様に心配など掛けられません。


「大丈夫ですわ、お姉様。慣れないことをして、少し疲れているだけですもの」


 エスト嬢が不気味であるとか、イシュエル殿下から個人的な不興を買ったことなど、大したことではありません。

 ……大丈夫。


「本当に? お姉様に隠し事をするとか、百年早いぞ?」

「まあ。それではわたくし、一生お姉様に隠し事ができませんわ」

「ふふふ。諦めなさい。姉妹の差は埋まらないのよ」


 身を寄せ合ってお姉様と話しているうちに、気分も浮上していきます。

 ええ、何が起こったわけでもないのです。変に気に病むことなどありませんわ。

 己の弱さで、お姉様にご心配をおかけしてしまうとは。未熟です。猛省します。


「ところで、お姉様。わたくしにご用がおありだったのでは?」

「うん。ガーデンパーティーの内容を聞いておこうと思って」

「内容、ですか?」


 聞いたり話したりすることが悪いわけではないのですけれど……。こうも積極的に尋ねられるとは、思っていませんでした。


「エストの狙いが掴めるかもしれないから」

「エスト嬢の狙い、ですか……」


 目的があるとは言っていますが、具体的なところは口にしないのですよね。わたくしは警戒されている側ですから、当然ではあるでしょうが。

 そのせいで彼女の目的を、知らずのうちに妨害している可能性はありますわ。


「そう。それによって取るべき行動が変わるから」


 お姉様は出会う前から、エスト嬢の存在を気に掛けていました。

 今なら思います。流石は、お姉様。エスト嬢の非凡さを、危うさを、入学試験の段階で見抜いていたのですね。


「わたくしたちの代のガーデンパーティーは、『アル・ソール』の剣舞を中心に置いたものになりそうですわ」

「剣舞……っ。つまりセティルートか、トゥルーという名の逆ハーエンド……!」

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