第23話

「むしろ権力者の男とは、そういう意味でのお近付きにはなりたくないわね。だってあたしは――その、……だから。もしかしたらもしかして、身分差とかを超えるミラクルが起こるかもしれないし。そしたら面倒なだけだし……」

「?」


 エスト嬢が……何だと?

 いえ、今は追及せずともよいでしょう。それよりも、わたくしにとって重要な発言がありました。そちらを確かめるのが先です。


「貴女の行動を見るに、とてもそうとは思えませんわ。セティ様にしろイシュエル殿下にしろ、彼らの気を引きたがっているように見えます」

「気を引きたいっていうのは、間違ってないわ。あたしは彼らからの覚えを良くしようとはしてる。必要だから」

「以前、言っていましたね。貴女には目的があると」


 今日のエスト嬢は、なぜか饒舌です。もしかして、話してくれるかもしれません。


「あたしは、自立して生活ができる稼ぎのある、真っ当な仕事に就きたいのよ」

「……え?」


 言われた内容が信じられず、つい、呆けた声を上げてしまいました。

 自立して生活? 女性が? そんな無茶な……。


「相手に経済依存するってことはね、自分の立場を弱くするのよ。この世界の社会構造なんか露骨じゃない。そんな常識で育ってきた男と結婚なんて、絶対無理!」


 結婚が無理、とは……。それではもう、死しか道は残されていませんわ。


「あたしは、絶対騎士になる。それも狙うのは王族、王妃殿下直属の近衛よ。そこには女性騎士が固まってるし。圧倒的男性が多数のノーマル騎士階級より安心よね」


 こ、近衛騎士……!

 平民が志すには、あまりに無謀な夢だと言えるでしょう。

 騎士という職業そのものが、基本、貴族にしか許されていないのです。家督を継げない次男、三男の受け入れ先とも言えますね。

 その中で近衛にまで昇るには、実力と家柄の両方が必要とされます。


「ほ、本気で言っているのですか?」

「本気よ」


 ……確かに、目標がそこならば貴族の嫉妬に遠慮している場合ではありません。限りなく首席に近いことは、最早最低条件だと言えます。


「では、有力貴族の殿方と頻繁にお会いしている、というのは……」

「言い方がすごく悪意増しでいかがわしいわね。会ったって言っても学園内でよ。人目もあって開けている所。ついでに、殿方だけじゃなくて淑女の皆様とも話してるから」


 あの噂は、間違いなくエスト嬢への悪意から来ていましたからね。事実が歪められていても驚きはしません。


「あたしを、というか、平民を騎士に推薦してくれそうな人を探してるの。平民が近衛を目指すなら、伝手はいくらあっても足りないし」


 その伝手の一つが、イシュエル殿下ということですね。王族からの推薦は、一般の貴族とは持つ力が違います。エスト嬢にはぜひとも欲しいところでしょう。


「……貴女の目的が真に騎士であるなら、わたくしも推薦状を書いても構いません」

「ぜひお願い」

「ですがわたくし、まだ貴女を信じられません。貴女がクラウセッドの名で推薦するに相応しいかどうかを、見定めてからの話です」


 推薦した人物が問題を起こせば、推薦した者にも責任が及びますから。


「でしょうね。そこまで急いでないからそれでいいわ。学生の時間は、三年間あるからね」


 そうですね。信用を得るには、相応の時間が必要だと思います。

 今のエスト嬢は、信用を得たい相手を選んでいるのですね。


「……それにしても、頑なだった目的を話すとは。どういう心境の変化なのです?」

「図書館であたしが言ったこと、覚えてる?」

「どれでしょうか」


 エスト嬢との会話は刺激が強いものが多いので、心当たりをこれだと言えません。


「あたしは、自分が泥水を啜る生活から抜け出すためなら、他人に泥水を啜らせるって言ったことよ」

「覚えていますわ」


 わたくしの未来として口にされた、不吉な内容です。そうそう忘れられません。


「本気で、イメージして言ったわけじゃないの。そんなの、後味悪いし。でも本当に、あたしはそっちを選ぶ人間なんだなって、思って」


 落ち込んだ様子で、エスト嬢はそう口にします。


「貴女を襲った人たちのことを言っているのですか?」

「そう。彼らがあたしの発言のせいで殺されるかもって聞いたとき、凄く怖くなった。彼らの死の責任が降りかかってくるのが怖かったから、あたしは貴女の言う通り、彼らが全部の罪を負うことを見過ごすことにしたの。逃げたのよ。要するにね」

