売雨戦線

留龍隆

Chapter1:

Water war (1)


 水泥棒は重罪だ。

 強盗よりも選ばれにくい凶行だ。

 現行犯を目撃されたなら、水道警備兵に問答無用で銃口を向けられる。


 それでも、危険を冒してやるしかない。

 だれかが、やらなければならない。

 ……その、だれか・・・の一人。

 水を盗むべく闇の中を駆けていた円藤理逸えんどうりいちは、不意に立ち止まる。

 彼の耳に、細く高い声音の悲鳴が聞こえていた。


「――ゃめっ……! ぃや、やめて……!」


 ゴーグル越しの視界の中、悲鳴の方向をすっと見やる。

 理逸がいま居る蒸し暑い廃地下街から、より深い場所へ降るための階段――かつては電車とかいう交通手段が行き交っていた『大都鉄道網だいとてつどうもう』の『プラットホーム』へ降りるための経路が、口を開いていた。


 理逸が迷ったのは一秒だけ。

 すぐに階段を駆け下りる。


 三段飛ばしでありながら足音を極力消した、やわらかい着地からの加速を繰り返し。

 いくらか温度の低いフロアへ降り立つ最後の足音、

 微かに、

 ひとつだけ。

 それも悲鳴によって上書きされた。


「来なぃでっっ!」


 ひときわ苦しそうな悲鳴。

 辺りに反響する声の源は、うずくまる華奢で小柄な人影だった。

 それを囲むのは、三人の水道警備兵。一人から銃口を向けられ、残り二人より警棒の先を突きつけられ、人影はホームから落ちそうになっている。

 群青の制服に身を包み、ボディアーマーとフルフェイスメットで身を固めた警備兵。

 腰にはホルスター。

 そこに装弾数五発、蓮の根を模したような弾倉の制式拳銃ドリセキが納まる。


「第二種装備か。まあ、相手できなくはねぇが」


 ぼやく理逸。警備兵の装備は警戒レベルがどの段階にあるかの指標となる。

末端子拡張機構エンデバイス》を含む第一種装備の者がいたら厳しいが、第二種装備の人間が相手ならば、単独でも三人くらいは、まあなんとか倒せる。


 状況判断を瞬時に下し、理逸は駆け出した。

 三人のうち銃を構えていた一人が七メートルほどの距離で最も近い。まず倒すべきは奴だ。

 そう思い、

 踏み出して、

 三歩目を接地させるか否か――

 というところで相手は足音に気づき振り返った。

 非常にコンパクトな動きで右半身の構えになり、身体の左側を理逸から隠している。

 理逸の側から狙える面積を狭くする、動きと構え。長く苦しい訓練と鍛錬の賜物だろう。

 しかし理逸もまた、訓練と鍛錬を重ねていた。


「止まれッッ!」


 警備兵の、激しい声音による制止に止まらない。

 銃口を向けられてひるまない。

 理逸はそう在るように鍛えられてきた。

 迷わず臆さず、最短距離を詰めて倒す。

 視界を常に保護するためかけたゴーグル越しの景色の中、理逸は銃口をこちらに向けつづける警備兵を見ていた。


 ――『引き金はあまり注視しない』。

 ――『撃つための狙いは全身で定めるのだから、腕だけ見ていては避けられない』。


 この教えの通り、相手が狙うため固まる瞬間。足首のばねを用いて鋭く左右へ切り返す。

 銃火と同時の轟音がホームから線路、トンネルの方まで残響を遠く長くたなびかせる。

 が、当たっていない。

 被弾寸前でかわした理逸は、男の懐に飛び込んでいた。


「この野郎っ、ぐぅっ!?」

「遅ぇよ」


 左掌で拳銃を下から突き上げて逸らすと同時、開いた左腋下にすかさず右の貫手ぬきてを突き込む理逸。

 多くの血管と神経が集中する部位にしてアーマーの隙間であるここへの痛撃に、警備兵は身を縮こまらせた。

 すぐさま足を払って仰向けに蹴倒し、拳銃を手から打ち落とす。ついでに首を蹴って意識も落とす。

 そのときには警棒を握っていた残りの二人も、己の拳銃に手をかけていた。

 左右ともに五メートルほど離れた距離。

 一人までは倒せるが、二人はさすがに倒せない間合い。

 けれど理逸は慌てず、両掌を突き出した。

『待ってくれ』と嘆願するかのようなポーズに、二人の警備兵がメットの奥で笑った、気がした。

 けれどすぐに笑みは引きつっただろう。

 理逸が、ハーフフィンガーグローブを嵌めた両手を握り締め、

 引き寄せる・・・・・ような動きで両手を交差させ終えたときには。


