第4話

 ディーンドロップの花が淡く黄色に色付く頃、ユーフィラシオ王立学園の新年度が始まりました。

 真新しい制服に袖を通したわたくしはお姉様の後について馬車から降り、学舎を見上げます。

 学舎の壁は白を基調に磨き上げられているので、降り注ぐ陽光に輝いてさえ見えるよう。


「さあ、ロア。行こう」

「きゃっ」


 新たな学生生活に思いを馳せていたわたくしの腕を掴み、やや強引にお姉様が歩き出します。


「ど、どうしてそのように急いでいらっしゃるの?」


 お姉様は普段、このように人を引っ張るような方ではありません。必要があってやっていると考えるべきです。


「正門前にいたら、いつ鉢合わせするか分からないわ。危険人物には関わらない。これは鉄則よ」

「この学園に危険な方がいるのですか?」


 ここは国の名を冠する国内最高学府です。入学には学力、魔力のみならず、人格面も精査されます。

 ……高位貴族には適用されない場合もありますけれど。


 それに思う所がないわけではありませんが、わたくしが正すのは難しいでしょう。女性に社会的な発言権などありませんから。

 ともあれ、高位貴族以外には前述の試験が徹底されます。そのような場所に危険人物が入り込むとはにわかには信じがたいですが、お姉様が言うのなら……。


「そうよ。わたしたちにとって、凄く危険な子なの。だから絶対、その子に関わっちゃ駄目」

「新入生なのですか?」


 第二学年のお姉様が年下を指すような言い方をされているのだから、おそらくそうだと思うのですが。


「ええ、そうよ。エスト・ファディア。今年度入学の貴族たちを震撼させた子よ」

「――」


 本来なら、誰の点数がどの順位か、など外部に漏れることではありません。総合成績トップの方が入学式で挨拶をするので、その方のことだけが分かる程度です。

 けれど件のエストさんに関しては、あまりの衝撃に話が広まってしまったようです。彼女が平民だったせいで、情報の扱いが杜撰だったためもあるでしょう。

 そこに差が生まれるのは遺憾ですが、多くの貴族にとって平民とは、そのようにいい加減な扱いをしても構わない相手、という認識なのです。


「いい、ロア。その子が誰と何をしていても、絶っっっ対、関わっちゃ駄目」

「誰と何をしていても……とは?」


 法に触れることならば、止めるべきなのではないでしょうか。そうでないのなら、特に親しくない平民に積極的に関わって行ったりはしません。

 住む世界の違う相手ですから、友誼を育むのに適した相手とは言えないのです。お互いに。


「例えば、婚約者のいる高位貴族と仲睦まじくなったりとか、王太子殿下に常識越えて馴れ馴れしく接したりとか、放課後に教師と密室で何かしてたりしても、って感じかしら」

「ええっ……?」


 そのように破廉恥なことをする女性がいるのでしょうか。

 男性側が複数の女性と付き合うことは許容されても(ただし女性からは当然嫌われます)、女性が同じことをすればまともな嫁ぎ先は失われるものです。

 というか、お姉様。後の二つはともかくとして。


「それは、トレス様のことを仰っているのですか……?」

「えっ」


 おそるおそる問いかけてみると、お姉様は予想外のことを聞いたような反応をされました。


「え、えっと……違う、けど。ヴァルトレス殿下は攻略対象じゃなくて、純粋な悪役だし……」


 後半は口の中で喋られてしまったので聞き取れませんでしたが、『違う』と仰ったのだけははっきり届きました。

 そうですよね。わたくしたち程の年齢になれば、婚約者がいる方も少なくありません。条件に当てはまる方が相応にいらっしゃるというのに、自分たちのことだと思う込んでしまうなんて。

 恥ずかしい限りです。猛省します。


「というか、ロア。ヴァルトレス殿下のことをすぐに思い浮かべたってことは、その……」

「自分の婚約者が他の方と仲睦まじくなって喜ぶ方は、珍しいと思いますわ」


 たとえその関係に気持ちがなくとも、面白くはないのではないでしょうか。

 今わたくしがそうなったら……きっと、悲しい。

 嫉妬できるほどの強い想いは、まだないと思います。けれど共に歩めたら嬉しいと、想像をした相手です。

 それが名ばかりになったり破談になったりしたら、きっと悲しくはあると思うのです。


「そ、そうよね! 普通そうよね」

「それとは別に、わたくし、トレス様のことを好ましく思ってもおりますわ」


 お姉様に隠すようなことでもないと思いましたので、自分の気持ちも正直に申し上げます。

 だって事実、義務以上の感情があるのですもの。嘘をつく方がトレス様にも失礼でしょう。


「そう……なの?」

「はい」


 なぜお姉様はそんなにも驚いていらっしゃるのでしょう?

