Wandering wag (2)
さて実際のところ、希望街までやってきた目的はスミレを2nADの子どもたちに再会させてやることだけではない。
理逸に仲裁人としての仕事が入っているのだ。
近くの七階建てビルを見上げると、壁面に吊り下げられた巨大な日時計が、錆びた針の陰を十四時と十五時のあいだへと落としている。
かつてはここにも
「時間だ。そろそろ行くぞ」
「はぃ。Sorry’t say bye,再見」
スミレは名残惜しそうに手を振り、ツァオ、マオ、ハシモト、ミヒロの四人組から離れた。
四人組も手を振り返しており、いまこのときに限っては顔に憂いもない。
この街で子どもが生きていくことは非常に苦難が多く、それゆえに彼らは子ども同士での結束が強い。おそらくは流れ着いたスミレが輪に入れてもらえたのも、同年代と思しき容姿で近しいものを感じたからだ。
歩きながら振り返れば、彼らも散り散りになっていく。子どもでも従事できるなんらかの仕事があるのだろう。
「無事を確認できて、ょかったです」
「そうか」
「金髪の彼、ハシモトが地下街の先導役をしてくれてぃたので。別れたぁと逃げることができたのか、心配してぃました」
「……そうか」
理逸はわずかに口ごもる。
地下街の『先導役ができた』ということで、そのハシモトという少年の仕事がなんとなく想像ついたためである。
地下、かつての
とくにこの粉塵排気が厄介だ。市民の食糧生産や日常生活用の
要するに、生産活動量の変化があると排気の排出タイミングがズレる。そうなると水泥棒の実施日や、理由あって地下経路を使用する際に通行者に危険が及ぶ。
だから……先導役が務まるほど地下に精通した彼の仕事とは。
「
突然スミレがささやく。知らない単語だったので文脈からなんの話かわからず、理逸は片眉を吊り上げて疑問を表した。
「なんだ、それ」
「鳥のことですよ」
「トリ。
聞いたことのない言葉から察するに、スミレのルーツにあたる土地の言語での『鳥』の呼び方だろうか。そう思った理逸は手でひさしを作って空を見上げる。
先のビルと同程度の高さを、赤いトサカを立て
腋元から手羽先までを大きくゆったりしならせ悠然と舞う雄は、両の蹴爪でがっしりと猫を捕まえていた。飯なのだろう。
そして唐突に、どこかから飛んできた投擲型の網に巻かれそうになる。だれかが飯にするつもりなのだろう。
けれど羽根を閉じて加減速すると華麗に回避し、コケェッと威嚇の発声ひとつ。大昔は
「鳥が、どうかしたか」
「金糸雀はスズメ目ァトリ科、つまり鳥とぃう卵生で翼がぁり歯がなく体毛ぁる生物種のなかでのより細かぃ分類名称です」
淀みなくしかしめんどくさそうにスミレは説明した。だがまだ理逸にはその単語が出てくる意味がわからない──という顔を見てとったのか、軽く鼻を鳴らして彼女はつづける。
「かつて災害前の旧時代、掘削にょって鉱石や燃料を掘り出してぃた鉱山では、掘るぅちに有毒ガスが発生することもぁりました。そのため鉱道の安全を確認すべく、有毒な気体へ過敏に反応しその際すぐに鳴きゃむ金糸雀を送り込んだのです」
「……、」
「当然、金糸雀の安全は保障されてぃません」
彼の状況を指し示す的確なたとえだったわけだ。理逸は知らない単語のため、まったく反応できなかったが。
加えてなんとなくばつが悪い。子どもを死地に送り込んでこの街の人間は暮らしている……ということを理逸は知っていて見ぬふりしていることを、同じく子どもであるスミレに知られた、という思いからだ。
しかしスミレは、顔色をうかがったところさほど気にしていないようだった。理逸を指弾するつもりでカナリアと口にしたわけではないらしい。
「単なる言ぃ回しです。それに、ゎたしもこの土地の水をすでに飲んでしまぃました」
「それが、なんなんだよ」
「ぁの子の血を飲んだに等しぃ、とぃうことを言ってぃるのです。そして飲まねばゎたしも、危ぅかった」
