第32話

「ロア、お前は……強いんだな。この世界で生まれ育って、貴族としての誇りと強さを得たお前は、尊敬すべき理想の貴族だ」

「……光栄です」


 今のわたくしを作り上げたのは、お父様、お母様、お姉様――そして人生の中で関わってきた、すべての人々。心に従い、考え、選択し、積み重ねてきたわたくし自身の経験。

 トレス様のお言葉は、人生そのものを肯定してくださったものです。これほど嬉しい言葉があるでしょうか。


「さて、となると、一筋縄じゃ行かないぞ。どこから探る」

「そうですわね……。中央区の門番はいかがでしょう。通行証の確認をした方です。口止めはされているでしょうから、ここはエスト嬢に動いていただくのがよろしいかと」


 彼女であれば同じ平民である、という親近感を得られ、同情を買うことを期待できます。知ったところで何もできないと、警戒心も緩むかもしれません。


「待てよ? クルスルートで似たような流れがあった気がするな? あれの犯人はアリシアだったわけだが……。あぁ、面白いかもな」

「何か思い付かれましたか、殿下」

「少しな。――ロア、お前の度量を見込んで提案がある。俺と悪役、やってみないか?」

「……はい?」


 道理に反した事を求めるとは思わないので、トレス様の望みとあれば否は唱えませんが……。悪役、ですか?


「正直、今回の件、明るみに出したところでさして重い罪にはならないだろう。なにせ、クラウセッドだ」

「ええ。ですがクルスさんにとっては死活問題です」


 貴族なら罪に問われなくとも、平民であれば重い罰が課せられることが多々あります。

 制度の問題はともかく、真実を明らかにすることで救われる人がいる。それだけで充分、やる価値はあるかと。


「ん。そうだな」


 目を優しく細めて、トレス様はうなずきます。


「ヴェイツ先生の選択は、実に合理的だ。ファディアを襲って萎縮させ、ロアに反感を抱いていたミゼアンを犯人に仕立て上げ、排除する。彼に命じた黒幕は、いたく満足していることだろう」

「はい。そう思います」


 筋書きとしては、わたくしに反感を持ったクルスさんがクラウセッドの名前を貶めるために、その名を使ってエスト嬢を脅していた。しかし叶わず自滅した――という形にされています。

 貴族的に、実に角が立たない幕引きと言えるでしょう。


「おそらく近いうちに、ファディアに自主退学を促すか、でなくとも自重を求めるはずだ」

「普通なら、そこで屈しますわね」


 逆らい続ければどうなるかと、見せつけられたわけですから。


「が、ここでファディアにはあえて反発してもらう。大人しくどころか、犯人探しに乗り出すんだ」

「エスト嬢ならやってもおかしくないな」


 これまでの彼女の行動の大胆さが、違和感を生じさせません。


「で、ロアにはそんなファディアに絡んでもらう。俺はロアを支援しよう。アスティリテ、お前とレイドルでファディアをフォローしてやれ。アキュラ家のご令嬢はこっちに来てもらうけどな」

「敵も味方も全員同陣営の、盛大なやらせなわけですね」


 褒められたことではないはずですが、レグナ様は楽しそうです。

 そしてどうやら、わたくしはやはり悪役令嬢のようですわ。……お姉様がご心配されていたのとは、少し違う気もしますけれど。


「まずはヴェイツ先生の、ファディアに対する同情心を煽る。目標はガーデンパーティーの日。第三者が会する場で、真実を明らかにする。各々、仕込みに手を抜くなよ」

「とんだガーデンパーティーになりそうだ。これは歴史に残るな」


 不名誉な方でですけれども。

 レグナ様、楽しそうなのは不謹慎だと思いますわよ?




「お帰り、ロア! 待ってた!」

「ただいま戻りましたわ、お姉様、実はわたくしも、お姉様にご相談したいことがあるのです」


 家に着くなりそう仰って出迎えてくださったお姉様に、わたくしの方からもお話があることを伝えます。


「そうなの? じゃあ、わたしの部屋でいい?」

「はい、お願いします。着替えてからお伺いしますわね」

「うん、待ってる」


 急ぎたいところですが、制服を着替える間も惜しんでの相談となれば、家人の妙な関心を引きます。

 当然ですが、我が家の使用人は皆、お父様に雇われているのです。

 親しくしている者は何人かいますが、だからこそ、巻き込めません。わたくしたちの怪しい素振りを彼らはお父様、お母様に報告せねばならないし、しなければ彼らは職を失うことでしょう。


