Worth working (8)
エレベーターが戻ってくるまで待つあいだ、ホールに立ち尽くし理逸たちは黙っていた。深々は臨戦態勢に入っており、こういうとき刺激してはならないことを熟知しているためだ。
だがスミレはそのあたりを知らない……とはいえ声をひそめているところを見ると深々を気にかけてはいるのだろうが。
とにかく理逸を見上げて上目遣いに話を振ってきた。
「ぁれが、噂に聞ぃていた残りの派閥ですね」
「《笹倉組》と《沟》だ。国内土着の古いヤクザと、忠華の大陸から渡ってきた旧いヤクザ。まぁ、俺たちも仕事内容は大して変わらねえが」
「上の会場へぃく順番と時間は、決まってぃるのでしょうか」
「いや、とくにどこが先ってわけでもねぇ。開場の時間は決まってるけどな……べつに金入れる順番は前後しても、集計で確認する以上とくに関係ないから。それがどうかしたか?」
「ぃえ……ぁともう一点。これからの賭博で、ぁの二者が組んでぃる可能性はなぃのですか?」
「
「理解しました。この場にぉいての各組織が『その在り様を示す』ぅごきは、この街にぉいて相当優先度が高ぃのですね」
「ここが軸だからな。組織としての体裁を作り出すための」
仮にどこかの組織が不祥事だの弱みを握られ、それをネタにこの儀式を譲るよう脅されたとしたら。脅された側は従わず、なんらかの難癖をつけて抗争に踏み切るだろう。そう確信できるくらいにこの水泥棒をめぐる儀式の場は、先鋭化され他の要素をはじき出している。
組織が分離してこの街を分割して統べるに至った理由のすべてが水泥棒にある。
故に、これを蔑ろにするとか、談合だの口裏合わせだので自組織の立ち位置をゆがめるようなことは絶対にしない。薬に殺しに人身売買まで節操なくやらかす笹倉連中でさえ、直前まで画を描いていてもこの《皇水甕》の現場には持ち込まないほどだ。
事前準備が八割。
残りは運と駆け引き。
「その運を磨くためにさまざまな根回しや偽情報を流す、そこまでやる。そこからは、深々さんの領分だ」
「なるほど」
黙って階数表示パネルを見ている深々を見て、スミレはうなずいた。
控えて金の入ったバッグを抱える《七ツ道具》の面々は、慣れていてもまだ感じる鉄火場の狂気に肩をすくめつつ、降りてきた箱に乗り込む。最後に深々がドアを閉めた。
「個人的には」
「?」
鉄の箱が上昇をはじめ、立体映写パネルの階数表示がグリッチエフェクトを伴いながら変化していくのを見つつスミレが口を開く。
「ほかの組織ょり、ここに属すぁなたに拾ゎれてだいぶマシだったと思ってぃます」
「そうか」
「ぁなたは仕事内容がほかの組織と変ゎらない、とぉっしゃいましたが。それはほかの組織と同価値でぁることを意味しなぃ」
視線が見据えているのが階数ではなく、その彼方にいるのであろう笹倉組と沟に向けられているのだと気づく。
「2nAD全体と、ぁる程度対等な立場をとってぃるのはぁなたたち安全組合だけのょうです」
「対等っても仕事の受け手と斡旋者ってだけだがな……」
「それが得難ぃ特異性と見られる状況、とぃうことです。そして特異とぃえばぁなたも」
「俺が」
「殺しはしなぃ、とぃう特異性は、この街ではきっとめずらしぃ」
「……ふん。さっき言ってた、『その辺の大人よりマシ』ってやつか」
「ぇえ。ですから、これが組織の存続に関ゎる儀式ならば。ぁなたと、安全組合のために――ゎたしも協力をぉしみません」
ドアが開いた。
スミレの顔を見ようとしたが、開いたドアの先から差し込む夕日の光がまぶしく、よく見えなかった。
#
水泥棒は水道局との協議で決められた戦いである。
しかしその戦いの前に、身内の中での争いがある。
この《皇水甕》こそが各組織の面子を賭けた争いで在り、街の
三十五階の大会議室。
エレベーターのドアがある一方向を除いて三方がガラス窓に覆われた解放感あふれるフロア。正面に逆三角形を描くように配置されたデスクがあり、先に到着していた《笹倉組》《沟》の面々が腰かけていた。夕暮れの赤い光が、煌々と差し込んでいて影が長く伸びる。
残る一席に深々が腰かけ背後に理逸たちが控えた。空っぽの右袖を左手でつかみ腕組みしたような姿勢をとりながら、笹倉と周を睥睨する。
フロアの奥には甕が備え付けられている。賽銭箱と同じく格子で塞がれ、入れた金が滑り落ちる斜面が設えられ、中身が見えないようになっている構造だ。
……そもそもこの《皇水甕》というのは、名前に
