Wandering wag (3)


 黒い拳がうなりをあげる。

 けれど理逸は寸前でこれをのけぞって回避した。

 影男はすぐさま左の拳を振りかぶっている。打ち下ろしで無防備な理逸の腹部を刺し、地面に押し込んで追撃という狙いだろう。

 即座に理逸は視線を上向け、後ろに倒れこみながら左手を伸ばす。上下反転した視界の中で、電柱を視認した。拳を握る。

 理逸の自重より重たいもの・あるいは固定されたものに対して『引き寄せ』を使えば、踏ん張ろうとしない限り自らの身体が引き寄せられるのだ。

 高速で離脱した理逸の居た空間を、影男の拳が空ぶる。


「っと、」


 途中で能力を解除して、理逸はくるりと上体を振り回すように慣性を操り立ち直る。

 影男の方も構え直していて、理逸の能力プライアについて思慮をめぐらしている様子だった。彼我の距離は戦闘開始時の七メートルほどの開きに戻っている。

 自他に作用する念動力サイコキネシス系だとは、向こうも判断がついただろう。ただ能力で直接攻撃せず(できず)、攻撃は体術に頼ったことから『反撃用』ではないプライアだとわかったはずだ。


「あちらさんは……たぶん『逃避用』だろうな」

「逃避用?」


 後退させられたことで、スミレが横並びになっていた。

 隣からの疑問の声に、「なんでも知っていそうなこの博識娘もプライアはあまり詳しくないのかな」と考えつつ理逸は答える。


「プライアの大まかな分類……っつーか発現状況の区分だな」


 だいたいは『逃避用』『反撃用』『救助用』に分かれる。

 Psychological Reality Interference Ability 頭文字をとってプライア。心因性現実干渉能力……現在の物理法則で説明不能なロジックで発動する超常現象。

 それは心因性と付く通り、心に因り起こるものである。辛い現実に絞め殺されかけた心が発現・現実に干渉することでストレスを減らそうという防衛反応ではないかと言われている。

 つまるところ使い手は皆、傷ついた経験があり。そのダメージから快復するために能力を発現しているとのことだ。


「ストレスから逃げるため。ストレスを消すため。ストレスから救うため。実際にゃもっと複雑なんだろうが、基本はこの三つの根っこからプライアが生まれるんだと」


 近づいてきた影男がととん、とステップを踏んだので説明を中断して前に出る。

 着地即滑るような移動。理逸のような『真っ直ぐ駆け込んで殴る』技とはちがう。細かく脚を使って間合いを出入りする腹積もりのようだ。

 飛び出して来た左のジャブを、右腕を上からかぶせるようにいなそうとする。


「ぐぅっ!?」


 だが出来なかった。

 右頬が弾かれて熱が奥に差し込まれる。

 腕をかぶせられなかったのか? いや、触れはした。

 けれど軌道を変えられなかった。掛けた力がどこかへ抜けていったかのような嫌な感触だけが、前腕に残る。先ほど右拳を当てたときに感じたのと同じものだ。

 分析している間にも拳は繰り出されている。慌てて姿勢を正し身体を左右に振り、防御やいなしではなく回避に徹する。不気味にシルエットを滲ませる影男は、無言のままラッシュをつづけてきた。


「スミレ、離れとけ!」

「もぅ離れてぃます」


 ああそうかい、と返したくなるほど声は遠い。後方に距離をとっていた様子だ。

 影男はその間も呼吸の音以外なにも発しないまま、連続して拳を叩き込んでくる。かわしきれず腹、肩や前腕で受けることになった。

 体格は『引き寄せ』が通じた通りあまり理逸と変わらず六〇キロ前後の中肉中背なのだろうが、拳の利かせ方が巧みでキレがある。こちらの打撃は通じないのに向こうは通じるのが面倒だ。

 とくに『いなすことも出来ない』、というのが一番厄介である。もともと理逸の技は距離を詰めて叩き込む流派であり、接近の一手段が封じられていると間合いをつかみにくい。


「くっ、そ!」


 ぱっと真正面に両掌を出し、握り込んで『引き寄せ』。よろめいて両拳に引き寄せられる影男に向かって、両手を身体の脇に引き込むように肩口からの体当たりを仕掛けた。

 だが拳で殴ったときより腕でいなしたときより奇妙な感覚に襲われた。

 たしかに肩は当たっているのだが、

 永遠に横方向に『落ちつづけている』ような。

 影部分にかかる力積を消し飛ばされているのか。などと考えている間に鈍い音が響く。頭突きで姿勢を崩された。一方通行で向こうの攻撃は通るのが本当に腹立たしい。


「ぐっ、」


 たまらず、視界の端にあるビルの壁面に向けて右拳を握った。ずるんとスライドするように影男の正面から屈んで抜け出て、小休止ブレイク。逃れる寸前、ギリギリで頭上をフックが過ぎ去ったので肝を冷やした。

