Wandering wag (7)


 プライアの秘匿は重罪だ。

 なにせ保有者は、物理法則に囚われず他者の生命・財産に害成すことが出来るからだ。

 たとえば理逸の引き寄せ能力であれば、「能力を保有している」ことがバレていないなら万引き置き引きやりたい放題。影男こと於久斗であればノックアウト強盗がやりやすいだろう。

 生身でありながら生身と程遠い、異常な能力という刀を常時腰にぶら下げた、脅威と呼ぶべき隣人。それが理逸たちだ。


 ゆえに能力保有者は危険視される。

 ついには怪物には怪物をとの思考で「能力者には能力者を」などという文言が語られるようになったほどに。


「……能力保有者は周りの無能力者の隣人を脅かさず生きるよう、能力について申告・届を提出することが義務付けられている。わかってるのか?」


 これを怠った状態で能力の使用が認められた場合。

 それは南古野の秩序を踏み躙ろうという意思の表出であり、けっして見過ごされていいものではない。


 ……掌で触れた柱を焦がし焼いた。

 マッチを手の内で焼き尽くした。

 投げたナイフが高熱を発していた。

 理逸の背後でアルコールを爆破燃焼させた。

 起きた現象から察するに余りある。


『反撃用』。三つの発現状況分けで、もっとも攻撃性の高いプライア。おそらくは触れたものに高熱を伝える、能力。

 尾道は行いについて自覚しているのか、という理逸の問いに、軽薄な笑みを浮かべて応じた。


「見た奴がいなくなれば、関係ないのではないかね」

「そう簡単に俺を殺せると思うなよ」


 引き寄せようと手の狙いを定める理逸。

 だがワンテンポ早く、尾道は腕を振り薙いだ。

 カウンター脇に積んであった紙束。チラシの山を崩し、同時に着火。一気に燃え上がる火の幕が二人の間を遮る。

 下がる足音。目くらましの隙に奥の部屋へ逃れようとしている。殺すと思わせて即逃げかよ、と踏み出そうとした理逸だがスミレの制止が聴こえた。


「止まって!!」


 なんだ、と思いながら足を止めると。

 踏み込もうとしていた位置のタイルにジュぅ、と焦げる音がした。ちいさな掌状の焦げ跡。奥に逃れた尾道のちぃっという舌打ちが響く。

 驚き振り返る理逸にスミレは、拡張済みブーステッドを示す青の瞳を輝かせながらいまのわずかな攻防観察による所見を述べる。


「ぁの人の能力はぉそらく『熱の発生と伝達』です。触れた箇所と地続きの好きなところへ、熱をぉくり込むのでしょぅ」

「地面や床、壁に触れれば遠隔で焦熱を叩き込めるって寸法か」

「発生速度につぃても触れてから0,7秒フラット。距離が開けばさすがに速度も、減衰すると思ぃますが」

「わかった。助かったよ」

「追ぅのですか?」

「未届の能力保有者は所属組織で処断する決まりだ」

「殺す、と」

「だから、殺しはしねぇよ。俺は」


 即座に燃えカスのチラシを踏み越え駆け出す。奥の部屋、行き止まりかと思われたそこは六畳ほどの待機スペースで、嬢の私物と思しき衣服や食事の容器が転がる生活感が見えた。

 ぬるい、外からの風をじんわりと汗ばんだ肌に感じる。

 視線を向けた西側に採光用のめ殺し窓があり、その窓枠が熱によって歪み外されていた。

 待ち伏せされていると困るので一瞬首を出してすぐひっこめると、やはり、ヒュっと風切る音がしてワイヤーの輪が目の前ですぼまり屋上へと引き上げられていく。

 輪っかにしたワイヤーを外の窓枠の四隅へ固定しておき、こうした有事の際に追っ手を絞め殺す算段だったのだろう。「くそっ」と尾道の悪態が聞こえた。


 あらためて外に身を乗り出すと、ビルとビルの間の狭いスペースをよじのぼれるよう、壁面にコの字型の取っ手が梯子のごとく取り付けられている。が、これも一段ダミーを仕込んで落下させる仕掛けがあると思われたので信用しない。

 理逸は窓枠から身を乗り出したまま屋上の縁に向けて両手を握り込み、自分を『引き寄せ』て一気に駆け上がった。


 屋上に飛び出すとワイヤーが落ちており、理逸がこれをいぶかしげに引き寄せながら視線めぐらすと尾道はすでに隣のビルへ飛び移っていた。まだ理逸が追跡していることに心底苛立った様子で、さらに先のビルへ飛び移ると壁面の雨樋あまどいをつかんだ。

 ジュゥと焦げる音。

 雨樋を固定していた金具をプライアで熱して弱めたらしい。がんと壁面を蹴りつけると衝撃で金具が二、三か所はじけ飛び、ギリギィギ、とブリキを歪めるような耳障りな音を立てて徐々に路上へ下降していく。夜の街としての明かりがそこかしこに点灯ともり商売と交渉を入り乱れさせる路上の人々のなかに降り立った。どよめきと悲鳴が上がる。


