White whale (8)
宅島、という名の意味するところは理逸にはよくわからなかったが、ここで名を出すのなら加賀田の雇い主は結構な権力者でありつまりそれは「その配下に手を出すことの意味はわかるな?」との脅しである。
しかし加賀田にこのような脅し文句をかけられても、植田に動じた様子はなかった。まなざしは子どもを見つめるがごとく穏やかに。ともすれば、加賀田の発言などなかったかのように落ち着いている。
けれどたとえ裏が無かったとして、疑いをかけられる状況というのはそれそのものが人を追い詰め焦らせるもののはずだ。
植田の反応は、こうなることを予期していたとしか見えない。となると、交渉で情報を引き出すなどはできなくなったと見ていいだろう。ガードが固くなったのだから。
こうなると加賀田が時間を稼いでいるあいだに理逸が、先日の世渡妓楼閣で欣怡がバインダー入手に立ち回ったようにこっそりと情報を探るしかないか? そう身構えた。
ところが、そこからの加賀田の動きによりその必要はなくなる。
「加賀田殿。なにをおっしゃっているやら、私にはわかりかねますな……人身売買? 殺害と追及? 推測、もとい憶測であまり声を荒げるものではないですよ。みっともない」
「信者相手の
「お気遣い、ありがとうございます。どうやらおせっかいは要らぬ世話だったようですね、申し訳ない」
「いやいや。気を払ってもらったことには感謝しておこう」
ところでだね――と言葉を切って、加賀田はローテーブルの上に身を乗り出す。
目を合わせる。眼鏡越しでなく裸眼だ。
この動作を目にするのが二度目だったため、理逸は気づいた。李娜にも、彼はこのようにしていた。
加賀田のプライアである記憶尋問は、裸眼で目を合わせることが発動条件――あるいは『勝手に発動してしまう』のだろう。
見つめられた植田から、意識と呼べるものが遠ざかるのを感じる。表情が抜け落ちて目がうつろになる。
「【慈雨の会の】【人身売買】【および】【それを知る者】【への追及】【に】【ついて】【己の知るところを】【話せ】」
区切りと調子の外れ方がひどい、がたがたの発音で加賀田が問う。李娜にかけたのと同じ技が、植田の精神に作用した。
「お前また相手に断りもなくそんなプライアを」
「キミらが見て気分が良くないのは把握したが、ほかに手立てがないのだから仕方ないだろう? 拙速、拙速」
「……交渉もクソもない反則技だな。対面を許した時点でこいつ負けてたってことかよ」
呆れた理逸は、身構えていたのを崩した。加賀田は組んだ膝の上で両手を重ねながら、からから笑う。
「結果から見るとそうなるが、ここは多少治安が悪かろうと戦地ではない。味方の損耗を防ぐという観点においてまず『敵を一切近づけず殺せ』を選択する戦の場と、交渉事でなるべく共助共栄を目指さねばならない平時社会の場では対応が異なるのは当然なのだぜ……影使い君が喰らった洗脳の存在を思うと少々不用心だとも思うが、まあ私がプライアホルダーであることは知られていないしな」
調子の外れたオルゴールのごとく、植田は己の記憶を己の意に反して語り始める。眼鏡型機構をかけ直した加賀田は、興味深そうにこの説話へ耳を澄ました。
理逸とスミレも、これを聴く。だがどんどん気分が悪くなるような内容だったため、加賀田のように興味津々で最後まで傾聴する、とはならなかった。沟と慈雨の会を介した、水道局への人身売買。そこでの用途。違法部品への製造工程。胸糞悪くなる事実の列挙に、理逸もスミレも腸が煮えくり返る。
ふっつりと植田の語りが途絶え、彼がうなだれたあと。やりきれない感情で、理逸は細く長くため息をつくしかなかった。一拍置いて、加賀田に問う。
「……どうして慈雨と沟が、こんなかたちで水道局に関われるのかまでは、語らなかったな」
「私の命令条件がそれについての問いを含んでいないからな。その経緯も気になるところではあるが、この能力は当人の知らない情報を引き出そうとすると
「なるほど。だとしても、こんな簡単に聞き出せるとはな。本当になんでもありだ」
「馬鹿を言うなよ《蜻蛉》。前にも語った通り我がプライアは条件が厳しいのさ。裸眼で目を合わせた・一メートル以内の距離の相手に・多少なり会話をしていて私への意識が向いている、ということが必要になる。加えて命令のワードは一言で言い切れる程度の簡潔なものを要し、最後まで聞き取らせねばならない」
