White whale (9)
加賀田はその名を聞いて、顔をしかめた。理逸の横でスミレも少し固まる。
そういえば先ほど、軍属をやめたのちに再就職を禁じられたという組織をいくつか挙げていた。そのなかにたしか、求生総研との名称があったのを理逸は思い出す。どうやら求生と加賀田は、相性が悪いらしい。
……ややあってから植田の執務室を離れる。慈雨の彼らはおそらく加賀田と宅島とのつながりが本当なのか、そうであればここから自分たちがどう動くべきかを再検討するのだろう。ひとまず向こうはそれにかかり切りになるらしく、理逸たちは施設内において自由に動ける身分となっていた。
すたすたと加賀田は二階に向かうので追従する。
廊下に出るといくつもの部屋を素通りし、ドア前にひとり、見張りが構えるところまでやってきた。見張りはいぶかしげな顔で、けれど植田から「加賀田の邪魔はするな」と言い含められているのか、慇懃な態度で口だけを動かす。
「なにか御用ですか? 加賀田殿」
「迷いやすいつくりの施設だな、と思いながら見学させていただいているまでだよ」
「なるほど」
「ところでキミ」
言いながらつかつかと近づき、動きのなかで眼鏡型機構を外す。
裸眼で、見張りを壁に押し付けんばかりの距離の詰め方をして、加賀田は
「【この部屋の鍵】【を】【どこに持ち】【使い方は】【どのよう】【にするのか】【答えよ】」
「……かぎ、は……」
意識の抜けた見張りがぼやく言葉を拾い上げ、見張りのポケットから鍵をくすねた。
差し込んだ鍵をかたんと半回転させると、部屋の中央でパイプ椅子に手足を縛られた於久斗が、猿轡を噛みしめながらこちらを見上げた。あきらかに憎悪が滲んでうめいている彼の顔を両手で挟み、加賀田はてきぱきとバイタルチェックをしていく。
「おーう、元気元気。脈拍・若干の興奮は有れど正常。眼球運動・薬物使用の形跡ナシ。鼓膜・破られたり音響による感覚破壊をされたりもナシ」
小指で頸動脈を計り、親指で下瞼を押し下げて目を確認し、中指で耳のなかの出血などを素早く検めていた。つづけて掌で胴体を触診する。
「暴行の形跡もナシ。親指締めとか、爪に針刺されるくらいはあるかと思ったのだがねぇ。どうも慈雨はお優しいようだ。ま、服毒については遅効性の場合わからんがね。自白剤とか……猿轡に薬品が染み込んでいる様子はなさそうだが、ここでなにか口にしたものはあるか? 心配なら吐き出しておいた方がいいのだぜ。あ、思い当たる顔だな」
加賀田と理逸で手足の拘束をほどくと、於久斗は部屋の隅にいって喉奥に指を突っ込んでいた。濁った嗚咽。水っぽい音。こいつ吐いてばかりだな……と、申し訳ないが理逸はそう思った。
ぜえはあと息を整えた於久斗は、ぎろりと加賀田をにらんでいる。
「ドクター……あんた、俺を、売ったな」
「助けに来たのだから水に流したまえよ。なあ《蜻蛉》?」
「いや助けたから水に流せってのは違うと思うが……でも正直俺、お前は助けに行かないんだろうなと思ってたよ」
最低だが、最悪ではなかったな、くらいのつもりで理逸は言った。スミレはすまし顔で、理逸とは異なる見解を述べる。
「ゎたしは脱出にぁたっての壁役として、回収するだろぅと思ってぃました」
「その通り。お嬢さんはいつも話が早いぜ」
「壁役かよ」
「戦闘系のプライアとしては彼の防御性能はかなりのものだ。脱出時にもし邪魔な兵力が来ても、引き付けておいてもらえば我々の生存率も上がる。郊外まで追ってきそうだったあの兵……求生の連中がここに居たら、厄介極まるのでね」
加賀田は於久斗の肩を叩くと「影を出せ」と迫った。ものすごく嫌そうな顔をする於久斗だったが、それでも状況を脱するには背に腹は代えられない。仕方なさそうに、影を纏うプライアを発動した。
「結構。では諸君、帰ろうか。まずキミ、二階から先に飛び降りて我々のクッションになってくれ。その『影』に触れたものの慣性がリセットされるというのは、先の追撃戦で撃たれたときの銃弾の挙動で把握している」
