第9話
「畏敬の念で平伏できるほどじゃないわよね。その分の権利だって充分享受してるんだもの」
「な、なるほど……」
ど、どうしましょう。感覚が斬新すぎてついて行けません。
わたくしにとって王家とは、その血筋だけで、もう尊ぶべき存在ですもの。
「まあ王家の話はともかく」
「そ、そうですわね!」
終わらせた方がよいお話だという気がしてきました。わたくしも。
「エストはきっと、貴族の暗黙の了解を無視するわ。わたし、そのときロアに彼女の近くにいてほしくないの。だってロアは、きっとそれを注意するよね?」
「……」
考えてみます。
「……すると思います」
もしエスト嬢が朝にお姉様が仰っていたようなことをするようならば、声をかけるでしょう。彼女のためでもあると思います。
「だよね! ロアはちゃんと貴族令嬢だから」
「まあ。お姉様だってそうではありませんか」
「わたしはちゃんとしてない貴族令嬢です」
それは堂々と言うことではありませんわ……。
「しかし、いわばマナーを注意することに問題があるのですか?」
「……分からないの。問題になるかもしれないし、ならないかもしれない」
世に起こることに、確実なものなどありませんものね。問い方がよくありませんでした。猛省します。
「どのような場合に問題になるとお考えなのですか?」
「実際よりも大袈裟に表現されて、それが真実になっちゃったりとか。……エスト嬢にメロメロになった権力者が事実無根でもそういうことにしたりとか」
「……なるほど」
もしもきっかけがあって、何者かがわたくしを――クラウセッド侯爵家を陥れようとするのなら、悪意による装飾は充分考えられます。
そして失礼ながら、わたくしたちより明確に上の権力者――王家、この場合はイシュエル殿下というべきでしょうか。あの方は自分が好きな方の意見を優遇しますから、もし彼女に好感を持った後でわたくしとエスト嬢が衝突するようなことがあれば、エスト嬢を護られるかもしれません。
むしろ今日、身をもって知ったばかりとも言えるでしょう。
お姉様もわたくしの噂を聞いたから、余計に心配なさっているのかもしれませんわ。
「分かりました。今のお話を心に刻んでおきます」
「でも、やめる気はないのね」
「はい。可能性だけで引き下がるには、少々体面が悪いかと思いますわ」
「……そう、だよね。うん、悪役令嬢はロアじゃないんだし……。大丈夫だよね」
自分を納得させるようにお姉様は呟き、うなずきます。
「ロアがそこまで言うなら、止めない。でも、気をつけてね。あと忘れないで。わたしは何があってもロアの味方だから」
「ええ。細心の注意を払いますわ」
わたくしだって悪意の的にはなりたくないし、お姉様やトレス様、家に迷惑をかけるつもりもありません。
願わくば、何事もなくガーデンパーティーが終わりますように。
主催実行委員の人数は、各クラス最低一名、最大三名です。
優れた成果を出せば自分の覚えが良くなるとあって、この三名の枠は大抵、最大まで埋まります。わたくしのクラスも例に漏れず、でした。
そして今、第一回目の会議に臨むわたくしの隣に座る彼女も、勝ち取った席の高揚でわくわくしているのが感じ取れます。
「初めまして、ラクロア様。わたくし、クロエ・アキュラと申します。Bクラスより参りました。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく、クロエ様」
Bクラスは男爵以上、伯爵以下の子息女が集まるクラスです。アキュラ家は伯爵家ですね。
Bクラスの中では高い家格に入りますが、同格の相手も皆無ではなかったでしょう。その中でこの場にいるのだから、彼女の熱意は本物です。
わたくしに挨拶をしたあと、クロエ様はかなりの頻度で入り口を気にしていました。そして何人目かの生徒が通り過ぎ、ある一人の人物の姿が見えた瞬間、表情がぱっと輝きます。
入ってきたその方も、誰かを探す素振りを見せたあと、すぐにクロエ様に目を留めました。互いに視線が合ったことに、少し照れたような、ですがそれ以上に喜びの感情が勝る笑みを浮かべます。
レイドル辺境伯の嫡男、セティ様ですね。レイドル辺境伯爵家なら、おそらく彼は騎士科でしょう。
そう言えば、お二人は婚約者でした。関係も良好なようで何よりです。