「逃がすか」


 ビル間を跳ね、縁から理逸も飛び出す。

 重力に打ち勝って跳躍が頂点に達し、

 内臓が浮く感覚と共に落下が始まる。

 左の拳を握って、通りの対面に位置するビル三階の突きだし看板へ己を引き寄せる。真下への墜落が斜め下への滑空に変わり、浮いた内臓が身体のなかで踊る嫌な感覚がある。そして、この勢いが乗り過ぎる前に右手の照準を元来たビルの二階壁面へ掛かる電飾看板へ向ける。

 拳を握り、引き寄せ。

 左手からのプライアが解除され、空中でジグザグに移動する。眼下の通りでまたどよめきが上がった。

 二階看板からすたんと飛び降り着地した理逸に、周囲の奇異なものを見る目が向けられる。


「ぷ、プライア、ホルダー……!」


 否、むしろ恐怖の視線か。自分に危害を加える者ではないかという、銃提げた人間を見る目と同じ類。


「……安全組合七ツ道具三番だ」


 名乗りを上げつつ、ゴーグルを親指で叩いて見せる。それで民衆は納得したのか、安堵の色を宿す。

 いつも同じ格好で水泥棒に臨み、印象づけている理由のひとつがこれだった。未届の能力保有者かどうかを、少しでも素早く民衆に判断してもらうため。仕事の遂行に支障をきたさないためだ。


「道を開けてくれ」


 手で眼前を塞ぐ人々を払うような仕草をして走り出した理逸は、降りていく間も目で追っていた尾道の方向へ回り込む道を即座に計算した。

 人が増え始めて走りづらい道を避け、細い道をあえて選ぶ。たむろする路地裏の住人、怪しげな売人、壁を見て止まっているヤク中が、視界を通り過ぎていく。ときに正面を人が塞いでいれば、頭上の室外機などへプライアを発動し大跳躍で越えていった。

 そんな、ほかの人間には到底不可能な動きを取り入れたがために理逸は尾道に追いつく。すっかり引き離したと思っていたのだろう奴の真横から塀を飛び越して現れ、顔面に足底での蹴りを見舞う。まさか、という驚愕が一瞬で痛苦に歪んだ。


「がはっ、……ぁああっ!」

「っぶね」


 蹴り足を引かずに逆の足でも踏みつけようとしたが、両腕で足を焼き払おうとしてきたため突き押して距離を開く。

 人の居ない路地裏で再び向き合い。理逸と尾道は「互い倒す他に道はない」と認識し合った。


「……逃がしてもらえないようだね、円藤さん」


 鼻腔から漏れた血を手の甲でぬぐい、尾道は身体の横に腕を下ろす。じぅ、と焦げる音がして血が焼け乾く嫌な臭いがした。


「プライアを隠していなけりゃ、注意と是正だけで済んだんだけどな」

「ご冗談を。こちとら商売人なんだよ、どんな物事にも損益という物差しを用いる」

「隠してる方が利益になると思ったのか?」

「明かして得る不利益がデカすぎる」


 ふん、と鼻を鳴らして血を噴き、尾道は素早く屈みこむと地面に両手をついた。理逸が勘で左に跳躍して避けると、いま居た地点とそこから一歩下がった位置へ焦熱の掌痕が焼き込まれる。

 つづけざま、路地に建材として積みっぱなしになっていた鉄パイプを蹴り上げたトスアップ。尾道は己の身長ほどもあるそれをつかむと左半身で構え、鋭く突いてきた。棍か槍の経験がある動きだ。

 普段ならばこうした得物を持つ手合いには、引き寄せによる奪取で応じることができる。しかし尾道はむしろそれが狙いだろう。理逸が触れた瞬間に焦熱で掌を焼くつもりだ。

 結果、避けるしかない。軌道を見切り左右に身体を振ってかわし、回避が難しいならプライアで周囲の看板や壁面に己を引き付けて離脱。


「先ほどの逃走ひとつとってもそうだろう」


 しごくように突きを連続で送り出し、理逸の逃げ道を潰しながら尾道は言う。


「プライアと見るや人の目は変わる。届を出して得られるのは利ではなく、周囲からの『やつは能力保有者だ』という偏見と差別の目」


 たしかに、届は出してもほとんど利にはならない。己を信用してもらう担保として、能力保有者側が組織と南古野に情報を差し出すというものにすぎない。

 有事の際に使用しても咎められにくくなるとか、能力を使った仕事(理逸のような《七ツ道具》への所属などだ)を斡旋されるとか、得られる特典はその程度だ。

 反面、デメリットとしては周囲への露見がある。


「だから不利益を被らないように、黙ってたってのか?」

「コントロールの利かない力なら私も黙っているつもりはなかったよ。だが感情が激することがなければ、制御は利く。そもそも使うつもりもなかった。なら申告の必要があるかね」