「道理で戦闘中に使ぇなかったゎけですね」
スミレの指摘に理逸もうなずく。彼の戦闘は常に距離と間合いを操作するし『引き寄せ』での間接攻撃も含むため、加賀田の言う距離条件と命令条件を満たすのは難しかったのだろう。でなければ相手の意識を奪うこの技、戦闘面でも有用すぎる。
「そういえば雇い主の名を宅島って答えてたが、その名を出した意味はなんだ?」
「宅島は新市街で水道局上層部との直接謁見を権利かつ義務として付与されている血族だ。慈雨の会は新市街民も多く、五大名家の名を出せば強く影響を与えられるのでね。この名を盾にすればブラフにもなかなかのメッキがつく」
「直接謁見……ですか」
スミレがそこにだけ、いやに冷たい声音で反応した。加賀田は気にした風でもないが。
やがて茫然自失だった植田が、ふいに目覚める。加賀田は眼鏡のブリッジを押し上げながら立つと、テーブルを迂回して植田の横に回った。どかりと腰を下ろし、彼の肩に腕を回しながら語る。一瞬、目を白黒させる植田だが、自信にあふれる加賀田に気圧されたのかもしれない。
加賀田はつらつらと植田に話を振る。
「キミぃ、私たちがここに来るまでには、ずいぶん時間をくれてやったんだ。私の調査は進んだのだろうね? まぁーおそらく宅島の手の者、というところまでは掴んでいるのだろうが、深いところまでは把握していまいな」
「……なんのことですかな」
能力にかかっていた前後の記憶は適当に補完されるため、植田は自分がしゃべった事実も、その内容も覚えていない。
加賀田はそこにつけこみ、ブラフと情報で切り抜ける。裂けたような笑みを浮かべ……恫喝するその顔は、きっと戦地でも使ってきた顔だろう……言う。
「私はこれで実際、宅島にとっては重宝する人間でね。雇われではあるが、彼らとはほぼ対等の立場だ。ゆえにキミらの裏でのおこないも
「だから、なんのことかと、」
「
これがもっとも重要なワードだったらしく、植田はぴくりとした。加賀田はこれを見て取って、つづける。
「特定手順を踏まえた虐待と拷問により、感受性が高いが常識が未分化である子どもに特定のトラウマを植え付けプライアを発現させる。その後に能力を得た
手間取るもなにも、聞き出した語をそのままいえばいいだろうと思うのだが。機構と能力、と並列して考えているらしい加賀田は頭を掻く。
機構は機構、能力は能力だろうと理逸は思うのだが、彼のなかではなにかちがうらしい。
やがて、選び抜いた言葉で――それでもあまり納得がない顔で――彼は指摘する。
「機構で制御してプライアを扱う。いわば
指摘に、植田はおだやかさを消さなかった。
だがそれも、不自然なことだ。自身に関係のないことであれば困惑なり不快を表明する方が、自然である。彼は、あきらかに自分がそれらに関わることを示してしまっていた。
まさか自分が語ってしまったとは露程も思っていないだろう植田に向かって、加賀田は聞き出した情報をさも元から知っていたように語った。
「私は宅島の雇われの身だがそこまで知ることを許された、いわば同志。もともと私も身体を用いた機構の研究で
ぺらぺらと状況に当てはめて、相手が信じやすいような情報を打ち込んでいく。
植田は、いまや無理やりに感情を抑え込んだ、内側からの圧迫に耐える形相と化していた。へたに加賀田が「宅島とつながりがある」というところまで知ってしまったがゆえの、自縄自縛。ここからの自らの一挙手一投足が組織と名家のかかわりに影響を与えるおそれが出てきて、植田は優位を失った。
「とはいえキミらが私に不義理や狼藉を働いたとは、私は考えていない。知らぬ繋がりにまで思いを巡らすのは不可能であるからしてこの追及は道義に沿わない。取るべき責任の所在は、直接に我らへ危害を加えかけたあの部隊にあると私は考える……統率された戦闘部隊だったが、この現場での責任者は誰だ?」
状況を把握しておくための重要事項であったこの点を、加賀田が詰める。
植田も己にすべての咎が来るかもしれないこの状況で、少しでも己にかかる責任を減らしたかったのだろう。観念したように、理逸たちへ告げる。
「あれはこの統治区の外の人間……」
「『外』? 南古野の民が新市街を呼ぶような意味ではなく?」
「ええ……」
植田はしぼりだすような声で、自分の知るところを伝えてきた。
「
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