第37話

「それではその、お父様からその権限を奪わねばならないということですか……?」


 な、難題です……っ。


「いや、俺たちに手出しができる領域じゃない。それよりも、彼に命令できない状態にする方が現実的だ」

「現実的、でしょうか?」


 政治の話よりはと言われればそうですが、そちらもわりと、非現実的かと……。


「緊急事態を起こせばいい」


 ふ、不穏な気配が消えません。それどころか、増していっている気がいたします。


「たとえば、どのようなことでしょう」

「そうだな。……秘宝が暴走したり、だな」


 意図的に起こしたものを暴走と呼ぶのは、いささか言葉の妙を感じますわね。

 と、いうか……。


「そもそも秘宝とは、どのようなものなのでしょうか」


 魔力と呼応し、ユーフィラシオを有事の際に守る大切な宝物、とは聞いていますが、正確なところは存じ上げません。


「かつて世界を『昏く』した厄災と戦った、太陽王たちの武具だ。今じゃ形骸化しているが、王立学園が平民を受け入れているのは、万が一のときに秘宝を十全に使える人材を確保するためだったんだ」


 なるほど。平民に騎士の道が狭いながらも一番届きやすく用意されているのは、その成り立ちがあったからなのですね。

 ですが正直、意外です。


「よく、人同士の戦争に使われませんでしたわね」

「使えるだけの制御ができる人材があまりいないってだけだ。それに、秘宝には意思があるからな。意に沿わない使われ方は許さない」


 意思のある武具、ですか。単純な道具とは言えなさそうですわね。


「確かエスト嬢が、最高の同調率を示したと……」

「そうだ。ファディアには太陽王を継ぐだけの才がある」

「ええっ!?」


 そ、そこまでなのですか!?


「将来の可能性の話だ。今のファディアには、秘宝を起動させることさえ困難だろう」


 満足に学ぶ機会を得られなかったエスト嬢です。無理からぬことと言えます。同時に、残念でなりません。

 もし彼女が貴族であれば、その才はとうに開花し、今頃はレグナ様と並んで称されていてもおかしくなかったのではないでしょうか。


 ですが、状況が――金銭と身分が、彼女にそれを許さなかった。

 経済力によって才が詰まれてしまうこの現状……。やはり国の損失以外のなにものでもありません。

 正直、エスト嬢のその才格が羨ましくないと言えば、嘘になります。


 ……いえ。そのような考えは、エスト嬢の怒りを買っても仕方がない程愚かですね。


 たとえどれだけの才に恵まれていたとしても、彼女がこれまで味わってきた苦難と引き換えにできるかどうか、他人であるわたくしでさえ迷います。

 選べるのであればわたくし、エスト嬢の人生は選びません。クラウセッド家次女という生まれは、他者を羨ましがるなど侮辱的でさえある程に恵まれています。


「では、その秘宝を暴走させる、と……?」

「正確には、暴走に見せかけるだけだ。それで確実にヴェイツは動かされる。ヴェイツ家にも秘宝が与えられているからな」

「そうなのですね」


 政治とは切り離された、しかし確かな権力者なのですね、ヴェイツ家は。


「秘宝と渡り合うなら秘宝がいる。それだけ強大な力を持つ品なんだ。一歩間違えば大惨事になる」

「それは、ただ起動させるよりもずっと大変なことかと存じますわ」


 だって、制御できる方がいないから、争いに使われないのですよね?


「安心しろ、俺が使える。あと多分、アスティリテも」


 レグナ様は魔法に関して飛び抜けた才をお持ちです。納得です。

 秘宝の秘密は、おそらく王家のもの。その一員たるトレス様です。ご存知でも不思議はないのでしょう。

 もしかしたらイシュエル殿下も、万が一の時のために訓練をされているかもしれません。


「ゲームのヴァルトレスは、命令を拒んだ秘宝を無理矢理従わせて暴走させてしまった。だが今回は名目があれば大丈夫だ……。多分」

「名目、ですか?」

「国境近辺の魔物の活性、大分激しくなっているんだろう。丁度いい」


 脅威を知らしめるために、魔物の討伐を利用するということでしょうか。

 魔物もまた、人にとっての脅威です。敵を減らすことに否はありません。

 しかしその方法には、まだ気がかりが存在しますわ。


「王家の秘宝、なのですわよね? トレス様の一存で使えるものなのですか?」

「ははは。まさか。こっそりやるに決まっているだろ」


 冗談を笑い飛ばすような軽さで、トレス様はあっさりと否定なさいました。

 やっぱり、そうですわよね。


「ではその手段は、あまりに危険です。どうかお考え直しくださいませ」


 今わたくしがやっているエスト嬢への嫌がらせや、ヒューベルト先生への脅しとは次元が違います。事が露見すれば、それこそ国に仇なすと解釈されることさえあり得るかもしれません。


 ……国に、仇を。


 つまり、国家に対する反逆者になるかもしれない……?

