Winding wheel (16)


「加賀田がいない?」


 生活可能ビルの六階、会議室のひとつ下のフロアにある自室で深々は部下の報告を受けてつぶやいた。

 部下とは彼女が《目明しメアカシ》と呼んでいる、密偵だ。平素は一般人として市井に溶け込み暮らしているが、深々による要請があるとそのときだけ調査報告をおこなう存在となる。

 先代リーダーである十鱒が組織して南古野へちりばめたこの連中により、深々はさまざまな情報を手中に収める。たとえばスミレの素性、たとえば楊欣怡の経歴、たとえば加賀田の動向……といった具合だ。

 そう、所有するプライアが特異かつ有用であるため、加賀田については常にその動向を探るよう仕向けていた。『問いかけで他人に記憶を語らせるプライア』などというものが他派閥に取られても困るし、可能であれば手元において友好関係のもとに利用していきたいと考えていたのだ。


「尾行はせず、配置した人員の目撃情報を連ねる方式にしていたのですが……」

「元軍属の察知能力を甘く見たね。痕跡を消すのは朝飯前というわけだ」

「誠に相すみません」

「仕方がない。織架にアテがないか尋ねておくとしよう」


 組む腕がないため、深々は左手で右袖の肘辺りを握る姿勢をとる。癖になっているこの格好は、どうも他人にはとっつきづらさを覚えさせるらしいことを彼女はよく理解していた。目明しの男は恐縮した面持ちでぺこぺこと頭を下げて部屋を辞する。

 窓辺に置いたデスク脇に移動すると、深々は卓上に転がっていたパラフィン紙の包みを振って中身の煙草をくわえ、紙マッチを鋭く擦って火をともした。

 紫煙をくゆらせ、つかつかと歩く。室内の隅、ファイル棚の隙間のような場所にうずくまる影に近づく。

 ふーっと煙を吹きかける。影はぐほぐほ、とくぐもった声をあげた。

 パイプ椅子に縛り付けられ口をダクトテープで塞がれた中年男は、涙目で深々を見上げた。彼女は無視して、もうひと息煙を浴びせかける。男の衣服は襟の立った馬掛マァグァで、一見して沟の者であるとわかる装いだった。

 沟への交渉に向かう前に子どもの誘拐について各種業者を洗うなかで浮上した、《外》とのパイプを強く持つにもかかわらずこのところ動きのなかった人材仲介業者だ。調べたところマーケットの運営から外れ、沟の人間と行動しているところを多く目撃されている。それも、子どもの失踪時期と重なるかたちで、だ。


「加賀田が居れば、プライアで聞き出すことも可能だと思ったんだがな」


 拷問での聞き出しは結局、苦痛から逃れるための虚言妄言を疑いながらの行動となるため非効率なのだ。そう思いながら深々は部下を呼ぶ。

 ほどなくして床一面に撥水性のブルーシートが敷かれ、男はそこに転がされた。


「最後のチャンスになるが、沟の収穫祭の前後について訊こう。平常なら十九時前後で終えるはずの業務を、週に六日も超過労働していたな。この残業時間でなにをしていた?」


 じっと、左のみに残る目で睨む。男はここが自分の人生の分かれ目だと察した顔で、ぶるぶると顔を震わせた。

 ダクトテープをはがしてやると、勢いよく胃腸の中身を吐き出すときのように言葉をほとばしらせる。


「わからない、わからないんだ!」

「なにがわからない? 自分自身のことだろう」

「本当にっわからないんだっ!!」


 絶叫だった。

 迫真の演技で誤魔化そうとか、語勢で場の空気を自分側に引き込もうとか、その手のこざかしい読みによるものではない。

 自分自身への苛立ちと戸惑い、なぜこうなっているのか理由がわからず納得いかない憤慨。助かりたい一心以上に、この色が混ざりこんでいる。

 このように怒りの感情をあらわにする、というものに、深々はひとつ思い出す。認知機能に支障をきたした年配者が、記憶の混濁や部分的な消失によって「あるはずのものがない」との思い込みで憤慨している様……どこかそれと、似ているように感じた。


