第28話

「ラクロア。少し話がある。付き合ってもらえるか?」


 会議の解散を告げた後、わたくしの側に歩み寄ってきたレグナ様がそう言います。

 その表情がやや硬いことから、エスト嬢が突き落とされた件と関わりがあると考えられます。


「あ、あの。レグナ様。それはどうしても今日、ラクロア様でなくてはなりませんか? き、今日はわたくしと先約があるのです。ね、ラクロア様」


 レグナ様が下位貴族や平民にも配慮なさる方なのは周知です。クロエ様はわたくしが責められるのではと危惧なさったのでしょう。そう言って、断りやすいようにしてくれます。

 その気遣いが、とてもありがたく思います。けれど。


「ごめんなさい、クロエ様。委員長補佐として、職務は全うしたく思います。近いうちに都合をつけて、改めて参りましょう?」

「ラクロア様……」


 クロエ様の眉は下がったまま、上がりませんでした。


「大丈夫ですから、ね?」

「はい……」


 レグナ様がわたくしの言葉に聞く耳を持ってくださるのなら、おそらく本当に、大丈夫ですから。


「じゃあ、行くか。付いてきてくれ」

「承知いたしました」


 どこへ、と口にされなかったのは、意図的ですわね。

 ということは、おそらくエスト嬢のお見舞いでしょう。一緒に情報も得るおつもりではと思います。


「中々、直接的な手に出てきたな」


 実習棟から離れ、医務室のある教務棟へと移動する渡り廊下に差し掛かったとき、レグナ様がそう口にされました。


「わたくしを疑っていらっしゃいますか?」

「いいや。先日エスト嬢が襲われた件を考えれば、一緒に陥れられようとしている側だろう。エスト嬢を狙っている奴は、どうやら本気で彼女が気にくわないらしいな。ついでに、クラウセッドも」

「自演の可能性もなくはありませんわよ」

「今回に限っては、する必要がない。あんな大勢の前で手を出したってことは、犯人にしたい誰かがいたから以外にないだろう。ラクロアは標的にされているだけだと思っている」


 成程。それは確かに。

 もしわたくしがエスト嬢を襲うのを、悪事と思いつつやるのなら、人目につかない状況を作ります。

 正当だと考えているのなら、階段の上から高笑いの一つもするでしょうし。

 ……し、しませんわよ?


「どうだ? 現場に怪しい奴はいなかったか?」

「残念ながら、心当たりはありませんわ」


 すぐにエスト嬢の元へ行ったので断言はできませんが、急にその場を離れたりとか、そういった不審な行動を取った者はいなかったように思います。

 クロエ様が仰っていた通り、できる、できないという話になると、あの場にいたほぼ全員に可能でしょうから、こちらも手掛かりにはなりません。


「その分じゃ、エスト嬢の方も期待薄か」

「彼女は不意を打たれていますから。尚更難しいかと」


 それどころではなかったと思われますわ。


「そう言えば、ラクロアがやった、みたいな空気になったのは、エスト嬢と一緒にいたクラスメイトの発言のせいだろう? そっちはどうなんだ」

「クルスさんはどうやら貴族嫌いで、エスト嬢を度々威圧しているわたくし個人のことも嫌っています。利用はされたかもしれませんが、彼自身が実行犯ではないでしょう」


 エスト嬢と一緒に落ちていますし。

 何より、彼はどうやらエスト嬢を憎からず思っている様子。好意を抱いている相手に、危険な真似をするとは思い難いです。

 ですので、クルスさんの場合は純粋な怒りの元の行動でしょう。


 初日、エスト嬢に家名を名乗り返さなかったことで平民を軽視していると見なされ、図書室で彼女を威嚇し、そして今回、階段から突き落とした……ということになるのですね。

 わたくしが迂闊な部分もありましたが、出来過ぎではないでしょうか。


「ま、駄目元でも聞きに行こう。どうやらエスト嬢もラクロアも、真剣に身の回りに注意した方がよさそうだ」


 そんな見解を述べあっているうちに、医務室へと着きます。


「失礼します」


 ためらいなくレグナ様が扉を開け、わたくしはその後に続きました。

 白を基調とした落ち着きのある空間に、薬品の匂い。一つの役割に特化した部屋というのは、独特の雰囲気がありますわね。

 保険医の方は――留守でしょうか。見当たりません。

 一瞬そう考えたものの、次にエスト嬢の姿を探して見つけたとき、理解しました。


 エスト嬢はベッドに腰かけていて、その隣の椅子には彼女を運んできたクルスさんが座っています。そして少し離れて、イシュエル殿下が。

 イシュエル殿下に気を遣って、場を離れているのですね。

 入口の方に体を向けていたエスト嬢が先にわたくしたちに気付き、慌てた表情をします。それから必死に、目で入り口を示してわたくしたちに――というかおそらくわたくしに、退室を合図してきました。


