第31話

 これは、たとえイシュエル殿下でも覆すのは難しそうです。

 ヒューベルト先生はイシュエル殿下がわたくしにしたときのように、ただ決めてかかっているわけではない。証拠を持ってきています。

 それを王族権限だけで止めさせるのは、イシュエル殿下が嫌う権力の横暴。そちらを選びはしないでしょう。


「クルスが持ち出して渡したとは、まだ言い切れないのだろう?」


 ゆえに、あやふやな部分を指摘されるのが精一杯です。


「はい。ですが家から許可証が紛失していることを、ミゼアン商会長が認めています。クルス、お前の父は息子の不始末を詫びていたぞ。伝言もある。『一度帰って来なさい』と」


 ああ、これは……接触がありましたわね。

 息子がいわれなき罪を被せられたとしても、飲み込んだ方が被害が少ない。そう判断されたのです。

 ならばおそらくクルスさんの父君は、何があろうと接触を認めはしない。


「そんな……ッ」

「クラウセッド侯爵は、王立学園に受かって浮かれた平民の愚行として、謝意があるのならばその誠意を受け入れる用意があると仰っている。しかし尚も己の罪を誤魔化し続けるのなら、相応の対応も辞さないとお考えだ」


 平民が貴族の名を使ったのです。お父様の言は、実に寛大な処置と言えるでしょう。

 しかし断言いたしますが、お父様は平民に与える慈悲よりも、家の名誉、実を大切にする方です。


「だから……。だから貴族は嫌いなんだ。自分でやっておいて、よくも……ッ」


 それは誤解ですわ。


「クルス、落ち着いて。悔しいのは分かるけど、ここは……」

「……エスト」


 共感という形でクルスさんを説得できるのは、この場において、同じく被害者であるエスト嬢だけです。

 どれだけ憤ろうとも、クルスさんはお父様が求める誠意を示さねばなりません。でなくば、命の危機です。

 わたくしはクルスさんが行ったとは思っていませんが、ヒューベルト先生が提示した証拠を否定できる材料を持っていません。わたくしの言葉は、侯爵本人であるお父様より遥かに弱い。止められません。


 ――今は。


 ええ、看過はしませんわよ。エスト嬢はわたくしを信じて頼って、助けを求めに来たのです。

 間違っていると知りつつその手を振り払うような行いは、したくありません。


「自分の立場が理解できたか? できたなら、荷物を纏めて実家に戻れ。侯爵令嬢に噛み付いて退学だけで済むんだ。その幸運に感謝して、妙な気を起こすのは止めておけよ」

「……」


 ――?


