第3話
それはつまり……。
「わたくし、もしかして殿下にとって妹のようなものなのでしょうか」
「は!? 妹? どこから妹がきた」
「お姉様がわたくしのことを想ってくださる温かさと似ていたからです」
お父様もお母様も、わたくしやお姉様のことを家の繁栄を助ける血族として、大切に扱ってくださっています。けれど心がぽかぽかする温かさをくださるのは、お姉様だけ。
「いや、お前、だからって」
唖然としたような表情になったかと思うと、殿下はすぐにはっとした様子で言葉を切りました。
「そうか、そうだよな。下地はあるんだ。俺の所もそうっちゃそうだし。……となると、アリシアに感謝するべきか」
「殿下?」
「ん。何でもない。――少し違うが、まあ、少し近い」
殿下とお姉様は違う人間ですもの。まったく同じだとはわたくしだって思っていませんわ。
「アリシアはお前を、家族として愛している。俺はお前を妻として愛したいし、大切にしたい。今は愛しているとは言えないが……。まあ、お互い様だと思うから勘弁してくれ」
「はい?」
「ちゃんと夫婦になるためにもこれから心から――ってああ、ったく。これは今はいい。忘れろ」
言っている途中で顔を赤くした殿下は、不自然に話を打ち切りました。殿下が忘れろというのなら、忘れるのが貴族の娘というものです。
「とにかく、だ。お前、何か気がかりでもあるのか」
「いえ、わたくしは何も。むしろそれは、殿下の方なのではありませんか?」
「俺?」
「今年の学園の話をしたときに、思う所がある様子でしたわ」
わたくしの入学の話から……という部分は、あえて触れないでおきます。
肯定されたら悲しいですし、殿下に気を遣わせるのも本意ではありません。
「あぁ、それか。……今年は少し、面倒が起こるかもしれないからな。多少、気になってはいる」
あ、わ、わたくしのことではなかったのですね。
ほっとしました。
「今年は何があるのですか?」
「聞いていないか? 平民の娘が学年トップの魔力量と
「存じています」
声は、どうにか震えずに発せたと思います。
既に大きく広がっている話ですから、知らない者は少ないでしょう。わたくしがそれを知ったときのことを一緒に思い出して、気分が沈むのを感じます。
貴族が平民に負けるとは何事かと、お父様とお母様に大変お叱りを受けました。
「才能のある平民は受け入れているが、それでも基本は貴族の世界だ。面倒事を引き寄せたくなかったら加減する。その是非はともかく、な」
下位貴族でも、優秀な方が周りへの配慮のためにその実力を隠すことはままあります。
確かにおかしな話ですが、負けを盤外戦術で覆そうとする者は、嘆かわしいことに少なくありません。自身の身の安全のためにも、抑えた方が無難なのでしょう。
……殿下の仰る通り、是非はともかく。
貴族には体面というものがあります。わたくしのように、親からお叱りを受けた者は少なくないと思いますわ。今この段階で、すでに歪んだ憤りを相手に向けてしまう者がいることも、想像に難くありません。
なるほど。そういう『面倒』が起こるかもしれない、ということなのですね。
「お前は、まさか嫌がらせしてやろうとか考えてないよな?」
「まさか。そのような見苦しい真似、いたしませんわ。雪辱は実力で果たさねば意味がありません」
殿下に答えた気持ちに嘘はありません。殿下も信じてくださったのか、ほっとした顔をしています。
――もしお父様とお母様の教育だけを受けてきていたら、わたくしは体面を重視して、これ以上恥を掻かないために、その平民の少女を退学させようとしたでしょう。
クラウセッド侯爵家の力があれば、平民である彼女に勝ち目はありません。わたくしの望みは叶ったはず。
けれど今のわたくしには、それはただ無様なだけの行いとしか思えないのです。同時に、人材という国家の宝を失わせる愚行でもあります。考えるにも値しませんわ。
お姉様は、誇り高く美しい。わたくしはお姉様に恥じない妹でありたいし、わたくしもまた、その姿に近付きたい。
身の程知らずと笑われるかもしれません。けれど努力は嘘をつかないものです。たとえ最後まで届かなかったとしても、歩んだ歩数分、わたくしは理想に近付けている。そう、信じています。