 さて当てても通じず、いなすこともできない。触れた瞬間に力が吸い取られている感じがする。

 とにかく防御に秀でたプライアだ。まるで倒しようが、ない。


「ストレスから逃れるための技だな……」


 すなわち、身を護り『逃避』するための。

 先の三区分とはそういうことだ。トラウマ、心的外傷を元にして目覚めるプライアは。発現時に抱えていたストレスへの向き合い方が形を成す。

 ここまで高い防御性能があれば自分を護るには十分だろう。つまり発現状況は彼個人が陥っていた苦境で、ダメージを無効化したかったというシチュエーション。


 ……などと彼の過去に思いを馳せている場合ではない。なんとか間合いに入らないよう横に回り込む移動を繰り返すが、影男は冷静にこちらを捉えつづける。拳を合間に放り込んでくる。

 向こうにダメージが通らない以上、いずれはこちらが削られて倒れるだろう。

 倒れたあとはどうなるか。喧嘩を吹っ掛けておいて無事で済まされるほど、南古野は甘い土地ではない。

 となれば、逃げるか。防御用のプライアである以上追撃はあまり選択してこないだろう。しかし生活費を逃すことになるし、スミレを抱えての逃走となれば難易度は跳ね上がる。ならば先にスミレだけ逃がすか?


「ちっ。連れてくるんじゃ、なかったな」


 ぼやいたのが息切れの瞬間になってしまった。あるいは集中の途切れがぼやきに繋がったか。

 どずんと腹筋に強打をもらい、理逸はダメージを逃がすため後ろに転がる。

 ごほっ、と息を吐きつつ地面に手をつけば、すぐそばにスミレがやってきていた。

 理逸を案じるような顔を見せて、屈みこむとひしと肩を抱くように寄って来る。

 もし理逸が倒されれば次は彼女がやられるだろう。その怯えのためか……と納得しようとしていると。


「……なんとかして足をつかんでぁなたのプラィアで離さなぃようにしてくださぃ」

「え?」

「ぃいから。ゃられたフリでもして油断させてくださぃ」


 ほとんど口を動かさずそう口にする。

 その目にはほんのりと青く熱の無い光が宿っていた。微機ナノマシンの活性化。視覚の機能拡張ブーステッドをおこなっている。


(相手の動きや弱所を見抜くために、動画像処理能力を向上させてたか?)


 言葉とちぐはぐな表情も、影男を油断させるためのものだろうとようやく理逸は察する。

 ……が、やられたフリと言われても。

 どうしたものか迷ってしまい、理逸はゆっくり立ち上がり──結果的にこれが弱ってる動きに見えそうだったので、この路線でいくことにした──腹部を押さえながら呼吸を整えているフリをした。

 影男は自身が優勢になったと思ったのだろう、心無しか近づいてくる歩調が軽やかになった。

 理逸は腹を庇って見えるよう前傾気味になりつつ、慎重に近づく。

 やがて間合いが交錯し──

 指示に従うか一瞬迷いつつ、理逸はタックルをしかけた。


 膝蹴りでの反撃を想定し、両手を上下に分けて構える。掲げた右拳を握って、まず影男の頭部を中心に『引き寄せ』た。理逸のプライアは手をかざした方向直線距離で近い部位に強く働く。

 頭を引かれることへ、反射的にのけ反りで対処しようとした影男。

 すなわち重心が後ろに寄った瞬間に下段の左手で前にあった左膝を『引き寄せ』。同時に右は拳を開いてプライアを解除。

 重心位置を乱された影男は、狙い通りにすっ転んだ。背中から叩きつけられ、理逸に浮いた膝を抱え込まれる。

 ただこのときも抱える脇には触れてる感触こそあれど力をかけられている感じは一切なく、プライアによる『引き寄せ』をつづけていなければいまにも離してしまいそうだった。あわてて右腕も使って抱え、両手の『引き寄せ』で手に引き付ける。


「つかんだぞ!」

「そのまま離さず振りまゎしてくださぃ! 止まらずに!」


 なんだその指示は、と思いながらも理逸は仕方なく従った。

 ずず、と最初は相手の背を引きずるように。

 次第に浮いた相手を、自分の身体を軸にしてだんだん大きく回転させる。

 影男は暴れ、蹴りつけようとしてきたが、不安定な姿勢ではろくに力が入らない。格闘も拳主体だったが、グラウンドでの攻防には不慣れなのだろう。


「そのひと、影を纏ってぃても地面から浮ぃてませんしぁなたのプライアも通用しました」


 言われた通りに振り回していると、スミレがぼやく。


「あぁ? それが、なんだ」

「その『影』、外からの力をどこかに流しつづけて一切内部に通さなぃよぅですが。重力や慣性力はかかるとぃうことです」


 回転軸となっているため動きの少ない理逸も、だんだんに目が回ってきた。スミレの話もよくは理解出来ない。

 けれど、ともかくも。

 この頭を揺さぶられる気持ち悪さは、回転軸から離れている影男の頭の方がよほど強くかかっているのだろうということは感覚でわかる。


「……っぶ、ぉぇ、おごっ、お、ぉっ、──」


 やがて男は影の中で嘔吐した。さすがにプライアを保つことができなくなったか、抱え込んでいた膝のあたりから黒い靄が消えていく。

 もういいだろう、と思って腕を離し、地面に着地させた。男は白目を剥いており、小刻みに震えて気を失っていた。やっと顔が露わになったが、あまりに凄まじい苦悶の表情で年齢も元の顔立ちもわからない。


「……コレ死んだりしねぇだろうな」

「脳の血管が切れてぃなければ」


 さらりと恐ろしいことを述べたので、思わずスミレの方を二度見する理逸だった。



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