White whale (5)

「止まらないのか……」


 理逸は浴室のなかでぼやいた。

 見上げる先にあるシャワーヘッドから、バスタブに湯が落ちていく。栓をしてあるため溜まっていく。

 水位が膝の高さを越えても止まらないその様子に、戸惑いを覚えていた。


 別段、こういう風呂自体は李娜のところで働いているときに使用したことがある。客の衛生状態を良くするのと、コミュニケーションのために風呂の工程は欠かせないからだ。ゆえにユニットバスというやつに戸惑いはない。

 けれどあの遊郭ではシャワーも一分ほどで止まるし、出るのは水だった。備え付けの石鹸にしたってこのようにきめ細かな泡が立つものではなかった。体と足を拭く乾布が別になどなっていなかった。

 なんだか便利がすぎて、戸惑っている。

 ……もしやこの湯、出した分だけの課金制だろうか、と思い至ったのは身支度を済ませて浴室を出てからだった。

 先に風呂をあがっていたスミレが、加賀田の買ってきた白地に紺のラインが幾筋か入った貫頭衣チュニックの腰辺りを絞る紐を結んだりほどいたりしつつ、理逸に言う。


「痛むのはカガタの懐です。気にしなくともょいでしょぅ」

「まだなにも言ってないのに俺の懸念に答えるな。っていうかその物言い、お前もそういえば、長風呂してたな」

「ぁまり熱ぃ湯に浸かるのは理解に苦しみますが、適温の湯でぁれば話はべつですので」

「ぬるま湯なんかじゃ入った気しないけどな、俺」

「神経が図太ぃからでは?」


 数秒考えて、熱さもわからない鈍感だと言われていることに気付いたが、へいへいと流した。


 ややあってから於久斗が、ひげ面に湯をしたたらせながら若干慌てた様子で浴室から首を出してくる。


「おい三番、童女。湯が止まらん。大丈夫か、これは」

「俺たちと同じことやってるな」

「童女呼ばゎりは不服です」


 温度調節が下手なのか、やたら高温を出してしまっている於久斗に使い方の説明をしてやる理逸とスミレだった。

 やがて加賀田が戻ってくる。理逸たちの衣服を買って戻ってからまた出かけていたのだが、今度も手に麻袋を提げていた。


「キミたち準備はできたかね? ああ、まあ。上出来だろう」

「いろいろ言いたそうな顔したなお前」

「服装が整っても顔つきや雰囲気は隠せないものだと理解したまでさ」


 加賀田の用意した白を基調とした衣服に身を包んだ理逸たち三人は、及第点と言いたげな彼にむすっとした顔を返す。


「持ってるのはなんだ?」

「贈り物だよ。慈雨の会に潜り込むのだから入信するのは当然だが、さすがに手ぶらでは奥まで入れまい」


 渡された重たい袋のなかを見ると、千変艸ヴァリアブルウィードの模果物が入っていた。南古野で考えるなら、かなりの高級品である。種類は緑の地に黒の縞模様が入る球体……スイカとかいうやつだ。不気味な見た目だが中身は赤くて甘くてうまいらしい。

 重たいのと外皮を傷つけないためだろう、底には支えとなる木箱が入っていた。

 おもむろに理逸が木箱の二重底を開けると、水道免税券が束になって納まっている。スミレが白い目を向けてきた。


「迷ぃなく探りぁてましたね。なぜゎかったのです」

「『奥まで入る』って言ったからなんとなくな。献金や賄賂は、組織最奥まで行って直で幹部に手渡しがセオリーだ」

「だが三番よ、こういうものは信用がなければそもそも取り次いでもらえないのではないか?」


 於久斗が問うので理逸は加賀田の方を見る。と、彼はくつくつ笑いながら入口脇の壁に背をあずけた。

 それから壁際のスイッチをぱちんと入れ、室内の明かりを消す。ドアをこんこんと、内側からノックする。

 途端に、全身を真っ白な衣服――カソックというやつ――で覆った男たちがぞろぞろと薄暗い室内になだれこんできた。

 即座に拳を構えようとした於久斗だが、照明を落とされてプライアは使えずおまけに頭数もいるのではどうにもならない。「ドクター、お前っ、」と声を上げたのを最後に沈黙する。高圧電流が空気を焼いたきな臭さがあたりに漂った。がくりとうなだれて於久斗が倒れる。


