Water war (5)


 理逸は子どもが嫌いだ。

 どう接したらいいかがよくわからないし、考えが読めないし、非力なくせに強気に出るときもある。

 そしてスミレはこのすべてに該当しており、いまも子どもの気質を遺憾なく発揮していた。


「名前はスミレです。電子奏縦師エレクトロニカ機構運用者デバイスドライバです。必要でぁれば働きます。南の、希望街でぉ世話になったツァオとマォとハシモトとミヒロに、手出しはしなぃでほしぃです」


 炎天下のなかを歩き出して十数分後。

 横倒しの旧電波塔を眺める、生活可能ビル──崩落の危険が『いまは無い』ビルだ──の六階フロアにある、南古野安全組合なごのセーフティ集会所にて。

 元はなんらかの企業オフィスだったと思しき部屋は、六人の組合員が詰めている。それは組合の飛び道具たる《七ツ道具》の面々であり、理逸を含めてこの場に全員が揃っているかたちだ。


 そんな彼らの前で、スミレはじつに平坦な声音と半目になった紫紺の瞳を向けながらそう言った。

 理逸が報告しようとするよりも早く。挨拶も抜きに。ただ愚直なまでに素早く、自分の情報と提供できるものと要望とを述べた。頭を抱えたくなる状況だ。

 はたしてスミレの視線の先、硝子テーブルを挟んだ向こう側にいた女は、椅子の上ですべてを聞き届けてから左目を閉じる。

 ウインクではない。

 元より彼女は右目が刀傷で潰れており、そちらは伸ばした前髪で塞いでいた。濡れたような黒髪は肩まで伸びており、いつもまとめることすらなく広がるままにしている。


 彼女がくい、と右腕を上げる。袖が垂れる。

 XLサイズ男物の長袖カッターシャツを着ている彼女は、けっして体躯が小さいわけではなくむしろ理逸と背丈も変わらないのだが、所作ひとつひとつで袖が余る。

 右肘から先も喪っているためだ。

 尖り切った目つきに年月重ねてきたことを思わせる彼女は、開いた三白眼で周囲を睥睨する。

 安全組合の主……理逸の上役でもある彼女、鱶見深々ふかみみみが、無い右腕でスミレを示しながら理逸に視線を向ける。


「なんだこの娘は」


 低い声に、理逸は頭だけじゃなく腹も押さえたくなりそうだ。

 二人の歳の差は十もないくらいなので、理逸からすれば彼女よりもっと年嵩としかさで威圧感のある人間はこの街にいくらでもいるのだが。深々は彼の武の師ということもあり、ちょっと区分のちがう恐怖を刻まれている。姉のいる知人に言わせれば、それは自分が感じている恐怖と同質だとのことだったが。そんな良い関係ではないと理逸は思う。

 閑話休題。

 腹をくくって息を深く身の内に落とし、理逸は語る。


「……地下で拾いました」

「そいつ金になるのか」


 即座に切り返してきた。深々は四拍子でテーブルに左の人差し指を打ちつけはじめる。


「おそらくは」

「厄介の種になるか」

「たぶん」

「すでにやらかしている可能性は」

「ないと思います」

「『漂着者』か」

「希望街の他は話題に出てませんので」

「背後関係は洗ったか」

「それはこれから」

「ここに入るところは誰かに見られたか」

「見られてません」

「自爆や暗殺の可能性は」

「吊り下げて持ち上げたときに暗器など仕込みがないのは確認してます」

「体内に仕込みの可能性は」

「歩き方的にも外科処置で爆弾埋め込みとかされてないのは明らかだったでしょう」

「その娘の機構デバイスのことを知る者は」

「この場の人間だけのようです」

「ぁと、警備兵に見られたでしょぅ。戦闘でやむをぇず」


 理逸の説明不備に訂正の文言を追加してくる。

 これを耳にして深々の規則的な指の動きが止まった。

 しん、とする。

 日陰とはいえ暑さの抜けないオフィスが、一気に温度を下げたように感じた。場の全員が固唾かたずをのんだ。理逸の胃が痛んだ。

 深々が、目を伏せて左手を拳にする。


「それは失策だ」


 断じた。

 理逸は冷え落ちる空気と共に頭を下げるほかない。空気と共に、床まで届けと勢いよく下げるしかない。


「……すみません。ですが、」

「ぁれは不可抗力だと思ぃます」


 なんとか弁明しようとつづけたところに、スミレが口を挟んでくる。状況的に自分を追い込む物言いだとわからないのかこのガキ、と理逸は視線で訴えたくなったが目が合わない。


