White whale (4)


 加賀田が車輛を停めたのは、あまり人の気配がない区画だった。


「いや。『人がいないことがわかりやすい場』、か」


 理逸は思ったことを少し訂正して、ぼやく。スミレが反応した。


「きれぃで、なにも起きなさそぅな場所……視線や歩幅の誘導、ひとの感覚を正常に保とぅとする働きが都市デザィンの随所に見られます。割れ窓理論の応用ですね」

「割れ窓?」

治安の悪ぃGarbage場所pitはゴミがひとつ転がってぃることから生まれる、とぃうことです。ひとの認識のファジーさは個々で度合ぃが異なってぃるため、数量的な規律がなぃと必ず悪化を辿る」

「群れのなかでは『こうあらねばならない』が無くなれば『こうであってもよい』が横行する、という理論なのだよ」


 抜いたキーを指先でくるくる回しながら運転席を降りた加賀田は、けたけた笑った。この言葉を受けながら、於久斗があたりを見回して口を開く。


「よくわからないが……この土地には死角があまりない、とは感じるな。道幅は広く、まっすぐで見通しが利く。誘拐もひったくりもやりづらい」

「猥雑さがない、って感じだよな」


 理逸が答えれば、於久斗はうなずく。


「ああ。それこそ『チャンスだ、ひったくりをやらねばならない』と街に言われているような感じは、しないな」

「素朴にして勘所をおさえた観点だ、影使い。そうとも、区画の整頓とデザインは街のインフラの要であるからして『こうあらねばならない』との規律の方向性がすべて――と言っても過言ではないのだぜ」


 南古野は倒壊したビルや無茶な増改築で行き止まりになった路地、第二災害大地震でずれて曲がった地形そのままになっている通り、点在する廃材置き場などの問題により見通しが利かない。

 総じて人がどこにいるのかは察し辛く、死角を取られたくなければ複数名で行動するかそもそもそういう場所に入らないのが重要だ。

 それは奪い合いを常とする人々の暮らしが、自然とつくらせた地形と言ってもいい。南古野は『奪ってもよい』『奪われてもよい』でデザインされてしまった都市、ともいえるだろう。


「まあここに人の気配が薄いのは、日中プラントでの労働に出ている者が多いからというのもあるがね」

「こっちにも労働者層がいるのか」

「労働者層といっても監督役や差配を担う者だよ。実務に当たる者はいないさ。まあ南古野の人間と直に接する業務との点で新市街におけるヒエラルキーの低い者たちなのは、たしかだが」


 それはそうだろうな、と理逸は思う。

 良い血筋を出自に持つからだろうが、朝嶺亜は「うちやその周りの人間は新市街から出んまま、企業連合ユニオンの所属で生涯を数値と予測の入出力で終えると思っとったが」と平然と語ったことがある。

 新市街の人間は、すぐ隣にありながらにして、南古野をはるかな異地のごとく認めていて視界に入っていないのだ。水道局の末端および将来的な幹部候補の実地調査などをのぞけば、物好きが娼婦を買いに来たり貧困を見に来たりといった程度にしか南古野に関わろうとはしない。

 ……さてその物好きのひとりであるところの加賀田は、勝手知ったる道らしくすいすいと理逸たちを先導して進んだ。彼の背を目で追う理逸の横、スミレがぼやく。


「追っ手の連中と、慈雨の会ゃ新市街民がずぶずぶに通じてぃたらどぅしますか」

「情報リンクで俺らのことが割れてるかもって話か? 十分あり得るけど、だからっていまここで暴れてるわけでもない俺らを即殺すって方法は取れないはずだ」

「そうその通り。『何人たりとも、奪われてはならない』でこちら側はデザインされている。お優しい人権派連中が我々の身の安全をある程度までは保障してくれるのさ」

「ぁなたが戦場帰りの人殺しでもこちらで生きてぃられるのは、そのぉかげですか」

「いかにも。暮らしを送る場としてはじつに都合がいい」


 ちくりと刺す物言いのスミレにもびくともせず、加賀田はまるで悪びれることがなかった。理逸はため息を吐き、ふと気になって問う。


「暮らしを送るっていうけどよ。つーかお前、普段はなんの仕事してるんだ」

「貴人の護衛だが?」

「医者じゃねぇのかよ」

「医は仁術だ、私はそれを売り物にしたことは一度もない」


 これもまた、本気で言ってそうなので閉口せざるを得ない。於久斗が片手を挙げてアピールしながら、加賀田に問いを投げる。


「雇い主が貴人だと言うならば、そのひとに力を借りて、あなたと俺たちに追っ手がかからないようにはできないのか?」

「私に道具以上の価値があればそれも可能だが、あいにくと護衛以上の関係ではないのでね。休暇中に怪我と瑕疵を負ってきた道具は切られるのみだろう」

「主を守るための防具が、傷つぃて戻ってきたょうなものですからね。ただでさぇ価値を減じてぃる上に、庇護を求めだしたなら『なにを勘違ぃしてぃる』と言ゎれるのが当然です」

「その通り。せめて自助で瑕疵を消せねば、価値は減ずるどころか絶無だとみなされるのだ」

「せちがれぇ話だな」

「おいおい、無価値即処分と言われるよりはよほど温情があると思うのだぜ?」


 淡々とこう口にするところがむしろ、彼の半生が相当に過酷な生活であったことを裏付けている。



 しばらく歩いていくうちに、あたりには生活の空気が漂う。

 ここまでの通りにあったビルからは発せられていなかった、暮らしの雰囲気がある。人が良く通る道の空気感というのは、土が踏み固められるようにその場に刻まれ沈殿しているものだ。

