第6話

 意味が分からず戸惑って、視線をお姉様とエスト嬢へとさまよわせるわたくしに、彼女はにっこりと微笑みかけて来ました。

 お姉様への敵意を見たあとだと、むしろ怖いです。


「初めまして。わたし、エスト・ファディアといいます。貴女も貴族の方ですよね? お名前を伺わせていただいてもよろしいでしょうか」


 ……あら? 態度が、普通……?


「ラクロアですわ。どうぞよろしく」


 相手が名乗っているのに家名を名乗らないのは無礼でしょうが、お姉様への態度を見るに、わたくしがクラウセッドの者だと知れば、彼女は警戒してしまうはず。

 わたくし、お姉様に敵意を向けてきた方に優しくなれるほど、寛容ではありませんわ。

 わたくしの素性などすぐに知れてしまう。ですからその前に、エスト嬢の人となりを知っておく必要があります。

 情報を得ておいて悪いことはありません。


「ラクロア様ですね。お教えくださってありがとうございます」


 やや不審であっただろうわたくしの名乗りにも、エスト嬢の笑みは崩れません。

 殿下とお姉様の後ろについて歩き出しながら、わたくしは彼女に自身の隣を促しました。きちりと頭を下げてから、エスト嬢はわたくしの横に並びます。


 平民が貴族の不興を買うことの面倒さを、彼女は理解しているようです。では、先程のお姉様への態度は一体……?

 本人に聞いてみるのが一番ですね。


「先程アリシア様とお話されていたようですが、お知り合い?」

「いいえ、まさか。貴族の方に知り合いはいません。わたし、生粋の平民ですから。しかも平均よりやや下の」


 そう……ですわよね? 所作や髪飾りだけ見れば、わたくしもうなずけるのですが。


「ですが貴女の髪も肌も、とても美しいわ。手入れには相応の金額がかかっているでしょう?」

「いえいえ、とんでもない。自作の洗髪剤やオイルで実験して、上手くいったのを使っているだけです」

「まあ……。ご自分で?」


 驚きました。この方、もしかして希代の発明家になれるのでは?

 良いパートナーと巡り会えれば、一代で豪商となるのも夢ではありません。

 女性にとって美とは、それだけ重要なものですから。


 わたくしが純粋に称賛の声を上げたのだと分かったのか、エスト嬢の笑みが深くなります。

 ……どうしてでしょう。今わたくし、何かの標的にされた気がしますわ。


「もしご興味がおありでしたら、使ってみますか? あ、もちろん、今ラクロア様がお使いになっている品々には及ばないのは確実ですが、物の試しぐらいのお気持ちがあれば」


 まさか、学園に商売をしに来ていませんよね?

