第33話
「……そうね、そう思う」
真剣な表情で、お姉様はうなずかれました。
「でも、ごめん、ロア。わたし、少し怖い。今までアリシアに――というかわたしによくない未来が降りかかるのは、わたしの行動の結果でしかないと思ってたから。自分が悪いことをしなければ大丈夫だと考えてた。でも、違うのね。実際はそんな単純なことじゃない」
「エスト嬢のことを考えていらっしゃるのですね?」
「一番は、そうね。エストには本当に、悪いことをしたわ。ロアにも。……ごめんね」
「いいえ。謝っていただくことなどありませんわ。お姉様のおかげで、わたくし、お母様から与えられた常識を自分で考えるきっかけを頂けたのです」
そうでなければ、お母様の常識が、そのままわたくしの常識となっていたでしょう。
「よく考えたら、本当に駄目なことしてた。わたしがドレスを作るのをやめたって、お父様が減税するわけじゃないし」
そうなのですよね……。
お姉様のための予算は、やや減ったかとは思うのです。使われないので。
けれどそれで徴税が変わったかといえば、まず変わっていません。そのお金が我が家の金庫に少し増え、違う誰かに振る舞われただけでしょう。
「それぐらいなら、応援したい店に大盤振る舞いするべきだったんだわ。自分が贅沢をしているように見られないよう表面的な部分だけ切りとって、根本的なところを無視してた」
「それでも、お姉様のお心と意思は、伝わっている方には伝わっています」
無駄な贅を好まないお姉様の姿勢は、美点に違いありません。そのお心根は本物です。
だから、皆がお姉様を慕うのですわ。
「……うん。全部が嘘だったわけじゃない。――よし、元気出た! ありがとう、ロア」
「ふふ。わたくしの方が、ずっともらってばかりですもの。少しでもお姉様のお力になれたのなら、嬉しく思います」
仰る通り、お姉様の顔にはいつも通り、明るい笑顔が戻りました。それが、わたくしもとても嬉しい。
やっぱりお姉様には、陰りのない表情が似合いますわ。
いえ。それはきっと誰であっても、ですね。
「だってホラ、わたし、お姉様だもん。年上は下を守るものよ? 先に生まれた年月分、わたしの方が絶対に強いんだから。強い方が弱い方を守るのは、当然でしょ?」
「まあ。そこまでの差があるのは、もっと幼い時分だけですわ。もう一方的に護られなくてはならないほど、弱くはないのです。わたくしだって、お姉様をお支えしますわ」
「分かってるつもりなんだけど。でもやっぱり、妹は妹なのよねー……」
ううん……。それは、分かる気がいたします。わたくしの中でも、お姉様はどこまでもお姉様ですもの。
「お姉様の仰ることですから、もしかしたら本当に、わたくしたちは追放されたり処刑されたりするかもしれないのでしょう」
実際、近頃のわたくしの周囲は不穏です。
「けれどわたくし、そうなったら断固として戦いますわ。……でもそれでも叶わなかったら、一緒に逃げましょう、お姉様」
「そうね。ロアと一緒なら大丈夫。きっとね」
「はい、お姉様」
お姉様がいれば、わたくしも大丈夫です。
トレス様とのことは……。きっと、寂しく思うのでしょうけれど。王族であるトレス様であれば、何が起ころうとその身が危うくなることは早々ありません。
わたくしたちが没落しようという時には、巻き込めませんわ。
「それで、クルスを助けるのって、具体的にどうするの?」
「実行犯であるヒューベルト先生に、エスト嬢に同情、共感していただき、真実を語っていただきます」
「変則クルス&ヒューベルトルートって感じね。同情ってことは……」
「はい、お姉様。わたくし、悪役令嬢になりますわ」
他でもない、自分の意思で。
わたくしの決意に、お姉様は頭痛を堪える様に額に手を当てます。
「やっぱりどこまで行っても付いて回るのね、悪役令嬢……。でも、いいわ。腹決めようじゃない。――お姉様に任せなさい、ロア。ラクロア・クラウセッドを完璧な悪役令嬢にしてあげるわ!」
「頑張ります!」
ひと一人の人生が掛かっています。悪評の一つや二つが何だというのでしょう。そもそも、家が犯した罪を、きちんと自らで負うだけの話です。
――お母様、お父様。ごめんなさい。わたくしの行いに、お二人はさぞ落胆なさることでしょう。
それでもわたくしは、お二人の正義に従えません。
わたくしの心が、否と言うから。
