White whale (3)
この南古野において名前の意味来歴とは、あまり他者が踏み込んで訊いてはならないもののひとつとなっている。
親から名を貰えた者も数多いとは言えず。また貰えたとしても生涯それを名乗るより、状況や場面に合わせたべつの名を使うことが多くなる場合もままあるからだ。
つまり『名乗りたくて名乗っているわけではない』ということがじつに多い。
だから「どういう意味なのか」「なんと書くのか」など踏み込まない。
彼――トジョウもこのように呼ばれるようになって長いし、いまでは愛着もある名だが、当初そこに込められた意味はあまり良いものではなかった。
だが呼んでくれるひとびとの移り変わり、その変化が、次第に彼に『これこそ我が名だ』と感じさせるようになった。結局、込められた意味よりも感じる意味の方が重たい。
その意味で、2nADである彼ら――トジョウの青空教室における生徒たちも、感じる意味に重きをおいて自らの名を名乗っている。ミヒロは仕事である『ゴミ拾い』に由来し、ツァオは忠華の語における卑猥な語、マオは忠華の金銭単位でいうごく安い額で売られたこと・その単位名に起因する。
彼らは互いにこれらの名をつけ合い、もともとの名を意識しないし、相手にもさせない。ひどい名前を平気で呼び合える者だけを仲間とし、逆に名を笑う者などがあれば全員でそいつを締め上げる。
この街らしい在り方だ。
そんな教え子たちは、なるべく自活するようにしておりトジョウを頼りに来ることはめったにない。トジョウの方も変な仕事や輩に関わらないよう陰ながら根回しはするが、基本的にはいずれひとりで生きていけるよう見守るにとどめている。
だから向こうから接触してくるというのは、相当な大事があったときに他ならない。
「先生……トジョウせんせ! We need help 即幾!」
「What do I 你怎么了、皆さん」
慌て焦った様子で飛び込んできたミヒロ、ツァオ、マオを落ち着かせるべく語調はなるべく弱く平坦にそろえる。話すスピードだけは相手に合わせ、応答のときに少しずつ自分の話す速度を下げることでゆるやかに相手のペースとトーンもダウンさせる。
培ってきた会話技法で彼らをなだめたトジョウは、三人が連れてきた金髪の少年・ハシモトの異常を確認した。
「ハシモト、わかる可以 what I saying? 心配発事 u have any abnormal conditions.」
2nADの語で話しかけるも、ハシモトからは色よい反応がない。きょろきょろと周囲を見回し、なにか訴えようとするもうまくいかない……そのような印象がある。
と、ミヒロたちが説明を成す。
「悲 I can't communicate well’ith him, I 推、ハシモト返事する不可」
どうやらハシモトは先ほどからなにを話しかけても返事ができず、返事しようという意思は身振りから感じられるが、肝心の言葉が出てこないようだった。
トジョウは「私の言う意味がわかればうなずいて、わからなければ首を横に振れ」と2nADの語で伝える。「この言葉の意味はわかった?」という問いかけに、ハシモトはうなずきを見せた。
次にトジョウはノートを取り出すと指さした。「ノート、と私が言う。私につづいてこれの名称を繰り返して」と告げる。ハシモトはうなずいた。だが、単語を口から絞り出すことはできなかった。
運動系の問題ではない。舌の震えや麻痺……以前
「起きた何、在平常変化? since we met」
トジョウが常と変わったことがなかったか彼らに訊ねると、慈雨の会の教祖である大曾根が訪れたことを教えてくれた。日邦語で喋っていたため断片的にしかミヒロたちには伝わらなかったが、「貸借物の返却」のようなことを語ったという。
貸し借りどころか明日の食事にも困っている2nADの子どもに、貸借? トジョウはわけがわからないと感じた。しかし直観をもとに判断を下すには、彼には情報も能力も足りていない。
「とにかく、ハシモト君を助けましょう。組合に助けを求められればいいのですが」
組合もいま、それこそ児童誘拐の件で沟と交渉などが発生する段だ。
正直、組合員のひとりとはいえ組織への貢献度が高いとはいえないトジョウの訴えに耳を貸してくれるかはわからない。
そう考えていると、なにやらハシモトがポケットから取り出したものをトジョウに預けてくる。
それは千変艸製ではない本物の煙草の箱で、この地域では吸っている人物が一人しかいない銘柄だ。そう、組合のリーダーである鱶見深々の愛用品である。
これを組合本部へ持っていき、入口の守衛などに「前の噴水に落ちていた」と伝えることが、組合上層部に繋げてもらうための符丁であることをトジョウは知っている。以前に教え子である理逸から頂戴したことがあり、彼はすでにそれを別件で使っていた。
「ハシモト……Who gave this、《七ツ道具》・三番?」
これを取り引きした相手は円藤理逸か、との問いかけにハシモトはうなずく。どうやら彼らのあいだでも、それなりに交流があることがわかった。ならば無碍にはしないだろう。
トジョウは言葉の扱いに難の出ているハシモトのみを連れて、組合のある生活可能ビルへ向かった。
#
《目明し》を帰して人材仲介業者の男への尋問を終えた深々は、沟との接触をどうしたものかと考えつつビルの屋上で煙草をふかしていた。
沟が水道局へ子どもを売買していたことは確定として、ルートがどうなっていたかがまだ不明だ。そこに浮上した慈雨の会教祖のひとり、大曾根。
三大宗教にならぶ勢いで
ともあれ、大曾根は肚の読めない男だ。人身売買の流通に関わってくるとなると、厄介ごとを覚悟せねばならない。