 興味はありますが……。わたくしが手にすることはないでしょう。わたくしがお姉様の妹だと知って、エスト嬢が今のまま接してくるとは思えません。


「そうですわね。機会があれば」

「はい、機会があれば、どうぞお声がけください」


 わたくしが引けば、エスト嬢は押してはきませんでした。

 つまりエスト嬢は、相手の感情に配慮できる方だということ。なのになぜ……。


「……業腹かもしれませんけれど。貴女はなぜ加減をしようとなさらないのです?」


 加減が分からなかった、とは言わせません。なぜなら、貴族枠と平民枠は別ですから。

 エスト嬢には、自分が周囲から飛び抜けて高い魔力を持っている自覚があったはずです。入学ラインを超える調整が考えられたはずですわ。


 彼女の態度に、わたくしへの畏れや敬意は見えません。同等の相手に対するようなその感覚は、どこかお姉様と通じるものがあります。

 にもかかわらず、エスト嬢は常に下手で接している。立場における権利を理解しているのです。

 そんな彼女が、貴族を不快にさせる行いを考えなしにするとは考え難い。


「わたしには目的があるんです」

「目的、ですか?」


 この学園に入って卒業するだけで、平民にとっては相当の箔付けとなります。彼女ほどの容姿ともなれば、結婚相手にも困らないでしょう。


「叶えるには、半端じゃ駄目なんです。ご機嫌取りで手を抜いている余裕はありません。勿論、無駄に争おうとも思いませんけど」

「……」


 それは間違いなく、学園の平和を脅かす宣言。

 けれど、なぜでしょう。騒ぎが起こるだろう厄介さを憂鬱に感じるのと同時に、前方を睨む彼女の瞳の強い輝きには惹かれるものがあります。

 そうこうしているうちに、入学式会場となっている講堂へと到着しました。


「それじゃあ、わたしたちはここで。……大丈夫?」

「はい。勿論ですわ」


 お姉様と殿下は、生徒会のための別席へと向かいます。残された新入生同士のわたくしたちではありますが。


「では、ラクロア様。わたしも失礼いたします」

「ええ、それでは」


 同じく新入生ではあっても、貴族のわたくしと平民のエスト嬢では行き先が違います。

 そして新入生が集まっている付近まで行けば、家紋が記された椅子が置いてあるので、席に迷うことはありません。


 間もなく式が始まり、つつがなく終了しました。

 余談ですが、今年の新入生代表は魔法管理局局長のご子息でした。優秀な方だと噂は届いていましたが、評判通りということですね。




 学園には寮が併設されていますが、わたくしは通いです。お姉様はお仕事があるらしく一緒には帰れないとのことなので、一人で馬車の元へと向かいます。

 その途中で、ここ最近お側に在ることに慣れ始めたお姿を見つけました。


「ロア」

「トレス様。お帰りですか?」

「そうだ。で、婚約者の晴れ姿を近くで見るために待っていた」

「まあ」


 大袈裟な言い方に、つい笑みを零してしまいます。

 けれど考えてみたら、試験に通らないと着られない制服です。晴れ姿と言われてもおかしくないのかもしれません。

 クラウセッドの娘として試験に通るのは当然の義務でしたが、そう言っていただけて……わたくしはどうも、嬉しいようです。


「少し話したいことがある。きちんと送るから、このまま俺と来てくれないか?」

「勿論、ご一緒しますわ。御者に伝えてきますので、少々お時間をくださいませ」

「ああ」


 トレス様と並んで家の馬車の元まで行き、先に帰ってもらいます。そしてわたくしたちはそのまま、トレス様を迎えに来た王家の紋章付きの馬車に乗り込みました。

 馬車が走り出してしばらくして。


「クラスはどうだ? 馴染めそうか?」

「ええ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 わたくしのクラスは一般のAクラス。伯爵家以上の子息子女が集まったクラスです。以前から交友のある方も少なくありませんので、余程のことがなければ上手くやって行けるでしょう。


「そうか。ならよかった」


 わたくしが本当に不安に思っていないのがお分かりになるのか、トレス様の笑みは柔らかいです。見た時にほっと、こちらも自然に笑みが零れるような温かさを感じます。

 この方の笑みを曇らせるような行いは、絶対にしたくないと思うぐらいに。


 本題の前の雑談で良い報告ができたのは幸いですが、わたくしをお待ちになっていた理由、それだけではありませんわよね?


「トレス様にご心配をかけるような噂が、すでに出回っているのでしょうか?」


 ――主に、エスト嬢のことで。


 わたくしが話した感触ですと、彼女は豪胆ですが、冷静です。お姉様が心配しているような行いをするようには思えなかったのですが……。


「少しな。平民の娘が兄上とアリシアとお前に囲まれて講堂に来たって」

「どのような見解になっているのでしょう?」


 当人であるわたくしの耳に、直接噂が入ってきたりはしません。皆何もなかったかのように口を噤みます。


「彼女の持つ高い魔力に、王家とクラウセッドが注目している、っていう程度だ。平民からも貴族からも、それぞれ半数ぐらいは反感を買ったな」

「やはり、悪目立ちさせてしまったのですね」


 エスト嬢は遠慮をしないと言っていたので、遅かれ早かれ目立つ存在にはなったでしょう。しかし彼女自身に責任のないところで悪意を煽ってしまったこと、申し訳なく思います。

 お姉様が仰った通り、早くあの場を離れておけばよかったです。


「貴族からは平民が王族や侯爵家から注目されるのは面白くないし、平民からも一気に遠巻きにされるだろう。アリシアと兄上が揃っている時点でどうなってそうなったかは想像がつくが。……何やってるんだかな」


 国の秩序を預かる者として、迂闊な行動をとりました。返す言葉もありません。猛省します。


「それに混ざって、よくない噂が僅かに流れてる」


 ここまでのお話は想像に容易い事。ここからが本題でしょう。

 トレス様が声を抑えたので、わたくしの喉も緊張で嚥下の動きをしてしまいます。


「と、仰いますと……?」

「お前、ファディアに名乗らなかったそうだな? お前の素性を聞いたファディアが驚いたせいで、それが分かったらしい。平民を見下しているから名乗らなかったんだ――なんて、尾ヒレがついた噂が出ている」

「――」


 考えてもいなかった伝わり方に、わたくしは数秒、絶句しました。

 けれどこれは、わたくしが浅慮だったというべきでしょう。お姉様への敵意に焦り過ぎてしまったから……。

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