第38話
無事、レグナ様ににエスト嬢への言伝をお願いした次の休日。
ご忠告いただいた通り、わたくしは屋敷の庭でお姉様と刺繍に励むことにいたしました。自室では人目が少ないので、あえての庭です。
幸いにして天気は快晴。心地良い春の陽気は、庭で寛ぐことに違和感を与えません。
「そうですわ、お姉様。色々あってご報告が遅れましたが、太陽王はセティ様が演じられることに決まりました」
容姿の、色彩の都合です。
「セティなんだ。じゃあ、ひとまず安心かな」
「どなたが太陽王だと心配なのですか?」
「レグナ。物語上ではメインヒーローだからね。でも、エスト本人にその気がないなら大丈夫なのかなあ。……いやいや、誰もその気なくても結局悪役令嬢ルート突き進んでるし……」
お姉様の言葉に、ふとエスト嬢が馬車に同乗させるよう、頼んで来たときのことを思い出しました。
わたくしにとってはエスト嬢と和解するきっかけ、という印象の強い出来事ですが。
「エスト嬢は若干、レグナ様と距離を取ろうとしている感がありますわね」
より身分の高いイシュエル殿下には物怖じしていませんのに。
「メインだからレグナは好感度上がりやす……じゃない。えーっと、ホラ、レグナは貴族、平民に本当の意味で拘りない人だから。だから余計、親しくしたくないんだと思う。恋愛に発展したら、凄く大変だから」
「……レグナ様なら、躊躇なくあり得るかもしれませんわね」
先日エスト嬢が言っていた通り、セティ様は自制して、気持ちをなかったことにするでしょう。
イシュエル殿下はそもそも、平民を己と同じ存在とは見ていません。気持ちが芽生えたとしても、ご自身の感情を理解されない可能性が高いかと予想します。
ですがレグナ様はきっと、分かった上でためらわない。そんな予感がします。
……成程。エスト嬢、本当に相手を選んで接触しているのですね。
己が異性として男性の興味を引くことを警戒するエスト嬢を、わたくしは意識過剰だとは思いません。事実エスト嬢は、とても愛らしい容姿をしています。当然の備えと言えるでしょう。
それに、たとえ一般的に見て美醜がどうだろうと、誰かにとって好ましい容姿である可能性は万人に存在するのです。
男性でも勿論ですが、異性を相手にしたときに力の劣る女性ならば尚のこと、注意を払うべきかと思います。
「ロアにそう見えるなら、間違いないわね」
「信頼いただけるのは嬉しいのですが、なぜでしょう?」
現実には起こっていないことですので、人柄から推察した、わたくしの主観です。
「ロアがちゃんとした貴族だから。そのロアから見て、レグナの行動が身分の隔てなく見えるっていうなら、本当なんだろうなって」
わたくしは確かに、貴族の常識と照らし合わせてレグナ様の行動をそう感じました。
お姉様の仰る通りかもしれませんね。とはいえ、それでもレグナ様はまだお姉様ほど突飛ではありませんけれど。
「お姉様も、あまり伴侶の身分に拘らないのではと思うのですが」
「わたし? まさか。拘るわよ」
「えっ」
意外です。
「身分差のある結婚なんて、悲劇しか生まないもの。古今東西、どこだってそう。稀に上手くいくこともあるかもしれないけど、わたし、自分がその特別になる気はしないもの」
お姉様は存在がすでに特別な方かと存じますが、仰ることには同意します。
「……そうなのですよね。一般的には」
当人たちの苦労も勿論ですが、子どもにも影響が生じてしまうのが更なる難点と言えるでしょう。
トレス様が正に、今その状態ですもの。
トレス様は強い方でしたから、そのお立場にあるとは思えないほど温厚なお人柄を形成されました。けれど多くの方は、もっと捻くれた性格になるのではないでしょうか。
「やはり、お姉様は視野が広くていらっしゃいますわ」
先程の発言への納得もいたしました。貴族社会の慣習や驕りではなく、周囲を見据えての賢明なご判断だったのです。
「けれど、悲しいことですわね。そのようなことで愛が隔てられるなんて。もう少し変わるべきかと存じますわ」
レグナ様のような急速な変化はご遠慮願いたいですが。
「本当にね! 大体、国民全員が同じぐらい豊かで、同じぐらい幸せな方がずっと生きやすい世の中になるに決まってるのに、一部の業突く張りが富を独占しようとするからさあ……っ!」