「貴女が選ぶべき選択肢として、間違っていなかったと思いますわ」


 エスト嬢の立場では、真実を追うなど不可能ですから。

 ですがエスト嬢は、はっきり首を左右に振ります。


「違うの。重要なのは、あたしが、あたしのために、逃げるためだけにそっちを選んだってこと。彼らに事情があって、真実が明らかにされれば情状酌量とかあるかもしれないのに、あたしがあのとき見てたのは、自分自身のことだけだった」


 結果は同じ。しかしその決断の理由が自己擁護のみであったことを、エスト嬢は恥じ、そして傷付いているのですね。

 自分の心に嘘はつけません。それでも誤魔化し続けては、ただただ苦しい。

 エスト嬢がわたくしに告白しているのも、辛いからでしょう。

 けれど彼女は、その苦しさから目は背けなかった。とても、勇気ある行動だと思います。


「でも、貴女は違った。迷わず彼らの命を背負うことを選んだわ。リスクのある、けれど叶えば最善となる選択をした」

「わたくしにはそれをするべき義務と、力があります」

「そうかもしれない。だけど、もしあたしが貴女と同じ地位を持っていても、できなかったと思う。……だってあたしは、考えられなかった人間だから」


 随分、自分に対して否定的ですわね。


「わたくしは、そうは思いませんわ」


 エスト嬢のことは、好きではありません。けれど彼女にはあまり、自分を否定してほしくない。

 その理由に、気付いてしまいましたわ。


「何も持っていない状態でさえ、己の意思をあれだけ主張できる貴女ですもの。地位を持っていれば今の比ではなく、自身の理想を貫くことでしょう」


 地位が変われば、できることも変わります。己の中の常識も。


 ――エスト嬢に、なぜ惹かれたのか。


 それは彼女が、自分の行くべき道を自分で切り拓こうとしているから、なのですね。その姿が眩しく感じられたのです。

 クラウセッドの娘として役目を全うすることを、わたくしは誇りに思っています。貴族とはそう在るべきだ、とも。

 けれど、まるで物語の主人公のように、困難に向かい合い乗り越えようとしているエスト嬢には、憧れのようなものを感じなくもありません。


「……どうかな。分からない。少なくとも、今のあたしにはできなかった」


 はあ、と大きく息をつき、エスト嬢は顔を上げます。そこにはやはり、前を見据えた輝く瞳があるのです。


「だから、かっこいいなって思ったの。で、貴女には話してみようと思った。平民の命をちゃんと命として認めて、でも守るって言った貴女だから」

「……そうですか」


 ならばわたくしは、エスト嬢が歩み寄ったその気持ちを、裏切ってはなりませんね。


「では、エスト。貴女に聞きたいことがあります」

「何?」

「貴女に、お姉様が手を回して貴女とお母様から仕事を奪ったと伝えたのは、誰です?」

「……それ、本当に悪役令嬢がやったわけじゃないんだ?」

「当然です」


 かつて話したときのように、決めてかかるような雰囲気は今のエスト嬢の言葉にはありませんでした。

 彼女を襲った悪漢は、クラウセッドを名乗った。わたくしたちを陥れようとしているものの存在を、信じ始めたのかもしれません。


「店の主人に言われたのよ。あたしたちの腕が悪くて気に食わないから、取引そのものを打ち切られようとしてるって。だから、辞めさせられたの」


 ……あら?


「もしかして勤めていらしたのはレーグネフス商会ですか?」

「違うわ。貴女が名前を知っているような上品な所に勤められるわけないでしょ。あたしと母さんが働いてたのは、その下請けの下請けぐらいの所じゃない? クラウセッドのお嬢様に納品する品だってことだけは薄っすら噂で聞いてたけど、それだけよ」


 なるほど。エスト嬢の件、お姉様がまったく無関係だとは言えないかもしれません。


「それはもしかしたら、お姉様がドレスやジュエリーを作るのを、控えられ始めたからかもしれません」

「は?」

「お姉様は、服飾やご趣味にお金をかけることを好まれません。ですので、出入りの商人たちが少々困っていた時期がありましたわ」


 お仕事がなければ、働き手も必要ありません。『それは金を回さない行いだ』と、以前トレス様が仰っていたことが、そのままエスト嬢に――弱者の立場にある者に降りかかっていたのですね。


「ただ、誓って言いますが、お姉様に悪意はありません。勿論あなたの腕が気に入らなかったなど、口にされたこともありませんわ」


 ですが、都合よく責任や苛立ちを押しつけられやすい状況ではありますね。エスト嬢の話では、母娘二人――社会的に発言権のある男性がいない家庭ですから。

 切り捨てるにあたって、都合がよかった、ということではないでしょうか。


「な……、何よそれ――!!」

「お姉様は、ご自分が贅沢をしているように見られることを、酷く恐れていらっしゃいます。なぜかそれで処刑されたり国外追放をされると考えているようなのです」


 本当に謎ですわ……。

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