だから合理的に見て仕方ない、と。
あきらめを滲ませた顔で彼女はそう言った。
子どもらしからぬ食い下がらなさ、引き際。この数日でもたびたび目にした気質。
「……生きていければそれでいい、ってか」
「できればもぅすこし、自由が欲しかったですが。多くは望みません。ぁなたたちの提示した『組織の一員として働け』とぃう待遇は、それなりでしたから」
「もっと悪いと思ってたのかよ?」
「最悪、
小麦色の肌が瑞々しく張った、細い喉元のチョーカーを指で引っ張る。
この内部に
しかし仮に機構を奪っても使用権限は保護されており、上位権限がなければ書き換えはできない。
「馬鹿言え。お前でなきゃ使用権限が降りねぇのに殺すかよ」
「馬鹿言ぃますね。世のなかには、ぁなたょりさらに短絡でショートしっぱなしの人類がゎりと居るのですよ」
「Short? ……ああ、『不足』か? なにが足りないんだ?」
「……
そこはかとなく馬鹿にされたような気がするが、事実だとも思うので呑み込んでおくことにした。彼女はひどく、博識だ。
「それに。ぁなたと仲裁のぉ仕事とゃらをすれば、少しはぁの子たちの暮らしがマシになるのでしょぅ?」
「そりゃ、まあ。この街の揉め事仲裁だから、巡り巡って多少は影響あるかもしれねぇが」
「だったらそれで良ぃです。それが良ぃです」
求めるところはそこにあるのか、スミレはこくりと深くうなずいた。
たかだか、四日の付き合いだろうに……と時折考えていたが、先の触れ合う光景を見て理逸も考えを改めていた。
難民、
「ところで、まだ聞けてぃなかったですし仕事内容を確認したぃのですが。ぁと五分ほどで着くでしょぅし」
「よく距離感がつかめてるな。一回しか場所伝えてねぇのに」
「四日も暮らしたのですから、土地勘くらぃは宿るとぃうもの。とくにこの元・日邦は、地名に土地の由来ゃ状態を示す言葉も多ぃですし」
そんなものだろうか。
倒壊したビルに塞がれた大通りの、横倒しになったオフィスフロアの床を壁面と眺めながら通り抜けつつ理逸は思う。
廃墟廃屋違法増築、なんでもござれの魔窟である南古野は全容を易々とはつかめない。昨日通れた道が今日は抗争で吹き飛んでいる、なんてこともざらだ。その環境で土地勘とは、もはや単なる空間把握力を超えたなにかである。
「で、仕事。ぁらためて内容ぉ願いします」
「ん。ああ。今日は喫茶室の警備になる。翌朝まで詰めるが、そのあいだにどっかで時間とって仕事のやり方の細々とした部分は伝える」
今朝、家を出る前に受注した仕事だ。ばたばたしていて内容詳細はスミレに伝えられなかったが、まあいいだろうと判断していた。
スミレは考えこみ、日時計の方を顧みる。
「ぃまからだと、十五、六時間の仕事ですか」
「長丁場だがそのぶん実入りもよかったんでな」
なにしろ三日、スミレの監視のため傍を離れられず仕事ができなかったのだ。その間に監視手当てでも出るならいいが、そんな心温まるものはない。
水泥棒の方は手当てが出るが、こちらはこちらで仕組み上、入金は翌月。生き延びるための兼業はどうしてもおろそかにできない。かといって自分が拾ってきた手前、仕事したいからスミレの監視役頼むなどとは他人に言いづらい。
仕方ないので復帰早々、長時間業務だ。
そう思ってポケットに手を入れ肩をすくめた理逸の横、肩よりも低い位置で頭をぴょこぴょこさせながら歩くスミレは着ているホルターネックベアトップの裾を払って服装を正しつつ、理逸の仕事内容を言い当てる。
そう、言い当てた。
すべてを。
「警備……仕事のゃり方を伝ぇてぃるヒマはぁるけれど、『翌朝までのどこかで伝ぇる』ということは緩く勤務の状態がつづくとの意味。つまり実際の目的は『そこに居ればほぼ達成される』わけで、『ここが安全組合の息が掛かった場所でぁる』との示威行動にぁる次第ですか。
