第27話
気がかりがあるとすれば一つだけ。
「お父様は、実行犯である平民二人の処遇を、どのように考えていらっしゃるのでしょう」
「勝手に貴族の名を騙ったのです。命を持って償うのが相応でしょう」
「っ……。で、ですが、それは!」
「分かっています。アスティリテ家の同意が得られませんでした。彼の家は有能ですが、変わり者が多いのが難点ですね」
お母様は仕方なさそうに溜め息を一つつきます。
よかった。アスティリテ家が反対してくださって。わたくしの言葉では、きっとお父様やお母様には届かないでしょうから。
「アスティリテ家との関係を悪化させるだけの価値は、彼らにはありません。処断はひとまず保留としましょう」
でも、保留なのですね。油断できませんわ。
断行しないよう、お二人にとっての彼らを生かす価値を付ける必要がありそうです。
「よろしいですね」
「はい、お母様」
別の気がかりはできてしまいましたが、わたくしよりも余程確実に犯人に迫れることでしょう。否を唱える理由は、特にありません。
「そう言えば、貴女宛ての荷物が届いていました。刺繍でもするのですか?」
「ええと、その……。はい。トレス様に」
刺繍は、特に問題はないはずです。
「そうですか」
とても満足気ににこりと笑って、お母様はうなずきます。
「喜んでいただけるとよいですね」
「はい。頑張ります」
「ご苦労でした。お戻りなさい」
「はい。失礼いたします」
立ち上がって礼をして、わたくしはお母様のお部屋を後にします。
それにしても。クラウセッドの名前を騙ってエスト嬢を襲わせたのは、一体誰なのでしょう。
早くことが詳らかになり、平穏になるとよいのですが。
三度目の会合に向かう途中で、視線の先に見知った背中を二つ、見付けてしまいました。
一人はエスト嬢。もう一人は彼女の幼馴染みだというクルスさんですね。
わざわざ近付くこともないでしょう。歩調を緩めて間隔を詰めないようにしつつ、会議室へと向かいます。
そうして階段に差し掛かったとき、妙な魔力の流れを感じました。
「きゃっ……!」
ほぼ同時に上がる悲鳴。わたくしの目の前で、エスト嬢が強い力で押し出されるようにして足を踏み外し、危うい姿勢で落下していきます。
「エスト!」
隣にいたクルスさんがエスト嬢の手を掴み、しかし落下を止めることは叶わず、一緒に階段を転がり落ちました。
ただ、完全に不意を突かれたエスト嬢と違い、彼は落ち方を選べます。
今のは魔力によって作り出した風によって引き起こされた、故意の事件。近くにエスト嬢を襲った何者かがいるはずです。
――が、先にエスト嬢たちの安否を確かめるのが先ですね。
「二人とも、怪我はしていませんか」
階段を駆け下りつつ、声を掛けます。
見ればクルスさんには護身の心得があるのか、エスト嬢を庇いながらも上手く受け身を取ったようでした。そしてなぜか、近付いたわたくしを睨み付けてきます。
「白々しい。貴女がやったんでしょう」
「言いがかりです」
即座に否定します。
ですがこれは、少々具合が悪い。彼らの後ろにいたわたくしが一番襲いやすかったのは、間違いありません。
「待ってクルス。そんなわけない」
「エスト、いくら相手が大貴族だからって、こんなことが許されていいはずがない」
エスト嬢はわたくしの無実を訴えてくれましたが、クルスさんの方は聞く耳を持っていません。
「貴女は先日もエストを呼び出して、威圧していたそうじゃないですか。優秀なエストがそんなに気に食わないんですか?」
「ち、違うのよ! あれは、そんなことじゃないから!」
話の途中で、エスト嬢はそのような演技をしましたものね。途中からイシュエル殿下もいらっしゃいましたから、彼の姿を追った誰かの目にも留まっていたかもしれません。
あのときのエスト嬢には、間違いなくわたくしを牽制する意図がありました。
だからでしょう。自身の行動が意図せぬ場面でわたくしに不利に働いていることに、彼女は焦って顔色を変えます。
わたくしは彼女の行動の意味を知っていますからそう思えますが、今のこの状況では、まるでわたくしに脅されたことを気にして怯えているようです。
「エスト……」
そんな彼女を気遣うクルスさん。貴族の横暴に耐え、飲み込まなくてはならない平民の姿、そのままですわ……。
「そ、それより、医務室に行こう! 診てもらわなくちゃ……」
これ以上、ここに留まるのは得策ではないと察したか、エスト嬢は移動を提案します。勿論、クルスさんの具合が気にかかるのも間違いないと思いますが。