「知らない、ではなく『わからない』?」


 深々の問いかけはクリティカルなものだったらしい。

 自分で発している言葉だが、選ばず直感で無意識に出していた言葉なのだろう。きょとんとして、次いで腑に落ちたような顔をした。


「ああ……そうだ、わからない。訊かれて、思い出そうとしてみて初めて気づいた……その時間、俺はなにをしていたのか、皆目わからない」

「七月二日。その前後で、普段と異なる行動や接触はあったか」


 記録されているなかでもっとも古い、子どもの誘拐が起きた日だ。深々の口にした日付から男は懸命に思い出そうとしており、やがてはっとする。


「慈雨の会だ」

「慈雨?」

「やつらの教祖だ。『運び屋を紹介してほしい』と、俺のところに来て……でも結局、俺は斡旋して、ない……?」


 疑問そうに男は声のトーンを落とす。自分を疑っている色がまた強まっていた。

 経歴を見る限り、こいつはそれなりにやり手の人材仲介だ。仕事のタネになりそうなものをみすみす見逃すとは考えにくい。これをきれいさっぱり忘れ去っていたというなら、教祖になにか原因があるのかもしれない。


「教祖……大曾根おおぞねか」


 組合の長として何度か対峙したことのある、慈雨の会の長について思い出す。

 たたずまいがきっちりとしていて礼儀正しく、けれどふとしたときにくだけた態度を見せる、まあ油断ならない印象の男だった。

 ここにきて慈雨か、と深々は理逸のことを思った。面倒ごとに首を突っ込んでいなければいいのだが。


「大曾根はなにか印象に残ることを言っていたか」

「いや……その、斡旋を頼みたいということしか……でも、部下と運びたい品について、話していた」

「なんと話した」

「たしか、そうだ。部品ウィジェット……と、言っていた」


 部品――どうにも、キナ臭い。

 運と間の悪い義弟にして弟子がそのワードの近くにいるような気がして、深々は眉間にしわが寄るのを感じた。




        #



 広い事務所の入った五階建てビル、最上階の一室にて。

 内側から肉で張りつめた、けれどジャケットであることはかろうじてわかる程度の衣服……それを着た男が、ぶるぶると震えて窓辺に追い詰められていた。

 彼の前には倒れ伏した護衛が転がっている。

 誰も彼も骨の一本や二本で済んでいない。死んでいる者も居ただろうが、この惨状を生み出した安東にとっては『動けない状態になっていること』だけが重要でありそのほかの状態にはなんら関心がなかった。彼はため息をつく。


「もうちょっと兵隊は厳選しろよなぁ。だいたい守るときに一室に固めてどうすんだよバカ。無敵囲いじゃあるまいし」


 正面に掌をかざし、安東は周囲の護衛を倒すのにも使ったプライアを放った。

 斥力を操る彼の能力が男を衝き転がし、壁に叩きつける。


「あ、あああああ! がっ、」

「大声出すなようるせぇじゃねえの。そういう元気はさ、これからアンタが行く先でこそ存分に発揮してくれよ。な? おい返事は? 使えねえ口だなオイ潰すかあァぁ?」


 いつも通りの、恫喝と暴力。

 安東は、へたりこんで尿を漏らす男の顎に革靴のつま先を叩き込みながら言った。

 容赦のない一撃に前歯が数本折れたらしく、どろりとした血とともにぽろぽろと白いものが床に落ちる。きったねえな、と言いながら安東は振り上げた足で男の頭頂部を踏み下ろし、相手の頭をドチャリとその血だまりに押し付ける。


「なぁどっちがいい? 山に行くか地下に行くか。狂った獣と異常な粘菌と仲良くしてくるか、排水と排気にまみれてドブ浚いするか。選ばせてやるよ」

「あ、ぁ……」


 目を白黒させながら、状況を打開できないかと男は頭をひねっている様子だ。こうなってくると長引くので、安東は早めに選択できるよう道筋を示してやる。


「ちなみに去年捕まったテメエのお仲間は山に行った。人員増える方が向こうの仕事だと、早く済むかもな」


 安東の言う『山に行く』とは、そのままズバリ山で笹倉組にかけた迷惑を償い終えるまでの強制労働を指す。内容は旧時代の不法投棄品を回収し、レアメタルや希少元素を拾ってくる仕事だ。

 ただ現代の山は太陽嵐や旱魃、異常気象、蝗害、これらさまざまな過酷環境に適応してしまった獣や菌類のはびこる魔窟であり、安東たちもある程度労働の管理をしてはいるのだがこうした罰則者・債務者の一年後の生存率は二割を切る。ちなみに死因の六割は仲間割れによる同士討ちだ。


