第26話

「どれだけ混乱しようが、それでも一度作った流れは止まらない。変革っていうのは、そういうものだろう?」

「わたくしは、急激な変化など望みません。そこには必ず、痛みが伴いますから」


 現状のユーフィラシオがそれでも断行しなければならないほど追い詰められているとは、思いませんもの。

 個人の事情は別となるでしょうが、国としては、緩やかに進んでいくことがわたくしの理想です。


「残念だ。ラクロアの賛同が得られれば、すぐにでも取りかかれたのに」


 軽い調子で、ちょっとした冗談を口にしただけ、という様子でレグナ様は話を打ち切りました。

 これで彼の改革計画から、わたくしは外されたことでしょう。

 願わくばトレス様のことも、勝手に担ぎ上げないでいただきたいですわね。それがトレス様の意に反したことであれば、わたくしは断固阻止の方向で動きます。


「貴族、めんどくさー……」


 わたくしも異論はありません。エスト嬢。


「さて。何にしてもまず、目の前の学生生活からだな。学生のうちから失態を重ねてたら、後々笑い話の種にされるだけだ」

「ええ。そのような将来はご遠慮願いたいですわね」

「さ、これで立候補者の資料は全部だ。もう俺たちで最後まで終わらせてしまおう。三人でやればすぐだ」

「そうですわね。わざわざ人を呼ぶほどではないと思いますわ」


 然程の数が必要なわけではありませんし。


「……」


 同意してうなずいたわたくしを、レグナ様は残念そうな瞳で見つめてきます。


「何か?」

「いや。労働を厭わず効率を選べる柔軟性といい、当然みたいに頭数に入れられても受け入れられる度量といい、同じ方向を見られていないのが残念だと思って」

「見ている方向は、大まかには同じだと思いますわ」


 細かく突き合わせる状況にはないので、断言はできませんけれども。

 お姉様の影響でしょう。わたくしも、搾取する者とされる者に別れたこの社会構造の変革は望むところです。

 そのときはクラウセッドの家も勿論今よりも力も財も失うでしょうが、だから何だというのでしょう。


 財など本来、平穏に生きていける分だけあれば充分です。

 皆が満足に暮らせているのなら、贅を競うのも発展への一つの方法と言えるかもしれません。ですが食べる物に喘いでいる者がいる中での贅沢など、人品を疑って然るべき所業。


 けれど平民と貴族をわけ隔てた現状の意識では、不思議にさえ思われない。

 それは間違いなく、歪んでいる。

 だって平民や貴族という枠組みを作ったのは、人の社会の都合です。実際には何も変わりはしない。同じく人間でしかないのですから。


「ただ、貴方とわたくしでは、決定的に歩調が違います。今のままでは共になど歩めませんわ。わたくし、転ぶのは嫌です」


 レグナ様が危ういのは、彼もずっと阿られる側にしかいないからですね。己の希望が真の意味で通せなかった経験を、おそらくお持ちでない。

 ですがそうして育まれてきた成功の自信と思い切りの良さは、改革をする者には必須。物事には良い面と悪い面が存在するのだと、しみじみします。


 勝ち目のない戦いには参加いたしませんわ。傷を負うだけ無意味ですから。

 成果のない戦いは無意義です。それでわたくしたちが倒れて喜ぶのは、相反する思想の持ち主たちだけ。ええ、絶対に御免です。


「……成程、な」


 レグナ様は少し考える素振りを見せましたが、それは一瞬。


「じゃあ、始めるか。明日には候補者も絞りたい」

「同時に、会場の装飾も議題に上げてくださいませね」

「だな。そろそろ頼まないと間に合わない」


 複製された資料を順番に重ねていき、最後に綴じれば一冊の候補者資料が完成です。机をくるくると回りながら作業をしていると、エスト嬢が息をつきます。


「何かをするって、大変ですよね。大掛かりになればなるほど。準備とか」

「勿論ですわ。だからこそ、良い経験になるのではないですか」

「……そうよね。現実でやったら大変なのよね。どんなことでも」

「?」


 現実以外の実行……夢想でしょうか?