などと考えていたら、セティ様のすぐ後ろからエスト嬢の姿が。
偶然、入る瞬間に居合わせた――というわけではなさそうです。セティ様はエスト嬢を振り向き、何事かを話しかけます。
エスト嬢はそれに驚いた様子を見せ、二人で並んでこちらに歩いてきました。
「クロエ。貴女と共に実行委員としてガーデンパーティーに貢献できることを、嬉しく思います」
「え、ええ。わたくしもですわ。セティ様」
うなずきながらも、クロエ様の表情は戸惑いを隠せていません。
無理からぬことでしょう。自分の婚約者が噂の渦中にある女性と並んで歩いてくれば、気にもなります。
「知っているかもしれませんが、こちらはエスト・ファディア嬢です。道に迷っている所に通りがかったので、一緒に向かうことにしました。彼女も実行委員だそうです」
「そうだったのですね」
「申し訳ありません。貴族区画に縁がないもので、さっぱり道が分からなくて」
「構いませんわ。時間に遅れずに済んで何よりでした」
エスト嬢の言い分はもっともです。もっともなのですが、この方、とても間の良い方ですわよね……。
入学式の日も、すぐにイシュエル殿下が駆けつけてこられる位置で絡まれていらっしゃいましたし。
エスト嬢はわたくしを認めて少し眉を寄せましたが、すぐに何事もなかったかのように視線を外し、セティ様を見上げます。
「セティ様、本当に助かりました。ありがとうございます」
「構いません。貴女の周囲はつまらないことで騒がしいようですが、そのような雑音に遠慮する必要はありません。活躍を期待しています。――勿論、私は負けませんが」
「わたしも常に全力です。負けるつもりでは挑みません」
「ええ、その意気です」
「では、失礼します」
頭を下げ、エスト嬢は末席へと移動していきます。
実力至上主義の、レイドル辺境伯爵家のご子息らしい考え方ですね。
「改めて――初めまして、ラクロア・クラウセッド様。セティ・レイドルと申します」
「初めまして、セティ様。お会いできて嬉しく思います」
挨拶を交わしたあと、セティ様はクロエ様へと向き直りました。
「クロエ。彼女は平民ゆえに、いわれなき差別や扱いを受けるかもしれません。どうか貴女も注意をして、見ていてもらえませんか」
「……はい、承りましたわ。けれど随分、あの方を気にしていらっしゃるのですね?」
「彼女には才能があります。それを伸ばし、活かしてもらいたいと考えているだけです」
生真面目に答えてから、セティ様はやや意地悪く口角を上げます。
「心配しているのですか?」
「――」
クロエ様は頬を染め、セティ様の腕をペしりと叩きます。
セティ様の方が大分家格は高いですが、その溝を感じさせません。当人同士が仲が良いというのは、本当に素晴らしいことだと思います。
……わ、わたくしにも憧れはあるのです。
クロエ様へ親しげに笑いかけ、わたくしにも一礼して、セティ様は男子生徒が並ぶ席へと去って行きました。
「仲がよろしいのですね」
「そうだといいのですけれど。ずっとからかわれてばかりですわ」
「気心が知れている証ですわ」
だってセティ様は、真面目で礼儀正しいと評判ですもの。その顔を崩して見せるのだから、その分の親しさは感じているはず。
「ありがとうございます。ラクロア様はご婚約されたばかりですわよね。ヴァルトレス殿下には招待状を贈られるのでしょう?」
「ええ、そのつもりです」
「同学年で一緒に会場を作り上げるのもいいですけど、成果をお見せするのも胸が弾みますね」
「ふふ。堂々とお呼びできるよう、頑張らないといけませんね」
「はい! 素敵なパーティーにいたしましょう」
懐っこく笑うクロエ様は、とても可愛らしいです。
……あら? わたくし今、セティ様がクロエ様をからかうお気持ち、少し分かってしまった気がしますわ……。
クロエ様と他愛無いお話をしているうちに、ガラリと会議室の前の扉が開き、教師が一人、入ってきます。
「全員、静まれ」
氷のように冷たい声音。その一言だけで、彼がわたくしたち――この場に集まった皆に悪感情を持ったのだと知れます。
「会合の時間はとっくに過ぎているぞ。何をやっている。十六にもなって、命令されなければ動けない阿呆ばかりか、今年の一年は」
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