第41話
「先生の弟、生きてるのか。問題があって――って訳でもなさそうなのに、どういう理由なんだろうな」
「他家の事情に、土足で踏み込むものではありませんわ」
まして王家が絡む秘密ですもの。危険です。
「そういうラクロアは分かっている気配がするな? 言わないんだろうが」
「さあ。わたくしも、皆目見当がつきません」
見抜かれていようとも、否定は大切です。
「クラウセッド侯爵に握られている弱味に繋がっているなら……と思ったけど、問題なのはそこじゃないみたいだから、まあ聞かなかったことにしよう」
裏のお仕事ではありますが、弱味ではありません。特に、その後ろに王家がいると知っているお父様が相手ならば尚更です。
察するに、昨日、先生の弟君はどこか別の場所――おそらく他国から呼び戻されたのではないでしょうか? それも、レイドル辺境伯爵領を経由して戻ってくる国のどこかです。
そこでトレス様が行った細工により発生した秘宝による脅威を確認し、もしかしたら、一戦交えたのかもしれません。
戦闘行為によって負傷しつつも、郊外の森に到着。あらかじめ配置されていたエスト嬢と出会い、応急手当のようなものを受けた……ということかと思われます。
いただいた指示と、皆様の行動、言動からの推測ですが。
これからヴェイツ家は、秘宝を使った何者かを探し、またその意図を暴く任に就くのでしょう。
……トレス様。
承知の上でやっていらっしゃるのを存じた上で……。それでもやはり、わたくしは心配です。
ともあれ――これでヒューベルト先生の知らぬ間に無茶な命を与えられ、弟君が謀殺される可能性は消えました。
それどころか秘宝を扱う戦力として、命の価値が高まったと言えるでしょう。
国に害を成す何かが生じたかもしれないときに、貴重な人材を消耗するような行い、お父様がされるはずもありません。
エスト嬢への干渉もしばらく減るでしょう。平民の台頭よりも、国の大事が優先されますから。
わたくしたちの目的にとって、大きな機会です。
ですが……当面の危機が去ろうとも、ヒューベルト先生はエスト嬢に真実を話してはくださらなかった。
身を守るための協力はしてくださるわけですから一歩前進ですが、足りません。
まだ、背を押す必要がありますわね。
「ラクロア? 何を考えてる?」
「これからのことですわ。……ねえ、レグナ様。ヒューベルト先生は、エスト嬢に味方してくださっているとは、まだ言い難いかと思います」
「そうだな。もう少し、エストとの距離の近さが必要だろう」
相手のために、どこまでの労力を支払えるか。それは間違いなく、好意によっても変わってきます。
「同時に、お父様との敵対が重い負担となっているとも見受けられますわ」
「そこは、乗り越えてもらうしかないだろう。事実だからな」
「もしかしたら、軽くできるかもしれません。レグナ様、一つお願いをさせていただいてもよろしいでしょうか」
「聞くだけ聞こうか」
あら。少し警戒されているご様子。
「どのような口実でも構わないので、ヒューベルト先生を王宮に呼んでいただきたいのです」
「できなくはないと思うが、何をするんだ?」
「嫉妬深い小娘の暴走に、気付いていただくだけですわ」
わたくし、誰かを傷付けるような行いについての真実は常に明らかにされるべきだとは思っておりますけれど、そのための過程で嘘をつくことはためらいません。
勿論、その嘘によって誰かが傷付くのなら、そこもまた裁かれるべきでしょうし。
……今の所、一番の懸念はトレス様が無断使用した秘宝です。
「そういえばレグナ様、貴方は昨日、辺境で何が起こったのかを詳しくご存知でしょうか?」
「全身魔導装の不審者が国境内側で森を焼き払ったって話か? 人的被害は認められていないし、むしろその辺りは魔物が溜まってた場所らしいから助かったと言えばそうらしいが、無視できない話だよな」
「そうですか」
レグナ様からの情報は、お母様からいただいたものより、もう少し詳しかったです。
人的被害が出ていないことを知ることができて、心より安堵いたしました。
秘宝は、人を護るための物――裏切れないということは、もとより不要な心配だったのかもしれません。
「そっちも関係あるのか?」