 今の、ヒューベルト先生の言い方は。それでは、まるで……。

 クルスさんは無言で、僅かに首を縦に振ります。そして力なく立ち上がり、生徒指導室を後にしました。

 その背に触れて支えるエスト嬢へと、視線さえ向けることなく。


「以上です、両殿下。学生の起こした不始末に、わざわざ王族が関与することもないでしょう。――どうだ? ラクロア嬢。すこしは胸が空いたか?」


 するわけがないではありませんか。

 ですがわざわざ名指ししたということは、彼にとってわたくしはそのように感じるだろう立場にある、ということ。ならば。


「ええ、少しは」


 お母様が浮かべる冷ややかな笑みを意識して、僅かに口角を上げてそう答えます。

 ヒューベルト先生は、クラウセッドの言い分を通しました。ならばその決定に違和感を見せるのは、ただ彼の警戒を煽るだけ。

 彼が関わっているかどうかは定かではない。定かではないからこそ、ここはとりあえず、用意された結果に満足して見せておくべきです。


「……ふん」


 答えたわたくしを見るヒューベルト先生の目は、嫌悪に満ちています。

 それはヒューベルト先生もまた、権力による横暴に怒りを感じている証。

 生徒としてはほっとしましたわ。わたくし個人は、さぞ悪印象を持たれたでしょうけれど。


「ラクロア、お前は……ッ」


 あら。こちらにも素直な方が。


「お前は私にこれを見せたかったのか? 力及ばぬ焦燥を味わえと?」


 殿下の中のわたくしも、相当性格が悪そうです。

 ……トレス様は、どう思われたでしょうか。

 場所を選んで釈明はするつもりですが、わたくしが今、どのような顔で見られているか……。知るのが、少し怖い。


「まさか。わたくしはイシュエル殿下であれば公平に判断してくださると考え、ご助力を賜っただけです。他意などございません」

「く……ッ」


 残念ながら、相手の方が用意周到でしたわ。

 イシュエル殿下は非常に悔しそうですが、わたくしとて同じ気持ちです。


「では、ごきげんよう。これで言われなき悪評も払拭できるかと思うと、安堵いたしましたわ」


 一礼をして、わたくしも生徒指導室を出ていきます。


「ロア、待て。話がある」


 トレス様がわたくしを呼び止めて横に並びますが、足は止めませんでした。止めかけたわたくしの方が置いて行かれそうになって、慌てて再び付いて行きます。

 そのわたくしを振り向き、トレス様はいつもと何ら変わらない口調でお声を掛けてくださいました。


「今日、時間はあるか? アスティリテを誘って俺の離宮で少し話そう」

「わたくしを、見損なったのではありませんか?」

「まさか。むしろ、よく我慢したな。さすが王族の婚約者に選ばれる侯爵令嬢だ」


 優しく肩に回された手が、強張った部分を労うように撫で、軽く叩いて離れていきました。

 褒められたのだと、応援されたのだと、その温かさで分かります。

 トレス様は、わたくしを信じてくださった。

 ならばますます、裏切れませんね。




 幸いにして、自習のために学園に残っていたレグナ様とは、すぐに合流できました。

 一緒に行動をするのは目立つので、わたくしとトレス様が先に王宮へ行き、レグナ様には後から来てもらうことにします。


「――さて。ここなら話を外部に漏らす人間はいない。安心して話してくれ」


 トレス様の私室に再集合するなり、部屋の主が自信を持ってそう言い切りました。信頼を寄せられた侍従や侍女の皆も、誇らしげです。

 手際よく配られた紅茶を一口含んでから、レグナ様は息をつきます。


「ラクロアを犯人にしようとしているのかと思ったら、今度はエスト嬢の友人か。一体、どういうつもりなんだろうな」

「考えられることはある。そのために確認したいんだが、ファディアを襲った二人組が所持していた許可証が、クィスパー子爵の署名だというのは本当なのか?」

「捏造です」


 トレス様の問いに、きっぱりとレグナ様が断言します。二人を警備軍の詰め所に預けたときに、勿論確認しました。

 わたくしも覚えています。二人は、許可証の類を持っていなかった。ですので入るときには、近くに彼らを通すことのできる力を持った誰かがいた、と考えたのです。


「間違いなく、存在していなかった証拠でした。なのにクィスパー子爵もミゼアン商会長も事実と認めた。あの態度からして、ヒューベルト先生も捏造と承知で従っているかと」


 同感です。

 ヴェイツ侯爵家はユーフィラシオ建国の頃より続く名家ですが、現状はそれだけの家とも言えます。就いている官職も、名誉職が多いですね。

 力があると言えばあるし、ないと言えばない。やや、見極めにくい家と言えるでしょう。

 ですが、ヒューベルト先生は不快に感じていたにもかかわらず、従った。ということは、ヴェイツ家よりも数段力のある家の圧力を受けているはず。

 その数は、かなり絞られます。


「――……」


 その中で最も有力な家……。それもまた、ヒューベルト先生の態度から察せられます。

 もしわたくしの予想通りであるのなら、事を詳らかにするには王家の力が必要です。


「ヒューベルト先生が全てを承知でクルスを犯人したのなら、たとえ許可証の嘘を暴こうが無駄だ。後ろにまでは届かない。彼自身が責を負って終わらせてしまうのがせいぜいだ」

「もしかすれば、事実も作っているかもしれませんわ」


 階段からエスト嬢を突き落とすのは、すぐにあの場に現れたヒューベルト先生も可能な位置にいたと思われます。


「それでも尚、真実を追求するのならば……。陛下に裁定していただくことはできないでしょうか」

「無理だ。益がない。それに――それでも難しい。分かっているだろう。だから俺とお前が婚約してるんだし。というか、いいのか、ロア」


 暴く前提で話しているわたくしに、トレス様は気遣う目を向けてきます。


「真実に勝る正義はない。わたくしはそう思います」


 そう。たとえ己の家が犯した横暴であったとしても。

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