お姉様の助言を受け、わたくしは早速、翌日から行動を開始しました。
まず、エスト嬢の教科書とノートを刃物でずたずたにします。これにはエスト嬢が不安そうでしたが、由緒正しい悪役令嬢の行いということで、外せないそうです。
ちなみにエスト嬢の心配は、
「あたし、いつも教科書とか全部持ち歩く派なのよね……。いきなり置きっ放しにとか、怪しまれないかしら」と、いうもの。
さすが、嫌がらせを想定して生活していただけはあります。
ですか人の机の中など知る人はいないでしょうし、いたらいたで不気味です。名乗り出ることはあり得ません。ゆえに、心配は杞憂かと思われます。
人を傷付けるよりはまだ良いですが、やはり勿体ないことに違いはありません。せめて、再利用する術を考えなくては。
余談ですが、その後エスト嬢にはイシュエル殿下から新品が贈られたそうです。この調子であれば、エスト嬢から招待状を贈れば、イシュエル殿下をガーデンパーティーにお招きすることができるでしょう。
エスト嬢と意図的にすれ違うこと、数回。その度に彼女を嘲笑と共に侮辱します。
そんなわたくしの態度を見かねたヒューベルト先生から、呼び出しを受けました。
先方もクラウセッドと事を荒立てるつもりはありませんから、ガーデンパーティーの件で確認がある、という口実です。
「――失礼します」
口実が口実ですので、わたくしが呼び出されたのはガーデンパーティーの会合に使われている会議室でした。勿論今日は会合の日ではなく、空室です。
「扉はしっかり閉めておけ、クラウセッド。お前とて、他人に聞かれて嬉しい話ではないだろう」
「まあ、よろしいのですか? わたくしと同じ空間で、同じ空気を吸うのも耐え難い、という顔をされていらっしゃいますわよ」
ええ、比喩なしで。
「必要だから言っている」
「では、そのように」
要求通り、しっかりと扉を閉めます。先生の仰る通り、わたくしとしてもここでの話が外部に漏れるのは本意ではありませんから。
「それで、どのようなご用件でしょう」
「下らん話で時間を取らせるな。ファディアのことだ」
詰問する口調のヒューベルト先生に、わたくしは一拍間を空けてから、冷笑を浮かべて答えます。
「彼女、まったく反省していないようですわね」
「本来、ファディアに反省するべき点などないからな」
その通りですね。ですが、ここでわたくしの口が紡ぐべき言葉は、当然否定です。
「秩序を乱す行いや、それを行う者は悪と言えましょう? ねえ、ヒューベルト様。貴方は何のためにわたくしを呼んだのです?」
多くの貴族にとっては、自明の事実。それがどれほど自分たちにとって都合のいいだけの世界を維持しようとする秩序であっても、その枠組みの中にいて権利を享受しているのなら、従わなくてはならないのです。
変わるべきだとは、思っていますけれど。
「今貴方がするべきは、至らぬ己の謝罪ではなくて?」
存在を疎ましがられていたのはクルスさんではなく、エスト嬢です。彼女の行動が変わらなければ、わたくしの――というか、彼に命じた者の目的も達せていないことになります。
わたくしが企てを知っているのなら、それを不満に思うのは自然と言えるでしょう。
事実、ヒューベルト先生は言葉に詰まりました。
ああ、やはり。確定です。ヒューベルト先生は、わたくしの親に命じられてやっている。
「……お前は、姉とも仲がいいだろう。彼女を見て、何も思わないのか、今の自分に!」
「お姉様は、とてもお可愛らしい方ですわよね。わたくし、お姉様のことは大好きでしてよ。優しくて、素直で。――愚かな、お姉様」
「それが本心か、ラクロア・クラウセッド……!」
微笑しながら姉を侮辱する言葉を口にしたわたくしに、ヒューベルト先生は完膚なきまでに希望を打ち砕かれたことでしょう。
「お姉様はご自分の優しさが、なぜまかり通るのかをご理解なさっていない。わたくしはもう少し、現実的なのです。ヒューベルト様、貴方の様に」
お姉様が優しく在れるのは、お姉様の優しさを許す権力と余裕があるから。それもまた、事実です。
教師として、生徒としてではなく、一人の貴族として、貴族に語りかけます。
実際、今ここにいるヒューベルト先生は、教師ではなく貴族の立場を優先しているのですから、妥当でしょう。
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