第24話
わたくしの言葉を聞いたエスト嬢は、頭を抱えて項垂れました。
「嘘でしょ……。そんな馬鹿馬鹿しいことで、あたし死にそうな目に遭ってたって言うの……」
エスト嬢にとってはそんな言葉で片付けられる問題ではないでしょうけれど、不幸な巡り合わせでした。
そして納得もできましたわ。
「貴女が経済的に自立したいのは、その経験があるからなのですね」
「まあ、そうね」
深々と息を吐き、しかしそれで気を取り直したように顔を上げ、エスト嬢はうなずきました。
「あたしはクルスの家族に負い目がある。現状、あたしも母さんも満足な収入がなくて、かなり頼ってしまっているわ。ありがたいし、申し訳ないし、それに、他人に首根っこを掴まれているのがやっぱり嫌」
わたくしは今、お父様の収入に頼って生きています。そしてこの先は、トレス様に頼って生きることになるでしょう。
エスト嬢が抱えている弱味とまったく同じものを、貴族の女性は受け入れて生きている、とも言えますね。
それに抵抗感がある、状況を打破したい、という気持ちは……。正直、理解できてしまいます。
女性がもっと自由ならばと、考えないわけではありませんもの。
もしエスト嬢が望むようなことが普通にできるようになれば、女性たちはきっと、もう少しのびのびとできますわ。
一石を投じるためにも、エスト嬢への協力は悪くないのかもしれません。
ですが……。うーん。この分では、そちらはクラウセッドを陥れようとして、というよりも、ただ切り捨てるときの理由に使われただけのような気がします。
それは、そうですわよね。クラウセッドを陥れるのに平民の少女を使うのは、あまりに不可解だと思っていました。
「何にせよ、お姉様が貴女を害そうとしたわけではないことは、理解したと思います。警備軍の詰め所に行ったら、次は我が家に来てお姉様に謝罪していただきますわ!」
約束でしたわよね!
「そこ!? まだ拘ってるの!?」
「当然です」
お姉様の名誉にかかわることですもの。
一瞬唖然とした顔をして、それからすぐにエスト嬢は唇を尖らせます。
……不満気ですね。そんな表情すら可愛らしいとは、この方、本当に容姿に恵まれています。
「誤解だったかもしれないけど、原因だったのは同じじゃない」
「意図的であったか、ただの結果でしかなかったかは、受ける印象が大きく違いますわ。貴女も、先程ご自分で言っていたではありませんか」
「そうだけどさあ……。実害くらったのあたしだし……。納得いかない」
「それでも、無闇な悪評を付けた分は、謝罪をして然るべきです」
ドレスやジュエリーをいつ作るか、どれだけ作るかなど、個人の裁量ですもの。質素倹約に勤めたお姉様の行いは、法的に何ら咎められるものではありません。
ですがそこに『従事している者を苦しめようとしてやった』という噂が流れれば、その限りではありません。認めるわけにはいかないのです。
「……まあね。納得いかないけど、アリシア様が悪いわけでもないわね。悪事として曲解させかねなかったわけだから、そこだけは謝るわ」
「充分です」
エスト嬢に正していただきたいのは、むしろそこだけですから。
おそらくですが、ご自分の行動がエスト嬢を困窮させたことに関しては、お姉様の方からも謝罪がある気がいたします。
お姉様に悪意はありませんけれど、煽りを受けた方からすれば、そのようなことは問題ではありませんもの。
死ぬほどの目にあって来たエスト嬢が受け入れるのは、業腹でしょう。
ですがそれでも彼女は、理屈を通しました。
この方の周囲を鑑みない強さは、やはり好きではありません。けれど。
「エスト。貴女のその潔さと覚悟は、とても眩しく思います」
……少しだけ、羨ましい。
きょとんとして目を瞬いたあと、エスト嬢はにこりと笑いました。
今までのように、表情筋を動かして作っていた、可愛らしい笑顔ではありません。照れくさい気持ちや自慢げな気持ち、単純な喜びなどが現れた、素直で血の通った笑顔です。
「ありがとう。あたしも、貴女のガチガチに貴族なところ、鬱陶しいけど嫌いじゃないわ。息苦しそうで、でもそこで精一杯美しく泳いでる。責任を負うことを厭わないでね。案外、あたしが上司にしたいタイプなのかもしれないわ」
褒めるか貶すか、どちらかにしていただきたいものですね。反応に困ります。
