第5話
やっぱりということは、お姉様は殿下がいらっしゃることを予想していたのですよね? 殿下がいらっしゃるのは誰かが仕組んだ『イベント』の内容のうち、ということでしょうか?
ならばこれは、平民に対して差別意識を持つ者への警告のためのお芝居……とか?
いえ、そうであるならお姉様が緊張する理由はありませんわよね……。
お姉様はイシュエル殿下に、苦手意識のようなものは持っていなかったはずですもの。
「い、行こう。ロア」
「そうですわね」
イシュエル殿下が仲裁に入ってくださったのだから、何にせよ騒ぎはここでお終いでしょう。わたくしたちがするべきことは、もうありません。
殿下が平民を受け入れている学園の意義を説き、二度とこのようなことをしないよう注意をされているのが聞こえます。
邪魔にならないよう、そっと場を離れようとしますが。
「そこにまだ誰かいるな。出て来い」
見つかってしまったようです。
とはいえ静かに立ち去ろうとしただけで、隠れていたわけではありません。イシュエル殿下ほどの方であれば、周囲の魔力を感知することも可能でしょうから、別段不思議なことではないのですが。
呼ばれてなお、逃げるわけにはまいりません。大人しく進み出て挨拶をします。
「ご機嫌麗しく、イシュエル殿下」
「ラクロアか」
殿下はわたくしを見て、拍子抜けしたような表情になりました。
赤みがかった華やかな金の髪には、少しだけ天然のクセがついています。しかし殿下の柔らかな髪質と顔立ちには合っていて、むしろ生かしている辺り、王族付きの侍従の有能さに感嘆せずにいられません。
青の瞳は意志の強さを表すように、いつもこちらを射抜く鋭さを湛えていらっしゃいます。……正直、少し苦手です。
「君はいつからそこにいた? 騒ぎが聞こえなかったわけでもないだろう。なぜ止めに入らなかった」
「わたしたちが来たときには、もう殿下が仲裁に入っていらっしゃったのです。これ以上人が固まって、余計な耳目を集めることもないと思いました」
イシュエル殿下の問いに答えたのは、わたくしを庇うように前に進み出たお姉様でした。
「シア! 何だ、君も一緒だったのか。それならばそうなのだろうな」
わたくしを詰問していた厳しい表情が、一瞬で綻びました。
お姉様の魅力を讃えるべきか、殿下の人を選んだ態度の変化を嘆くべきか、迷います。
お姉様とわたくしへの信用の差だというのは理解できます。ですが納得がいかない気持ちも間違いなく存在するのです。わたくしに対しては、見過ごすつもりだったのだと、半ば決めつけていらっしゃいましたから。
「勿論です。あのような行い、我が校の品位を貶めるだけのものですから。けれどためらいなく間に入れる殿下はさすがでした」
「当然のことをしただけだ」
実際に行動しているわけですから、本当なのは間違いないのですけれど。殿下はもう少し感情を隠された方が……。
殿下のお尻に、千切れんばかりに振られる犬の尻尾が見えるようです。
「それでは、殿下。わたしたちはこれで失礼します。先程のようなことがあってもいけませんし、殿下は彼女を講堂まで連れて行って差し上げてはいかがでしょう」
お姉様がそう提案して、わたくしは改めて、騒ぎに巻き込まれた不運な方へと視線を向けました。
ピンクブロンドの髪はサイドテールにしてまとめ、小さな髪飾りでアクセントを加えています。瞳は引き込まれそうなほど、深く美しい色合いの赤紫。
肌理の細かい肌に、可憐に色付く形の良い唇。顔立ちもとても可愛らしいです。
……この方、平民……?
制服は平民クラスの物を着用していますし、アクセサリも質素です。ですが手入れの行き届いた髪や肌は、とても平民のものとは思えません。
美しさを磨き、そして保つためには、時間とお金が必要です。一般的な平民の暮らしでは、その両方共を捻出することは叶わないでしょう。かと言って、豪商の出というには身の回りの品の質が妙です。
「待て、シア。どうせ行き先は同じなのだし、君たちも一緒に行こう」
わたくしが彼女に妙な違和感を覚えて内心首を捻っていると、殿下がそんなことを仰いました。
殿下やクラウセッド家の人間に囲まれていては、悪目立ちもいいところです。彼女のためにもそれはよろしくないと、先ほどお姉様も言ってらしたのに。
「いえ、えーっと、大勢に囲まれていたらファディアさんも居心地が悪いでしょうし……」
ファディア? お姉様、今ファディアと仰いました?