 ぞくりと、わたくしは鳥肌が立つのを感じました。

 幾度となくお姉様が不安を口にされていた未来。それが急に近付いた気がしたのです。


「他に案があるなら、聞く」


 危ういことは、トレス様とて飲み込んでいらっしゃるのです。わたくしに訊ねられた声は、真剣そのものでした。

 そしてわたくしは、その問いに答えを返せません。


 わたくしが持つ力は、何と弱いのでしょう。

 己の無力を痛感すると同時に、思い知ります。

 国の権力者へと抵抗するということは、国のルール、国そのものに反抗すると同じ。つまりは、国の敵となるのです。


 勝てればよし。負ければ……死は、免れないものとなるのだと。


「代案は……ありません。けれどトレス様、本当によろしいのですか」


 王族とはいえ、罪が免れるとは思えない行いです。いえ、もしかしたらトレス様こそが一番危うくなるかもしれません。


「始めから言ってるだろう? 俺と一緒に悪役をやろうって」


 ……始めから、考えていらしたのですか?


「企んでいる時点で、ご一緒しておりますわ。それ以上は危険でございましょう」


 わたくしたちは秘宝に触れたことさえありません、どのようなものかも正確に理解していない有様。

 高位貴族であるわたくしでさえ、知らないのです。知っている人間の方が限られると思われます。

 そのようなものを的確に使ってしまっては、犯人の予測の幅を狭め、露見の可能性を高めてしまうでしょう。


「なら、クルスとエストを見捨てるか?」

「……」


 彼らに過失はないのに、わたくしの家のせいで未来を摘まれてしまう。

 その非道を知りつつ目を背け、権力に迎合するべきなでしょうか。襲いくる罪悪感に耐えながら。正しくないと心が悲鳴を上げるのも無視をして。


「心配するな。上手くやる。今の王家に、俺以上に秘宝と同調できる者はいない。誰が使ったなんて調べられないし、俺が裏切らない限り、秘宝も俺を裏切らない」

「秘宝が、使用者を隠すのですか? そこまで明確な意思があると?」


 一体、どのような品なのでしょうか……。


「まあ、そうだ」

「……」


 危険であることなど、百も承知。

 けれど代替え案はありませんし、時間が無限にあるわけでもありません。

 クルスさんの件だけではないのです。トレス様の仰る通り、お母様を代表としてエスト嬢の台頭を認めないだろう方は大勢います。

 引き下がるにしても、もう遅いのかもしれません。ならば始めた以上は、やるしかないのでしょう。


 そしてそれは、わたくしたちだけではありません。

 これから先、エスト嬢は力を付けなくてはならない。彼女を『気に食わない』と思った人間は、たとえ彼女が学園を辞してもその存在を認めないでしょうから。

 わたくしたちの間で話題に上ることもなく、ひっそりとその命を落としてしまう可能性さえ生じているのです。


 一つ一つを撥ねのけて力を示さねば、エスト嬢はいずれ、もっと酷い謀の中に突き落とされることでしょう。

 それがお父様やお母様の手によるものであってはいけない。

 家族として、彼らの行いを止めたいから。

 己を守り、育ててきてくれた両親に抗うのです。覚悟が必要なのは、当然であったのですね。

 わたくしはきっと、軽く考えすぎていた。猛省します。


「承知いたしました。では、わたくしにできることはございますか? もしできるのであれば、わたくしが秘宝を使えばより犯人として辿り着くのが難しくなるかと存じますか」

「ああ、それは諦めろ。部外者が入り込めるような所にはない。それに、使い方を一から学んで慣れるほど練習するわけにもいかないだろ」


 やはり、そうなるのですね。残念です。


「ファディアに、次の休日に郊外の森に行くよう伝えてくれ。それで通じる」

「承知いたしました」


 エスト嬢にはレグナ様経由で伝えるのが、一番自然ですね。


「そしてお前自身は、絶対に近付くな。事が起こったら初めて聞いたようにきちんと驚け」

「はい」


 知っていることを知らない振りで驚くのは大変ですが、その報がもたらされるときは全員が動揺の最中にあるはず。役者のように完璧でなくとも、どうにかなるでしょう。

 お父様も厄介な人選をしてくださったものです。お父様のお力があれば、平民の少女一人を追い込むなど、他にも可能な方は数多くいらっしゃったでしょうに。


 ですがその中からあえて、ヴェイツ家を選んだ。王家の懐刀とも言われるような家を。ヒューベルト先生自身、王立学園の教師を務められるほどの方です。

 お父様から見て、ヴェイツ家には命をこなせる信用があるということ。


 己より、はるかに多い経験を積んでいる年長者に挑むのです。

 気を引き締めて参りましょう。

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