Wrong way (10)

 医者の男は、加賀田造倫かがたぞうりんと名乗った。


「新市街から来たが、よもや南古野の人間でなければ客とみなさない……などということはあるまいね?」

「身分や出自で隔てることはないわ。ようこそ世渡妓楼閣へ」

「……新市街の奴か」


 男が纏ういやに清潔な──カルキ臭い空気に納得する理逸だった。

 南古野はこの通り治安が悪くまた水道局および新市街とは仲が悪いわけだが、だからといって人流行き来がまったく途絶えているということはない。あえて、スリルを求めるなどの理由で以てこちらの領域を訪ねてくる者はそこそこに居る。

 もっとも、たいていの場合一度や二度で飽き飽きするわけだが。繰り返しやってくるような奴は新市街でも出禁を食らっているような、要するに『娼婦を物扱いする』ろくでなしが多くを占め、そういう奴はほどなくして身を持ち崩し都落ちしてくるのが常だった。


 そんな、ここで働いていた折の知見を思い出しつつ加賀田を見やる理逸だが、彼の身なりと顔つきは都落ち民特有の危うさ、余裕のなさが見られない。だからといって安全そうにも見えない、そんな男だが。

 加賀田は図々しくもそのまま居座るつもりらしく、理逸たちと同じソファに腰かけると「茶はまだか?」と太りきった神経のなせる業としか思えないことを言う。

 この言葉を向けられた受付の男は先ほど引きずられたこともありよほど腹に据えかねたのか、持ってきたお茶が味もへったくれもないくらいグラグラに煮えたぎっていた。

 理逸たちはもちろん加賀田もこれをスルーし、そのまま彼は話をつづけようとする。小指で眼鏡の縁を押し上げた。


「ふふん」


 鼻にかかるような笑い声で、組んだ両手をわちゃくちゃとうごめかす。

 場の全員に一度目を走らせると、李娜に視線を固定する。かくかくと落ち着きなく膝を上下させながら加賀田は語りだす。


「研究対象と見込んで正解だった。この臭気、キミの足は壊死が起きているな。なるほど楼主が死ににくいというのは本当らしい……ここまで病状が進行し、また肌質にも顔立ちにも老いを感じさせるというのに、」


 シュッと音を立てて湯飲み(すでに飲み干していた、早い)を投げる李娜だが、姿勢をほとんど変えずに加賀田は横合いのクッションでこれを防いだ。目には青の光があり、機構の発動を解いていない。視覚の拡張で見切ったのだろう。


「いきなりひどいではないかね?」

「身分や出自の差別はしませんけれど。礼を失した人間を客と呼ぶほど、この店は格が低くはないのですよ」

「事実の指摘が失礼にあたるとは思わなかった。思わぬところで生じた軋轢、だが、詫びるとしよう」


 加賀田は深々と、けれど素早く頭を下げた。とはいえそこに嘲弄や皮肉の色はなく、本当に知らないからそうしてしまったというような空気があった。

 奇妙な男の登場で、理逸の横では加賀田の席の分だけ詰めるしかなかったスミレが、ひどく不愉快そうに脚と腕を組んでいた。けれど席を立つ気にもなれないらしく、縮こまっている。


「苦手か、こういうやつ」


 小声で言えば、スミレは「苦手です」と素早く返した。


「苦手とぃうょり、嫌ぃです。大人はだぃたぃ、嫌いですが」

「それは知ってるよ」

「そのなかでもこぅした手合ぃは、とくに嫌ぃです」


 好き嫌いが激しいのは理解していたが、こうまで毛嫌いと呼ぶにふさわしい態度をとるとは思っていなかった。若干理逸は驚く。

 女を買う、という手合いが嫌なのだろうか。そういえばここへ来る前に理逸が李娜との面識を語ったときも、「買ったのか」との旨を尋ねてきていた。ややもすると彼女にとってセンシティブな話題なのかもしれない。

 そんなことを考えている間にも、加賀田と李娜のやり取りは進む。

 ちなみに欣怡は自分が関係しない事態だと捉えたらしく、加賀田の話が長くなりそうだと判じた時点で腰を上げた。


「どこ行く」

「うーん。トイレ。子どもたちの消息に繋がりそうな話は覚えといて」

「そんなに中座する気か」

「話聞くだけなら三人もいてもしょうがないでしょ? だいたいコレしばらくは事件と関係ない余計な話になりそうだし。労力は分割してことにあたるのが情報収集の大原則だよ。私を無駄に遊ばせておかないでほしいよね」


