第46話

「確かに、な。下手に境界を踏み越えるのは、互いにとって良いこととは言えないだろう。それがどれだけ歪んでいても――いや、歪んでいるからこそ、真っ直ぐには進めない」


 落ち着いた冷徹な声音での、毒を含んだ同意。ヒューベルト先生には安定感があります。頼もしいことです。


「ヒューベルト!」


 イシュエル殿下は非難交じりで名前を呼ばれます。今のは絶妙の合の手ですわ!


「だが暴力までも使うとなれば、それは最早躾でも何でもない。ただの傷害だ。階段から突き落とされて学べることなど、恐怖ぐらいだろう」

「言葉で通じないのなら、痛みで覚えてもらうしかないではありませんか。貴方も、そう思ったから決断したのでしょう?」

「……ああ、そうだ」


 エスト嬢が突き落とされた話は、それなりに有名です。どのような顛末になったのかも。

 そこに来てわたくしの示唆と、ヒューベルト先生の肯定。これはさすがに小さなざわめきを生みました。

 影で噂に上るのなら、表向きには何の影響もないでしょう。

 しかし公の場での発言となると、対応が変わります。


 貴族の多くは平民を下に見て、普段はその声を歯牙にもかけません。

 ですが民が一致団結したときの恐ろしさを知らない者も、またいないのです。歴史書を見れば一目瞭然。国の変革は、民の総意で暴力によって成し遂げられている。

 貴族など、所詮一握りしかいない階級です。圧倒的な数は、時にそれだけで決定打となります。

 ゆえに多くの民衆から受ける批判は、貴族も恐れるのです。


「お前の親に依頼をされてな。ラクロア・クラウセッド」


 ざわりっ、と震えた場の驚きは、これまでで一番大きかったかもしれません。

 家のため、家族のため。上位貴族に逆らうような真似は、通常行いませんから。


「お父様も、学園の内情を憂いていらっしゃったのでしょう」

「反省の色はないようだな」


 当然の行いをした、とばかりにお父様の依頼であったことを受け入れたわたくしに、イシュエル殿下は苦々しい表情をします。

 予定通りなので演技であるはずですが、珍しく、素の感情を綺麗に隠しておいでです。迫真ですわ。


「お前がしたことは、この学園の目的に反する。よって、二週間の謹慎を申し渡す! 家にこもって、己がしたことをよくよく考えるがいい!」

「わたくしが謹慎? 殿下、詰まらないご冗談はおよしになってくださいませ」

「本気だ。――レグナ・アスティリテ。ラクロアを連れて行け」

「承知しました」


 退場を命じたイシュエル殿下に、レグナ様は従います。


「さあ、ラクロア嬢」


 急くように声をかけられ、わたくしは歩き出し――しかし数歩で足を止め、イシュエル殿下を振り返ります。


「後悔なさいますわよ」

「……しない。私は、己で己の正義を選んだのだから」


 そこは間を空けずに言い切っていただきたかったですわ!

