第36話
『分かっています。でも――でも、諦められません。認められません! わたしのせいで、クルスだって巻き込まれているんです……っ!』
う、うぅん?
言っていることはエスト嬢の本心で間違いないとも思うのですが、なぜでしょうか。妙にお芝居っぽいというか……。
『こんなことが許されて……、いいはずないじゃないですか……っ』
『……ファディア』
心なしか、エスト嬢の声が涙ぐんで聞こえます。無理をしていたのか、言葉によって感情が昂ったのか、判断が難しいところです。
何にしても、エスト嬢の必死の訴えはヒューベルト先生にも響いた様子。
今の彼女には、同情するべき点しかありませんもの。同じくクラウセッドから圧力を受け、意に沿わないことをやらされている身にも、思う所があるのでしょう。
『ヒューベルト先生。俺もエスト嬢と同意見です。気に入らない、なんてふざけた理由で人の人生を狂わせる――そんな真似がまかり通ってはならないはずだ』
『今の法が、それを許している』
『許してはいないはずです。だからこそ、クルスが犯人に仕立て上げられたのですから。ですがそれを許し続ければ、いずれは本当に許されるようになってしまう。日常になってしまうんです』
そうなったら、法などあってないようなものですわね。
……ぞっとします。
『――否定は、されないんですね?』
『何をだ』
『クルスが濡れ衣を着せられたことを』
しばしの沈黙の後で切り込んだレグナ様に、ヒューベルト先生は息をつきます。
『誰もが分かっていることだろう』
そして誰もが、目を逸らす。自分や、自分の大切なものを守るために。
『わたしは、諦めません』
『この上まだ、大切な者を失うことになってもか。奴らはやるぞ。己の利のために他者を害することを、何とも思っていない連中だ。……だからこそ、誰もが口を閉ざす』
もしかしてヒューベルト先生も、でしょうか。
そういえば、わたくしがお父様に『お願い』をすると言ったときのヒューベルト先生の反応は、それまでとは大きく変わりました。
彼の大切な相手が、すでにお父様の手の中にいる、と……?
だとするのなら、そちらを解決しなくてはヒューベルト先生の協力を得るのはおそらく不可能です。
『俺や貴方の力があっても足りない、と?』
レグナ様も気付かれたようです。ヒューベルト先生が握られている弱味の部分へと話を向けます。
『さあ。何のことやら、だな。少なくとも俺に、お前と組むつもりは一切ない。――忠告はしたぞ、ファディア。この忠告が無駄にならないことを願っている』
『……はい』
神妙にエスト嬢は返事をします。
ここまで、ですね。
隣の会議室の扉が開き、そして閉められた音がします。おそらくヒューベルト先生が退室されたのでしょう。
こちらでも机の上の魔法陣をセティ様が消し、集音の魔法を止めました。
「解せませんね」
直後、顎に指を添えたセティ様が、不可解そうに言葉を発します。
「解せない、とは?」
「クラウセッドは確かに力のある家ですが、ヴェイツ家とて侯爵家です。俗世と一線引いた家でもあります。権力による圧力も直接的な危害を加えるのも、難しいかと思うのですが」
そうですね。
クラウセッドの持つ利権での圧力は効果がなさそうですし、直接的な危害は大問題になりそうです。大貴族同士ですもの。
「調べてみる必要がありそうです。もしそれが犯罪に類することならば、こちらからの交渉に使えるかもしれません」
「交渉なのですか?」
「我々の目的はクルスの冤罪を晴らし、エスト嬢の身の安全を確保することです。クラウセッドと敵対するのは、ただの過程ですから」
目的が達せれば、過程が変わっても構わない――というのは、この場合確かですね。
「個人的には、クラウセッドが強者で助かっている部分も多々あるのです。下手に権力が分散すれば、ユーフィラシオの弱体化さえ招きかねません」
権力の分散による互いの監視、と言えば聞こえはよいですが、足の引っ張り合いが生まれるだけとも言えます。そのせいで発展が阻害されては、今度は他国に飲み込まれてしまいます。
しかし集中した権力は独裁を許し、時に暴政の温床となります。
中々、上手くいかないものですね……。
