Wrong way (13)


 意識を切られたことなどいつぶりか。

 ごボん、と大きく泡を吐く。

 安東は目覚める。深い水底で。

 頭はまだ霞がかっていたが、腹と首とに渾身の力を込めて血液を回す。数秒で常の状態に戻り、同時にいらだたしさで息を吐いた。ボンベを背負いなおす。


(野郎……)


 おぼろげに目に映る明るい海面、そこへめがけて伸ばしたままだった右腕。

 五指を開いた体勢はプライアを使うためのものであり、あの瞬間に安東は即座に反撃に出ていた。それがたまたま、功を奏したのだろう。

 安東のプライアは手のひらから『狙った位置・対象を突き放す』斥力せきりょくを放つ。ほとんどの人に話していないが、その力場の形状は──自在だ。

 今回は不審な相手を殺すつもりで円錐状の力場を構成した。力場を尖らせれば、触れた先端より相手の肉を全方向に『突き放す』ことで内側へとめり込み貫徹する突撃槍ランスと化す。安東の持ついくつかの奥の手のひとつだ。


(その円錐形状が、相手のプライアを逸らしたってワケか)


 食らった感覚からして、衝撃を伝播するものと思われた。

 海面から広範囲へ、衝撃を叩き込む能力。円錐状の力場がちょうどその伝播進路をうまく逸らし、安東のダメージを軽減したのだろう。

 周囲を見る。

 安東同様に衝撃を食らったらしい魚が、そこかしこに気絶していた。

 魚の耐久力と人体とを比べるのはあほらしいが、気絶している魚でもっとも遠いものは……少し泳いで確認した印象、四〇メートルほどだ。あまり近距離でなければ耐えられる威力なのだろう。

 とはいえ、戦闘は不利だ。上を取られており相手の位置もわからない。いま海面に顔を出せばまだ相手がいた場合今度こそとどめを刺される。いや、さっき吐いた泡すら大きなミスだったかもしれない。


(相性と環境が悪ぃね。ボンベも……この量だとどうだ)


 この海域は沖合十数キロだ。ここからもっとも近い岸を考える。上陸を見つけられないよう、岩場など回り込むなら大きな迂回を要する。残存するエアでの活動時間を思うと最も近い岩場まででもそう長く潜ってはいられない。

 減圧症にならねぇといいけどね、とぼやきながら、安東はゆっくりと動き出す。急ぎ焦るほど心拍が乱れてボンベの空気を消費する。うまく向岸流に乗ることだけを考え、フィンをつけた足で水中を掻いた。

 ちらりと、振り返る水面。共に来た電子奏縦師エレクトロニカの部下は死んだし、せっかく手に入れたモノリスもおそらくは奪われた。あのなかには、よほど重要な情報でも入っていたのだろうか。


 情報。

 データ。


 そのとき、独立スタンドアロン機構であるモノリスのなかのデータと。

 小部屋のなかで浮かんでいた子どもの死体とが、妙につながるイメージに思えた。

 外側から鍵のかかった部屋。

 瑛国格言集。

 モノリス。


(……あのガキどもこそが、『データの中身そのもの』か?)


 だから独居房スタンドアロンに閉じ込めていた?

 安東の脳裏には、大昔に「なんの反応も教育も与えず育てた子どもが最初に何を語るのか」を調べようとした王の話がよぎる。

 あの独房じみた個室のなかで。


 なにを与えられ、なにを教え込まれていた?


        #


 拡張現実順応化試作機マケット。特種清掃部隊 《陸衛兵ヘクシード》。

 呼び名はどうあれ、水道局の秘されし領域というに足るはずの、強力な兵。それを使いつぶし、あまつさえ目的だったはずの統率型拡張機構ハイ=エンデバイスすら破損させてしまった状況。

 それを、筧堂嶺かけいどうれい管理官は想定内だと語る。


「陸衛兵の役割は陽動・遊撃だ。主力ではない」


 筧は静かに語り、額に垂れ落ちた触覚じみた前髪の一部をうっとうしそうに払う。

 宅島艮やじまごんは上司のこの言葉には、うなずいた。


「それは……試作機マケットとの呼び名からも理解しています。あれは始末屋であると同時に噂を流布し貧民街の連中をすくませるための存在であり、同時に、さまざまな周辺装置デバイスを試すものでしょう」


 六年前の争乱における警備兵損耗への反省から生み出された極秘部隊ではあるが、完成まで完全に秘しておくというものでもない。あくまでも試作機、あれは実験過程であって、極秘であるべきはその存在目的と製造過程の方だ。

 泉が肩に移植された『身得ざる手みえざるて』や戸境に移植された『寡足る口かたるくち』と言った周辺装置。

 これは強兵計画の一つであり、また同時に感覚強化による知覚範囲増大による第二次進化アセンションモデルの発見といった、この崩壊後の世界を生き抜くための計画だ。南古野においてこの研究はじつに半世紀、ほぼ災害直後からつづけられている。より完成度を高め、その結果を新規案にフィードバックしつづけるために。

