Winding wheel (15)

 火事場を見に来た野次馬たちのなかで明らかに異質な、三人組。

 服装だけでなく、その佇まいの隙の無さが、明確な目的意識を感じさせる。

 理逸たちのいるビルへ向かってきている。だが三人全員で上がってくるのではなく、見張りが一人残って屋上からの飛び降り逃亡に備えている。二人のみがビルへ入ってきたようだ。そこまで確認して、理逸たちは下からの仰角で銃撃を見舞われない位置まで下がった。


「連戦は避けたいぞ。とくに銃持ちの機構運用者二人を相手したら確実に勝てねぇ」

「逃げればょいでしょぅ。まだ向こぅにこちらの手の内が割れてはぃなぃはずです。ぁなたのプラィアで飛べばいぃ」

「まあそれはそうなんだが……於久斗がこのザマじゃ、逃げる難易度も上がる」

「……俺は、意識を失っていたか?」

「だいぶぐっすりとな。命狙われてたのも、覚えてないってくらいには」


 足元に転がる射手の男、およびさっきスミレが捨てた制式拳銃から、状況については察したらしい。苦い顔つきで「火事も、俺を狙ってか」と述べたので「マスクと防護服を見る限りはそうだろうな」と理逸は応じる。

 運んでいた箱の中身を見せればまた、意識が混濁するかもしれない。理逸はそれとなく於久斗から荷を遠ざけつつスミレに言う。


「発煙弾は於久斗の無力化のため。マスクや防護服も火事場で生き延びるため。と考えると奴らが於久斗を狙ってるのはあきらかだな」

「ぇえ。彼のプラィアにつぃても『出ゃがるのか』と発言してぃましたし確定でしょぅ」

「制式拳銃だったが……水道警備兵か?」

「さぁ。直観ながら、カガタのょうな軍式コンバットの色はなかったょうに思ぃますが。さりとて水泥棒戦でもなぃ平時に警備兵がこんな暴挙を働ぃたとは考ぇにくぃです」

「ふうん……狙ってる奴らも狙ってる理由も気になるが、確証が持てないならいまは後回しにするとして……どうしたらいい? 飛べばいいっても、於久斗を抱えると俺のプライアじゃ重量制限ギリギリだ。お前を置いていくわけにもいかねえし」

「三人まとめて逃げればょいです」

「どうやって」

「オクトさん、影を出してくださぃ」

「《墨重セピア》のことか」


 さらりと出てきたので一瞬わからなかった理逸とスミレだが、数舜を挟んでそれがプライアの名称、というか彼のつけた技名だろうと理解する。切羽詰まった局面で間の抜けたことを言わないでほしかった。スミレが若干イラつきを見せつつ急かす。


「なんでもぃいですが、早く。時間はぁりません」


 階段からはまだ足音が聞こえてこない。理逸たちが降りて各階のどこかに隠れている可能性を案じて、フロアごとにクリアリングをしているものと思われた。だがそう長くはかからないだろう。

