第47話
あまり公にしたい話ではないので、イシュエル殿下の詰問には小規模な会議室の一つを使うとのこと。
ちなみに、これを調べたのはトレス様の侍従です。流石ですわ。
トレス様とわたくしが揃って件の会議室へと行くと、警備の近衛騎士が立ち塞がりました。
「ヴァルトレス殿下、クラウセッド侯爵のご令嬢方。ここは今、重要な会議が行われています。お引き取りを――っ!?」
定型句でわたくしたちを阻んだ騎士は、最後でいきなり内側から開けられた扉に言葉を奪われました。ぎょっとして振り向いた先には、ヒューベルト先生の姿が。
「来たか」
「ああ」
皆が唖然とした隙を逃さず、わたくしたちは部屋の中へと滑り込みます。
ヒューベルト先生がタイミングを謀れたのは、おそらくわたくしたちの魔力を感知したからですね。
「何をしている。ヒューベルト」
不快気に眉を寄せてそうおっしゃったのは、お父様です。
部屋に集まったのは陛下とお父様、イシュエル殿下、ヒューベルト先生です。そこにわたくしたちが加わった、総勢七人。会議室が少し手狭な印象になりましたわ。
「いえ、ようやく茶番から解放されるなと思って、ほっとしていただけです」
「何……?」
お父様はトレス様とわたくしを順に見て、不可解気な視線をわたくしで留めます。
「ラクロア?」
「申し訳ございません、お父様。わたくし、どうしても呑み込めなかったものですから」
「遅い」
歩み寄ったわたくしたちに、イシュエル殿下は疲れた様子でそう一言だけ告げました。
心中お察しいたしますが、未来の王として戴くことを考えると、ここは何事もなかったかのようにさらりと迎えていただきたかったです。
――それはともかく。
「此度の件、イシュエル殿下に落ち度はございません。すべて、わたくしが頼んだ通りなのです」
「どういうことだ? イルメリアの話と違うようだが?」
勿論です。お母様にはお話していませんもの。
「はい。こちらでお話するのが最も適切かと思いましたので」
証人が一堂に会した場でないと、どこで妙な捻じ曲げられ方をするか分かりませんから。
「お父様。もう平民であることを理由にエストを害するのはお止めくださいませ。でなければわたくし、もっと家名に泥を塗ってしまうかもしれません」
お父様やお母様が最も重視しているのは、家名です。交渉の材料に選ぶのに、これほど有用なものはないでしょう。
「ですから、ここで終わりにしていただけませんか?」
「平民の台頭は、秩序を乱す」
わたくしの言葉には明確に答えず、お父様は否定的な内容を口にされます。
「エスト・ファディアは傑物の卵だ。殻を破り見事成長を果たしたとき、あの娘は未来、部下を持つ身となるだろう。だが平民の娘に従える貴族がどれだけいるか。想像に難くあるまい」
極少数、かと思います。残念ながら。
「社会を回しているのは、集団だ。たった一人の望まれぬ優秀な人材より、足並みを揃えて協力し合える環境を作る方が、余程合理的なのだよ」
もしもエスト嬢が貴族であれば。その才はただ、歓迎されるものであったはず。有能な方が指揮を執ることで効率が上がるのは間違いありませんから。
けれどどこまでも、努力ではどうにもならない理不尽が足を引っ張る。
……ですが。
「彼女は、覚悟の上ですわ」
エスト嬢は理解をしています。その上で、己の道を定めたのです。
踏み出す強さを尊敬しますし、わたくし自身、今の極端な社会のあり方に抵抗を感じています。
ならばわたくしは、侯爵令嬢という立場を有用に使い、エスト嬢の力となるべきでしょう。
それがわたくしの望みにとっても、一石を投じることになります。
「確かに、土壌のない場に放り込めば大変な混乱を招くでしょう。反発を受けるでしょう。ですが合理性を語るのであれば、より将来の採算を見据えてもよろしいのではないでしょうか」
人数の分母は力です。
限られた貴族の中から優秀な者を選ぶよりも、平民を含めた国民全員から人材を育てた方が、各分野における才能を持つ方が多く見つかるに決まっているではありませんか。
「知識の独占は、発展を妨げます。もっと悪くすれば衰退を招きます」
人とは知を継ぎ、先へ進む生き物です。より多くの発想を得れば、それだけ可能性も高まるというもの。
「国内での保身に躍起になって他国に溝を開けられては、合理性の欠片もないのではありませんか?」
「……ふっ」
