Wrong way (11)
前後の記憶を矛盾なく埋める。ゆえに、犯人である。
それは、記憶操作が可能な統率型を持っていたスミレだから自然にたどり着いた発想だろう。
事件はひそやかに行われたのではなく……『認識されなかった』という発想。
催眠能力ならば可能であり、加賀田は否定しなかった。
李娜のぼやけた語りがつづくなか、彼は肩をすくめる。
「さてさて。ずいぶん怖い顔だぜ二人とも」
加賀田は無言で両掌を胸の高さに上げる。
右が前、拳一個分だけ左が後ろ。足幅は広く取らず一歩だけ右足を前に進めた。すっと高く天井へ伸びあがるようなまっすぐな姿勢で、微かに笑んでいる。
忠華国の一部武術のような、腰を落とした安定感などとは異なる。けれどステップなどはなくべた足で、足のスタンスを変えることもない。リズムとペースを擦り合わせて打ち合うタイプではなく、対応力と瞬発力で決めるタイプ……そう見えた。
眼鏡は外したままだ。それでいて青い機構発動光を目に宿している。体内に持つ
どれであってもおかしくはない。
ゆえに速攻で向こうの手札の選択時間を削る。理逸は飛び込んだ。
「捕えて、吐かす」
伸ばした左足の爪先でローテーブルの端を蹴り上げた。横に立っていた加賀田は当然これを右半身で受けることになる。
が、彼は機構運用者。
とはいえ理逸もそれは予測済み。屈んで回避する。
そして次手。これが本命。
本命は──蹴り上げとほぼ同時に握りこんだ右手の
低く握った右拳に向かって、ソファが引き寄せられ床を滑る。
ドッ、と膝裏に食らい加賀田は着座した。
「おっ、キミぃ
なぜかうれしそうに加賀田は言う。わけがわからないが、それもふんじばってから訊けばいい。戦闘中の理逸の思考は限りなくシンプルだ。
左拳を握り、間髪入れずの引き寄せ。座ったばかりの加賀田のネクタイを引く。真後ろに倒れこんだ直後の正面への力で、頸部には相当の負荷がかかる。むち打ち必至だ。
ダメ押しの右拳を振りかぶり、顔面に叩き込もうとする。
空を裂く全霊の《白撃》。
理逸の拳はみるみる内に肉薄し、加賀田の目に宿る青の光を閉ざす。
いや、
否──。
閉ざした、と思いこむほど肉薄させた上で、
かわされた。
「何?!」
「威力はあるけど隙が大きい体術だ。その不足を埋めるためのプライアか」
加賀田は、のけぞっている。
結び目に指を突っ込みネクタイを緩めることで、引き寄せの力をいなした。これで拳一個分後ろに下がる猶予が生まれ、理逸の右拳を鼻先すれすれで回避していた。
引っ張られてからではとても反応できないはず。つまり、ソファへの引き寄せを認識して即座に「物体を引っ張る力」と理解して「次手はネクタイを引きむち打ちを狙う」まで予想して対処したのだ。
早すぎる思考速度と反応。
相当、高レベルな機構を身に着けている。
「じつに興味深いが、いまは楼主の話を聞くのに忙しいのでね」
言いつつ加賀田、長い脚で蹴り上げ。真上に打ち抜く軌道で、座ったまま理逸の顎を狙う。
とっさに左腕を割り込ませて防ぐが、逆の左足で無防備な鳩尾を蹴られた。ごほ、と身を折ると、顎を蹴った右足が眼前から掻き消える。
まずい。弧を描いて理逸の横を足先が周っている。
かかと落としで後頭部を狙うつもりだ。
全身の毛が逆立つ危機感に襲われ──直後、弾ける火薬の音でこの痛打はもらわずに済む。
亜式拳銃による威嚇だ。スミレがわざと加賀田の横合いめがけて銃弾を撃ち込み、その発砲音で場の流れを断ち切る。
「次はぁてます」
「んん? 歳の割に気合の入った子だ。けれど撃つやつは無言で撃つというのが私としても経験則にある。キミぃ、どっちかな?」
流れを断たれたとはいえまだ優勢を確信した声音で、加賀田は軽く言う。彼のリズムは崩れていない。
当てる気がないのを見透かされているか、はたまたそこまでではないか。わからない。
理逸が呼吸で痛みを押さえて向き直ったとき、加賀田はもうスミレの前に躍り出ていた。
弾は残り一発、しかしスミレは理逸と同じく殺しを是としない。至近距離では発砲できない。
スミレの表情に迷いが、一瞬だがよぎる。
加賀田の魔手が迫る。
早くはないが不思議とかわせない、気味の悪いモーションだ。
なんらかの武術の達人の動きを、おそらくこいつは
加賀田の背に向けて理逸は拳を握る。スミレをやらせる気はない。
ところがプライアが発動する手ごたえと同時に、加賀田は転身してこちらに向かってきた。あまりにも素早く、残像すら見える動きで。
理逸は失策を悟った。読みが甘かった。
「くそっ!」
彼は武装解除のあとにプライアで狙われることまで織り込み済みだったのだろう。
これもまた罠。加賀田はどこまでも、この戦闘におけるリズムを手中に収めている。
彼はスミレを無力化しても仕留めるつもりまではなく、理逸を先に倒すと決めていたのだ。
だからわざと引き寄せを身に受け、勢いに乗る。
「眠っていただこうか」
鋭い槍のような右横蹴りで理逸の顔面を狙う。
屈んでかわす。見切られている。錐もみ回転して左の後ろ回し蹴り。肩に受けて理逸は吹き飛ぶ。機構で強化された人間の打撃は、体格がさほど肉厚でもない加賀田のような者のそれでも重く響く。
加賀田によるとどめの一撃、踏みつけが迫る。
けれどそのとき、
理逸は伏したスミレを視認し、
彼女の口が動くのを見た。
「──
それは、まるでおとぎ噺のなかの呪文のように。
わずかだが加賀田を縛りつけ、硬直を発生させた。
隙というにはあまりに細く薄い一瞬だったが、理逸が右拳を打ち上げるには十分だった。
リズムの狂いを、致命の一打に持っていく。
立ち上がる力を利して、手の甲側を下に向けたパターンの《白撃》を見舞う。
加賀田はこれを、またものけぞってかわした。またこの上体を逸らす勢いを使って、踏みつけではなく真っすぐな前蹴りに移行していく。
理逸は殴りつけた右腕でブロックするがそれごと脇腹を押し込まれ、また後ろに吹き飛んだ。
それでもなお握って閉じない拳越しに、加賀田と目が合う。
彼の目には──
先の理逸同様に自分の失策と未熟を認めた色がある。
蹴りは反撃ではあるが、苦し紛れのものだった。
理逸が殴るため、かつ
「がっ……」
うめき声をあげ、加賀田の目の光が明滅する。
とどめに移る瞬間。スミレの呪文じみた一言でリズムを乱したタイミングで理逸が放った攻撃は
プライアで重たげな卓上ランプを引き寄せ、背後から後頭部を狙った。
どちらかをかわせばどちらかが命中する。
加賀田は、二つの軌道上に自分が位置してしまったと悟って、敗北を理解しながらも蹴りつけてきたのだ。
倒れ伏した彼を見て、理逸はハァと息を吐く。肩も腕も痛むし、すぐに尻をつきたい気持ちだった。
「……助かった。ありがとな」
だが膝を屈することはせず、まずはうつぶせで倒れているスミレに近づき、手を貸すことにした。
「どぅいたしまして」
それには及ばないと言いたげに、スミレは自分で膝をはたいて立ち上がるのだった。
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