第21話

 王宮からの帰り道。特にすることもなく、ぼんやりと窓から外の流れる風景を眺めていると、見知った女性を見つけてしまいました。エスト嬢です。


 なぜ、彼女がここにいるのでしょう。

 王都レィガルは王城を中心に、放射状に町が広がっています。王城に近い町の中心部は、貴族の居住区。平民であるエスト嬢が、軽々に出入りできるような場所ではありません。

 しかし、今はガーデンパーティーの季節。使いを頼まれたとでも言えば、門を通れないこともありませんね。


「――ごめんなさい。道の端に寄せて、少し止まってちょうだい」

「はッ」


 彼女が何をしているのか。あるいは、しようとしているのか。

 気になったわたくしは御者に声をかけ、馬車を止めてもらいます。

 とはいえ、エスト嬢が何をしようとも、とりあえずは見守るつもりです。わたくしの言に耳を貸さないことはもう分かっていますし、彼女と関わると妙に間が悪いですし。

 関わらずに、遠目から見るだけなら問題は起こらないでしょう。


 止めはしませんが、エスト嬢の次の行動は気に掛かるのです。目的が分かれば、心構えも対策も取れるというものですし。

 エスト嬢は時折周囲を見回しながら、しかし然程迷いのない足取りで歩いて行きます。

 ……奇妙なことですね。エスト嬢が、この辺りの地理に詳しいはずがないというのに。目印になる何かを探すような間があるものの、戸惑った様子は見受けられません。

 そうこうしているうちに、エスト嬢の姿は道を曲がって見えなくなります。


「――……」


 一瞬、追いかけたい衝動に駆られました。

 同時に、すぐにその考えを改めます。下手な深追いをするべきではないでしょう。


「あの、お嬢様……?」

「……知人を見かけた気がしたけれど、気のせいでしたね。余計なことに付き合わせました。戻りましょう」

「はッ」


 御者にも不審がられてしまったので、切り上げることにします。

 そうして馬が動き始めた、正にそのとき。


「きゃああああ!!」

「!?」


 上がった悲鳴に驚いた馬が、嘶きを上げて足を止めます。


「どう、どうどう!」


 もっとも、よく躾けられている我が家の馬は、それで暴れ出したりなどしません。御者の宥める声を聞き入れ、平時の呼吸へと戻っていきます。

 エスト嬢の近くでトラブルに巻き込まれたくはありませんが、今の悲鳴はただ事ではない。看過できません。


「わたくしは様子を見てきます。貴方はここで待機なさい」

「お、お待ちください、お嬢様。何が起こったかも分からぬ場に行くのは、危険です」

「危険かもしれないから、行くのです」


 わたくしには黒魔法の心得も、白魔法の心得もあります。荒事だった場合、実戦経験のないわたくしがどれだけ役に立つかは定かではありません。足手まといの可能性さえあるので、状況によっては引き返すべきでしょう。

 ですがもし怪我人が出ているようならば、わたくしが修めている白魔法でも力になれると思います。


 馬車を下りて騒ぎの中心へと向かいます。幸い、人の流れがわたくしに行き先を教えてくれました。

 現場はほど近く、すぐに人垣ができている場所へと辿り着きます。

 集まった人々からは歓声が上がっており、どうやら事はすでに終わっているようでした。


「失礼。何があったのかお教えいただけませんか?」

「ああ、貴女、見逃してしまったのね! レグナ様の勇姿を!」


 隣の女性に訊ねれば、彼女はとてもはしゃいだ様子でそう言いました。


「勇姿……?」

「王立学園の女生徒に、いきなり絡んできた男たちがいたの。そこに通りがかったレグナ様が助けに入って、あっという間に女生徒を護って見せたのよ!」

「ま、まあ……」


 ……もしかしなくても、その女性とはエスト嬢ですよね?

 相変わらず、絶妙に間の良い……。とりあえず、無事に済んでいるなら問題ありません。厄介なことになる前に、去るとしましょう。

 そう思い、踵を返そうとしたところに。


「――ラクロア嬢! そこにいるだろう? 悪いが、少し話がしたい。こちらに来てくれないか」


 呼び止められてしまいました。

 レグナ様もまた、魔法に長けた方。わたくしの魔力を感じ取ったのでしょう。

 しかし、なぜわざわざ?