訴えたわたくしに、お父様は鼻で笑います。
「悪くない弁論だぞ、ラクロア。さすが、クラウセッドの娘だ」
「ありがとうございます」
まずいただいたお褒めの言葉に、礼を口にします。
「だが少々、理想に偏りすぎだな。エスト・ファディアの才を許容し彼女が能力に見合う出世を遂げたあと、学園より余程顕著になるだろう反発に、彼女の精神が耐えられる保証があるか?」
……勿論、そのようなものはありません。
「お前は、己が一人の人間を壊した責任を背負えるのか?」
わたくしにエスト嬢への敵意がないと知るや、好意の方で揺さぶりをかけてくるとは。我が父ながら、本当に容赦のない方です。
ですがお父様がそういう方であることなど、わたくしとて随分前から存じておりましたわ。
「なぜ、わたくしが責任を負うのですか?」
「ほう」
不思議そうに小首を傾けて見せれば、意外そうな声が返ってきました。
「己の進む道を決めたのは、エスト自身です。その志に打たれ手助けをしようとも、その結果にわたくしの責任が伴うとは思えませんわ」
もし、エストが心を病んでしまったら。
辛いだけの道を歩ませたことを、後悔するかもしれない。止めればよかったのかと悩むかもしれない。
ならばそうならないよう、始めから逃げ道を用意して差し上げればよいではありませんか。わたくしとトレス様には、彼女を雇ってその生活を護れるだけの力がありますもの。
エスト嬢が戦い続けたいという間は、不要ですし。
とはいえこの考えは、お父様に伝えるべきではありません。確実に突いてこられてしまいますから。
「そう思えるのか? アリシアならば、罪の意識に打ちひしがれそうだが?」
わたくしから視線を移したお父様がそう仰るのに、隣でお姉様が身構えたのを感じます。
「わたくしはお姉様よりも、もう少し現実的なのです」
ここで反応を返せば、それもまた隙となります。わたくしは微笑の鎧をまとい、しばしの間お父様と見つめ合います。
「――よかろう」
ややあってうなずいたお父様が、唇に弧を描きました。
「『娘を思うあまりに有能な平民を害した貴族』の汚名、受け入れようではないか」
正直、さしたる意味のある汚名ではありません。その真意は多くの貴族の共感を得るでしょうし。
むしろ、そうでなくては困ります。
だってわたくしには力がない。お父様を排したとして、すぐに仕事を引き継げる、わたくしの思想に共感してくれる有能な方をその地位に就けることができないのです。
それができなければ、ただ国の政治を混乱させるだけ。重要な地位に就いている方に干渉するなら尚更です。
政治の混乱が何を引き起こすかといえば、そのしわ寄せが弱者に行くだけ。本末転倒ですわ。
「イシュエル殿下は身分に関わらず義を通したとして、名声を得るわけですな」
「……何が、名声だ。道化の間違いだろう」
「道化となるか仁君と評価されるかは、以後の殿下とエストにかかっているでしょう」
「私は、道化になどならない」
悔しげに、イシュエル殿下は宣言します。
「それがよろしいかと。貴族の反感と失笑だけを買う道化と化せば、王太子の座も危うくなりましょう。――どうやら、余程肝の据わった代わりが、すでにいるようですから」
お父様の目がトレス様を捕らえ、そんなことを口にされました。
エスト嬢のためにすべてが仕組まれていたと分かれば、トレス様が行った暴挙も、秘宝を知るお父様ならば想像がつこうというものですね。
ですがその一件で、お父様がトレス様の評価を血筋以上に覆すとは思えません。これはトレス様とわたくしへの警告でしょう。
だから、ああ、ほら。そんな驚いた顔をしてこちらを見ないでください、イシュエル殿下。お父様の手の平の上で転がされておりましてよ。
「……成程、な」
むしろその様子を見て、これまで黙っていた陛下が低く呟きを零しました。
な、成程、とは? まさかですわよね?
「イシュエル」
「は、はい、父上」
「昨今のお前は確かに、王太子という身分に甘え、少々気を緩め過ぎなのかもしれん。クラウセッド侯爵の言うことにも一理ある」
「――っ」
何かを言おうとして、しかしそのいずれもより無様を晒すだけだと思い至った様子で、イシュエル殿下は唇を戦慄かせたのち、再び引き結びました。
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