 於久斗は言われるがままに影をにじませ、全身にまとった。スミレはうなずき、柵を指さす。


「柵を越ぇてくださぃ」

「下から狙われてしまうぞ」

「ぃいからはやく」


 しぶしぶ、於久斗は従った。柵を越えて屋上の縁に立つ。下を見てぼやいた。


「さっきの男と同じ格好の者が、間違いなく俺をにらみつけているが」

「そこから俯角にして何度くらぃの位置です?」

俯角フカク? ……深さDepth、か?」

下向ぃたAngleときのof角度depression

「ああ。六……いや四十五度以上、五十度以下のあたりだろうか」

「飛び降りてくださぃ」

「正気か?」


 影を纏い顔が見えない於久斗の声には、顔をしかめた色がある。理解を得られていないことに対してであろうため息をつき、スミレは理逸を見た。

 理逸はなんとなく彼女の意図を察していた。


「こいつをクッションにするわけか。でもこのプライア、重力は無力化できないんだろ」

「内部への重力が、とぃうだけです。影表面への力積はすべて無力化してぃましたので、外からぶつけられるものにかかる慣性も無力化できるはず」

「ならいいけど」


 スミレの言を信用し、理逸は彼女を背負い構えた。於久斗は怪訝な顔をしていたが、最終的には指示に従った。


「三秒で飛び降りるぞ。三、二、一」


 だっ、と縁を踏み切ったのを見て、理逸も柵を飛び越えた。瞬時に引き寄せで、於久斗の背に張り付く。

 下から狙っていたマスクの男は銃を抜いていたが、於久斗に当てても無意味だ。理逸とスミレも前面を完全に於久斗に預けているためやはり、当たらない。


 そのままズン、と沈み込むように着地。


 理逸たちにかかる力は踏みつけていた於久斗の背中の影に吸われ、一瞬身体の重さがなくなったような奇妙な感覚に襲われる。三階からの飛び降り着地だというのに身体にかかる負担はゼロだった。


「降りろスミレ!」


 叫び、背中にしがみついていたスミレの手が離れた瞬間、理逸は於久斗の肩越しのプライアでマスクの男の銃を引っ張る。あさっての方を向いて銃撃が逸れた瞬間、逆の右拳を握りこんで自分を相手に向かって引き寄せた。

 距離を詰め、加速のついた右拳を叩き込む。銃を持たない左手で受け止められ、いなして崩されそうになった。


 だがそのときには理逸も後ろを顧みて視界に於久斗を捉えている。右拳のスイングで引き手となっていた左拳を握ることで引き寄せられた於久斗が猛然と迫ってきて拳を繰り出し、二対一で左右から押し切る。手数に加え、於久斗の拳はプライアの効果ではたき落としパリイングを受け付けない。知らずに格闘すると行動選択肢が減って、非常に戦いづらいのだ。

 結果、マスクの男は徐々に拳に打ち据えられる。二人の拳が制式拳銃を叩き落とし、防ぐ腕からマスクまでを這い上って、左右から同時に顎とこめかみを抉った。

 膝を屈して倒れたのを見て、理逸はすぐに後ろにいたスミレを引き寄せる。野次馬が突然の乱闘にどよめいているいまのうちに、群衆にまぎれるのだ。


「すぐ逃げるぞ。組合うちのシマまで」

「だめです」


 小脇に抱えたスミレに耳をつかんで引っ張られ、さすがに痛くて理逸は動きを停止した。


「なんでだよ」

「戦闘班が四人だっただけです。いまぁなたたちの格闘を見てぃた群衆に、挙動がぉかしぃひとが多数混ざってぃました。野次馬をゃめて消ぇたひともぃます。報告に向かったのでしょぅ」

「……監視班はもっと多いと、そう述べたいのか」


 重々しく言う於久斗に、スミレはうなずきを返す。


「オクトさんが組合所属で、ぉそらく組合を頼るでぁろぅことまで織り込み済みです。そちらは袋小路と考ぇるべきです」

「じゃあどっちに逃げる? 沟や笹倉組の領域にいっても余計こじれるばかりだ、ぞ…………」


 理逸が問いつつ、途中で答えに行き着いたので語勢が弱まる。そのトーンダウンでスミレも察したらしく、「選択肢は、それしかなぃと思ぃます」と答えた。

 於久斗だけが状況を理解しておらず、影のなかで目を白黒させている――ような気配があった――ので、理逸は彼を引っ張って移動をはじめながら語る。


「《外》だ。新市街側へ抜ける」

「だが三番よ。そちらに張り込まれていたらどうする?」

「張り込まれてるのは想定済みだ。それでも、向こうに行けばIndependent District連繋系Webの外に出る。奴らのWebの外に行ける方が絶対にマシだ」


 統治区連繋系IDW。朝嶺亜が機構デバイスを外すため、《外》を迂回するルートで都落ちさせられることになった理由とも言える通信網だ。

 それは新市街および南古野を囲む一定範囲のみで有効なもので、内部にいる人間の装備した機構(ただし、南古野の荒くれ者たちに使われるようなものは除く)を強化補助する。機構保有者同士の情報リンクや戦闘プログラムのアップデート。あるいは個人アカウントによる使用制限・・・・ロックの常時更新・・・・・・・・などなど。……だから、警備兵は強いのだとも言える。