 報告を行うことで、わたくしたちに対して良心を痛めるようなことも、させたくはないものです。

 そのためには、そもそも気付かれないよう上手く誤魔化す必要がありますわ。

 とはいえわたくしがお姉様を頼るのは珍しくないですし、お姉様がわたくしを気遣ってくださるのも同じ。特に問題ありません。

 わたくしは室内用のドレスに着替え、お姉様を伺います。


「お姉様、ラクロアです」

「いらっしゃい、ロア。さ、楽にして」

「ありがとうございます」


 お姉様のお部屋に入り、ソファに腰かけ――こっそりと、魔法を使います。目の前のお姉様も、何食わぬ顔をして同じことをしていましたわ。

 つい、顔を見合わせて笑ってしまいます。

 わたくしは闇の魔法で音を誤魔化す幻術を。お姉様は光の魔法で視覚を惑わす幻術を。合わされば、なんということのない話で談笑するわたくしたちの出来上がりです。


「これでいいわね」


 無論、魔法を使っていることがばれれば余計に怪しまれますが、少しの間なら気付かれない自信があります。

 なぜならこういう時のために、わたくしもお姉様も、どんな会話も魔法を使って誤魔化すことをしてきませんでしたから。

 わたくしたちの適性属性が分かったあと、子どもの頃はこうして大人の目を誤魔化そうとしていないかを念入りに調べられたものです。しかし近頃では、大分頻度が下がりました。

 やっても無意味なことは、やる気を削ぎますものね。

 これも、お姉様の発案です。人の心理をついて、本当に必要な時に穴を生む。お姉様は素晴らしい策略家でもありますわ。


「クルスが例の件の犯人で、自主退学するって聞いたわ。本当なの?」

「はい。ですが、クルスさんは無実です」

「でしょうね。そんなこと、やる意味がないもの」


 気に食わないだけで実行するには、あまりにリスクが高く、実りがない。


「本当の犯人はおそらく、お母様かと。そしてお父様が協力者ですわ」


 お母様は、表面に見える以上に、エスト嬢をかなり疎ましく感じていたのではないでしょうか。

 ……いえ、もしかしたら、その背を押したのはわたくしである可能性はあります。

 わたくしがエスト嬢を軽視しているという噂が生じ、彼女の行いを図書室で咎め、それでイシュエル殿下のご不興を買ったこと。要因であるエスト嬢を排除しようとするには、充分な理由だったのかと思います。


「わたくしはトレス様、レグナ様、エスト嬢と協力して、真実を明らかにしたいと考えています。そしてできれば、お姉様にも協力していただければと思います」

「……いいのね? ロア。これまでみたいな暮らしはできなくなるかもしれないわよ。さすがにこれで処刑はないと思うけど……」

「処刑どころか、きっと、大した罪にもなりませんわ」


 それの是非はともかくとして、ですが。

 ヴェイツ家への要求が明らかになり、たとえそれが半ば脅しであったとしても、協力を頼んだに過ぎないと言えばそれまでです。

 求めを受けたヒューベルト先生が行ったのは、平民であるエスト嬢への危害と、クルスさんを犯人に仕立て上げるための証拠の捏造。


 貴族の署名を勝手に使ったとなれば、こちらは問題になるかもしれません。しかしクィスパー子爵もまた、承知の上で従っています。

 後ろにクラウセッドがいると分かっているのです。クィスパー子爵も間違いなく、協力しただけだと口裏を合わせますわ。後ほど、何らかの形でクィスパー家に利益をもたらせば、それでこの話は終わってしまうでしょう。

 しばらくの間、わたくしたちは非難の目に晒されるでしょうが、それ以上のことは起こらないかと思われます。


「そこはほら、分からないじゃない。これまでだって、問題を大きくするつもりで行動してきたわけじゃないし」

「それは確かに、そうですわね」

「最悪追放とか、爵位剥奪とか、処刑とかが起こるかもしれないじゃない」


 あ、あまりに悲観的ではありますが、世の中は何が起こるか分からないもの。可能性はゼロではありません。まして、お姉様が仰ることですもの。


「それでもやる?」

「はい」


 ですがお姉様の問いには、迷わず肯定を返します。


「己の保身のために、無実の誰かが罪を追うのを見過ごしたくはありません。皆の規範たる貴族とは、そうあるべきではありませんか?」


 人らしく、清廉たれ。ただそれだけの話ですわ。

 それでも人間には欲がありますから、体現するのは難しい。だからこそ、貴族は手本とならねばなりません。

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