「僕は大丈夫だよ。でも、心配してくれてありがとう」
「それは、庇ってもらったあたしが言うセリフだと思う。ほら、人も集まって来たし、行こう。――わっ」
強引にまとめて立ち上がろうとして、しかし力が入らなかったのでしょう。エスト嬢は再び、床にお尻を落としてしまいます。
「分かったよ。行こう。エストも診てもらいたいし」
「ひぇっ!?」
自分よりも、エスト嬢の不調が決め手だったのでしょう。クルスさんはエスト嬢の主張にうなずくと、彼女を横抱きに抱えました。
まあ。意外と力があるのですね。
ああ、いえ。魔力の働きを感じますわ。自身の筋力を強化しているのでしょう。付与魔法に適性が高いのでしょうか。
「ななな、ないッ。これはないッ。こーゆーのは物語で、端から見てるから映えるやつッ!」
「エストは時々、よく分からないことを言うよね」
幼馴染みにもそう思われているのですね。エスト嬢。
体が密着した状態なのが恥ずかしいのか、エスト嬢は赤面しつつ遠慮したそうな素振りを見せますが、腰が抜けた状態ではどうにもならないと諦めたのでしょう。大人しく運ばれて行きました。
……さて。この空気、どうしたものでしょうか。
被害者二人が去ってしまったので尚更、周囲の意識がわたくしに向いているのが分かります。
「ラ――、ラクロア様。会議の時間が迫っておりますわ。参りましょう」
わたくしを犯人だと見なす重苦しい空気の中、通路の先から駆け寄ってきたクロエ様が、わたくしの手を取ります。
「……クロエ様」
誰もが無言でわたくしを疑い、しかし視線さえも向けない状態。どこへ向けて釈明するべきかさえ分からない。
けれどこうして手を取られたことで、動き出すきっかけをもらえました。そしてさらに。
「何をしている。通路は溜まり場ではないぞ。さっさと散れ」
階段の上から冷ややかな声が降って来て、この場にいた全員がそちらを振り向きます。
ガーデンパーティー顧問の、ヒューベルト先生ですわね。勝手にやれと仰っていた通り、二回目の会合にはいらっしゃいませんでした。
今回は……。ああ、金銭が発生する案件だからですね。一応の確認のために、レグナ様が呼ばれたのかもしれません。
「さあ、ラクロア様。先生もああ仰っています」
「……ありがとうございます。クロエ様」
クロエ様は、それほど豪胆な方というわけではありません。実際、わたくしに触れたクロエ様の手は震えていました。
一番初めに声を上げるには、とても勇気が必要だったでしょう。
わたくしのためにその一歩を踏み出してくれたこと、感謝に耐えません。
会議室の中に入って人目が減ると、少し落ち着くことができました。部屋の中にいるのは概ね上位貴族なので、たとえわたくしがエスト嬢を襲ったのだとしても、気にしない方が殆どだという理由もあるでしょう。
本来嘆かわしいはずのその意識に、助けられたと感じてしまったわたくしがいます。
……なんて、都合のいいことを。己の浅ましさが恥ずかしい。
「ラクロア様、大丈夫ですか?」
「ええ、わたくしは大丈夫です」
「それなら、よかったです。――あれぐらいの風の操作なら、適度に適性を持っていればあの場にいる誰にだってできるのに、いきなり犯人だと決めつけるようなこと……。あまりに視野が狭いですわ」
クロエ様が憤慨してくださるのに、何とか笑みを作って応じます。
けれど内心では、うすら寒さを感じずにはいられません。
これもまた、クラウセッドを――もしくはわたくしを、陥れるための行動の一つではないのでしょうか……?
わたくしに対してよい感情を抱いていないクルスさんがいたのは、犯人にとって、さぞ都合がよかったことでしょう。
わたくしがエスト嬢を襲っていない証明は、難しいです。やっていないことは証明ができないものですから。
問題にはされないと思われますが、おそらくわたくしが行ったこととして、皆に記憶されてしまう。
あの空気の中では、わたくしの否定の言葉がどれだけ力を持てるでしょうか。
……もしや、お姉様が心配されていたのは、こういうことなのですか?
わたくし今、悪役令嬢、というものにされているのでしょうか。
ややあって会議が始まりましたが、上の空になってしまったのは否定できません。
会議の内容は順調に進み、更なる問題が起こらなかったのが救いですわ。
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