「――――俺には、当たらねえ」


 理逸がつぶやく。

 警備兵二人が向けていた銃口が。

 ぐんっ、と横へ引っ張られた・・・・・・ように理逸から逸れる。

 あらぬ方向に銃火が噴き上がり、次の動作への拍子に遅れが生じる。


「隙ができたな」


 拳をほどいた理逸は、左側の警備兵に向け直した左手をぎゅっと握る。

 弓に矢をつがえるときのようにその腕を引き絞る。

 途端、

 動作に合わせて警備兵は前へつんのめり・・・・・、たたらを踏んだ。

 驚愕しつつ、警備兵は叫ぶ。


「まさか、《能力保有者プライアホルダー》か!?」

「寝てろ」


 その、前へよろけ進んだ数歩が命取りだった。

 駆け込んできた理逸の、全体重を込めた右の掌底が喉笛を潰す。意識が落ちる。

 間を置かず理逸は潰した喉を握り締めたまま、意識を失った男の影に身を滑り込ませた。


「う、ぉああああああ!」

「っぶね」


 恐慌の声と共に、最後の一人が乱射する銃。

 警備兵の男の身体を盾にしていなければ、何発か食らっていたにちがいない。旧式のボディアーマーの背面にがすばす、ばすがすっ、と、着弾する乾いた音が聞こえた。

 冷静に弾数が尽きるのを待ち、また左の拳をほどき。

 理逸は掌を、自分を狙う銃口に向けてぼやいた。


「弾、無駄遣いすんなよ。高価たけぇんだから」


 拳を握り込み、物を地面へ叩きつけるときのように振り下ろす。

 動きに合わせて銃口は下へ向き、警備兵は拳銃が重みを増したかのように、よろめいた。

 そのときにはもう理逸は上に跳んでいる。

 天井からぶら下がる、とうに時を刻むのをやめた古い時計に向けて右掌を開き、握る。

 すれば、

 瞬時に、


 ――空中で加速・・・・・

 理逸の身体が時計へ、引き寄せられる・・・・・・


 見えないワイヤーが巻き取られるように素早く鋭く。迫っていく。

 そうして相手の頭上を取った理逸は右掌を開き、

 ぐるんと前方宙返りで勢いをつけて――メットを砕かんばかりの勢いで踵落としを放った。

 ジリんと靴底をねじ込むように、深く強く叩き込む。

 いかにメットが丈夫でも、真上から踏み躙るような一撃は頚椎にダメージを与える。

 警備兵は即座に崩れ落ちた。


「終わりだ」


 倒れ伏してうめく警備兵の横に立ち上がり、理逸はふうと息を吐く。

 ゴーグルのずれを直しながら、警備兵たちに囲まれていた人影に近づいていった。


「さってと。無事かよ?」


 ホームから落ちそうになっていた華奢な肢体を眺める。

 どうやら出血も打撲痕も銃創もない。ほっとする。


 それは、どこもかしこも薄く平たい、少女だった。

 着ているのは、黒いチョーカーを巻いた首にかかるホルターネックのタイトなベアトップ。白いリネン地に、複雑な文様が織り込まれているそれだけで、太腿までを覆っていた。細い大腿部は日光をほどよく含んだのだろう健康的な小麦色の肌が張っている。

 肩にかかるくらいの髪は淡い銀に耀いていて、その隙間にのぞく面立ちは体格から予想できた通りに幼い。

 十代前半は間違いないだろう。自分より五つか六つは年下だ。


 つまり子どもだ。

 そう思って理逸は顔をしかめた。

 彼女は目尻に赤いメイクを施した、両のまなこをしばたく。

 深い紫紺の色を宿した瞳が理逸を捉えた。小麦色の肌といい、異国の匂いが強い。


「……こんなところでなにしてる?」


 問いに、少女は答えない。

 理逸は困り、一度目を伏せた。自分より年下の、子どもの相手は苦手だ。情緒の流れがつかめない。周りの大人はよくこんな生き物を相手できるものだと思う。

 悩んだ末……なごませる冗句のつもりで軽く言う。


「まさか、お前みたいなガキが水泥棒をやろうってわけじゃないだろ?」


 彼なりに気を遣った軽口に、しかし少女はなにも返してこない。

 しばらく待っても答える様子はない。

 沈黙がつづく。

 やめて、と叫んでいたので日邦語にっぽうごが使えるのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 まあ異国に来たら挨拶と感謝と謝罪と拒否の四つをまず覚えるのが基本だ。この娘もその程度の語彙なのだろうと理逸は判断する。