 この通信網は織架の作成した、電波により送受信するのだという通信機よりよほど広い範囲をカバーした上で多彩なやりとりを可能としている。旧時代はこのような電子の情報網が世界を覆い、星の裏側とさえ即時の通信ができたというから大したものだ。もっとも、四大災害がひとつに数えられる太陽嵐の際にその網もばらばらにされたのだが。


「あいつらが水道局の警備兵かはわからねぇが、少なくとも南古野の荒くれ者が使う体術じゃなかった。なら新市街民だ。奴らを相手するなら統治区連繋系の外に行けば情報リンクが切れて、多少は逃げやすくなる」

「なるほど。まだ逃げきれる芽が、あるのだな」

「決まりですね。逃げ道は組むことできそぅですか?」

「おおまかには考えた。於久斗、運送屋はこの方向に迂回ルート用の『車輛』持ってたよな?」


 車の機動力があれば、開けた道を進むことになる《外》の迂回路ルートで追いつかれずに済むはずなのだ。

 理逸が横を進む於久斗を見た。彼はこわい髭の奥で口を引き結び、こくりとうなずく。


「あるにはある。新市街と行き来するための車輛置き場だな」


 運搬は社会インフラである。そのため、いかに治安の悪い南古野といえど車やそれに類する運搬用品には手を出されにくい。

 とはいえ万が一なにかあってはいけないため、組合でも定期的に見回りをする箇所として設定されているのがその車輛置き場だった。だから、理逸も知っていた次第である。


「だが俺は、運転などできないぞ」

「俺も実際の経験はねぇよ。でも動かし方は知ってる」

「どぅせオルカさんのぃれ知恵でしょぅ」

「たまに役に立つ知識をくれるんだよな……」


 頭の中で、窓を壊して内部に入りハンドル下のカバーを破壊して配線をいじるイメージを浮かべる。織架の工房で一度やったきりだが、仕組みがわかっているのでまあなんとかなるだろう。

 小走りに裏道を抜けていき、ほどなくして三人はビルの隙間に小さくひらけた空き地に停めてあった車輛を見つけた。

 角のとれた、丸みを帯びた白っぽい四角……という印象が真っ先に立つ。ところどころ塗装の禿げたボディは赤茶けた錆が浮き、ヘッドライトを覆うカバーも透明ではあるが黄ばんでいる。

 四つの車輪で全体を支えられており、乗り込む運転席部分の後ろは荷台になっていていた。たしか『ケートラ』という種類である。旧時代には電気制御式のものも出回ったそうだが、内部CPUが太陽嵐の際に破損してしまい実働に耐えるのは結局燃料式しか残らなかった、と織架は語っていた。またそのCPUが本来はハンドルのロックや鍵との照合を担っていたため、それを要しない旧式の車種なら『外法』が可能なのだ……とも。

 窓を石でたたき割り、内側のカギを外す。ドアを開いて乗り込み、ハンドル下のカバーを外す。ポケットに入れていた工具類からニッパーとペンチを出して、必要な配線を切りつないだ。これが織架直伝の外法である。

 一瞬、車体が大きく震える。

 うまくいった、と理逸はハンドルを握りアクセルを踏もうとした。

 ところがぷすんと音がしてガクンとつんのめる。メーター周りになにやら表示灯がいくつも点き、まるで理逸の不手際を責めているようだった。荷台に乗っていた於久斗も小窓越しに、不安そうにこちらを見る。


「おいなんでだ。なぜ止まる」

「ミッションだからです」

「なんだよ、ミッションって?」

「ミッションはミッションです。まずブレーキとクラッチペダルを踏みこんでくださぃ。それから始動し、シフトレバーでギァを一速に。クラッチをゅるゃかに上げつつァクセルを軽く踏み、ぅまく回転がすり合ったら」

「待て。ギアがどうだのは知ってるが、これ、そんなに運転するの手間なのか?」


 珍妙な専門用語をつらつらと――またしてもなぜこんな知識を持っているかは不明だが――述べ始めたスミレに理逸は制止をかける。隣の彼女はぴくりとして、理逸の顔をまじまじと見つめた。