 無責任な言葉を残してそそくさと手洗いに消えた。

 李娜と同じ空間にいることが気まずいから逃げた可能性が高いように思った。


「……逃げましたね、ぁのひと」

「だろうな」


 同じことを考えていたスミレと肩を落として、ともかくもつづいている会話に参入する。

 李娜は硬い顔つきのまま、加賀田をたしなめていた。


「お客様。ここは浮世の疲れを忘れて快を貪りつくしていただく場ですの。そうした正規の理由を持たずしてここを利用していただくのは、甚だ不愉快よ」

「? 客の要望に応えるのがサービス業の本懐であろうし、私はただ死ににくい個体としての生態を調べさせてもらえればそれでいい、と言っているのだぜ? 別段身体に無理はさせないし傷つけたり痛がらせたりしない。なんなら業務としては早く終わるのだ、ひどく効率的だろう?」


 本気でわかっていない顔で、加賀田は述べた。

 そんな彼を睨んでいた李娜だが、やがて、彼があまりに職というものを考えていないだけで他意はないと気づいたらしく、ひとつ深くうなずいてからこめかみを押さえて応じる。


「それは私たちに対する侮辱です」

「すべきことをしなければ報酬を貰うに値しない、と?」

「まず一点。ここで売っているのはコミュニケーションなのよ。『身体を売る』とはよく言うけれどそれは比喩であり、モルモットになるつもりはありません」

「化学実験の場における被験対象の話であるなら、モルモットよりテンジクネズミの方が正式に扱われている個体種別としては大勢を占めるとお教えしておこう」

「それはどうもご丁寧に」

「いやいや。言葉を正確に対象を精確に扱うのは科学の基礎であるからして」


 李娜も応じ方がわかってきた様子で、適当にあしらう。話をつづけた。


「私たちはお相手の時間当たりの性的な欲求充足に対して、自分を毀損しない程度にお付き合いすることを仕事としています。けれどそれ以上のことには職務としてお付き合いできないし、そうあることで己を保っています。言っていることがおわかり?」

「んー……性的欲求の充足に付き合わせるより、簡単で・かつ・安全な提案をしただけのつもりだったのだがね」

「それが簡単で安全かを決めるのは受け手である我々よ、いかに一般常識があなたの側につこうともね」

「そういうものかな?」

「逆に訊きますが、あなた、『単純労働かつ給金は普段の時間あたり給に対して、倍だから』とこの区画のごみ掃除に誘われて、素直にうなずくかしら?」

「おぉーなるほど。ストレスの受容度とその方向性は個体の生育環境に大きく左右される。しばらく実験室にこもっていたので忘れていたよ」


 フィールドワークはやはり欠かせないな、と頭を掻いて、やっと加賀田はお茶に手をつけた。

 一息に飲み干して、李娜に向かって両腕を広げてみせる。


「しかしこの加賀田、あなたとの受け答えの場を設ける方法がこうしてあなたを買うほかに思いつかなかった故、こうして馳せ参じた次第だよ。時間当たりの奉仕行動の枠上で協力願えると思っていたのが私の浅慮だった非礼、あらためて詫びよう」

「いえ、お客様ですもの。ルールの説明は当然のこと、お礼を言うには及ばないわ。それで、理解が及んだのならはじめるの?」


 鎖骨にかかる煽情的な肌着の肩紐を、するりと落とす。達人の居合に等しく、動きを感じさせない動きだった。もったいぶった印象も投げやりな印象もなく、ひたすら情欲に点火するまでの効率を上げた動き。

 李娜の匂いに慣れておりここの空気に惑わされない理逸でさえ、思わず目を背けるしかないそれ。それを、加賀田はまるでなかったようにいなした。

 おそらくは感覚封印マスキングで肉欲を制御している。

 彼は首を横に振った。


「いや、そのうえであらためて実験協力をお願いする。なぜなら、知識欲の充足こそが我が悦びなのだぜ、楼主」

「だから私の身体の仕組みメカニズムにしか興味がない、と?」

「んん。感覚封印マスキング無しならそうもいかないのだろうが、封じれば封じられるのなら封じられる程度ということだよ」


 さらりと言ってのけるが、李娜からするとますます己の職を軽く見られたと感じているらしい。ため息は深くなる。加賀田は取り繕うように言葉を継いだ。


「いや、気を悪くさせたならすまないがね……でも、なあ。どうだい楼主。実験に付き合ってあらたな知見を共にしないか? ホラ『己欲せざる処を他者に施す勿れ』と言う。裏を返せばわが知識欲のように『己欲する処』ということはその共有はむしろ『他者へ施すき』事柄と思って、こうして誘っているのだぜ」