「あー……『なにを、してる。危ないぞ、ここは』……これで、通じたか?」


 次に比較的話者の多い瑛語えいごを使ってみた。あまり得意でないためたどたどしかったのはご愛敬。

 けれど少女はますます眉根を寄せて表情が硬くなっている。

 理逸は面倒くさくなってきて、下唇をとがらせた。舌打ちしなかったのはせめてもの配慮だったと思ってもらいたい。


 言葉が通じないとなると《2nADセカンナド》か? とも疑いはじめた。

 そうなると理逸が会話を成立させるのは難しい。とはいえ2nADの話者を連れてくるのでは時間がかかる――などと、考えこんでいると。


「……通じて、ますよ」


 ぼそりと少女が日邦語を発した。

 先ほど響いていた悲鳴と同じ、高く細い声音だった。

 会話が可能なことに安心して、理逸は話をつづけようとする。

 ところがその前に、少女がさらに言葉を継いだ。


「ぁなたの問ぃかけの意味がゎからず、黙ってぃただけですが? 今日のよぅな状況下で、水道パィプラインにつづくこの地下に居る――そんな相手の目的を、水泥棒以外に求めるとぃう考えが……ぁまりにも常人には理解しかねる、不可思議なものでしたので」


 だいぶイントネーションに独特なものが残る発話だった。

 いや、そんなことより。


「おい。お前いま、なんて言った」

「ゎかりませんでしたか? 『ァホなんですか、ぁなた』と。そぅいう文意です」


 直接的にけなされて、理逸はこめかみに力が入るのを感じた。

 それでも、年上として息ひとつのあいだに感情を制し。

 静かに吐き出すように彼女へ聞かせる。


「……あのな。あんまこういう言い方はよくない、とは思うんだけどな……お前、何様だよ」

「ひとに名を問ぅのなら、ご自分から名乗られてはぃかがです?」

「勘弁しろよ。まさかレトリック全般が通じねぇのか?」

「ご冗談を。先ほどそれなりに修辞を駆使してみせたじゃなぃですか。……もしやまだ、先ほどの文意がぉ分かりになってなぃ?」


 あらまぁ、と言いたげに口許を押さえる。

 ここまでなめられては理逸も黙っていられなかった。


「なんでそんな喧嘩腰なんだお前は。俺がなにかしたか?」


 問いかけに、少女は黙ってかたわらを指す。

 それはホームの隅に設置されていた黒い四角柱状の操作盤だ。


「……水道パイプラインの、制御パネル……?」


 なぜそんなものを、と思っていたら。

 少女は立ち上がってそこに近づくと、ほっそりとした指先で触れる。

 そのとき、指先に黒い茨状の模様が一瞬這い回るのを、見た。

 次いで操作盤が起動し、なめらかな表面の一部が色を失って透過、ディスプレイと化す。

 その下に現れる入力キーを叩きはじめる。

 塊になった文字列がディスプレイの内部で踊り、打鍵につられて揺れる。

 揺れの反応が大きくなったところで、少女は打鍵の勢いを強めた。踊る文字列は数とその振幅を増し、それが最大になった、と感じられたところでディスプレイを埋め尽くしていた文字列が消える。


 少女が手を止める。

 残ったのは三行。


[Update completed.]

[已经更新]

[更新しました]


 ――錆び付き軋んだ音が、ぎぃぃと引き伸ばされて聞こえた。

 見れば、線路沿いに設置された水道パイプラインのバルブがひとりでに回りはじめている。

 長く、締め切られていた管の内部を。どくどくごぼごぽと水が流れていく。

 唖然として、理逸は少女を見やった。


「軽く見なぃで、ほしぃですね」


 はっ、と乾いた笑いを漏らし。激しく動き回った指先をぐにぐにともみほぐしながら、少女はじとっと理逸をにらむ。


「ゎたしも、水泥棒をしに、ここまで来てぃました」

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