 確かにトレス様の宮廷での評価は低いです。お生まれのせいだけでなく、トレス様が王族として最低限の仕事しかなさらず、影に徹しているせいです。


 しかしそれは国に余計な混乱をもたらさないため、自分に求められる役割をこなしているだけなのです。

 トレス様がその有能さを鳴り響かせ、人脈に富む方だったら、国の方が頭を抱えたでしょう。


「アリシアとヴァルトレスが意気投合するのは互いの環境に傷付いてきた傷を癒すためで、初めて自分を自分として扱ってくれた相手への相互依存みたいな感じだったけど……」

「お、お姉様?」


 今、トレス様のことを呼び捨てませんでしたか? クラウセッド家の者がそれをしてしまっては、不敬以上に危険では……!?


「ねえ、ロア!」

「はい!?」


 がしっ、と力強く肩を掴まれ、やや声が裏返ってしまいました。

 冷静さを欠いた姿など、表に出してはいけません。猛省します。


「わたし、ロアに寂しい思いをさせてたのかな!? お父様とお母様がそのー、ちょっと仕事人間すぎるから……」

「い、いいえ。とんでもありませんわ」


 確かに、お父様とお母様はわたくしたち自身にはあまり関心を持っておられません。お二人の中心は家ですから。


「もしお姉様がいなければ、そのように感じたかもしれません。でも、わたくしにはお姉様がいますもの」


 嬉しいことがあったとき、話を聞いて一緒に喜んでくださった。悲しいことがあったとき、そっと寄り添ってくださった。


「お姉様がいて、寂しさなんかありませんわ」

「ロア……!」


 じわりと涙で瞳を潤ませ、お姉様はわたくしをぎゅっ、と抱き締めました。


「わたしもよ。ロアがいたから寂しくなかった。もしわたしが一人だったら、分かっていても耐えられなかったと思う。わたし、その状況を知ってはいても、本当の意味で理解はしていなかったから」

「わたくしも、お姉様のお力になれていたのでしょうか」

「勿論よ! むしろわたしの世界の中心は、わたし自身とロアだと言っていいわ!」

「お、お姉様……」


 それは意外でした。

 お姉様は万人にお優しいから、てっきり、その愛は皆に平等に注がれるものなのかと。


「だから絶対、ロアのことはわたしが護ってあげる。お姉様に任せなさい!」


 にっこりと笑って、片腕を曲げる仕草をします。制服に隠れていて見えませんけれど、お姉様の二の腕に力瘤なんてできませんわよね?


 ――でも、お気持ちはとても嬉しいです。


「ありがとうございます。では、お姉様が困ったときも、必ずわたくしに話してくださいませね。わたくしだって、お姉様が大切なのです」

「うん、ありがと。そうさせてもらうね」


 お姉様は笑って了承してくださいました。

 お姉様が困るような出来事に対して、果たしてわたくしがどこまでお力になれるかは分かりません。ですが万が一その時が来たら、全力で努めましょう。

 勿論、そんな厄介なことは起こらないでくれるのが一番ですが。


「……ねえ、ロア。さっきの話だけど。ロアにとってヴァルトレス殿下って――」


 ややためらいがちにお姉様がそう訊ねてきたとき、近くで魔法が発動する気配がしました。


「――さっさと消えろ! 平民風情が!」


 続いて響く、小さな爆発音。そしてお世辞にも品が良いとは言えない罵声。

 しかし、何たることでしょう。学園は正式に平民にも門戸を開いています。試験に通った学生であれば、身分でそのように言われる筋合いはありません。

 止めなくては!


「ロア、ストップ!」

「えっ!?」


 声が聞こえてきた方向へと向かおうとしたわたくしを、なぜかお姉様が止めてきました。しかも腕を掴んでという、確固たる意志を示して。


「な、なぜです? あのような理不尽な言いがかりを許すわけにはまいりませんでしょう?」


 公明正大なお姉様がまさか止めるとは思わず、戸惑います。


「そうなんだけど、あれは違うの。あれは出会いイベントだから! 首突っ込んだらむしろ『余計なことをして!』って恨まれるやつだから!」

「で、出会いイベント?」


 難癖をつけられることでどなたかと出会うイベントが仕組まれているということですか? ……そのような出会い、ご遠慮申し上げたいですが。


「つまり、ええと。あれはそういう催し、だと?」

「難癖付けてる方は本気だと思うから、そうじゃないんだけど」


 説明するための表現を探すように、お姉様の視線があらぬ方向へと向けられます。――と、そんなことをしている間に。


「お前たち、そこで何をしている」


 先に介入した方がいらっしゃいました。

 このお声、イシュエル殿下ですね。


「やっぱり来るんだ……」


 ともあれ場が収まりそうだとほっとしたわたくしとは正反対に、お姉様はむしろ、先程より強く緊張を感じられているご様子でそう呟かれました。

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