するとすでになんらかの被害は出てぃて、けれどぃますぐ対応を迫られるほど切羽詰まってはぃない。……喫茶室。……室、ですか。営業の時間帯ぉよび店と呼ぶほどではなぃ規模感からして、密会所ぁるいは売春の待合所。でも立地が大通りからひとつ逸れた道のちょうど中ほど、いざとぃうとき密会者たちの逃げ道がなぃことを思ぇば、前者はなさそぅですかね。やはり売春の待合所か」
理逸はなにも、細かい仕事内容を伝えていない。
だというのに驚くべきことに、スミレはすべてを言い当てていた。
「おい……なんで全部わかる。さっきの四人、あの辺の店の関係者だったわけじゃねぇよな? あいつらに聞いたのか?」
「無駄な確認を取らなぃでくださぃ、四人の素性は調べ上げたぁなたがたが最もょくご存知でしょぅ? そしてなぜゎかったかも自明でしょぅ、場所と時間と会話情報とぁなたの態度から推論を組んだだけです。……ぁあ、つぃでに付け加ぇるなら、荒事の可能性はそれなりに高ぃのでしょぅね。先ほどから周囲に向ける視線がぎらつぃてぃます」
「……大した観察眼だ」
「ぁなたがたの知識と想像力が足りなぃだけでは?」
つんと突き放した物言いで、スミレは呆れた顔をする。本当に大した実力なのだが、本当に口が悪い娘だ。
やがて二人は目的だった、四階建てのビルの下にたどり着く。
依頼先はここの四階にある『喫茶・
依頼はここの客で出入り禁止にしたにもかかわらず度々やってくる、厄介な客を追い払ってほしいとのことであった。
「商業連合が母体の安全組合としては、受けなぃといけなぃ仕事なゎけですか」
「一応、喫茶室だからな。ギリで商業連合のくくりなんだ。完全な娼館ならみかじめ料を《笹倉組》に納めるなりしてるからそっちを頼るが、ここは立地も希望街に近くそれほど金になってねぇから笹倉の連中も来ない」
「では、厄介客とぃうだけで派閥の争ぃでもなぃ、と」
「そーいうこと」
話を締めて、階段をのぼろうとする理逸。
理解が早くテンポよく話が進むので、話している相手が自分より一回り幼い少女だということをつい忘れていた。
いかに賢かろうとも──経験が浅いという点を加味して、説明を深めておくのを怠ってしまった。と言ってもいい。
要は、『その上で理逸が呼ばれた理由』を話し忘れたのだ。
「ん」
頭上からの窓の破砕音を認めた己のつぶやきを、遅れて認識したように感じた。
階段に足をかけようとしたところで上から降ってきた甲高い音。パリんガシャんと割れ落ちる硝子。
その中心に降り立ったのは、黒い影。
服装などの比喩ではない。
本当に影だった。
人型のシルエットに固まった黒い
その、影男が直立している。
はるか上、四階から飛び降りてきて、けれど膝を曲げるなどのダメージを受け流す動作を一切おこなわず立ち尽くしている。
「……お前の関節、バネで出来てんのか?」
言いつつ理逸は左手をかざした。ノータイムで拳を握り、『引き寄せる』。
相手はどう見ても
さて、機構運用者と戦うな、という教えと同様にこの南古野にはもうひとつ教えがある。
『能力者には能力者を』。
慮外の特殊能力には同質のものをぶつけよ、ということ。
「悪いが、速攻だ」
弓を引き絞るように後ろへ向かって振りかぶった左拳に引き寄せられる影男に、理逸は駆け込んでいった。
間合いが詰まり、攻撃圏に入った。踏み込んだ右足に左足を素早く摺り寄せ、右踵付近に接地。
体内で加速した前方への力を、右拳の突きに載せた。
《白撃》。理逸の得意技だ。
喉元を狙い、手の甲側を地に向けて送り出した打撃に──
「…………、」
「はぁっ?!」
──手ごたえは、ゼロだった。影男に当たった瞬間から力がどこかへ抜けていくかのようだ。
「避けてッ!」
後ろからスミレの声がする。
反撃の右アッパーが、真下から理逸の顎めがけて繰り出されるところだった。
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