第13話

「ただいま帰りまし――」

「ローアー! 待ってたあぁー!」

「きゃっ!? お、お姉様!?」


 馬車から降り立った瞬間、お姉様から熱烈な歓迎を受けました。


「ごめん。あの後イシュエル殿下に付き合って、温室に行くことになっちゃったから戻れなくて」


 そう言えば、お花の話に移っていましたものね。


「殿下とエストと同じ空間にいるよりいいのかな? って思ったんだけど、それはそれで邪魔したって言われる気もして。でも邪魔になったのはわたしのはずだから、ロアはセーフだよね?」


 ……すみません、お姉様。お話の内容がよく分かりませんわ。

 今のお話の中で、わたくしが明確にお答えできるのは一つだけでした。


「エスト嬢は確かに、イシュエル殿下とお話する機会をお姉様に奪われたと考えているようでしたわ」

「やっぱり!」

「けれどそれは、言いがかりではありませんか。エスト嬢を置き去りにしてお姉様とお話することを選んだのは殿下の方なのですから」


 王子殿下に望まれたことをお断りできる者など、限られています。

 我がクラウセッド家はその限られた者の中に入ってはいますが、実行すれば余計な憶測を呼ぶことでしょう。王家に従うことを選んでいる現状、できるからこそしない方がよい。

 ゆえに、エスト嬢は決定権などないお姉様ではなく、自身との話を切り上げたイシュエル殿下に不満を覚えるべきなのです。


「そうなんだけど、わたしがあの時あの場所にいたのが、多分エスト的にはすでに問題なんだろうなと」

「それこそ言いがかり甚だしいですわ!」


 誰がいつどこで何をしていようと、エスト嬢に文句を言われる筋合いはございません。


「偶然だったらそうなんだけど……。と、とりあえずそれは置いておいて!」


 両手で物を掴む仕草をして、お姉様はそれを明後日の方へと移動させます。


「ロアは大丈夫だった? ヴァルトレス殿下と一緒だったんだよね?」

「ええ。わたくしは何もありませんでしたわ」


 ……少し言い合いはしてしまいましたけれど。


「それよりも彼女は、お姉様に強い敵意を持っていました。当人が言うには、お姉様によって家の収入が断たれたというのです」

「は!? そ、そんなことしてないわよ!?」


 お姉様の反応は、まさに寝耳に水といったところ。その表情も、心からの驚愕に満ちています。


「そうですわよね」


 やはり、お姉様がそのようなことをするわけがありませんでした。


「破滅したくないからルート全部避けようとしてるのに、わざわざヒロインにちょっかい出すとか、そんな地雷踏むわけないじゃない」

「ですが少なくとも、エスト嬢はそう思い込んでいます。……彼女に偽りを吹き込んだのは、誰なのでしょう」

「!」


 わたくしが呟けば、お姉様ははっとした表情で顔を強張らせました。


「そっか。それを言った誰かがいるのよね……」

「はい。事実にないことを信じているのなら、そういうことかと」


 しかしそれもまた、奇妙な話です。

 強大な権力を有するクラウセッド家に反感を持つ者は、少なからずいるでしょう。しかし民間の女性に嘘を吹き込んで怨みを植え付け、何が起こると?


 エスト嬢は高い魔力の持ち主で頭もよく、見事学園に入学を果たしました。ですが、それだけです。彼女が平民であることは何も変わりませんわ。

 もし彼女が学園に進むことを考えなければ、一生貴族と関わることなどない人物です。どのような計画にしても、あまりに迂遠ではありませんか。


「以前、お姉様は仰っていらしたでしょう? 事実無根でも、真実にされてしまうと。悪役令嬢とは、つまり悪事を行う令嬢にされてしまうということですか?」

「ま、まあ、大体そんな感じ?」


 ……ううん。これだと思ったのですが、お姉様のお返事は芳しくありません。外れているようです。


「何にせよ、いわれなき悪名を被るつもりはありません。お姉様、わたくし、エスト嬢に誰からその話を聞いたのかを訊ねてみますわ」

「うん。わたしも調べてみる」


 そして間違いだと証明された暁には、エスト嬢にしっかり謝罪していただくのです!

 クラウセッドの娘は、濡れ衣を被せられて黙っているほど大人しくはありませんわよ!