 きっとその、少し迷って――けれどシナリオ通りの言葉を紡いだ行いが、正しくイシュエル殿下の本心なのでしょう。


 殿下から謹慎と退場を命じられたとはいえ、わたくしは侯爵家の淑女であり、レグナ様も紳士です。相応の距離感を保ったまま、パーテイー会場を後にします。

 人の視線が追ってくるので、レグナ様とも会話はなしです。

 馬車乗り場に直行し、わたくしは待たれていた馬車に乗り込みます。


「ラクロアお嬢様……っ」

「出してください」


 うろたえたこの様子、どうやら会場でのやり取りを見聞きしていたようですね。同じ時間、同じ場所に居ても、ゆっくり戻ってきたわたくしよりも先に着くのは可能でしょう。


「少し、疲れました」

「はっ。すぐに」


 それ以上はわたくしに声を掛けることなく、馬車は走り出し真っ直ぐに家へと帰りました。

 さて。それでは次の舞台である王宮への一幕へ向け、お母様の意識をそちらに向ける仕込みを行うといたしましょう。




「ラクロア。入りますよ」

「お母様」


 わたくしがはいもいいえも答える間もなく、お母様が侍女の空けた扉を潜り、部屋へと入っていらっしゃいます。

 時間があっても答えは『はい』以外にあり得ないので、結果は同じなのですが……。わたくしを呼ぶのではなく部屋にいらっしゃるとは、珍しいです。


「今日の一件、わたくしの耳にも入りました。なぜ、そのような愚かな行いをしたのです」

「お言葉ですが、お母様。エストの件に関してであれば、忠告した以上の証拠はございませんわ。平民に身分を教え、弁えるよう促すことが、失点となりますでしょうか?」


 ええ、威圧的かつ平民を下に見た高慢な物言いをしましたが、内容そのものは王家が定めている身分差以上のものにはしていません。

 もっとも、それが見聞きした者にどう響くかは言わずもがな、ですが。


「……ふむ」


 わたくしの答えに、お母様は少し考えるように呟きます。


「証拠はない、と?」

「はい。ございません」


 エスト嬢と結託しているので、あるなしで語るのも妙な話ですが。ここは否定です。

 次の舞台では、わたくしに――クラウセッドに公衆の面前で恥を掻かせた、イシュエル殿下の断罪劇となる予定ですので。


「イシュエル殿下は、確信を持っていたようですが?」

「失礼ながら、殿下はご自身が好ましく思う方のことになると、直情的になる部分が見受けられますわ」


 これは外から見た時の事実なので、説得力があるかと思われます。


「エストへ最も注意を促していたのがわたくしでしたから、そのまま繋げて考えてしまわれたのでしょう」

「……成程。その程度でクラウセッドの娘に傷を付けるとは……。王族がなぜ王族で在れるのか、知っていただく必要があるようですね」


 お母様の目が、怒りを湛えて細められます。

 わたくしの言葉、どうやら信を得られたようです。

 複雑ではありますが、日頃の行いの賜物、でしょうか。イシュエル殿下に下されている、逆方向の信頼共々。


「時間を取らせました。今日は下らない茶番に付き合わされて、疲れたことでしょう。ゆっくりお休みなさい」

「はい、お母様」


 ご自分の納得がいく答えを得たお母様は、足早に部屋を後にします。

 あのご様子では、すぐにでもお父様にお話しされそうですわね。

 本来謹慎とは呼んで字のごとく、家で身を慎んでこそ。ですが今回に限っては作戦通りなので、外出させていただきます。


 侯爵令嬢たるわたくしですので、正直なところ、外を出歩いている所を見られたとしても、問題にする方はまずいません。

 さすがに、イシュエル殿下がいらっしゃる学園は別かと思いますが。目的地は学園ではないので大丈夫です。

 それでは言いつけ通り、今日はもう休むことといたしましょう。


 明日はきっと、両親に逆らうことになります。

 後悔は、していません。……けれど少し、怖いです。

 鞄の中から、言われた通りに常に持ち歩いている木彫りの海竜を取り出し、そっと頭を撫でます。


 ――大丈夫。


 だってわたくしには、わたくしを肯定してくれた大切な方が、沢山いるのですから。




 朝早くにお父様が出仕されてすぐ、わたくしも外へと出ます。気晴らしに劇場へ行くと言えば、誰も止めはしませんでした。

 お母様も含めて、です。

 災難を被ったわたくしを慮って、お姉様も同行してくださいます。今日は平日で学園の登校日ですが、やはり誰も何も言いませんでした。

 馬車の御者は、普段お姉様を送り迎えしている方です。


 まずは言い訳通り町へ出て、すぐに王宮へと行き先を変えてもらいます。やや驚いた顔をされましたが、そこはお姉様への信頼と好意が勝り、従っていただけました。

 王宮に着いたら、トレス様との合流です。


 学園の入学前は、まだぎこちなかったのに。トレス様の離宮へ向かう道筋を辿るのも、大分慣れた気がいたします。

 部屋の前の侍従はもう、わたくしの顔を見れば通してくれます。

 控えの間を過ぎ、私室の扉が開けられ、部屋の中の目的の方と目が合って、わたくしとお姉様が一礼をします。


「ご機嫌麗しく、トレス様」

「よく来たな。じゃあ早速、兄上を助けに行こうか」

「はい」


 ご理解はされているかと思いますが、何分、イシュエル殿下は人から責められる経験などお持ちではないでしょうから。おそらく、心許ない気持ちでいらっしゃるのではないでしょうか。

 責められるまま、認めてしまわれては更に大変です。

 ヒューベルト先生もご一緒のはずですから、大丈夫だと信じてはいますが。

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