「ミッションのこと、理解してぃなかったのですか? ょくもまぁそれで動かし方は知ってぃるなどと大言壮語を吐けたものです、驚き呆れて言葉もぁりません」

「罵倒は受け入れる、受け入れるから、どうすればいいか教えてくれ」

「……正直こればかりは感覚と経験に依存します。実際の運転はしたことなぃと言ぃましたが、オルカさんと運転の練習経験は? 機構にょるシミュレータとか」

「まったく、ない……この始動のつなぎ方しか、教わらなかった」


 車の類の文明がほとんど死んだ南古野で、そこまではさすがに教わっていない。運搬・交通がインフラでもっとも大事なものだったというなら、それに要する道具たる車の運転もさほど難しくはないと睨んでいたのだが。


「見積もりが甘ぃ」


 いよいよ丁寧語すら外されたが、返す言葉もない。このままでは逃げようもないので、別のルートで逃げるしかなさそうだった。

 歯噛みしつつドアを開けて外に出ると、そこで、ひょろりとした人影が角を曲がってくるのが見えた。


「ん? 《蜻蛉》か。こんなところでなにをしている」

「加賀田。あんたこそ、なんで」

「なんでもなにも、愛車を取りに来たまでだ」


 加賀田の指さす先には、ケートラよりも一回り大きな、ボディ各所に無骨なリベット打ちが張り出しており車輪も太くゴツい……屋根のない、飛び乗りやすそうな深緑の車輛が停まっていた。

 鍵を右手の指先でくるくるもてあそび、加賀田は笑う。


「あんた、それで南古野に来たんだな……車、持ってたのか」

「ああ、多企業軍レギオンを辞するときにもらった払下げ品でね、たまに動かさねば調子が悪くなるのだぜ。まぁ私が五四馬力、直列四気筒エンジンの奏でるこの唸りを定期的に聴きたいというのもあるが」

「運転できるんだな」

「当たり前だろう」


 言いつつ肩をすくめた加賀田は、ちょっと横に目線を走らせた。

 視線の先には彼の横にある壁。

 壁に、背後から影が伸びてきている。

 これを視認した瞬間に、瞳孔に青の光が宿った。

 まばたきを許さない速度で転身した加賀田の残光が目に焼き付いたあと、彼は背後から迫ってきていた防護服と制式拳銃の男に武装解除ディスアームを仕掛け終えている。まだ右鎖骨は完全に復調してはいないはずだが、それこそ平時のローから一気に上のギアに入れるがごとき『戦闘への淀みなさ』だけで戦うには十分なのだろう。


「どこの所属か知らないが、背後に立つなよ」


 銃を奪われたことに驚く男へ、躊躇なく二発発砲した。低く足に一発、崩れ落ちて膝立ちになったのを利用して顔面に一発。鼻を砕き、おそらく脳幹に届いたのだろう男はそのままうつぶせに倒れ伏した。


「で。なんだね、こいつらは」


 平然と撃ってから訊いてくる。やはり住んでいた領域がちがうのだな、と感じながらも、理逸は加賀田に告げた。


「わかんねぇけど、たぶんあんたも追われる身になったぞ」


 倒れ伏した男の目からも、いままさに青の光が消えるところだった――機構による、情報リンク。おそらく理逸たちを追う部隊の人間に、加賀田が仲間を殺害してのけたことも伝わってしまった。

 頭の回転が早い彼は理逸の言動で経緯と状況と自分の立場も把握したらしく、「ふむ」と納得の声をあげた。

 けれどとくに悲観したり嘆いたりする様子もなく、「じゃ、逃げるか」と先ほどまでと変わらない速度の歩みで愛車に向かうのだった。この姿を見て、理逸とスミレはうなずきあう。


「互いの生存率高めるため、同乗していいか?」

「呉越同舟……というほど我々は元から敵対しているわけでなし、構わんよ」

「ぁりがとうござぃます」

「礼には及ばない。まだ助かると決まったわけでもないのだからな」


 平坦な声にリアリストな言動をのせ、加賀田は差し込んだ鍵を回す。

 多目的General用途車輛Purposeと真ん中に刻印されたハンドルを握り、加賀田は四駆のいななきを轟かせた。


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