第48話

 そしてお父様も、若干動揺していらっしゃいますね。

 先程のお言葉は、素直に受け取ればイシュエル殿下を諌めただけのもの。しかし勘繰ろうと思えば、まるでトレス様を擁立しようとしているとも取れます。

 意図にない言葉尻を取られるとは、失言です。お父様、実はわたくしが逆らったこと、結構ご立腹ですわね?


「政治の混乱を鑑みて、王太子の位はそのままとしよう。だが私の心の内には、もう一つの選択肢があることを忘れるな」

「……はい」


 よかった。この様子であれば、トレス様を引っ張り出そうというわけではないようです。

 イシュエル殿下の振る舞いに、次期国王として相応しくないものがあったのは事実です。陛下も気に掛けていらっしゃった、ということですね。


「ヴァルトレス。お前はどう思っている? 王の座を継ぐ気はあるか?」

「全くありません。俺の生まれで王になるなら、子どものころから自分の派閥作りを始めないと間に合いませんから」

「さて。今からでも遅くないかもしれないだろう? 今の学園は少々、風変わりな人材が多いようだ」


 レグナ様やセティ様との交流も同然、ご存知だということですね。


「状況はともかく、俺にやる気がありません。自分より、自分の大切な相手よりも民に、国に尽くす、王のための教育を受けてませんからね。今更そんな狭っ苦しい椅子に座れと言われても、とても腰が落ち着きません」

「ふっ」


 心の底から嫌そうに答えたトレス様に、陛下は苦笑いをします。

 そこに少しばかり惜しむ感情が見える気がするのは、わたくしの欲目でしょうか?

 もっとも、もしそうだとしたら今更都合が良すぎると言わざるを得ませんけれど!


「陛下。本日はとんだ茶番に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした。――アリシア、ラクロア。お前たちも満足だろう。屋敷に戻りなさい。送って行く」