「のちほど、支部長によろしく。この二人も連れていくのでね」


 ひらひらと手を振り加賀田は運び出されていく於久斗を見送った。

 あっという間のことだった。外にやたら出ていくので理逸はさっきから怪しんでいたのだが、加賀田は慈雨に根回ししていたらしい。


「……取り次いでもらうため、信用稼ぎの手土産ってとこか」


 なにも聞かされていなかった理逸だが、状況から察する。

 慈雨の会からすれば運び屋を用いて子どもの身体部品を集めていたなどというのは、衆目に知られたくない事実だろう。おそらく加賀田は買い物のついでに慈雨の人間に接触し、それとなく「子どもの売買に加担してしくじった者を連れてきた」とでも伝えたのだ。


「情報リンクでお前の顔も割れてたろ? 一味の仲間割れとしか思われなかったんじゃねぇのか」

「その可能性もないとは言い切れなかったが、奴らのなかでもこの案件を共有しているのは上層の一部のみだと判断していたのでね。末端や現場の慈雨信者にまで情報が出回っていることはないと踏んだ」

「貧しきを救済する、とぃうのを標ぼうしてぃる人々がオクトさんの件の情報を下にまで回すのは、『我々も弱者からの搾取に加担してぉります』と述べるょうなものですからね」

「その通り。かといって影使い君の一件で自分らに不都合な部分を隠蔽した情報を流すには、時間がなかった」


 兵は拙速を尊ぶとは言えどもね、となにやら故事成語らしきことを言い、加賀田は腕時計型機構の立体映写SVインタフェースでマップを開いた。先の南古野で追っ手を振り切るときに見たのとはちがう、規則正しく碁盤の目のように並んだ街の地図であり、それだけで新市街のものだとわかった。


「私の接触で上の連中は『自分たちに仇成す者の一部が来た』と察しただろうな。が、自ら懐に入ってくるとの報が入ったなら、とりあえず上の人間が歓待のフリくらいはすると思ったのだぜ」

「そんで向こうがこっちの背後洗ったり始末して大丈夫か判断したりしてる隙に、俺たちで内部を調べろってことか」

「可能であれば影使い君の救出もしてやろう。なに、彼も我々の背後を洗うあいだは殺されはしまいよ」


 切り捨てる可能性を示唆しているあたり、やはり信用ならない男だった。

 とはいえ加賀田自身も自分が助かるためには最大限の手を打つ。理逸とスミレもその手段に必要な人員でありつづける限りは、加賀田のバックアップを受けられる。二人が新市街にも慈雨にも詳しくない以上、もうしばらくこの男と行動するしかないだろう。……スミレはますます加賀田への嫌悪を強めたようで、心底嫌そうな顔をしていたが。

 二人から向けられるそのような視線も涼しい顔で受け流し、加賀田はマップを消すと麻袋を抱えた。


「行こうか諸君。あの戦闘部隊がなんなのか・慈雨が子どもを仕入れて水道局に流す理由とはなんなのか。これらをつかんで、対等に慈雨と交渉できる段まで持っていけば悠々と南古野側へ戻れるだろう」

「戻ったあとも大変そうだけどな」


 生き残りのためにはなんとしても掴まねばならない情報だが、かなり突っ込んだ話になりそうだ。水道局を中心とした企業連合ユニオンの圧政に対して、弱者のセーフティネットとなっていたはずの宗教組織がバックで繋がっていたかもしれないなど。知ってしまえば、今後の理逸たちの南古野での立場やふるまいにも大きく影響するだろう。


「これまでわりと組合は慈雨の会と連携してきたけど。ことと次第によっちゃ完全に縁を切って、パワーバランスを崩すのもしょうがない事態だ」

「子どもを売ってぃるのですから、沟との関ゎりの可能性も大きぃですし。許せることでも見過ごせることでもぁりません」


 スミレはすでに敵対姿勢が強めのようだった。

 無理もない。彼女は児童実験船だったモーヴ号の生き残りで、実験成果を奪取しようとその船を沈めた組織が、水道局なのだ。同胞を殺した彼らと彼らに関わる者、大人への憎悪は計り知れない。水道局を止めることが彼女の人生の至上目的だ。

 理逸も、兄を水道局により殺されている。共感と、勝手ながら仲間意識が芽生えていた。だから彼女に手を貸すと決めている。いざとなったら組合の審議の場でも彼女の側につく。先のことをそう決め込みながら、今回もことに当たる所存だった。

 思惑をめぐらす理逸たちの前で、加賀田は不敵に笑みを浮かべていた。


「なに笑ってんだよ」

「いやなに。個人的な私の勘だがね……ことは『パワーバランスを崩す』では済まないのではないかと思うね。戦場の経験則だが、歴史の長い組織がつるむのを市井の者が知るときは、いつも大ごとの前触れだ」


 嫌なことを言いつつまだ笑っていられるのは、自分が生き残る自信があるからだろうか。理逸はいぶかしげに、加賀田を見るほかなかった。


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