 一方のドブ浚いは生産活動プラントの下で横幅七〇・高さ四〇センチほどの配管にもぐって、汚水により生じている詰まりを取りつづける仕事だ。不衛生極まる上に地下深くで光もなくおまけに身じろぎもほぼできない配管に押し込まれるため、精神が闇の中から戻れなくなったり、体が物理的にひっかかって戻れなくなったりする。

 そうなってしまった同僚を連れ戻そうとしてミイラ取りがミイラになって結局仕事が増えることもある、こっちもやはり一年生存率は二割を切る現場だ。


「……じゃあ……山に、じます……」

「あいよ。仲間がお前を待ってるぜ」


 決意を見せた男に手を貸して立ち上がらせてやる。

 ちなみに彼の仲間の半分はすでに山の土に還っており、もう半分は自分より新米で立場の弱い者が増えることをなによりもなによりも望んでいるのだが。

 まあ、待ちかねていることには変わりない。

 ケツを蹴っ飛ばして進ませ、部屋から追い出した。ビルの下には迎えが来ており、今日中に山まで運んでくれる手はずだ。

 まったく、豚の世話は疲れる。笹倉組を嘗めてる奴の吐いた空気が部屋に漂っているのが不愉快で、安東は窓を開けるとそこに腰掛け煙草をふかした。


 二、三服するうちに、階下から上がってくる足音が聞こえた。

 ぎい、と扉が開く。

 立っているのは蟷螂かまきりのような印象の男だった。薄緑に染まったレンズのセルフレーム眼鏡をかけており、手足がひょろりと細長い。着用している白いジャケットの袖はいくらか寸足らずで手首がのぞいているが、これは手首にものが擦れる感触が嫌いだからだという。

 彼はずり落ちていた眼鏡の位置を戻す。

 指先で、ではない。

 その右手に握った長ドスの切っ先で、だ。当然というか、彼も護衛を切ってきたところなのでその刃は血に濡れている。

 南刀然みなみとうねん

 初のカチコミで『得物を離したら死ぬ』と思い込んだために右手を開けなくなり、ことが終わっても長ドスを握ったままとなった男。もう数年にわたってその手はドスを握りつづけており、骨ばってあめ色をしている手指は使い込まれた柄の一部になっているようにさえ見える。

 安東と同じく笹倉組・《四天王》のひとりで、今日の仕事の相棒だった。


「安東。終わったか」

「ごらんの通り、動くゴミが動かないゴミになってるだろ? ホレ、こいつがあの豚の抱えてた資料だ」


 安東が机の引き出しから出した手帳を高く放り投げる。南は提げていた長ドスをスイと持ち上げ、物打ち切っ先三寸を手帳に当てた。

 けれど手帳は切れることなく、なんなら血の汚れを付着させることすらなく、先端に貼りついたかのように止まった。そのまま左手の中に下ろし、ぱらぱらと片手で南はページをめくる。……ちなみにこれは「握ったまま生活するうち、切っ先で孫の手の代わりもできるようになった」ほどの南の剣捌きによるものだ。プライアなどではない。

 ある程度目を通したのか、南は手帳を投げ返す。


「こいつの仲間、ヤクとハジキの独自売買で一年前お前に取り立てられたのだったろう。あれで身の程を知ったと思ったのだが」

「カハハ、そうでもなかったらしいな。見ろよこの涙ぐましい努力ぅ、人間がいかに価値ある存在なのかを項目ごとに分けて深く熱く語ってて……、ご立派すぎる心意気に感じ入ったよ俺」

「人身売買をそのように表現できるお前もなかなかだ」

「南さんに褒められるとさすがに照れるぜ」

「まったく……それにしても嘆かわしいことだ、こうしたシノギで組長オヤジに断りもないとは」


 不愉快そうにレンズ越しの大きな目を閉じ、南は天を仰いだ。安東は呵々と笑う。

 この場は笹倉組のシマだったが、連中はなにを思ったか上の許可なく人身売買に励んでいた。上納金も払わず、独自のルールを運用しはじめていた半グレだ。

 当然ながら安東たちに目を付けられており、今日あえなく御用というわけだ。


「でも断り入れにきたらそれこそナメてるってもんだろ」

「違いない。が、やりかねないと思う程度に愚かだったぞこいつらは」

「ほー。上も大概だったけどよ、下の階でもそうだったのか?」

「密輸した安臥小銃サルトルを持った兵全員で一室に固まっていた。無敵囲いか」

「こいつら将棋とかやったことなかったんかな……」


 哀れみの色を浮かべながら、安東は煙草を投げ捨てる。

 しかし安臥小銃とは、穏やかでないものが出てきた。

 射程においても連射性においても威力においても制式・亜式拳銃では到底およびもつかない、軍属などが掃討作戦に利用する小銃である。当然ながら装弾数制限のある南古野では御法度の銃だ。安東は以前に密輸仕事の際たまたまフルオートモデルを手にしたことがあるが、試射してみてすぐ「これは殺しすぎるな」と思ったものだ。