 送って行く、ということは、道中にお父様からお話があるということですね。


「承知いたしました」

「はぁーい……」


 げんなりとした様子は一切隠しておりませんが、お姉様も諦めたお返事。


「イシュエル、ヴァルトレス。お前たちには私から話がある」

「……はい、父上」

「分かりました」


 消沈した様子のイシュエル殿下と、面倒くさそうなトレス様。

 表面上だけでも反省を見せておいた方が楽なのでしょうが……これは後々のため、王にどこまでも相応しくない自分の演出かもしれませんわね。


 わたくしがトレス様を伺ったのとほぼ同じタイミングで、トレス様もわたくしを振り返りました。互いに目が合って、小さく笑い合います。

 そんな小さなやり取りが、とても心を温かくしてくれました。

 今なら、どんな理不尽にもかかって行けそうですわ。


 ……や、やりませんけれども。勿論。




 王城を離れ、馬車が走り出してからしばし。締め切られた内部は未だ沈黙が支配しています。

 お姉様が居心地悪そうになさっているのが心配です。

 価値観に埋められない溝を感じてからは、互いに距離を取っていらっしゃいましたから、わたくしよりも余程、息の詰まる思いでいらっしゃるのではないでしょうか。


「私はこれまで、どうやら誤解をしていたようだな」

「誤解、ですか?」

「体制にまず抗うのは、アリシアだと思っていた」


 お姉様の心根や行動をご存知の方であれば、誰もがそう考えるでしょう。


「まず、ということは、わたくしが追従するとも考えていらっしゃったのですね」

「もしもアリシアに共感したのなら、そうしただろう。だが同時に信用もしている。私は、お前をそれほど愚かに教育したつもりはない」

「光栄です」


 お父様の信用には、おそらく応えられるかと。

 心が共感したとしても、もしお姉様が無謀な行動を起こそうとされたならば、わたくしは止めるでしょう。そして一緒に、別の方法を考えたいと思います。

 そのときわたくしたちが戦っている相手は――打ち負かしただけで勝利と言えるものではないと思われます。


 履き違えてはなりません。勝利とは、望んだ結果を得ること。敗北とは、叶わなかったときのこと。

 そのためには、社会が許容する正義と益、両方が必要なのです。


「だがどうやら、真に行動を起こすのはお前の方だったようだ」

「幸いにして、お姉様の周囲には看過できない理不尽がなかったのでしょう」


 お姉様の人徳の賜物かと存じますわ。


「さて。どうかな」


 お父様は鼻で笑い、組んでいた足を組み替えます。


「これで満足か、ラクロア」

「はい」


 今回、お父様やお母様――クラウセッド家がした行いは、公的には褒められたものではありません。ですが多くの貴族の共感は得られたかと思います。

 だからこそ、もうエスト嬢に手を出す選択肢を消さざるを得ないのです。これより先は、醜聞で家名を貶めるだけになりますから。

 誰もが内心で共感しているからこそ、口に出さない。そんな状況のうちにうやむやで終わらせるのが一番です。


 ヒューベルト先生は、依頼を受けてエスト嬢を突き落としたことを認めています。さすがに教師を続ける適性は疑われますので、職を辞すこととなるでしょう。

 だからといって、ヴェイツ家の有用性は揺らぎませんが。

 疑いが晴れれば、クルスさんも復学できます。これだけの騒ぎですから、最早彼を疑う者もいないはず。針の筵ということもないかと思います。

 そしてイシュエル殿下は、平民にも公平性を示す王太子として、期待と不安の両方で動向を注視されます。舵取りを予行する、良い糧となることを願っておりますわ。


 わたくしのエスト嬢を苛めた悪役令嬢としての汚名は残りますが、特に問題はありません。イシュエル殿下より申し渡された謹慎を終えたら、復学します。

 お父様やお母様が主導でやったよりも、わたくしがやった方が収まりが良いですからね。貴族事情的に。


「悪名を被ってもそう言えるか。とんだ自己犠牲だ。褒められたものではない」

「まあ、お父様。お父様のわたくしへの信用というのは、その程度のものなのですか? 少々寂しく思います」


 頬に手を添え傷心の口調でそう言えば、お父様は楽しげに唇を歪めます。


「秘させる必要を感じさせない真実は、どうしたところで広まるものですわ」


 たとえば、今日の会議室での内容。


 クラウセッド家に泥を塗り、その件でイシュエル殿下がお父様に陛下臨席の場に呼び出された。その話の内容を気にしない者など、王宮にはいません。己の立ち位置をどうするべきか、決めなくてはなりませんから。


 筆頭である王妃殿下は、当然夫である陛下、息子のイシュエル殿下に問うでしょう。その場には侍女も侍従もいます。人払いをしても、場所が増え、耳にする人が増えれば、漏洩の危険度は増すばかり。


 まして敵対派閥の間諜は必ず混ざっているものですからね。彼らはなんとしてでも盗み聞くでしょう。でないと自分の身が危ういですから。

 そうして話は広がっていくものです。誰もが知りながら誰もが口を閉ざす、秘められた真実として。


「表面上、わたくしはエストを苛め、イシュエル殿下に断罪された悪役令嬢です。しかしそれがどれほど実を伴わないかは、皆が知っています。それで充分ですわ」


 知らない方がいたとしても、特に問題もありませんし。

 その程度の話を耳にもできない、または世情に興味のない方など、クラウセッドにとって恐れるに足りません。


「悪役……何だと?」


 あら。どうやらお父様も悪役令嬢をご存知ないご様子。少しほっと致しましたわ。


「よく分かりません。けれどどうやら、今のわたくしがそう呼ばれるべき状況らしいですわ」


 お姉様演出によりますと。


「けれどわたくし、存外悪くない響きである気もしてまいりました」


 イシュエル殿下やエスト嬢が正道を歩むのなら、『そちらが良い』と思わせるための悪はあった方が、話が早いでしょう。

 わたくしの立ち位置は、実に有用と言えます。


「わたくし自身の目的のため、悪役令嬢になることに異存ありません」


 ただしもちろん、破滅は回避いたしますわ。

 わたくしはそこまで献身的にはなれません。


 トレス様が自分は王にはなれないと仰っていたお気持ちの実感、わたくしも今、得たような気がします。

 けれど望みの一切を素直に諦めるほど、往生際よくもございません。

 完全勝利は難しくとも、割合勝利はいただきます。


「頼もしいことだ。だが今回は確かに、お前の勝ちだ、ラクロア。六割ほどな」

「あら、七割ですわ。未だに牢に繋がれている下町の男性二人の身柄もいただきますので」

「成長祝いだ。好きにしろ」


 お父様にとっては、それが勝利の割合に影響しているとも思っていないご様子ですが、わたくしにとっては大問題です。

 これでようやく、一息つけますね。

 とりあえず明日一日は、何もせずにゆっくりしたいと思います。

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