第40話

「あれ、ラクロア。どうして帰ろうとしてるんだ?」


 プログラムの確認が終わり、学園を出ようと会議室を後にしたわたくしを、レグナ様が不思議そうに呼び止めます。


「どうして、とは? まだやるべき仕事が残っておりましたかしら」

「仕事はないけど、エスト嬢とヒューベルト先生の話、気にならないか?」

「勿論、なりますけれど……」


 わたくし、集音の魔法は使えません。それほど風属性の適性が高くないのです。


「じゃ、一緒に聴こう。扉は閉めてくれるか?」

「はい……?」


 首を傾げながら、扉を閉めます。その間に、レグナ様は窓を。


「まさか、こちらで集音の魔法を試みるのですか?」


 エスト嬢が呼ばれた教務棟とは、随分と距離があります。ただでさえ高難度に分類される集音の魔法ですが、距離の長さは更にその難度を高くします。


「ふふん。伊達に実技も学年一位は取ってないぞ。エスト嬢の魔力は……。あ、もうすぐ着くな。よし、始めよう」


 ……ここまで離れた場所からでも声を拾えるほどの使い手は、そういないはずです。それでも、ぞっとはしますね。

 やはり人間、口にする言葉には常に気を払うべきなのでしょう。

 セティ様が使われたのと同じ、集音の魔法を発動させる魔法陣が、わたくしとレグナ様で挟んで座った机の上に輝きます。


『エスト・ファディアです。失礼します』


 名乗りと、扉を開ける音。明瞭です。


『……何の御用でしょうか。この前の件なら、わたしの意思は』

『別件だ。――これを返しておく』

『え……?』


 かさりと、紙に包まれた何かの受け渡しが発生したようですが、さすがに中身は分かりません。


『このハンカチは、昨日の……。どうして先生が?』


 ここでわたくしたちが聞いていることへの配慮なわけもありませんが、エスト嬢、解説ありがとうございます。


『あれは私の身内だ。お前の助けがなければ危うかったらしい。不詳の弟が世話を掛けた。感謝する』

『先生の……?』


 戸惑ったような言い様――ですが、うぅん。微妙です。

 案の定、ヒューベルト先生も溜め息をつきました。


『白々しい演技はよせ。私がハンカチを取り出したときも、お前はほっとした顔をした。まるで私が今日ここで、お前に返すことを知っていて、その予定通りに進んだ、とでも言うように』

『……っ』


 エスト嬢の演技の拙さもあるでしょうが、これは……。

 たとえ玄人の方がやったとしても、ヒューベルト先生を騙しきるのは難しかったかもしれません。


 先生の確信を持った物言い。おそらく、嘘を見抜く訓練をされている。

 トレス様から窺ったヴェイツ家の役割から考えても、専門的に学んでいておかしくありません。


『答えろ、ファディア。お前はあいつの素性を知っていたな? 表の家系図では、とうに死者の仲間入りをしている存在を』


 き、協力どころか、エスト嬢が別件の疑念を持たれてしまっていますわ。

 しかし前々から、エスト嬢がまるで先を読んでいるかのような行動を取ることがあるのは、わたくしも気になっていました。

 彼女には先見の力が備わってでもいるのでしょうか?


 納得はできますが、神話の能力です。現世での発現など聞いたこともありません。もしそうであるなら、エスト嬢の立場を更に危うくすることでしょう。


『……貴族の家系図なんて、知りません。似ているなとは思いましたけど、確信したのは先生がハンカチを出したときです。助けたときも、先生に――貴族に恩を売れる可能性を考えていました。いけませんか?』


 ……あら?

 おそらく、今エスト嬢が口にしているのもまま事実、というわけではないと思うのですが、先程より余程自然です。


「エスト、たまに喋る言葉が棒読みになるよな。手本となる台本と表現を知っていて、一生懸命真似しようとしている、みたいな」

「レグナ様もそう思われますか」


 一体、どなたを模倣にしているのでしょう。

 まったくの的外れとは思いませんが、彼女が演じたい性格は、本来のエスト嬢とはやはり違うようなので、違和感が出てくるのですよね……。

 理想を追い求めて、という気配でもないですし。謎です。


『……まあ、いいだろう』


 どうやら今度は、ヒューベルト先生にも納得していただけたご様子。


『私に恩を売ることを考えたと言ったな。もしお前やクルスが陥っている状況を覆したいというのなら、無駄だぞ。私に俗世への権力など、無きに等しい』

『それならそれで、仕方ないとも思っています。人には、自分の優先順位がありますから。わたしだって同じです』


 エスト嬢の口調には、本物の悔恨が窺えます。

 保身のために己を襲った二人を見捨てかけたことを、まだ気に病んでいるのですね。

 エスト嬢はやはり、少しお姉様と似ています。他者にも心を砕けるその在り様が。

 同時に思います。


 ――脆い、と。


 人としては、とても好ましいです。けれど一つ一つにいつまでも心を寄せていては、己が保てません。ある程度己の中で区切りをつけ、割り切らなくては。

 感傷に引き摺られていては、より大きな失敗をしてしまうかもしれない。

 一言一言が他者にも大きく影響を与えるような、強大な権力を持つわたくしたちに、そのようなことは許されないのです。


 けれど親身になれるからこその優しさは、尊いものです。

 つまりわたくしがそれを尊いと思うのであれば、エスト嬢がそう在り続けられるよう、権力者として彼女を守らなくてはなりません。

 もう少し、注意を払って見ていた方がいいかもしれないですね。


『……そうか』


 本心からの言葉の苦さを、勿論ヒューベルト先生は聞き逃しませんでした。なんということのない相槌に、共感の響きがあります。


『打算はありましたけど、助けられそうな相手を見捨てる理由もありません。助かってくれてよかったとも思っています。だから、ええと……お大事にって、伝えていただけますか』

『必ず伝えよう』


 ヒューベルト先生の声の気配、変わりましたわね。

 これまでの生徒A、被害者Aと言わんばかりの突き放した冷ややかさから、エスト嬢個人を認識したような印象になりました。


『……理不尽なものだな。お前には何の落ち度もない。なのに、勝手な自尊心で害されるなど』

『そうですね。だから、死ぬ気で逆らいます。わたしが生きていくためには、それしかないから』


 ええ、貴女を殺させないよう、わたくしも最善を尽くしましょう。


『では、失礼します』

『待て、ファディア。――もしお前にその気があるのなら、護身の術を教えてやる。少しは役に立つだろう』

『うぇっ!?』


 それは一体どういう悲鳴ですか、エスト嬢。

 ただ、喜びの奇声ではない、ということだけは分かります。


『世に力の形は数あれど、結局、最も強いのは暴力だ。騎士として魔物を殺すためでも、人を殺すためでもない。生き延びるための術を教えてやる』

『うぁ……っ。ヴェイツルートは嫌……だけど、教えは請いたい……。死ぬ確率なんか少しでも低くしたいし……っ』


 レグナ様の集音の精度が良すぎるせいで、これまでと変わらぬ声量で聞こえますが……。独り言のようですから、実際には小声での呟きでしょう。


『あたし、絶対近衛騎士になってやるんだから……。なるんだから。……うぅ。もう一択でしょー』


 ほんのり、涙声です。


『ぜひ、お願いします!』

『任せろ』


 決めた後のエスト嬢の返事は、実に潔いものでした。

 ヒューベルト先生と過ごす時間が増えれば、自然と互いへの理解も深まることでしょう。この申し出は僥倖なのでは?

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