「つか、安臥小銃相手にしてよく帰ってこれたよな南さん」

「無敵囲いだったからな。間を詰めすぎて同士討ちを誘発しやすかった。廊下の兵を生きたまま脅して入室させて即、盾にして、銃を奪って一発ずつ撃ち込んだ」

「サラっと言うけど左手だけで撃って当ててんの、相当面白いぜ」

「私は面白くないな。心底くだらないと思っている。こんな統率も計画性も戦の腕もない連中が我々に刃向かったことが不愉快極まる」

「それについちゃ同意かな。こんなバカどもが人身売買や銃器密輸なんてギリの綱渡りじみたことできるたぁ思えねぇ」


 新しい煙草に火をつけながら言うと、南が左手で一本寄こせとジェスチュアをした。南は仕事終わりにしか吸わないタチなので、うっかり煙草の箱を忘れてきていたようだ。気前よく安東は一本渡して、火のついたマッチを差し出してやる。南は深く一服、左の人差し指と中指の根で煙草を挟むと口許から離した。煙と共に言葉を吐く。


「密輸入は運搬距離が開くほど部下の心も離れる。強い統率無くば実行不可能だ。よって銃も人間も、近くに卸先があると見ていいだろう。どうせ隠蔽商社ダミカンを噛ませてあるのだろうが」

「やっぱり沟の連中かね?」

「あの狸は認めまいが。その手帳と見たのなら、お前も私と同じことを感じているのだろう安東」

「まぁな」


 煙草を噛みつつ安東は膝に頬杖つき、投げ返された手帳に視線を走らせる。

 暗号コード化されているが、頻出する数字と名称のパターンを見れば単なる置き換えであることは数秒でわかった。売り物の情報を端的にまとめるとき、安東も同じような文章をつくるから察したのだ。


来歴ルーツと血液型と身長体重、外見メモ、それら総合した評価判定……イイ具合にガキ売るためのイカしたカルテだなこりゃ。こんな木っ端業者だけでもこんだけの人数捌こうとしてんだ、業者束ねてる大本は沟以外考えられねェよ。そんでもガキをこれだけ捌く・・・・・・・・・ってのは、かなりの異常事態だ」

「ああ。南古野全体、新市街まで巻き込んだ問題となる」


 二人は理解を共有し合い、ほとんど同時に煙草を投げ捨てた。血だまりに落ちてじゅぅと消える。

 成人の人身売買は、まあそれほど大したことではない。もちろんあまり数を出せば労働力が減るので統治区として好ましくないが、大人は能力値もだいたいわかっている。売る段にまで至る過程であらゆる能力が発揮できなかった・あるいは売り物としての能力――性的な具合なり特化した作業技術なり――だけがあるから、売られるのだ。

 結果、値付けは適正なものとなることが多いし、第一、単なる労働力としての成人は売っても流氓でどうせある程度増える。


 子どもは、そうはいかない。


 安易な考えの者は『未熟ゆえに労働力としての価値がない、だから成人を引っ張られるよりはマシ』――と考えがちだが。短絡的shortな見方していては気づかないぜ、と安東は瑛国格言集の言い回しを内心で口にする。

 土地に根付いた子どもは、次世代だ。労働者もいるだろうが、そのなかからは統治者も生まれる・・・・・・・・

 土地を知る者でなければ土地は治められないし人はついていかない。ましてや流氓だらけのこの時代、外の者でなく『いま、ここ』に居た、という経歴ある者が減れば減るほど土地は荒廃する。流れ者には流れるという手があり、責任を持たないからだ。『いま、ここ』にしか居られない、居られなかった者こそが次をつくる権利を持つ。


 だから子どもを売ること、とくに金に換えて殺すことやこの土地に貢献できないような遠くに売り飛ばすことは悪である。極道にとっては生きた証と言える、血と地の継承をさまたげる動きだからだ。