「この南古野で関わりを持たなかった者はいない、というような連中だからな……慈雨は」
若年者への施しを教えとして持つため、とくに層としては若い者ほど大なり小なり影響を受ける。直接の所属はなくとも、『ほかの宗派よりは慈雨寄り』、くらいになっていることは多い。
そしてその薄く浅く淡く広い支持が、それなりの力を持つことを教祖は自覚している。大曾根は、そういうタイプの指導者だった。
ここにきて、その大曾根との接触のあとに記憶障害と思しき症状を示している仲介業者の男がいる。これまで大曾根がプライアを所持しているとの情報はなかったが、もしかすると催眠的な能力を保有しているのかもしれない。
その能力をして、先の仲介業者の男を無意識に働くよう仕向けていたとしたら? それが現在不明となっている、子どもの人身売買ルートに関わっていた可能性は大いにある。
沟では、慈雨とのかかわりについても問いたださなくてはならない。
方針を定めた深々は煙草の火をもみ消し、階段を下りる。次のフロアで織架の部屋に寄り、彼に加賀田の行方について問うてみた。
「加賀田さん? あー、『追っ手がいるとのびのびできないから少し振り切ると伝えてくれたまえ』……って言い残していきましたけどっ」
「全部気づいていてさらにその上、私がお前に訊くことも織り込み済みか」
「俺がそっすかー、と流したら『誰に会うとかも予定していない本当の散歩だから安心していい』って言われたんで。たぶんアレ、俺が彼の行きそうな場所や人物に声かけしてあることも察してますね」
研究者として個人的に仲良くしてはいても、組合の不利益になることがないよう根回しはしている。大局観で指揮するポジションの自覚がある、織架に加賀田の監視を任せたのは正解だったようだ。
「とはいえ、プライアを使われると情報を引き出されそうだがね。対処はしてあるかな」
「発動条件として裸眼で数秒目を合わせる必要があるみたいですし、いますぐ彼が接触できる対象にはその条件伝えてますんで。まず大丈夫かと」
「条件、聞き出せたのか」
「いえ普段の行動からの割り出しです。彼、
円藤から聞いた発動条件が厳しいという話にも合いますし、と織架は締めくくる。織架の分析能力は信頼できるので、たぶんこれで正解だろう。
「もし加賀田が戻ったら、先の仲介業者の男にプライアで裏どりをしておいてもらえると助かるよ」
「了解ですっ。深々さんはこれからどちらへ?」
「十鱒を伴って沟の
「会議は飯食いながらでいいです? 譲二さんたぶん魚持ってきますよ」
「好きにしろ」
軽く笑って、深々はビルをあとにした。
#
理逸たちの乗る多目的用途車輛はいよいよ高速道路の崩壊箇所を抜ける。
砕け崩れ落ち、幅三十メートルほどの道となっているそこを通っていく。一瞬、高速道路の落とす影が車輛を覆い隠し、すぐにまた日の下に出た。
まだこのあたりは新市街とは呼べず、ほとんどさっきまでの廃墟群と大差ない。けれどしばらく進めば郊外居住地の区画に入るし、そこから行商の人間などに接触できるようになる。
「これからどうするのかね、キミたち?」
眼鏡のブリッジを押し上げながら運転をつづける加賀田に、理逸たちは答える。
「慈雨に接触しようと思う。奴らが本当に子どもの売買に加担してるのか、俺たちを襲撃してきたのがどこの連中なのか。確かめてから南古野に戻りたい」
「包囲がぁったといぅことは、それを抜けたこちらの方がまだ安全でしょぅしね」
「……俺も協力する。薊のこともあるからな」
「結構。私も自身がキミらとあまり関係しないこと、撃ってきたやつを仕留めただけで正当防衛であることを証明できるまではつるむとしよう。っと、少し曲がるぜ」
ぐいっとハンドルを切り、加賀田は進路をずらした。
「なにかあったのか?」
「いやなに、この辺の廃墟群はキナ臭くてね。かつての災害用シェルターが地下空間に広がっているのだよ。それらは南古野の管理下とも新市街の管理下ともつかず、妙な勢力がアジトにしているそうだ。その出入り口付近を通るのは避けたい」
「どんな勢力で、なんでお前がそれ知ってるんだよ」
「軍を抜ける際に再就職を禁じられる組織があってな。そこに接触すると要は
「人格奪うってまたずいぶんおっかないシステムだな」
「システムの存在を教えてくれるだけ有情というものさ。まー、それらの組織は特定の統治区に属していない、多企業軍と属性を近しくする勢力だ。情報漏れたら多企業軍の存続にかかわるのだろうし無理もないぜ……
自由人のように見えて、軍属をやめた際にかなり制限を受けて生きているようだった。それでもけらりと笑って、加賀田はアクセルを踏む。
「さて、新市街案内といこうではないかね」
#
地上付近の出入り口下で待機していた宅島は、表で車の発する振動を感じた。
こんな郊外の場にやってくるとはどこの組織の者だ? 南古野からの密輸便の存在は知っているが、このように半端な時間帯には通らないはずだ。
正体が気にかかったが、接近しかけた車輛は急にハンドルを切って走行音を遠のかせた。
「作戦行動には関わらんだろ。無視せんと進められんぜ、
「ああ」
ぐるりと、見回す。
出入り口下で待機するは、現在の彼の同僚となった
「
言われた通りにリンクを切り、六名の間でのみ通じる独立通信を扱う。こちらは短距離でしか通じないが、半径三百メートルまでは使える。任務に際しては十分な性能だった。
「それでは諸君、進行を開始する。目標は南古野安全組合の生活可能ビル。突入から全フロアの掃討までを十五分と予定する。長引けば連中も雑兵を増やす、極力短い時間で収めることを意識せよ」
筧の号令で、宅島たちは外への通用門を開いた。
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