かつてこの元・日邦に大規模な
まともな水を持ち合わせた者などほとんどいなかった。居ても量はごくわずかだったろう。
しかし蓋を開ければ甕にはなみなみと水が湛えられており、時の皇は「これは皆の協力あってのもの」と告げたという。
誰かが悪意で泥水でも混ぜればそれでおしまいだっただろうに、時の皇は民を信用し、また「これは互助の精神がもたらした水だ」と宣言することで苦難で連帯を忘れかけた民に他者への信心を取り戻した。
はてさて、このような徳にまつわる逸話を用いて欲と争いに満ちた儀式を行うのだから、ひどく罰当たりな所業だとは理逸も思う。思いながらも、バッグの中身を甕へ開ける。
水道免税券を含む安全組合の虎の子の金が甕に落ち、儀式の準備金が整った。
最後に深々が血判を捺した懐紙に自身の入れた金額を記し、甕へ落として席へ戻る。
「揃ったな」
笹倉が低く掠れた声でささやく。
中身はこれで確定した。三組織それぞれのプール金と金額を記した紙が収まった。
あとは合計金額発表の前に第1ターンの各組織の提示金額を決める。
今回の《安全組合》なら、自組織の「相手に資金として持ってきていると匂わせた」金額一二〇〇と、つかんでいる相手組織の資金額――《沟》の一五〇〇と《笹倉組》の七〇〇が情報としてストックされているので、それら未満を相手が張ってくると予想する。
だが実際に深々が今回用意したのは九〇〇。
差額三〇〇で調整し、自組織の資金が足りないため一位あるいはバーストになるしかない笹倉をまず蹴落とし、周には差額で読みを外させこちらも一位、水泥棒受諾の位置に追い込む算段だ。落札よりも損をする金額が多くなれば、奴らは引かざるを得ない。
テーブルについた深々が挑む様を前に、理逸たちは気を引き締めた。
「集計しました。各組織の投入金額と別添えの紙の記載金額に差異はありません」
《七ツ道具》《四天王》《竜生九子》からそれぞれ一名が共同で確認し、それだけ告げると奥に引っ込む。
各位、この報せを受けて手に手に卓上の懐紙を取る。見られることがないように「八〇〇」と金額を記し、深々が血判を捺す。
その間に、ちらと理逸は視線を上げた。
斜向かい、笹倉の後ろに控える安東と目が合う。
意味深にニヤっと笑ったように見えた。
不愉快に思って視線を逸らすと、スミレが袖を引っ張る。
「ぉ金を納める甕の位置ですが」
「ん?」
「常に、ぁのょうに周りの組織から見ぇる位置ですか」
「ああ……大体いつもこの配置だ」
「金額、書き換ぇさせた方がょいです」
「は?」
「はゃく。こちらの金額が割れてぃます」
「はぁ!?」
と言われても、判断に迷う。深々が構築した読みの上での金額判断だ。それを組織へ属したばかりでなんの立場も後ろ盾もないスミレの突然の妄言で、ひっくり返せというのか。
あまりにもめちゃくちゃな物言いに硬直する。記入のターンは短い。終わりが迫っている。
スミレの、紫紺の瞳をのぞきこんで理逸は訊ねた。
「おい」
「なんです」
「その判断になにを賭ける」
「ツァオたちのために動くゎたしの信義を」
それは属したばかりでなにも知らない彼女の素性において、ほぼ唯一といっていい確実な担保だ。加えて事前調査で彼女が別組織とのつながりを持つ人間ではないとも割れている。
なにより、さっきスミレはありがとうと感謝を述べた。
「……嫌味以外でお前が俺に謝意述べたの、ツァオたちがかかわるときだけだったからな」
三組織の首魁それぞれが記入を終え、ペンを置いた。深々も懐紙を置こうとする――が、そこに理逸は自身のプライアで干渉した。両の拳を握りしめ、引き寄せることでかすめ取る。
「理逸、お前なにを」
「名を呼ぶのはやめてくだ……そんな場合じゃねえな。おいスミレいくらだ、お前が書け」
理逸の差し出した懐紙に素早くスミレがペンを走らせる。直後に、刻限が来て柱時計が鳴り響いた。
『時間だ』
場に合わせる気もなく、あくまで忠華の語で重く告げる周。
懐紙がそれぞれの席で表に返される。
記された数字は――
「よくぞかわした。子の仕業か」
称賛する笹倉が、三〇〇。
『軽挙妄動に救われたな』
皮肉る周が、四〇〇。
「なに……」
絶句する深々が、スミレによって書き直されて――四〇〇。
提示された合計金額、一九〇〇。
書き直していなければ一人負けを余儀なくされていた。
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