 沟が家思想かつ民族主義的で、そちらの方面に偏っているのはわかる。けれどその主義がために次世代を潰す児童売買というやり口を選択したのは理解できるようで納得はできない。

 違和があり、ゆえに安東は理逸との会話で口にしたのだ。



『――子どもは、どうなったんだろう』

『――さぁねぇ。しっかし、そうして口減らしの件は納得できるが……ふん。不可解なトコは俺も感じなくもねぇよ』

『――どこについてだよ』

『――自分で考えな。俺も疲れてんだよ円藤君、モーヴ号に潜水してきたトコなんだぜ』



 このときに感じた不可解・・・

 それが、子どもを減らすという手段への違和だった。

 安東は南に向かって帰路を指で示す。彼の左側を通り抜けながら、階下への階段へ足を運ぶ。


「なァ南さんよ」

「なんだ」

あいつら――――南古野を、捨てる気だと思うか?」


 南は答えなかったが、否定もしなかった。



        #



 おぞましいやくざ者どもが張り込んでいる、とハシモトは思った。

 仕事を終え、寝床にしている橋の下(だからハシモトと名付けられた)への帰り道、近い方を通ろうとしたらこれだ。

 新興の半グレが根城にしていた五階建ての事業ビルから、やたらと連続した銃声やガラスの割れる音が響いている。

 たぶん抗争だ。


「可怕的……逃げる良好」


 すいっと道を変えて抜けていく。

 路地の合間にも、おそらくビルからの逃走を防ぐためだろうがやくざ者たちが詰めていた。が、子どもにはあまり手出ししない彼らなので「なんだガキ。向こうは行くなよ、ここ抜けてけ」と手で示して、自分たちの前を歩かせるだけである。おとなしく従い、すたすたと彼らのあいだを行く。

 耳をそばだてると、両側の壁に背をもたせかけた男たちの会話内容が聴こえた。ハシモトが2nADなので、聞こえても意味を理解しないと思っているらしい。


「安東さんと南さん、無事かな……」「殺したって死ぬタマかよ」「でも銃声アレ安臥小銃サルトルのバーストだろ。さすがにヤバないか」「一緒に行った奴が盾になってっかもなあ」「南さん人望あるかんな」「んで沟の連中が絡んでんだっけ」「ガキ売って地盤弱くするなんざ華僑ってのもアホだねぇ」「2nADは売られてんのか?」「売られてる売られてる。よく花売りしてたガキいなくなって寂しかったぁ」「それどっちの花?」


 なんとなく、最後のほうの会話にいやな感じがした。

 駆け足気味になり、希望街の方へ急ぐ。ツァオとマオの兄妹と、ミヒロに会いたかった。

 よそ者が来たら鈴を鳴らす、ハシモトたちが『門番』と呼ぶ係の希望街住民の横を顔パスで抜ける。枯れた街路樹を柱として乱立する、トタンと廃材でできた家屋群のなかに入り込んだ。


「ツァオ、マオ、ミヒロ!」

「驚く What's 'ppen 恐慌、不要惊慌」

「今朝私 've been here 」

「如何」


 呼びかけると、三人とものそのそと出てきた。驚くからあわてるな何があった、今朝からここにいるけど、どうした、と三者から心配され、ハシモトは安心から2nADの語で「やくざ者が、誘拐で2nADもいなくなったって言うから気になって……」という意味の言葉を話した。

 ツァオとマオは怪訝な顔をする。


「不可解何故 you understood 日邦 but'u only understand 2nAD, aren't'u?」


 やくざ者は2nADと関わりが薄く、その語を喋れるものは少ない。

 なぜやくざ者の日邦語がわかったのか、お前は2nADしかしゃべれないだろう? とツァオは訊いていた。

 ハシモトは言葉に詰まる。彼が日邦語を話し、読み書きまでできることは彼らには秘していた。

 なにしろ、それができるようになったのはつい最近・・・・のことだからだ。


「Ah……おれ、話す真実……tell you truly, I、」

「そこまでにしてもらおうか」


 肩に手を置かれた。

 ハシモトは振り向く。

 そこにいたのは――彼が日邦語を・・・・・・喋れるようにした・・・・・・・・張本人だった。


「そろそろ貸し出し期間も終わりだよ。さあ……教化型機構インプラントデバイスを、返してもらおう」


 法衣をひるがえして彼は言う。

 炊き出しであくる日に出会った男、《慈雨の会》教祖である彼は、そういってハシモトの目元を掌で覆い隠した。

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