第2話
「まあ、陛下が殊更俺を無視したのは、俺に王位を継がせることは絶対にないって主張をするためだ。何の後ろ盾もない俺を守るには最良だろう」
確かに、下手に護るよりも『相手にされていない王子』と見なされる方が安全かもしれません。ご本人のお気持ちはとにかく。
「幼少期の兄上の態度は、自分の周囲が全員そうなんだから影響を受けて自然にそうなる。兄上にそこまでの悪意はなかったし、今でもそうだろう。事情を理解した今は――まったく下に見えていないとも言わないけどな」
ヴァルトレス殿下の口調には、イシュエル殿下への落胆が少しばかり感じられました。
……実は、わたくしもイシュエル王子が苦手です。あの方はお姉様とわたくしを比較して、よく『もっとアリシアを見習え』とか『あまりアリシアに心配をかけるな』とか、とにかくお姉様と同じであることを要求されるのですもの。
言われるまでもなく、お姉様には見習うべき美点が数多くありますわ。手本として研鑽を積むことに否はありません。
けれどわたくしはお姉様ではないのです。模倣を求められても困ります。
ヴァルトレス殿下に対しても、そう。
『仮にも王族』とか、『せめて父上の名に恥じないよう』といった内容のお言葉をよく口にされます。
ご本人は意識さえしていないのでしょう。しかしその言い様は、ヴァルトレス殿下を、その母君を下に見ていなければ出てこないもの。
まったく。お姉様の公平性を素晴らしいと感じるのなら、それこそご自分も倣えばよろしいのに。
……あっ。い、いけません。
王家の方に不平を思うなど、不敬です。貴族の娘として、国民として、あってはならないことですわ。
お姉様なら、「王様だろうが貴族だろうが人だもの。間違うときは間違うわよ」と平然と言いそうですけれども。というか、言っていらしたけども。
ふふ。わたくしもやっぱり、お姉様に大きく影響を受けているようです。お父様とお母様が聞いたら卒倒しそう。
「だがまあ、そんなことは些細だ。兄上の思考はこの国の常識と照らし合わせて問題があるわけじゃない。むしろ大分マシな方さ」
おそらくもっと悪辣な雑言を受けたこともあるだろうヴァルトレス殿下が仰るのなら、そうなのでしょう。
「人格的にも能力的にも問題のない相手が王位を継いでくれるんだ。だったら、わざわざ揉め事なんざ起こすべきじゃない。違うか?」
「心より同意いたしますわ」
ヴァルトレス殿下のこのようなところが、わたくしには好ましいのです。
ご自分の感情さえ冷静に見詰め、立場ある方に相応しい判断をなさる。かと言って、無理をし過ぎているわけでもなく、正しく自然体。
その強靭な精神力、とても同年代の方とは思えません。
殿下にそのおつもりはないし、国のためにそうするべきではないと分かっていますけれど。わたくしやはり、イシュエル殿下よりヴァルトレス殿下の方が王座に相応しいと思いますわ……。
「表情に出てるぞ、ラクロア」
「!」
苦笑と共に指摘されて、わたくしは慌てて表情を意識します。
「お前は買い被ってくれているみたいだが、俺は王になっていいような人間じゃない」
「どうして、そのように思われるのです?」
血筋の問題で難しいのではなく、ご自身を否定なさるような言い方に、つい訊ねてしまいました。
「懸命さがないからさ。国を預かる大仕事だぞ? 周りに優秀な奴を固めればそれでいいから、能力なんぞは国民に恥をかかせない最低限あればいい。そんなことより、やる気のない奴こそが論外だ。考えてみろ、嫌々王になったやる気のない奴に税金を納める民の気持ちを」
「……」
考えてみました。
……いかに能力が高かろうとも、やる気のない主は嫌ですね……。
「はっきり言うが、俺は自分や、自分の周囲の大切な人たちよりも国を優先できる自信はない。そうしたいとも思ってない。だから俺に王の資格なんて端からないのさ。俺を王として戴いたら、国民の支持率ダダ下がりなの確実だぞ?」
私人である前に、公人であれ。
それはわたくしたち貴族が、生まれた瞬間から背負う宿命です。
貴族は国の運営を仕事として、民の税を運用する立場にあります。その目的は国を豊かにすること。国の運営を行う立場上、他国から見れば国民の代表でもあり、恥ずかしい行いはできません。
そしてその重責は、手にした権限によって増していきます。王ともなれば、それこそ常人に背負いきれる重さではないでしょう。
わたくしは国政に携わることのない、女の身で生まれました。だから想像しかできませんが……。もし求められたら、わたくし、とても耐えられる気がいたしません。
「少なくとも、兄上にはやる気がある。最初から諦めている奴よりずっといいだろう」
「やる気……。あるのでしょうか」
お姉様に興味があることを隠せていない……というか、隠す気もあまりないような方ですから、公人で在れる気がしないのですが……。
うなずけなかったわたくしに、ヴァルトレス殿下は唇に冷笑を浮かべて言い切りました。
「やらせるさ。周りがな」
その殿下の冷えた声音に、ぞくりと背中が粟立ちます。
殿下は時々、達観した様子で怖いことを平然と仰る。
「王は間違いなく最高権力者だが、王を王たらしめるのは貴族であり民だ。多くの貴族の意に沿わないことは、王もできない。それでも自分の意見を通すために必要なのが、それより多くの支持を獲得するための協力者と後ろ盾ってやつだな」
しかし今の王家では、クラウセッド家は後ろ盾どころかその意に阿る傀儡となりかねない。という、イシュエル殿下にお姉様が嫁げない理由に落ち着くわけですね。
「まあそんな訳で、母の実家に力がなく、妻の実家に頭が上がらないと確定している俺に、王座を狙う野心はない。それを覆すほどの交友関係も持ってないし、そんな面倒なことはしたくない。安心しろ」
「はい」
世の中は平穏が一番です。
「……しかし、そうか。今年からお前も学園の高等部か」
「はい。楽しみですわ」
わたくしも十六歳になり、高等学校への進学が決まりました。二つ離れた殿下とは一年しか一緒に在籍できないけれど、それでも楽しみです。
「そうだよ。今年なんだよなあー……」
視線を宙の在らぬ場所へ向け、物憂げな息をつく殿下。
も、もしかしてわたくし、歓迎されていない?