「……なにかの引用かしら?」


 遠い目のまま聞き返す李娜。加賀田は固まって、理逸とスミレの方を見た。


「え? 知らない?」

「……論語でしょぅ」


 理逸に聞こえる程度の声でつぶやいたスミレを見て、おお、と加賀田はにっこりした。

 スミレはつい格言に反応してしまったようだが、しまったと思った様子で理逸の陰に隠れる。だが彼女を視界に入れてしまった加賀田は話をしようとする。


「なかなか博識なようだぜ、そこのお嬢さん」

「……どぅも」

「いまどき忠華国の金言などルーツをあちらに持つ者でさえ覚えちゃいないはずだよ。ルーツはもっと遠い国にあると見える肌と目の色だがどこの出身だ、お嬢さん」

「答ぇる義理はぁりません」

「たしかに。キミは客を取って私の相手をしているわけではないしな。撤回しよう」


 自分で問うて自分で撤回し、興味の矛先を目まぐるしく変更しながら加賀田はまた李娜に目を戻した。スミレは心なしほっとした顔である。


「まあともあれ、聞いてくだされよ楼主。死を遠ざける。それは医者にとって、最大のテーマだ」


 ぱん、と軽く手を叩いてその両手で口許を隠す。

 眼鏡の奥の目はまだ青く輝いている。

 医者を名乗るこの男は、命について語りをつづける。


「かつて災害前の日邦では平均寿命が九〇歳を数えたこともあるのだぜ。しかし第一災害太陽嵐により、紫外線宇宙線からの防御であったオゾン層が砕けた。天が破れて落ちてくるという忠華古代の憂いは現実となった」


 そのあたりの話は歴史の授業としてトジョウから聞いた。

 強烈な太陽フレアの観測、通信障害と電子機器のダウンにより人類の歴史を閉じかけた『再来のCarrington大断絶2nd』。

 そこから奇跡的に人類が復興を遂げ生存領域を確保しても、有害な宇宙線が降り注ぐ世界となったことは変わりない。この星で生き延びて、かつ遺伝子異常を生じさせないため人類は自分たちの世代すべてに代謝改造の微機ナノマシンを打ち込んだ、とのことだ。

 結論から言えば、代謝サイクルの促進で細胞の急速変異に対応させた。

 そう、理逸含め災害後の人間はすべてが、代謝改造微機の影響を受けていまの世界に適応した形質を獲得させられている、そういう存在なのである。


「代償として寿命は大きく損なわれ、五〇で天に召されるのが当然のものとなったがね。ともあれ、それも死を遠ざける活動の一環だ。医者として目指すべき地点だ……けれど近頃、研究に別軸のアプローチを加えたいと私は考え始めた。ただ死を遠ざけ『健康』であることだけが求めるべきものか? と根本への疑念を抱いたのだぜ、キミィ」


 楽しそうに加賀田は言い、膝の揺れを大きくした。

 スミレは答えず、理逸は話に参ずることかなうほど知識がない。

 結局、実験協力とやらを頼まれている側の李娜がつづきを促す。


「どのようなアプローチでしょうか」

「そうそこであなたに興味を持った理由に至るのだよ。すなわち、『適応』だ」


 加賀田は人差し指で李娜の足を示した。

 南古野の至宝、三寸金蓮とも呼ばれる足。かつての忠華国に近代まで伝わってきた悪習を、なにを思ったかこの崩壊後の現代に再現してみせた先代楼主の蛮行が結実。

 無謀と無茶の積み重ねに、けれど耐えて生き残っている李娜。

 生きているはずがないとまで言われるその身体状態。


「この短時間だが、キミの反応と動きとで病状の見立ては済んだよ。無菌室であっても合併症でいつ倒れ伏すともしれない身体だな。視力もほぼ失われており末端の血管はどれも疲弊しきっている。この常夏の日邦でも末端冷え症に苛まれているのではないか? 熱い茶に触れることもさほど気にしていなかったが神経障害も起きているのではないか? ……しかし、キミは生きながらえている」


 李娜の足を示していた指で、そのまま机の上にラインを引く。

 理逸たちと同じ側のソファに座っている彼が、李娜とのあいだに彼我を分かつ線を描いた。


「『適応』だ。適応できたからキミはそちら側で生きていられるのだぜ。それを導き出した乱数はなんだ? 仕組みはなんだ? 私は、そのカギが、プライアにあるのではないかと考えている。あれも状況への『適応』が生み出す能力だからな」