「またしても、クッション役をさせられるのか、俺は……」
「つーかなんか、急いでないかお前」
ぼやく於久斗と問う理逸。これに対して、加賀田は下唇を突き出した嫌そうな顔をする。めずらしい。
「求生総研が関わるとなると話は変わってくる。生体機構やその製造工程に興味は尽きないが、命あっての物種なのでな。早めに退散したいのだぜ」
「求生やらなんやらには、『再就職したときに死ぬ』って話じゃなかったか?」
「正確には『それら組織へ接触すると
「もしかすると慈雨に関わるだけでそういう判定が出るかも、と」
「利敵行為は私の知る戦場では死罪だった」
ため息をついて、加賀田は廊下に出る。於久斗を先に行かせて、窓辺から飛び出させた。
「西の
「求生ってのはほかの統治区にもいるのか?」
「ああ。あれは複数の統治区の
飛び降りた於久斗の背に飛び乗ることで衝撃を殺し、三人とも前庭に降り立つ。
と、やはり予想通り。前庭を警護していた慈雨のメンバーが四名、こちらを睨んだ。
まだ銃に手をかけてはいない。植田からの指示もあり、接触のち対話してから、ということだろう。
とはいっても戦闘をしないという選択肢は、なさそうだった。かなり目つきに険しいものがある。
「速攻だ」
理逸が言い、加賀田と於久斗が前に出た。スミレは姿勢を低くして後ろで控えた。
まず両手の引き寄せで左右にいた男の姿勢を崩す。
一番奥、銃を構えそうだった男に突っ込んでいった於久斗は相手が抜く前に拳で打ちのめす。
手前の男を加賀田が引き受け、足払いをかけて真横に回転させ受け身を取れないよう肩と側頭部から着地させている。
理逸も引き寄せで体軸がかしいでいた二名を、駆け込んでの《白撃》と相手背後にあった花壇のプランタを引き寄せることによる後頭部打撃で連続して沈めた。
発砲も許さず数秒のうちに戦闘を終わらせたため、すべて過ぎ去ったシンとした空気が満ちる。
どうやらこれ以上の兵はいないらしく、理逸は索敵を終えてからスミレを手招いた。
「慣れたものですね、ぁなたがた」
「水泥棒の準備戦がほぼこんなんだしな」
「路上の喧嘩で勝つのは、いつであろうと早くそして迷わない者だ」
四人は前庭を抜けた。
さて門の鍵はどうするのかと思ったら、抜け目ないことに加賀田は先の見張りからカードキーも奪っていた。するりとスライドさせて、もはや勝手知ったるという顔つきで悠々と慈雨をあとにする。
後ろで門扉が閉まったのを確認してから、加賀田はやっと離れられた、という顔で首をぐきぐきといわせている。
「先の兵、練度が低い。あれは戦闘経験の薄い、慈雨の持ち駒だな。つまりここには求生総研の兵はいないのだろう……やっと人心地ついたのだぜ」
「どういうやつらかよく知らねぇけど、そんなにどこにでもポンポンいるもんでもないんじゃねえか?」
「
「各企業にわたりをつけられるならそりゃ、繋いでるし潜んでんだろうけど……新市街の連中とかそっちの情報筋から、そういう連中が絡んでるって話を聞いたことはないぞ」
理逸が言えば、加賀田は眼鏡のブリッジを押し上げながらせせら笑った。
「キミたちが関与するレイヤーにいない存在だ、ということに思い至らないのは、仕方のないことだな。国家という規模感が消えた時代の弊害か」
「そこはかとなく馬鹿にされてる気がするんだが」
「事実、統治区の内側のごたごたで手ぃっぱぃのぁなたが区画の外のことを思ぃ描くことは困難でしょぅ」
一応、区画の外を知る者という点ではスミレも加賀田と近しい感覚があるらしかった。ただ加賀田から親近感を示すような顔を向けられると、嫌そうにその一方的な共感を振り払っている。
ともあれ――統治区の、それも新市街を除いた南古野の狭い世界の観点しか持てない理逸では、到底関わることのない組織が求生総研。そんなところか。
「で、その巨大組織は統治区を股にかけてなにやってんだ?」