 つまり彼らは、永遠の実験過程である。

 しかしいくら過程でしかないといえども。おろそかにしていいものではないはずだ。


「主力でないからと敗北が許される存在でもありません。にもかかわらず、あの二体を使いつぶすほどの意味が、今回の一件にあったのでしょうか」

「宅島次席」


 宅島の彼の一族における立ち位置で呼び、筧は体を斜めに構え左肘だけをデスクに乗せた。

 筧の目には、深い水底を思わせる暗さがある。 

 それは語られることの重要度を示しているようで、宅島も気を引き締めざるを得ない。


「『説明がないことが説明』だと私は言い、君は己の処遇について『記憶を失う無様を晒してなお切られていないことが特殊な動きの理由』との推測を語った」

「……はい」

「結論から言おう」


 短く区切り、筧は引いていた右腕をデスクの上に出した。

 握られているのは制式拳銃ドリセキ

 な、と動揺走るが、そこは鍛え抜かれた身体が先に反応した。宅島の両目に青の機構発動光が宿り、全身の神経が意思のままに身をうごめかす。回避の躍動。

 しかし、相手もまた警備兵。

 かつて前線で第二種警備兵から武功を立て、身分をひとつずつ進め、ついには管理官まで成り上がった稀代の傑物、筧。

 目に宿る青の光が宅島を捉えて離さない。回避方向が読まれている。先読みの先は読めるか? 時間が足りない。グレードの近い機構運用者同士の戦いは早撃ちと同じだ。ギリギリで早く抜いたほうが競り勝つ。


「君はここで死ぬ」


 銃声が轟いた。

 宅島の頬を伝う、汗。

 そして背後の壁に弾丸が突き立っている。

 ……血の一滴も残さずに。

 薄い煙が上がる銃口を、感情の無い目で見て筧は懐へしまった。


「なにを……するのですか」

「言葉の通りだ。ここからの任務、君が生存したままでは非常にやり辛い。しばらくの間君には死んでいてもらう。書類の上では、だがな」


 次に、デスクの引き出しより取り出す。筧の右手にあったのは、輸血の袋だ。

 歩いてきた筧はそれを宅島の手前二歩の位置でぶちまけ、血だまりを作った。明らかに致死量と見えるまで、袋をいくつも破り捨てていく。そこに目を落としながら筧は問うた。


「仮死状態になったことは?」

「はい?」

「ないか。この後経験してもらうことになるが」

「ちょっと、待っていただけませんか。筧管理官、それは」

「詮索は寿命を縮め無知は命を削ると述べたはずだ、宅島次席。レトリックでしかなく実際に削るとは思っていなかったのかもしれないが、説明責任は果たしている。これから君には死の際を体験してもらう」


 冷淡に告げ、デスクへ戻る。

 筧は椅子の背もたれを片手で引きながら、この突拍子もない会話の、さらに延長でしかないように言う。


「私の目標は最終焉収斂機構ローデバイスの確保だ。最初からな」

「……なんと?」

「最終焉収斂機構だ。約束通り、ことの経緯の説明をしよう」


 腰かけ、また引き出しを開ける。整頓されたなかから迷いなくつまみ取ったのはシートに二列六錠で整列した薬剤で、これをデスク上に置く。


「君に単独行の命がくだった理由は私の根回しによるものだ。記憶を喪う失態を晒しても処分がなかったのはそれこそが私にとっては朗報であり故に根回しをしたからだ。《陸衛兵》を使いつぶしてでも先日の戦闘を優先させたのは私の根回しによるものだ。統率型拡張機構の破損が想定内であるのも最初から目的は最終焉の方であるためだ。グレードの低いそちらは手に入ろうと入るまいと構わなかったからな」


 ひと息にすべてを伝えられ、筧は飲み込めるような、飲み込めないような、処理に手間取る感覚を味わった。


「第二次進化モデルに至るため、私は動いている。あのモーヴ号という児童実験船・・・・・での成果を回収して研究を進め・・・・・生き残り・・・・を確保して現環境を変更したいのだ。水道局のお偉方がつくる既存の枠組みとは別でね。飲みたまえ、二錠だ」


 デスクの上で、筧は薬剤のシートを滑らせる。

 無言で宅島はシートを破り、錠剤を口に含んだ。


「成人男性なら残り八〇秒で仮死状態に至る」

「そう、ですか」

「次に目覚めるときはもう少し話をしやすいタイミングだろう。昏倒時に頭を打たないよう座っておくか寝そべっておくかしておくといい」


 指示通り、宅島は横になる。視界の中で筧はすでに語るべきを終えたと言いたげに、また別の資料の読み込みに戻っていた。

 あと四〇秒ほどか。

 宅島は訊いておく。


「管理官。私を駒として使うことにしたのは『宅島』だからですか?」

「いや」


 資料から目を離し、卓上の時計に目をやり。言葉を選んだ様子で、筧は言う。


「あのとき君が、部下を殺させる気はないと述べたからだ。単に興味本位の人間であれば宅島であろうともここで始末していた」


 なるほど、と宅島は思う。


「お休み、宅島」


 筧の言葉にまどろむように、宅島の意識は地の底に落ちた。



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