 三日後、第二回目の会合に臨むにあたり、わたくしは先日よりやや早めに会議室へ向かいました。

 わたくしとエスト嬢の接点は、このイベント絡みしかありません。わたくしがDクラスに足を運べば、それだけで注目を集めてしまいます。それは互いにとって良くないことでしょう。


 なので、この機にお話をしたいところです。

 エスト嬢は概ね、相応に配慮を考えている方ので、もしかすれば早めに会議室に来るのでは……と考えた次第です。

 残念ながら、目的の人物は今の所影も形も見えません。

 代わりに――というわけではありませんが。


「――ごきげんよう、クロエ様」

「あっ」


 ぼんやりとしたまま、わたくしの隣にすとんと腰を降ろしたクロエ様に声をかけます。

 声を掛けられて初めてわたくしに気が付いた様子で、クロエ様はうろたえました。身分が上の者を無視するなど、貴族間ではあり得ません。


「も、申し訳ありません、ラクロア様!」

「構いませんわ」


 クロエ様が意味もなくわたくしを無視したとは思っていません。

 だからこそ、気になります。


「心ここにあらず、という様子ですわね。どうかなさったのですか?」

「いえ、その……」


 話し難いことなのか、クロエ様は言い淀みました。落ち着かなげに視線がふらつきます。


「ごめんなさい。不躾なことを聞きました。無理に話す必要はございませんわ」

「い、いいえ! 無礼を働いてしまったラクロア様には、やはりお話しなくてはならないと思います!」


 迷った末に、クロエ様はそう決断を下しました。

 その表情には好んで話したい内容ではないけれど、誰かの意見は聞いてみたい――そんな気配もします。


「ラクロア様も覚えていらっしゃいますよね。エスト・ファディアというDクラスの女生徒を」

「勿論です」

「その、彼女に少し、変な噂がありまして」

「と、仰いますと?」


 言動が少々不可解なところはありますが、噂になるほど顕著でもないように思います。となると、別件でしょう。


「有力貴族の殿方複数人と、頻繁に会って親しくしているのだとか」

「まあ……?」


 親しくして――の部分は、おそらくやや盛りすぎでしょう。出会って二週間も経っていない者同士が、端から見てそんなに親しげになることは、早々ないと思われます。

 貴族の女性にとって、その手の醜聞は致命的です。だからこそ、話を大きくされたのではないでしょうか。


 真実はきっと、殿方複数人と立て続けにお会いしていた、というところまで。それだけで悪意の的となるには充分です。

 婚約とはそれだけ重要な契約なのですから。

 ……あの方、一体何をしているのでしょう。

 いえ、今気にするべきはエスト嬢の思惑などではありませんね。


「クロエ様がそこまで気に病んでいらっしゃるということは、まさかセティ様も……?」

「……はい」


 膝の上で握った拳を小さく震わせながら、クロエ様はうなずきます。


「クロエ様。噂を鵜呑みにするのは良くありませんわ。たとえセティ様とエスト嬢が会っていたとして、そこを誰かに目撃されたとして、二人に意図などないかもしれません」


 エスト嬢は、もの凄く間の良い方ですから。


「セティ様に直接、お聞きするべきですわ」


 先日見たクロエ様とセティ様の距離感であれば、問うことはできるのではないでしょうか。


「お聞きしました。エスト嬢には騎士として期待しているだけだと仰っていましたわ」

「けれど、信じられないと?」

「エスト嬢のことを語るセティ様は、とても、楽しそうで。セティ様があんなにも活き活きと、どなたかのお話をされたのは初めてです」


 その言葉で、分かってしまいました。

 クロエ様が心配されているのは、現在ではない。今のセティ様は、ご自身で否定された通り、エスト嬢との間に疚しいことなどないのでしょう。


 けれど未来、結婚したあと自分が夫に愛されない、仮初めの女主人となる可能性をクロエ様は恐れているのです。

 レイドル家とアキュラ家では、持っている力に結構な差があります。クロエ様の方からこれ以上の行動を起こすのは不可能ですね。

 わたくしたちの間に重い沈黙が落ちて――まさにその瞬間に。


「っ……!」


 会議室へと入ってきた一組の男女を見て、息を止めてしまいます。

 二人で並んで談笑しながら入ってきたのは、セティ様とエスト嬢でした。


「――」


 ごめんなさい、お姉様。

 あんなにもわたくしを心配してくださったお姉様のご忠告に従えないラクロアを、お許しください。

 けれど一人の女として、同じ恐怖を知る者として、どうして言わずにいられましょう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る