「深々さん、見られたのは俺の行動にも原因がありまして」

「ですね。ゎたしも使ぃたくて使ったゎけではなぃですし」

「おい少し黙ってろ……!」

「意見感想を言ってはぃけませんか?」

わきまえろということだよお嬢さん、黙っていろ」


 大きな声ではないが、言葉と言葉の隙間に差し込むような声音だった。思わずスミレも止まっている。


「いま私は部下から話を聞いている。それに、顔見知りでもないのに挨拶もせず五回も勝手に口を開いたのは子どもであっても見過ごせない無礼だ」


 最初の開口一番からちゃんとカウントしていたらしく、ぎろんと視線を上げて深々は断じた。


「たとえきみが同意なくうちの円藤に連れてこられたのだとしても。そうなった理由が自身の機構使用を見せてしまったことに端を発するならきみの落ち度であり、招かれる要因をつくったのはきみだよ。そして招かれたならば最低限の礼儀は態度で示さねばならない。話をするのはそれからだ」

「郷にはぃっては郷に従ぇ、と?」

「この街で生きていきたいのなら」

「なるほど」


 物おじせずに深々と向き合うスミレを見て、はらはらする理逸だった。機構という危険物を所持している以上は放っておくなどできなかったが、それでもほかにやりようはなかったのか、と早くも後悔し始める。

 やがて、スミレは一歩引くと丁重に頭を下げる。

 腰からしっかりと身を折った最敬礼で、頭のつむじを深々ヘ見せてから顔を上げた。


「無礼をぉ許しくださぃ。どの道連れてこられた以上最終的にはそちらに従ぅほかないと思ぃ、反発心からャケになってぉりました」

「という芝居だろう」

「……」

「最初からここまでの流れがきみの想定内だったわけだ。ちがうか?」


 矛を納めてやっと落着するかと思いきや、鋭い指摘で深々は話を再加熱した。スミレがぴくりと身じろぎして止まる。


「反抗的で恭順の素振りがない姿勢を見せて、私がどう出るか見定めようとしたね。円藤はその場できみを即殺害して機構を奪うほど食い詰めた貧民ではない、つまり最悪のパターンは脱している状況だがその円藤の上役はまだ内面が読めない」


 深々は言葉を切った。そこでスミレの黙ったままの反応から間違った推論でないと確信を得たのだろう、指摘をつづける。


「だから部屋に入った途端に畏縮するこいつを見て私の内に獣性があるときみは考え、またしても自身と関係した希望街の連中に不安要素が増えたため、媚びるよりも端的に能力と要望を伝えて私の出方を見ようとした。私が怒ろうと落ち着いていようと先のような謝罪のまとめ方をし、考え方の傾向から分岐する対応策のいくつかに当て嵌めようとしたわけだ。さて、採点いただこうか」

「……仰せの通りですね」


 子どものなりをしてあきらかに子どもらしからぬ読みと動きを成していたスミレ。今回は深々の年の功が読みを上回ったようだったが、二転三転するやりとりの二転目で脱落した理逸からするともはや子どもとして扱う気にはなれない。なんだこいつは、というのが正直な感想だ。


「よかった。それで、実際に見てみてどうだね。私はそれなりに理知的で、獣性の出しどころを弁えている方だと思うが。我々はうまくやっていけそうか? 小娘」


 すいすいと話が進み、決断の局面となった。

 スミレは少しだけ考えた──ように見えたがもしやそれも芝居だろうか。


「良きょうに、扱ってくださぃ」

「良い心掛けだ」


 深々はわずかに唇の端を吊り上げ、今度こそ落着したようだった。


「ではつづいて、円藤を詰める」


 終わっていなかった。


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