い、いえ。歓迎していただけるかも、という期待がちょっと図々しいものだったというなら、猛省します。ただ、そこまで気鬱に感じられてしまう存在なのでしょうか、わたくし……。
長い間お姉様が婚約者候補だったので、わたくしと殿下が婚約したのは最近です。どう接していくか、まだ探り合いの時期ですわ。
そのお生まれから王宮では口さがない者たちから悪し様に言われることも多い殿下ですが、そのような悪意になど微塵も揺らがず、いつも堂々としていらっしゃいます。
殿下の未来の伴侶として相応しく在るよう、わたくしも正しい淑女の姿を心がけてきたつもりです。けれどもしかして、知らぬうちにご不快な思いをさせてしまったのでしょうか。
……いえ。わたくしがどう、という話ではないのかもしれません。
お姉様に殿下との婚約話が持ち上がったのは、もう五年も前になります。当時から拒み続けてきたお姉様を、それでも殿下は望んでいらした。
王家は多分、クラウセッド家の娘ならどちらでもよかった。だからわたくしで妥協した。
でも、もしかしたら殿下は……。
幼い頃から、お姉様は特別でした。
文字を覚えたと思ったら、あっという間に算術を修め、家庭教師たちが称賛していたのをよく覚えています。他の教科でも同じです。多少の得意不得意はあるようですが、お姉様はすべての学問において才能を現しました。お姉様こそ、天才の称号に相応しいと思います。
一方、同じ教師に教わったわたくしですが、残念ながらお姉様のような才覚はありませんでした。よくお姉様と比べられて、少し辛い思いをしたものです。
といっても、一月も経たないうちにわたくしが塞ぎがちになったのをお姉様が気付いて、『人を個人として見られない奴が教師なんかやってんじゃないわよ!』と教師たちを怒鳴り付け、その後わたくしがお姉様と比べられることはなくなりました。
勿論、わたくしがお姉様と比べて劣っている事実は変わりません。悔しい気持ちもあるし、情けなさもあります。
でもわたくしもそこまで愚かではありません。もう、分かっていたのです。
お姉様が特別なのは、美しいからでも賢いからでもない。持ち得たその才能に驕らず、皆のために使ってくださるから。その心根こそが、皆がお姉様を愛する理由なのです。
そんな魅力的なお姉様と比べて、わたくしは実に平凡だと言えるでしょう。横に並べば当然、見劣りします。
わたくしにそのような素振りを見せたことはないけれど、もしかしたら、殿下個人はお姉様を望んでいらっしゃるのでは……?
「……ロア。ラクロア?」
はっ。
思わず、物思いに耽ってしまいました。
「な、何でしょうか」
「いや、お前がどうした。急に上の空になって。――気がかりなことでもあるのか?」
……今できてしまいました。
けれどそんな不安は、殿下には悟られずに済んだと思います。失礼かもしれませんが、瞬間的な感情が驚きに塗り替わったので。
見返した殿下の瞳は、気遣い以上にわたくしを心配してくださっているのが分かります。真っ直ぐにわたくしだけを見詰めた、真剣なものでしたから。
「ええと。心配してくださるのですか?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ。婚約者の様子がおかしいのを気に掛けないほど、結婚に夢見てないわけじゃないからな」
「いえ、気には掛けてくださると思っていましたわ」
ただ、もっと義務の気配に近いのではと想像していたのです。お父様やお母様が互いを気遣うとき、そしてわたくしたちを窺うときは、もっと事務的ですもの。
いまのはまるで、そう。お姉様がわたくしに向けてくださる、温かなものに似ていました。
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