「いま使ってんじゃねえか」

「いまは損益の天秤に掛けて、使ってでも逃げる方が得策と判断したまでだ」


 間合いを撃ち抜き、パイプの空洞が大気を抉る。胸や腹に喰らえば衣服を巻き込み肉ごと持っていかれそうだ。

 道幅の狭さから横薙ぎ、払いが無いことだけが救いだった。とはいえ間合いに入れないのでは格闘主体の理逸に勝ち目はない。

 建材置き場が尾道の背後にあれば鉄パイプを引き寄せて背中から急襲できるのだが、位置取りからそれも難しい。手頃な石ころや瓦礫も無い。


 だがそれでも、理逸はゴーグル越しに尾道をにらみつける。


「その場その場で都合よく生きようとしてるだけじゃねぇか」


 右拳を握り、右手側壁面に己を引き寄せる。追ってきたパイプの先端がコンクリの壁面ごと理逸を穿とうとするが、低く身を縮めてこれをかわす。

 左拳を握り、左手側ビル二階の突きだし看板に己を引き寄せる。横の動きから急激な縦の動き。

 これにより尾道の目を振り切り予測を上回り、二撃目の突きを外した直後の彼の頭上を宙返りしつつ大きく飛び越えた。


「天秤もクソも、あんたの生き方には重みがねぇ」


 言って、理逸は右手を鋭く引いた。

 尾道が硬直する。

 先ほど窓枠に仕掛けてあり、理逸の首を襲おうとしたワイヤー。あとで捕縛のため使おうと拾っておいたその輪を、頭上越える瞬間に首へ引っかけたのだ。

 引き絞られた輪に首を締めあげられ、見る間に尾道の顔が赤くなる。

 震える右手をパイプから離し、ワイヤーをつかんだ。

 焦熱が来る、と察して即座に理逸は手離す。読み通り、伝ってきた熱を帯びたワイヤーは空中でバジッと赤熱した。


 尾道がパイプを構え直すまで0,5秒。

 理逸がとどめの動作に入るには十分な時間だった。

 左手を強く握り込み、尾道のシャツの襟元を引き寄せる。グンっと力強く引っ張られて姿勢を崩した彼の背後、ビルの壁面に向かって右拳を握る。

 自分の身を引き寄せ、加速。

 踏み出す足が軽くなり空転するギリギリまで速度を上げる。


「お、おぉおおおおおっ」


 叫び、苦し紛れの攻撃。尾道が手の内のパイプを赤熱させ、投擲のモーションに入る。

 だがそのとき、薄闇から突如現れた青の奔流が彼の視界を覆い尽くした。

 色のついた突風、あるいは光虫の群れとも見えるそれは大量に放出された微機ナノマシン

 突然の目くらましに動きが狂った尾道は投擲を外し、

 間合いに左足で踏み込んだ理逸が後ろの右足を蹴り出す。

 全体重を載せた右拳を、顔面に叩き込む。


「──《白撃》」


 顎を砕いたたしかな感触のあと、派手に後ろへ転がり跳ねた尾道。路地裏から通りへと身をはみ出させて、脳が揺れているのか起き上がらない。

 念のため首に巻いたワイヤーを(締めすぎないように)プライアで引き寄せながら、理逸は先ほど青の奔流が飛んできた物陰を見やった。

 この路地裏に来るルートではもっとも細い……というか猫くらいしか通れないようなビル間の隙間から、身体を横にして右手を伸ばしていたスミレと目が合う。

 指先へ茨状の黒い模様を浮き出させていた彼女は、すっと手を下ろして冷めた目をしていた。ただ、走ってきたらしく少し汗ばんで、薄い胸が上下している。


「お前、居たのか。よく追いつけたな」

「ぁの手の人が逃げるルートは、どぅとでも考ぇつきましたので……それより、ぃま、危ぅかったのではぁりませんか」

「まぁ多少火傷はしたかもしれねぇけど」


 だが理逸は《白撃》のモーションに入ったならば痛苦では止まらないように修練調教済みだ。食らっても倒すことは出来ていた。

 と、説明しようと思ったがその前にスミレが盛大にため息をついたので言葉を継げない。


「『殺さなぃ』などと言ってぃたので、返り討ちになってぃるかもと来てみたら……ゃはり、怪我しそぅになってぃるではなぃですか」

「死にはしねぇだろ」

「ぅるさいです。屋上から飛び降りて窓を蹴破って入ったのもそぅですが、危険行為は控ぇてくださぃ」


 隙間から出てきながら、スミレがじとっとした目をする。

 心配かけてしまったか、と少し反省しかけるが、苛立った顔つきで「ぁなたゎたしの保護者のよぅなものですし。死なれると、ゎたしの立場が危ぅくなるでしょぅ」と打算十割の言葉を投げかけられると謝る気も失せた。

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