考えがそのまま顔に出てしまったのでしょう。エスト嬢は声を立てて笑いました。
何たる失態。猛省します。
けれど、なぜでしょう。笑われているのは本来屈辱なはずなのに、彼女の清々しい笑い声は嫌なものではなくて。
……ええ。『嫌いではない』が、一番適切な表現なのかもしれません。
複雑です。
休日を終え、新たな週が始まりました。
『アル・ソール』の舞い手に立候補をした方々のリストを持ち、わたくしは会議室へと向かいます。
と言っても、わたくしの手の中にあるのは、クラスの女生徒の分だけです。男子生徒の分は、わたくし以外の二人のクラス委員――男子生徒の方に集まっていることでしょう。
「失礼いたします。レグナ様、立候補者の資料をお持ちしましたわ」
「ああ、ありがとう。ついでに、時間があったら手伝ってくれると更に助かる」
集まった候補者たちの資料を、魔法で複製しつつのレグナ様がこちらを見ずにそう言います。その余裕がないぐらい、お忙しいのですね。
わたくしは委員長補佐ですから、手伝いを申し付けられれば否はありません。
「ラーク―ローアー様―。助けてー」
そして先日の一件からどうにも馴れ馴れしくなったエスト嬢が、何ともわざとらしい憐れな声で助けを求めてきます。
「何をすればよろしいのでしょう?」
「複製した資料を、役柄順、家格順に並べてくれ。揃ったらまとめて綴じるから」
「承知いたしました」
一学年全員の希望者分――とはいえ、自信のある方しか立候補はしません。それほどの人数ではありませんわ。
にもかかわらずエスト嬢が悲鳴を上げているのは、役柄の重要度と家格の順序が分からないからですね。レグナ様から預かったと思しき名簿を手に、ぐったりしています。
「アル・ソールの内容も国の貴族の家格の順序の暗記も、近衛を目指すなら基礎ですわよ。しゃんとなさい」
「ちょっ、それはまだ内緒!」
呆れて苦言を呈したわたくしに、エスト嬢は慌てて胸の前で腕を交差させ、バツ印を作ります。
「え、何。エスト嬢、近衛騎士を目指してるのか」
「い、嫌ですねー。夜に見る夢の話です。そんなおそれ多いこと、勿論考えてなんかいませんからっ」
ああ、確かに。無闇に言いふらせば反感を買いそうな目標ですものね。エスト嬢が人からのそういった感情を気にするとは思っていなかったので、つい。悪いことをしてしまいました。
けれどおそらく、レグナ様は大丈夫ですわよ。
「いいじゃないか、近衛騎士。エスト嬢が道を切り拓いて前例になってくれれば、平民の職業選択の幅が広がるだろう。俺は応援するぞ。推薦状が必要になったら声をかけてくれ」
威力のある推薦状が一枚、早速得られそうですわね。
「あ、ありがとうございまーす……」
お礼は言っていますけれど、あまり嬉しくはなさそうです。
気にはなりますが、当人であるレグナ様の前でする話ではありません。機会があれば聞いてみるのもよいでしょう。
「実際、セティが危機感を覚える気持ちは分からなくないんだよな。騎士団はそろそろ、改革の時期に来ていると思う」
「ガーデンパーティーを訓練の場にしようとされるぐらいですものね。周辺諸国とは良好な関係を築いていると記憶しておりますが、国境地帯はそんなにも荒れているのでしょうか」
「小競り合いぐらいはあるからな。下手に良好な分、空白地帯ができて魔物が増えてしまった地域もあるし」
相手を刺激しないよう、人が近付かなくなった結果、人以外のものの楽園になってしまったのですね。難しいものです。
「小競り合いだって、怪我人も出れば人死にも出る。辺境の騎士はそんな状況で戦っているのに、中央の騎士は行き場がなくて騎士になった、名前だけの次男三男が殆どだ。一緒にするなと叫びたいだろうな」
「それは……」
お気持ちは、お察しいたしますわ……。
「彼らは子ども時代は貴族として、贅沢に慣れてしまっている。おかげで資金や物資の分配が歪んで、本当に必要な辺境への支援が滞る始末だ。周辺諸国との関係が下手に良好だからこそ、構わないとか思ってるんだろう。国同士の『良好』なんて、そんな温かいものじゃないんだがな」
「大いに、問題ですわね」
そう聞いてしまえば、セティ様の苛立ちも無理ないことかと思ってしまいます。
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