 頭の中で考えているだけなら、確かに実際の労力は必要ありませんけれど。

 自分が完成させた資料の一つを見て、エスト嬢は不安そうな顔をします。


「どうかしまして?」

「今のところはなんでもないです。……でも、もしかしたらいつか相談に乗ってもらうかも」

「気がかりがあるのなら今話しなさいな。起こってから対処するよりも、準備をして時を迎えた方が被害が少ないのは明白でしょう」


 危惧していることが起こらなければ、それはそれでよいのですし。


「……じゃあ、話すけど。もし月の乙女に決まった人が途中で降りたら、代わりにラクロア様が月の乙女をやってくれる?」

「それは、また。突飛ですわね」


 随分具体的かつ、起こる可能性の低そうな内容です。


「まずありえないと思いますが、分かりました。可能であれば引き受けましょう」


 なぜそのような事態が発生するとエスト嬢が考えたのかは、分かりません。

 ですがその疑問をわたくしが持つことなど、エスト嬢とて承知でしょう。その理由が説明できないからこそ、言うのを躊躇ったのだと思いますし。

 で、あるのならば。わたくしは追及をするべきではない。

 いずれわたくしが彼女の信用を真の意味で勝ち取れば、訊ける日が来るかもしれません。


「ありがとうございます」


 余程気がかりだったのか、エスト嬢はほっとした様子でそう言います。

 人に言えない秘密の一つや二つ、誰しもあるとは思いますが。

 わたくしの周りの方々は特に顕著である気がするのは、果たして気のせいでしょうか?




「お帰りなさいませ、ラクロアお嬢様。奥様がお待ちです」

「……分かりました」


 帰宅早々、アナベルに声をかけられてしまいました。

 最近どうも星の周りが悪いので、外でのトラブルに巻き込まれないよう真っ直ぐ帰宅したのですが。家は家で、常に平穏とはいかないのですね。

 もっともこれは、わたくしの心持ちの問題というだけかもしれませんが。

 しかし、お母様のお話とは何でしょう。

 心当たりを探しているうちに、お母様のお部屋に着いてしまいます。


「失礼いたします、お母様。ラクロアです。お呼びと伺い、参りました」

「お入りなさい」


 許可を得るとアナベルが扉を開け、わたくしを中に通します。


「ごきげんよう、ラクロア。お掛けなさい」

「ごきげんよう、お母様。ありがとうございます」


 空気がピリピリしています。これは、わたくしの行動に何かご不満があったと考えるべきですわね……。

 けれど問題にされていることの想像がつきません。お母様がご不快になる行い……。


「ディランから聞きました。口の利き方を知らない平民と馬車に同乗し、それを注意しなかったそうですね」


 ……ありましたわ。

 ディランとは、トレス様の所へ行ったときに御者を務めてくれていた方ですね。普段はお父様の御者を務めていることが多いので、あまり接点がないのです。

 たまにこうして身近な人を替えるのは、わたくしを監視するためかと思われます。疚しいところはないので、気にしてはいませんが。

 今日は少し間が悪かったですね。


「申し訳ありません」

「いいですか、ラクロア。姉だからといって、アリシアを手本にする必要はありません。貴女はきちんと貴族らしくなさい」

「以後、気を付けます」

「……まあ、躾の行き届いていない平民に、どのような言葉であれば通じるのか、迷う気持ちは分かります。ですから、平民とはあまり行動しないことです。貴女の品位が損なわれます」

「努力いたします」


 一市民でしかない彼女と行動するだけで損なわれるぐらいなら、わたくしの品位、たかが知れている気がしますわ。お母様。


「それと、警備軍の者からお父様に報告がありました。何でもクラウセッドの名を騙った何者かが、平民の娘を襲ったとか?」


 報告、行ってしまいましたか。

 ですが仕方ありません。この情報は止められませんもの。関わる人間が多すぎます。

 お母様は実に楽しげに、唇に弧を描きます。すごく、冷酷なものを。


「アスティリテ家のご子息と協力して、犯人を突き止めようとしているのだとか。悪くはありませんが、一言、わたくしに伝えるべきでしたね」

「申し訳ありません。つい、自分の裁量で解決をしようとしてしまいました」


 嘘です。お父様とお母様に伝わるのは、遅ければ遅いだけよいと思っていました。

 だってお二人は、家名に泥を塗った平民に、命を以っての償いを求めてもおかしくない方ですから。


「自立心があるのは、大変結構です。わたくしもお父様も、いつも貴女を守ってあげられるわけではありませんからね」


 両親の庇護の元、わたくしが平穏に生活できているのは間違いありません。けれどその主張にうなずけない部分があるのも確かなのですわ、お母様。


「ですが今回は、家名に関わる話です。ラクロア、貴女はこの件から手を引きなさい。あとはお父様が良きように取り計らってくれるでしょう」


 家を一番大切にするお二人なら、そう仰ると想像していてもよかったかもしれません。

 お父様が犯人を突き止めてくださるのなら、わたくしが出しゃばることもないのでしょう。要は、真実が明らかになればよいのですから。

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