「いいえ。レグナ様のお顔を見ているうちに、ふと思い出しただけです。わたくしに辺境が危ういというお話をしてくださったのは、レグナ様ですから」
「……ふーん?」
……怪しまれてしまいましたか。
けれど魔導装兵という、皆がよく知る存在として見分けのつかない物が――あるいはつきにくいものが周知されているおかげで、よい隠れ蓑となりました。
ヴェイツ家の事情を知らなければ、すぐに結びつくことはないでしょう。
悪役はわたくしとトレス様だけで充分です。クロエ様は従わされただけ、という立ち位置でいていただきます。
わたくしとトレス様の将来にとって、悪評が残ったとしてもさしたる意味を持ちません。ですが、他の方々は違う。
だから、わたくしたち以外の方の悪役など、いてはいけないのです。
本日のお父様は、王宮の緊急会議にご出席されています。
ですので王宮にはいらっしゃいますが、会議室以外の場所をフラフラしているわけはありません。
わたくしは持参した手鏡で自身の姿を確認し、一つ、大きくうなずきました。
「さすがですわ、お姉様。どこから見ても、完璧にお父様です」
光の幻術で視覚を誤魔化し、誰かの姿を投影させるには、綿密な想像力が必要となります。
さすがはお姉様。頻繁にお顔を合わせているとは言い難いお父様のお姿も、正確に記憶していらっしゃるのですね。
「ま、まあね。設定資料集まで買って読み込んだファンの底力ってやつかしら」
「設定資料集……?」
なんだか、不穏な響きですわ。
「お父様の情報が記された書物がある、ということですか?」
まさか、お父様だけということはないでしょう。もしかしたら主だった貴族は皆、とか……?
表面的な情報であれば、不気味ではあってもどこに流れようが然程の被害は出ないでしょう。しかしどうにも、もっと深い内容であるような気がしてならないのですが……。
「あ、だ、大丈夫よ。わたしの頭にしかないやつだから!」
「ああ、成程。そういう意味でしたか」
安心いたしました。
お姉様ほどの方の脳に収められた情報であれば、それこそ資料集の名に相応しいかと思われます。
「けど、ロア。どうしてお父様の姿に? 大体、成りすますにしても今日じゃバレバレでしょう?」
「だからよいのですわ」
今わたくしたちがいるのは、魔法局と政務局を繋ぐ通路の外――空きスペースを使った小振りな庭です。
正門から王宮に入り、魔法局に向かうのならば十中八、九、通る道になっています。
ここを通るだろうヒューベルト先生を、このお父様の姿で一睨みするのが目的ですわ。
「さあ、お姉様は離れて隠れていてくださいませ」
「……分かったわ」
首を傾げつつも、お姉様は死角となる木陰に移動してくださいました。
ヒューベルト先生以外の方にはあまり目撃されたくないので、人影が近付くたびにお姉様に協力してもらいながらやり過ごし――。
本命です。
不快気に眉を寄せたまま魔法局へと向かう、ヒューベルト先生を発見しました。
あまり人の行き来のない場所です。当然、先生はわたくしに気付きます。
わたくしと目が合ったヒューベルト先生は僅かに動揺を見せ、一瞬歩調が乱れました。それからすぐに、何事もなかったかのように通り過ぎ――数歩進んでから、勢いよくわたくしを振り返ります。何かに気が付いたように。
そして今度は感情を隠さず、はっきりと瞳に剣呑な光を宿しました。あとは、何事もなく立ち去って行きます。
これからレグナ様に会われるはずですから、話が進展するとよいのですが。
「お姉様、終わりましたわ」
「了解、っと」
お姉様に幻術を説いて頂き、本来の姿で歩き出します。用は済んだので、入るときの口実に使わせていただいたトレス様の元に伺って、帰るとしましょう。
「で、結局。今のってどういうこと?」
「この一件を、先生の中でわたくしのみの謀とするのですわ。お姉様」
ヒューベルト先生はこの場にいるはずのないお父様の姿に不審を抱き、そして確認しました。わたくしの魔力質には近くで何度か触れていますから、きっと分かっていただけたことでしょう。
先生を脅したお父様も、わたくしだったのではないか。そう思っていただけるよう、仕向けたというわけですね。
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