ではこの方が、エスト・ファディア……。
「わたしのこと、ご存知なのですか?」
当のエスト嬢も自己紹介した覚えのない相手に素性を言い当てられ、警戒する様子を見せました。
けれどなぜでしょう。彼女の視線からは不信や不安よりも、考えていたことが的中したような気配と、強い敵意を感じます。
「あ、え、ええと……それは」
エスト嬢の問いに、珍しくお姉様がうろたえた様子で口ごもりました。少々、正当ではない情報収集をされたのかもしれません。
上手く立ち回るために情報は必須ですから、そういう手段を取ることもあります。それは必要悪とでも言うべきもの。無い方がいいのはもちろんですが、わたくし、賄賂も否定はしませんわ。
その情報を正しいときに正しいことにしか使わないことこそが、肝要なのです。そしてお姉様はその線を踏み間違えません。ゆえに、わたくしの中では問題ないのです。
同じく高位貴族として、理解をされたのでしょう。お姉様への干渉は許さないとばかりに、イシュエル殿下が二人の間の空間に手を差し入れます。
「彼女は学園の生徒会に所属している。問題が起こりそうな生徒のことを調べるのも、健やかな運営のためだと言えるだろう」
……単に、お姉様だから庇っただけかもしれませんけれど。
「問題……。わたしがですか? わたし、してはいけないことをしてしまったのでしょうか」
「いいや、君のせいではない。ただ君が優秀過ぎただけだ。――ああ、誤解はしないでもらいたい。それは素晴らしい才能でしかないのだから、君は持ち得た才を存分に磨き、この国の繁栄の一助となるように努めてほしい」
殿下のその言葉に、エスト嬢も自分が絡まれた理由の本質を悟ったようです。
「ありがとうございます。そう言っていただけて心強いです」
どうしましょう。この方、理解されてなお加減をする気がありませんわ。
むしろお墨付きを頂いたとばかりに満足気です。
トレス様。仰る通り、今年は少し荒れそうですわ……。
先のことを考えて少々憂鬱な気持ちになりましたが、今はもっと差し迫った問題が発生しつつあります。
「皆さま。そろそろ講堂に向かわなければ、遅れてしまいますわ」
わたくし、入学初日から遅刻は避けたいです。
「そうだな。――行こう、シア。エストも一緒に来るといい」
「はい!」
「そうですね……」
最初にはきはきと応じたのがエスト嬢。後がお姉様です。
エスト嬢は下がって、殿下に従う位置に移動します。よかった。隣を歩くだなんて暴挙が行われなくて。
そのエスト嬢の行動に、お姉様の方がうろたえます。なぜ?
「シア」
そして殿下は自らの隣にお姉様を誘いました。殿下が望み、クラウセッド侯爵家であれば特に問題ありません。学園内であれば生徒会の同僚という、言い訳のできる立場もあります。
殿下がお姉様を好いていらっしゃるのは周知ですから、ただ隣を歩きたいというその本心は、皆に伝わってしまうでしょうけれど。
「はい……」
諦めたお姉様がうなずき、気まずげに殿下の元へと歩み寄ります。自然、下がったエスト嬢と交差する瞬間が生まれて。
「やっぱり邪魔するんだ、悪役令嬢。キャラが違うし、本来いない所にいるし。貴女、転生者でしょう」
「!」
声を抑えて囁かれた言葉に、お姉様の肩が跳ね上がります。
エスト嬢までもが『悪役令嬢』を知って……?
トレス様と話した後、わたくし、お姉様にそれが意味するところをお聞きしました。しかし明確な答えはもらえず、誤魔化されてしまったのです。
どうもお姉様を指しているようですが……。悪役だなんて不穏な単語、お姉様には似合いませんわ。
「邪魔、しないで」
「しないわよ……! 好きにすればいいじゃない」
「それならいいけど」
お姉様とエスト嬢の間には共通の認識があるらしく、話はそれで済んだようでした。
一体、この方とお姉様の間で何があるというのでしょう。
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