「求生自体は旧時代から存続している、研究のためにすべてを賭す人間だけを集めた集団だ。技術供与や旧時代からの利権関係で各統治区の企業に繋がっており、そこから情報や利益を抜きとってまた研究に費やすという『研究を目的とした研究機関』。そんなところさ」
「研究が目的じゃ終わりがねぇだろ。目標も目的もなく動くなんざ、考えにくいんだがな」
「一定以上のカネと権力が一か所に集中すると、指向性は『肥大化』へと勝手に定まり始めるのだよ。なに、難しい話ではない。キミにしたところで自身の属す組織が壊れそうになったなら守ろうとするだろう?」
「そりゃまあ」
「同じことだ。巨大になりすぎた存在は害も産むが、それ以上に食い込んで生かしている
自身の研究対象である「死ににくい個体」の話へ繋げながら、加賀田は両手を広げた。鎖骨が痛む方の肩だけ、下げ気味だったが。
「ともあれそういうことだ。求生総研は組織としての目的を必要とする段階にはもはや、いない。あるのは肥大化の指向性。巨大になりつづけることで巨大であることを周囲に肯定させすべてを飲み込む」
ずいぶんと大仰な説明だった。しかし、複数の統治区にまたがって存続していると聞けばなんとなく多企業軍との相性が悪いことにも、察しが付く。
統治区の外を維持する多企業軍からすれば、外の環境を変異させかねない彼らは異物にして邪魔者なのだろう。そこまではわかった。
ところが加賀田はそこから、さらに大きな話を持ち込んできた。
「そもそも
「え。機構を」
「そうさ。このようにキミの暮らしのレイヤーとはまったく異なるところで支配的な力を持っている。ゆえ、キミにはまったく理解できないのだということが、少しは理解できたかね?」
加賀田はそう言って締めた。その言葉は理逸があげた驚きの声を無知からくる素朴な驚嘆だと判じてのことだったのだろうが……厳密なところを言えば少しちがった。
機構を研究する、というところが引っ掛かったためだ。
それは……スミレのいた実験船が、まさにそのような場ではなかったか?
南古野の領海に入ってきていたのに、企業間航行記録がなかったモーヴ号。襲撃したのは水道局。沈没後も、近づけば安東のように攻撃を食らう。
これまでモーヴ号の関係者は単に人と機構をセットにして売買するブラックマーケットだと考えていたが。――本質は、異なるのか?
理逸は隣のスミレをちらりと見やる。
彼女は一瞬視線を上げてから、「黙って」と口の動きだけで示す。理逸が気付いたことに気付いた様子だ。
あの船は、求生総研による研究・実験施設だったのだ。
「私はな、目的のない指向性は好まないのだぜ。再現性がないシチュエーションの連続には積み重ねがなく、それは学問となり得ないからだ。その意味では宅島は新市街と南古野の維持を理念とした一族でね。積み重ねが膨大にありじつに興味深いのさ」
新事実に困惑している理逸をよそに加賀田は、ポケットから車の鍵を取り出して路地の方へ歩んでいく。
「おそらく、求生総研が絡むことと今回の南古野での騒動を話せば彼らの理念に対してプラスに働くと言ってよいだろう。つまりやっと手土産ができた。後ろ盾にその名を使ったことには文句のひとつも言われるかもしれんが、首を斬られるほどではない……というわけでここで、私は別れるよ」
多目的用途車輛で、雇い主だという宅島なる一族のところに戻るらしい。
急に抜けると言われると(そのプライアで)組合に与させようとしていた都合上、少々困るが。ここで引き留める言葉も理由も『組合の利益に必要』以上のものはなく、また慈雨ひいては求生に関われば加賀田が死ぬ可能性もあるので、無理に食い下がる気は起きなかった。
「そうか。まあ、死ぬなよ」
「医者は診るべき相手をすべて診てから最後にくたばるものだ。ともあれ、キミらも死に近づきすぎないように。帰りのルートはわかるかね?」
「事前に調べてぃた六つのルートのぅち、二つがここから近ぃので」
「俺のプライアで引き寄せ使えば、たぶん突破できるルートだったよ」
「結構。ではまたな」