「クラウセッド侯爵が財務局長で、私は――レイドルは助かっているのです。あの方がいなければ、辺境の防衛に回される予算は今よりさらに乏しくなっていたでしょうから」
お父様は貴族として、国を支える労を惜しむ方ではありません。
知ってはいたつもりですが、他の方から改めてその功績を聞けると、やはり嬉しいです。
わたくしにとってお父様もお母様も、少々緊張する相手ではありますが……。大切に育ててくださっているのは分かりますし、家族なのです。
「エスト嬢やクルスにしていることは、道理に反しています。手を貸すことに否はありません。……ですがクラウセッドにあまり傷を付けたくないのも本心です」
「ご心配なく。貴族社会で問題にされないのは、セティ様もよくご存知かと思いますわ」
「それならばいいのですが」
セティ様の不吉な予感、わたくし自身、全くないわけではありません。何しろお姉様が気にしていらっしゃったぐらいですもの。
それでも、やらない理由にはなり得ません。
だって、ここで見送れば後悔する。そんな未来を確信しているのですから。
「――という運びになっていることを、お知らせに伺いましたわ」
エスト嬢とヒューベルト先生の会話を伝えに、そしてトレス様にご助力を頂きたく、わたくしはその日のうちに王宮に参じました。
トレス様は王族ですから、平民と貴族のいざこざには本来巻き込まれるような方ではありません。そう認識してもらっていた方がよいとわたくしも思っています。
こうしてトレス様と会って一番不自然ではないわたくしが、自然、伝達の役目を負います。
将来権力者となることがほぼ確定しているレグナ様には、あまり近付いて欲しくありません。あの方は分かっていて行動しかねないので、余計にですわ。
「まあまあだな」
「まあまあ……ですか?」
「ヴェイツの弱味をこっちでフォローしても不自然じゃない程度の会話に運んだ。上々だ」
「ということは……。トレス様は、ヒューベルト先生がお父様に従う理由をご存知なのですね」
地位はあれど、立場は弱いトレス様です。あまり伝手も多くはないと思われます。
それでも、こと王宮関連ともなれば、わたくしたちの中で一番探りやすいのはトレス様です。
やや無理なお願いをすることになるかと思ったのですが、杞憂でした。
それにしても。トレス様のお立場で王宮事情に明るくなれるとは……。つくづく、才が惜しまれてなりません。
天はなぜ、トレス様を第二王子として誕生させたのでしょう。
……けれど、トレス様が今のお立場でなければ、わたくしが婚約者になることもありませんでした、ね……。
…………。
い、一瞬。あくまで一瞬ですが、トレス様の喜ばしくないお立場を、むしろ望んだわたくしがいました。
何たる不忠。何たる性悪。猛省します。
「ロア、今からする話は、外部に決して漏らすなよ」
「承知いたしました」
重い前振りです。
ですがわたくし、口は堅い方だと自負しております。仰る通り、この先のお話は墓下まで持っていきましょう。
「ユーフィラシオ建国時よりずっと、ヴェイツ家は王家の懐刀だ。国の内外問わず、国家にとっての害を取り除く、密偵として育てられる」
「……」
は、初めて聞きました……。
「ヒューベルトの弟が、今はその任に就いているはずだ」
「そ、そうなのですね。ですがそのような重要な役割を負っている方が、果たして弱味になるのでしょうか」
お父様は政治家です。政界では大いに権勢をふるっていますが、少々、管轄が外れるような気がいたします。
「クラウセッド侯爵には、緊急時にヴェイツに命令する権限がある。だから例えば、他国の要人を殺せ、とかな。無茶な命令を出して失敗させて見殺しにするなり、露見させて始末させるなりができるわけだ」
他国でそれが起こったときには、ヒューベルト先生には手が出せません。すべてが終わった後に知ることになるでしょう。
恐れの理由に納得しました。
「勿論、クラウセッド侯爵はそこまで浅はかではないだろう。だが『できる』、『やりかねない』というだけで充分なんだ」
「ええ。分かります」
一部の恐れがあれば、脅しになりますから。
むしろ、実際に実行するのは愚かと言えるでしょう。
脅しとなる対象は、無傷で無事だから意味があるのです。
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