皆か同じぐらい豊かで、同じぐらい幸福な国、ですか。その情景を想像してみます。
「やり甲斐を失くせって言ってるわけじゃないのよ。才能や努力、成果によっての差は生まれていいと思う。でも根本的な差が大きすぎるのよ、ユーフィラシオは!」
お姉様の主張は、平民を含めてのお話ですね。
エスト嬢も言っていた通り、状況が変われば命の危機にさえ晒されるのが平民の生活です。
己の命が危うい状況で他者を気遣えなど、まず不可能。
そう、お姉様が理想とする国とは、きっと――
「とても穏やかな国となるのでしょうね」
「そうね。だから神話とか物語の中にしか存在しない世界。人間って奴は多分、変わらないのよ。だって歴史書を見たら、延々同じことしてるんだもの。生物としてそういうデザインなんだと思う。――けど、だからって諦めたら終わりじゃない? 何のために知恵を持つ生き物として生まれてるのかって話よ」
「はい」
不可能と断じて諦めるのは、それこそいつでもできます。
「だからわたしは、ちょっとだけ頑張ることにしてる。今日は挨拶をした全員に朗らかなごきげんようを返した! とかね。明日も自分のことを好きでいたいから」
「素敵ですわ。わたくしもそのように在りたく思います」
「あっ。でも頑張りすぎは禁止。ロアは真面目だから、ちゃんと自分にも優しくすること。いいわね?」
「き、気を付けます」
何事においても真面目に取り組むようにというのは、常に心がけています。それを評価していただけるのを嬉しく思います。
けれど、頑張りすぎが禁止ですか……。良きことでも加減は大切とは。難しいですね。
一歩間違えれば怠惰なだけですが、お姉様が仰ると不思議と優しい気持ちになります。
穏やかな空間でお姉様と一緒に刺繍に励んでいると、にわかに屋敷の方が騒がしくなった気配がしてきました。
「……何だろう」
「何でしょう」
心当たりはありますが、お姉様とわたくしは、あえて言葉にして呟きます。
屋敷の方へと目を向けていると、窓から四十代前半の男性――お父様が颯爽と通り過ぎていくのが見えました。
太陽の位置もまだ高いこの時間、お父様が王宮から帰って来られるなど、ただ事ではありません。
……いえ、まあ、ただ事ではないですわよね。秘宝が使われて辺境付近で騒ぎが起こっているはずですから。
お父様が向かわれているのは、どうやらご自分の執務室でしょうか。あのお部屋は王宮よりもある意味、機密のやり取りを行うのに優れています。
個人の屋敷ですから、人の出入りが王宮よりも限定されておりますので。
そして更に十数分後、馬車が走り出す音が聞こえてきました。
「慌ただしいわね……」
「はい」
何も知らずにいたら、凄く不安だったかと思いますわ。
「――アリシア、ラクロア」
手を止めて馬車が遠ざかっていく音を聞いていたわたくしたちを、柔らかながら感情を排除したお母様の声が呼ばれました。
「そろそろ、屋敷にお戻りなさい。淑女たるもの、あまり肌を焼くものではありませんよ」
「はい、お母様」
目的は達したと言えますし。
「ところで、先程お父様がお戻りになっていらっしゃったようでしたが、何かあったのですか?」
異常事態の内容を聞くのはメイドや侍女からがよかったのですが、訊ねないのは不自然です。仕方ありません。
怪しまれずにこなせるとよいのですが……!
「国境付近で、少し騒ぎが起こったようです。ですが無闇に大騒ぎするような行いは控える様に。よろしいですね」
「近頃、国境地帯で魔物が増加傾向にあるとレグナ様からお聞きしましたわ。その件でしょうか」
「学園で良き人脈を培っているようですね。大変結構」
わたくしの問いかけに対してお母様が一番に拾い上げたのは、内容ではなくて人脈でした。
「しかし、長話をする場として庭は相応しくありません。屋敷に戻りますよ。アリシア、貴女もおいでなさい」
「はい、お母様」
お母様は、わたくしとお姉様にある程度情報を与えてくれるようです。
おそらくは他家の者が知っていることをわたくしたちが知らずにいて、恥を掻くのを避けるためですね。
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