ただ、それにまつわる話で少し寂しいことが。
実はお父様とお母様にお叱りを受けたあと、お姉様が飛んできて殿下と同じ質問をわたくしにしました。お姉様にとってわたくしは、そのような愚行をやるかもしれないと一筋でも考えてしまう、頼りない妹なのですね。
お姉様に信頼していただけるよう、もっと努力が必要ですわ。
……けれど、これは言っておくべきでしょう。
「ただ、その、殿下」
「どうした?」
「努力を怠るつもりはありませんし、諦めるつもりもありません。けれどわたくし、その方には勝てないかもしれませんわ」
魔力もまた、才能です。
努力すればある程度鍛えられるものではありますが、その伸びしろも、持って生まれた魔力量から大方の所を量れます。
例外もありますが、数が少ないから例外となるのです。そちらは考えなくてよいでしょう。
わたくしの魔力量は、大貴族の娘として恥ずかしい程ではありませんが、特別多いわけでもありません。
おそらく、わたくしがその方に敵うことはないと思います。
「勝ちたいなら応援するし協力もする。努力も素晴らしいと思う。だが、無理まではしなくていい。さっきも言ったが能力なんぞは立場における必要分あれば充分だし、そうでなくても学力やら魔力やら、数字だけが価値じゃないんだからな。――あぁ、だからといって腑抜けすぎるなよ」
「勿論ですわ」
生徒会に在籍する、学園でも指折りの優秀なお姉様の妹として、王家に連なる方の伴侶となる身として、恥ずかしい人間にはなれません。
「ん。心配なさそうだな」
意気込んでうなずいたわたくしに、殿下は目を細め、唇に柔らかい弧を描きました。
殿下はやや鋭い印象を受けるお顔立ちですが、そんなことさえ忘れてしまうほど、温かな笑みです。
「……何だ?」
しばし見惚れてしまったわたくしに、殿下は笑みを消してそう問いかけてきました。
「失礼いたしました。殿下は、とても優しく笑われる方なのだと思いまして」
「……そうか?」
ご本人、無意識なようです。
「褒めてくれてるんだよな?」
「勿論ですわ」
わたくし、冷たい方より優しい方の方が好きですもの。
「ん。なら、ありがとな」
「ど、どういたしまして……?」
思ったことをつい顔に出してしまっただけですし、元々は殿下がわたくしを心配してくださった所から来ているもの。
この場合、お礼を言うのはわたくしなのでは……?
「なあ、ロア」
「はい。えっ!?」
反射で返事をしてから、愛称で呼ばれたことに気が付き驚きの声を上げてしまいました。……つい、失礼な反応を。猛省します。
「俺は、物事に形から入るのも悪くないと思ってる。だから――そうだな。お前には『命じた』方が受け入れやすいか。俺のことも名前で呼べ」
命じられれば、もちろん否はありません。
けれど特別を許し、そして逃げ道をくださった殿下のお心遣いに、わたくしは自分が喜んでいるのを自覚します。
「ヴァルトレス、様」
「不平等は良くないと思うんだが? ロア」
「……トレス様」
口に出すのに、なぜか緊張よりも――気恥ずかしさを感じてしまいました。これは、婚約者という関係性を意識してのことなのでしょうか。
それとも、わたくし自身の心でしょうか。
身の置き場が分からなくなるぐらい落ち着かないけれど、不快ではない。とても、不思議な感覚です。
「……少し、照れるな」
「はい」
よかった。わたくしだけではなかったようです。
嘘ではない証拠に、殿下の頬も僅かに朱が差しています。……わたくしはもっと赤くなっている気がしますが。
「けど、そのうち自然になる。お前とならなれると思う。改めて、これからよろしく頼む」
「はい、トレス様。こちらこそ」
貴族の娘として、わたくしの答えには是しかあり得ません。
でも、是を言う相手がトレス様でよかった。
それは間違いなく、わたくしの本心ですわ。
「ああ、そうだ。もう一つ。お前の入学、楽しみにしてる」
「――ありがとう、ございます」
そして最後に。殿下はわたくしの不安を払拭してくださいました。
新学期からの学園生活、わたくし、心から楽しみに待てそうです。
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