 首を傾げつつ、ですが名指しされてなお避けるのは具合も悪いので、仕方なしに人垣を割って彼の元へと向かいます。

 そして、ああ、やはり。絡まれていたという件の女生徒とは、エスト嬢でした。


「話とは、何でしょうか」

「彼らに見覚えがないかを聞きたい」


 ……レグナ様は、一体何を仰っているのでしょう。わたくしに人を襲うような知り合いなどおりません。

 地面に倒れた屈強な悪漢を確認しますが、勿論、見覚えなどありませんでした。

 ただ、彼らの身形からするに……手引きした貴族がいるのは間違いなさそうですね。彼らも中央区には入れない身分であると思われます。


「いいえ。まったく存じ上げませんわ」

「そうか。ならいいんだ。なにせエスト嬢が言うには、彼らはクラウセッド家の使いを名乗ったらしいから」

「何ですって……!」


 許し難き所業です。


「我がクラウセッドの名を使うとは、よい度胸です。レグナ様、すぐに彼らを警備軍に引き渡しましょう」


 何者が当家の名を騙らせたのか、突き止めねばなりません。


「そうしようか」


 言って、レグナ様は緊急時における救難要請信号である、赤色の魔力を空へと打ち上げました。アスティリテ家の家紋を描かれたので、すぐに駆けつけてくることでしょう。


「えっと、わたし、もう行っていいですか?」


 警備軍を待っている間、そう困り顔で言って来たのはエスト嬢です。

 襲われた当人である貴女が、なぜこの場から離れていいと思ったのか。非常に謎です。


「いや、駄目に決まっているだろう。彼らに襲われたときのことを話してもらわないと困る」

「……分かりました」


 レグナ様に言われて考え直したのか、エスト嬢はため息をついてうなずきました。

 襲われた直後にこの態度とは。随分肝が据わっていますわ。もう少し怯えてもよさそうなものではないでしょうか。

 それとも、騎士を目指す方ですから、その豪胆さを身に付けられるよう訓練されてきている、とか……?


「随分、落ち着いているんだな。君は内壁側に住んでいたはずだが、あの辺りは襲われ慣れるほど物騒ではないだろう?」


 レグナ様も奇妙に思ったのでしょう。エスト嬢に訊ねました。


「こういうこともあるんじゃないかなって思ってましたから」


 エスト嬢は一瞬、苦い表情を浮かべます。まるで『失敗した』とでも言いたげな。


「襲われる心当たりがあると?」

「ええ。わたしに入学試験で負けた人が、平民であるのを理由に絡んでくる場所に居るわけですから」

「成程」


 身構えるのに足る理由、ありましたわ。

 筋は通っています。けれどわたくしには、直前の表情こそが真実を語っているように思えて仕方ありません。

 予感などではなく、エスト嬢は『知っていた』のではないでしょうか、と。


「それが分かっているなら、エスト嬢。警備軍からの聞き取り調査でクラウセッドの名前を出すのは止めておけ」

「どうしてですか。事実なのに」

「事実でも嘘でも、殺されるからだ」

「――」


 事実であれば、我がクラウセッド家に。

 嘘であっても、そのような醜聞に我が家を巻き込んだ報復を受け、かつ、クラウセッドを名乗らせた何者かからの攻撃も続くでしょう。


 クラウセッドの名前が出た瞬間に、取り調べが終わる可能性もあります。

 暴いた者の首までを刎ねるような真実を、見知らぬ平民の少女一人のために追求できる者は多くありません。

 ぎり、と悔しげに奥歯を噛み、しかしエスト嬢は首を縦に動かしました。


「分かりまし――」

「そのような心配は不要です。レグナ様」


 たとえエスト嬢が飲み込んでも、――飲み込まざるを得なかったとしても、わたくしは違います。


「彼らの背後に貴族がいることだけは明白。更に、我がクラウセッドの名を騙ったのです。真実は必ず明らかにします」

「いいのか? もしかしたら、本当に自分の家名を傷付ける真実が出てくるかもしれないぞ」

「あり得ません。ですが万が一そうであったなら、責は負うべきです」


 己の行動には、己で責任を持つべきですから。それが家のやったことだというならば、家の一員としてわたくしも咎を受けましょう。

 クラウセッドの利益を享受しているわたくしです。不利益だけを避けるなんて、そんな都合のいいことは許されません。

 知らないことは、ときに罪となります。

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