 建物一階を使った商店の立ち並ぶ通りに差し掛かったところで加賀田は「ここらで簡易宿モーテルを使おう」と言って道を曲がった。


「慈雨がいかに懐深い組織とはいえ、受け入れられやすい態度や恰好をするかどうかはことの成否にかかわるのでね」

「簡易宿で集い、なにか策でも立てるのか? ドクターよ」

博士Doctorか、博士はいいね良い呼び名だよ影使い君。だが策以前の問題さ」


 於久斗の問いに加賀田は肩越しにこちらを顧みながら、目に青の光を宿した。

 それから鼻をうごめかす。


「……嗅覚封印マスキングしていなければ私も、私自身の臭いに耐えがたいのだよ。キミらについても無論、そう思っている」


 どうやら風呂に入れ、服を替えろということらしい。

 ほんの数日前に銭湯を共にした相手からこう言われると、理逸としては釈然としなかった。そう考えていると、内心を見透かしたような笑みを浮かべて加賀田は平然と腹の内を語った。


「習俗に身を浸さねば腹を割って実地を知ることができんだろう? だからあのとき、湯殿を共にしたのだよ」

「俺らからしたら貴重な銭湯の経験を分かち合ったつもりだったんだけどな」

「私自身の気持ちとしては『よくもあんな温泉でもないのに濁りきった湯に長々浸かっていられるものだなぁ』というところだったさ」

「もしや、お前が早く風呂から上がった理由って。鎖骨のダメージうんぬんだけじゃなくて、それも一因だったのかよ……」

「気を悪くしたかね? だが今度はキミらが新市街こちらがわに身を浸す番なのだぜ。こちらがどういう習俗かを、キミらが知らねばならない」


 加賀田はからから笑いながら、入口で金を支払いひと部屋をとった。フロントの人間は加賀田に慣れているらしく、連れが三人もいるというのに何事もなく部屋をあてがった。


「203号室で。ごゆっくり」

「ありがとう。後ほど部屋に洗濯する衣類を取りに来てくれると助かるね」


 すらすらっとやり取りをして、部屋のキーを手にまた加賀田が先導する。

 ……南古野であればこの人数で宿をとるのは間違いなく薬物の回し打ちなのでフロントで蹴り出されるか、事後清掃費の名目でチップを弾むよう婉曲に言われるかのどちらかだろう。文化の隔絶を感じながら理逸たちは廊下を歩む。これが習俗のちがいというものか、と思いつつ。


「……三番」

「ん、なんだ於久斗」


 と、歩く道すがら於久斗が口を開く。なんと言うべきか、と迷っている様子が数舜あり、やがて曖昧な言葉が絞り出された。


「お前は、ここの空気が妙だ、とは感じていないか?」


 照明がひとつ飛ばしでのみ点いている薄暗い廊下で、後ろを歩く於久斗が言う。

 理逸はうーんと、うなり半分うなずき半分の声をあげた。


「そりゃ、フロントに入ったときから感じてたけどな――いや、車降りてこの生活区域に入ってからずっと、かな」

「やはりか。俺だけではないのだな」

「なにか不審な点でもぁるのですか」


 状況の変化には過敏であるスミレが言うので、理逸は素直に応じる。


「不審ってわけじゃないけど。違和感は、ずっとつきまとってるよ」

「違和感。ゎたしは、特別感じるところもぁりませんが」


 スミレは自身の感覚をたしかめているのか、ちょっと目の焦点を遠くに合わせようとしたり、耳を澄ましたりしているようだった。

 けれど理逸たちの感じているこれは異常を察して警戒しているとか、そういうことではなくて。


「これも、習俗のちがいってやつなんだろう」

「どのょうな?」

「砂塵もなく空気が淀んでいない場所が、こっちじゃ当たり前ってこと」


 最初に見通しが利くと感じたのは、この空気の綺麗さもあったのだろう。車輛で飛ばしてきたこともあり、しばらく気づけなかったけれど。自分を囲む空気がこんなにも澄んでいるという状況が、理逸にはかなり久しぶりだった。それが違和感だったのだ。


「南古野では、このようにチリひとつない空気が漂っていることなどまずない」


 於久斗は言って、深呼吸した。理逸もなんとなくそれにならう。

 ごくまれな雨が降ったあとの一瞬の大気の清冽さが、ずっとつづいているかのようだった。建物内にも籠った空気やすえた臭いが溜まっておらず、それどころか少し空気が冷たい……ように感じた。


「この差を俺たちが感じてるように、こっちの人間からすると俺らがまとってる空気がダメってことか」

「そういうことになるな。まあたまには清潔にしたまえ、これは医者としての言葉でもあるぞ」


 そう言う加賀田は部屋に入るとすぐシャワー室に入り、真っ先に身体を洗った。

 部屋に備え付けらしい白シャツとボトムスに着替えた加賀田は、眼鏡型と腕時計型の機構を身に着け直し髪をかき上げながら出てきた。

 それだけでなんだかとてもカルキ臭い印象になり、彼が南古野に溶け込むために『南古野らしい』印象になるよう自身と服装を演出していたのだということが、よくわかった。逆説的に、理逸は服装による印象の変化の大きさを、まざまざと思い知らされたかたちになる。


「服を用意してこよう。キミらは待っていたまえ。お嬢ちゃんの服は……まあなんとかなるだろう」


 矮躯のスミレに合うものを見繕ってこれるのか、と理逸は思ったが、そんな彼も新市街のことはよくわからない。

 おとなしく従って、とりあえず三人のシャワーの順番をコインで決めることにした。


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