「そうですか」

「調査と実験に協力してはいただけないか? 謝礼はするし危害も加えない。ただプライアの研究を進めるため、『状態に適応した者』の情報を集めたいだけなのだ」


 加賀田は眼鏡を外してまぶたを下ろした。

 熱意があることを示そうとでもいうのだろうか、と理逸はぼんやり、冷めた頭で彼の熱弁振るう姿を見ていた。

 李娜の生存力がプライアではないとのことは、だいぶむかしに調べがついているからだ。能力保有者はみな脳の一部(機構を扱う際にも活性化する部位)である松果体の発達が見られるというが、李娜は検査してもそれがなかったらしい。


「申し訳ありませんが、そうしたことにお応えするのは私の職分から外れますの」


 本人も自身が保有者ホルダーでないと理解しているからだろう、さっくりと断った。もちろんそれ以上に、提供サービスの外のことをしては他の顧客に示しがつかない、というのもあるのだろうが。

 なんでもありの領域だからこそ意外に繊細な了解の上で成り立つものなのだ。

 さてそんなことを知る由もない加賀田は、苦々し気な顔だ。


「そうか……」

「ええ」

「では少々、不本意ではある・・・・・・・のだが」


 言って、加賀田がまぶたを開く。

 その目に青の光がない。

 おや、と思っていると横でスミレがこわばる気配があった。


「少しばかり無理にでもご協力願おう」

「……?」

「──【もっとも強く】【深く】【感じ入った】【記憶】【に】【ついて】【話せ】」


 がくがくと区切りと調子の外れ方がひどい、発音だった。

 途端、李娜がぼうっとした顔つきになった。

 焦点の合わない視線がゆえに、もともとそのような印象が強いのだが。一層、口許の感情の表出が見えづらくなったといおうか。

 感覚が抜け落ちたように見えた。


「……あれ、は、十三の頃の……」


 抑揚のない声で、李娜がぼそぼそと話をはじめる。

 途端、加賀田が嬉々として身を乗り出した。

 その様でこれが彼の意図した結果であり、彼が原因で起きていることだと理解する。ぞわっとするものが背に広がった。この男、機構運用者デバイスドライバでありながらなお、人知と法則を無視した能力をも使用している。

 つまり。


「《二重実行者ダブルヮーカ》です」スミレが言う。

「目の機構発動光が落ちたのはプライア発動のためか」理逸が返す。


 ──洗脳、催眠の能力。系統は救助でも逃避でも反撃でも、どの可能性もありえそうだ。

 ともかくも了解を得られないからと勝手に相手の記憶を聞き出すのは、あまりにも理逸には受け入れがたい。いますぐやめろと告げるべく隣の加賀田の肩をつかんだ。


 しかし、即

 投げ飛ばされ、

 ている、


 と感じた瞬間に天地逆さにソファから離れた床に転がされていた。


「っつ、てめえ……」

「大丈夫だよ。彼女は話した内容も話したことそのものも忘れる。前後は矛盾の出ないよう記憶を埋めて、ただ私と少し雑談しただけだと思い込むのだぜ。私は知見を得られてハッピー、彼女はなにも傷つかずいつも通りの給金を得てハッピー。両得というものだよ」


 ゆらりと立ち上がる加賀田の目にはすでに青の光が戻っていた。機構の補助を得て即座に戦闘用に動きを切り替え、座ったままで理逸を投げたのだろう。

 姿勢を立膝まで戻す理逸だが、立ち上がった加賀田には隙が見えない。

 先ほど、受付の男のしがみつきを払ったときにもさして動きに速さはないのに、ゆうゆうと倒したのを思い出す。あれは相手に自分の体内の重心位置を誤認させることで緩みを生み出し、そこを手刀で押し切る技だった。

 つまり身体の構造と反射を駆使した、武術の動き。


「一見して立ち合ったらめんどくさそうだなと思ってたが、現実になってほしくなかったよ」

「そんなことどぅでもぃいです。それょり」


 理逸から一直線上、加賀田を挟んだ等距離に居るスミレが口を開く。

 同時に彼女の掲げた手元からちゃきりと金属同士の擦過音。

 うん? と半目で肩越しに振り返る加賀田に、スミレは亜式拳銃サタスペを向けていた。


「前後の記憶を矛盾なく埋めるとぃいましたね」

「言ったとも、お嬢さん」

「ぁなたが子攫ぃの犯人ですか?」


 端的な確認に、加賀田は答えなかった。

 ただ、立ち姿に力が満ちた。

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