いやそんなに会いたくもないけどな、と思っているうち、彼はエンジンをかけてさっさと走り去っていった。
残された理逸とスミレと於久斗も、南古野へ戻ろうと動き出す。ちなみにルートは
#
新市街側は整理されているのか、こうしたいかにも人間が住み着きやすそうな場所もただ広くスペースが空いているばかりで、そんなところにも理逸はカルキ臭さを覚えた。あまり来ることのなかった土地だが、先の慈雨メンバーの応対のこともあるし今後も来るまい……とは思う。
ともあれここまでくれば於久斗のほかに人もいないので、理逸はスミレに先の反応の意図を訊いてみることにした。
「求生にお前、からんでたのか?」
「ぃずれぉ話しょうとは、考ぇてぃました」
微妙に歯切れの悪いスミレは、正面を向いたまま答える。理逸は予想が当たったことになんともいえない気分になりながら、つづけた。
「やっぱりあの船、そうなのか」
「ぇえ」
「じゃあお前たちの買い手も、研究機関?」
「正確には買ぅのでなくリースレンタルでしたけれど。凪葉良内道水社も研究機関では、ぁるのでしょぅね」
「……最初から水道局が取引相手だったとはな」
「そして横紙破りで、レンタルではなく強奪を目論んだゎけです」
結果としてなにも得られずに終わったわけだが。まあなんともひどい話である。誰一人として得をしていない。
「そもそも、求生総研はあの船でなにを研究していたんだ?」
核心に迫る質問に、けれどスミレは答えない。
前を一心に見つめたまま、ため息だけをついている。
「ぉ答えしたぃところではぁるのですが。ぃまのぁなたには理解できません」
「理解力がないのはわかってるが……」
「そぅではなく。ほとんどの人類が、理解できなぃよぅに
「思考、ロック?」
「人類は
スミレは、
この説明を受けて、理逸は奇妙に思った。機構は人体制御の代物なのだから、人体に関わる事物のどれもに影響できる。だからひとが操るプライアの制御だってできるだろうし、プライアの制御ができる機構はプライアと同一であるはずがない。制御スイッチと動作部が同じでないのと同じだ。
また併用できないのは脳髄の同じ場所を使うためで、これも同一でない理由だ。同一なら同時併用できておかしくないはず。
こう考えていると、彼女は妙に、寂しそうな顔をした。
「『この枝とこの枝は異なるものだ』とぃう近視眼の人に『その二つの枝も同じ木から分かれたものだ』と教ぇることができなぃ……ゎたしはこの思考ロックを外すための
やるせなさを抱えた声で、スミレは言った。
だが、理逸としては。まったく関係しないその二つが並ぶことに、意味が見いだせないのだ。現実の知覚と現実の改変に、なんの関係がある?
そう思い至って、しかし、理逸は「この思考がなにかおかしいのか?」と迷う。迷って、しかし、浮かんだはずのそれがどんどん消えていくのも感じる。まるで目覚めたあとに見ていた夢を追いかけているような気分だった。
結局、なにもつかめない。
ひどく奇妙な、流氓とのあいだで常識の隔たりを感じたときのような、相互に相手を捉え損ねた感触だけが残る。
うめきをひとつ。
それから理逸はかぶりを振って、もやもやした気持ちのままに答える。
「……まぁいい。理解できなぃけど、お前への協力はつづける」
「こんな、動機も経緯も不明瞭な状態でも、でしょぅか?」
「動機や経緯を知りたいのは納得したいからだけど、お前は理屈で俺を納得させられないことに、歯がゆさを覚えてるように見える。俺はお前のその態度の方に納得した。だから、いいんだよ」
動機や経緯を語ることは誠意と言える。それがうまくいかないときに、それでも伝えようとしてくれている。そこを汲み取れないような人間にはなりたくなかった。
正直な理逸の言葉に、スミレは「なんですか、それ……」と、呆れたような顔で頬を緩めていた。
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