 それだけで悟れるというものです。

 おそらくイシュエル殿下は、クルスさんの証言を信じてしまわれたのですね……。

 しかしすでに、入るときにレグナ様が声をかけていらっしゃいます。自然、イシュエル殿下とクルスさんもこちらを振り向きました。

 残念ながら、避ける時間はありませんでしたわ。


「……ラクロア」


 イシュエル殿下の声は低く、不機嫌です。困りました……。


「で、殿下。だから、違うんです。ラクロア様がやったわけじゃないと思います!」

「エスト、恐れなくていい。以前言ったはずだ。貴族の行いの監視は、私の仕事の一つでもあると」

「そうじゃないんですってば! どうして信じてくれないのよ……っ」


 自分の言葉が届かない悔しさに、エスト嬢の顔が歪みます。けれど己の中の真実を作ってしまったイシュエル殿下には、そんな悲痛ささえ曲解されていることでしょう。


「重ねて行ってきた私の忠告も、お前の耳には入らなかったようだな」

「殿下。わたくしは何一つ、疚しいことなどしておりませんわ」

「先日、エストを襲った無頼漢の件も、私の耳に入っているぞ。お前の父は犯人探しをしている様だが……。存外、クラウセッドの者が行ったのに違いはないのではないか? なあ、ラクロア」


 わたくしが独断で襲わせたと、そうおっしゃりたいのですね。

 とんだ濡れ衣です。


「殿下、お言葉ですが、それはやや飛躍した考えと言えるでしょう。それに、王族である貴方のお言葉は力を持ちます。無実の者を罪人にするような発言は控えるべきかと」

「レグナ・アスティリテ。その言葉はそのまま返そう。罪人を無実にするようなことがあってはならない。発言に力のある私がやらずに、誰ができるというのだ? 平民だからといって、貴族の横暴が許されていい道理はない」


 そのお志は、とても素晴らしく思います。たとえそれが上から施しを与えるだけの、民を見下したものであったとしても。実が存在すれば価値があると言えるでしょう。

 ……ですが今、王族として――より権力を持つ者としての言葉でわたくしを犯人と断じるその行いは、一体何なのでしょう。まさに、貴族の横暴そのままとは言えませんか?

 きっと気付いていらっしゃらないのでしょうが。


「……」


 レグナ様は口を開きかけて、しかし迷った様子で閉ざします。

 イシュエル殿下には、こちらの言い分を聞く心積もりがありません。取り合って下さらない方には、何を言おうと届かないのです。

 たとえそれが、どれ程理に適っていたとしても。


「ラクロア・クラウセッド。学園を騒がせた罰として、お前には謹慎を――」


 そう、わたくしに罰が言い渡されそうになったその瞬間、イシュエル殿下の声を遮って、乱暴に扉が開けられます。その音で全員が口を噤むぐらいの勢いで。

 姿を見せたのは、肩で息をしたトレス様。そして余程急いだのか、今朝は整えられていた髪をやや乱したお姉様でした。


「トレス。シア。どうした」

「兄上が。ファディアを見舞いに行ったって聞いて、もしかしてと思ってな」

「ロアがエストを突き落としたとか、変な噂が流れてるし! ロアはそんな事、絶対にしませんから!」


 ――わたくしのことを心配して、来てくださったのですね。

 現金なものです。先程まで諦めて折れかけていた心が、今はほこりとしています。


「シア。――いや、アリシア・クラウセッド。以前から思っていたが、お前は妹のことになると冷静な判断力を失うようだ。身内だからと目を曇らせるようでは、為政者は務まらないぞ」

「大切な身内を信じて愛せないような人間が、見知らぬ他人のことなら親身になれるとも思えません。わたしは噂よりも、ロアを信じています」

「……残念だ。お前の柔軟さも優しさも、私にはとても好ましかったというのに。いや、だが、知れて良かったというべきか」


 まあ。こんな所で、殿下のお姉様への想いが覆されるなんて。

 国のためには良かったのだと思いますし、正直、万が一お姉様が嫁がれたらとても祝福する気持ちにはなれなかったと思うので、ほっといたしました。

 けれど勝手に幻滅されるのも腹立たしいです。複雑ですわ……。


「ともかく、私の意思は変わらない。私の目に届かない所で行われているかもしれない貴族の横暴に対しても、良い警告になるだろう。私は、人道に反した行いを許しはしない」


 確かに、クラウセッドの者が罰されれば、大きな牽制となるでしょう。

 けれど殿下の正義のために贄となるわたくしへの行いは、何なのですか。

 事実であれば、正道でしょう。ですが自分が一番分かっています。わたくしは無実です。

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