Worth working (9)


 現在の提示額は三〇〇。

 ここから下回る数字しか出せず、安全組合は資金として九〇〇を持ってきてしまった以上すでに六〇〇以上の負けが決まりかけている。

 あとはいかにして二位に着地するかだった。


「ようやく視線を上げたな」


 生気のない顔をした笹倉が言う。深々は直接には視線を合わせていないようだが、互いの顔色くらいは見える様子だった。

 日はどんどん落ちていく。

 暗く成りゆく部屋の中、掠れた笹倉の声が反響する。


「第2ターンだ」

『構わん』

「……ああ」


 金額は第1ターンの際にすでに記していたのか、笹倉は手をつけない。周が筆を寝かせ、筆跡を目視で読まれないように(ときには数字を旧字にする、亡国の数字を用いるなどでさらに判別を困難にしていることもある)しながら書き記した。

 深々は動きが鈍い。自分の得た情報による読みを外し、指針が無くなってしまったのだろう。

 理逸は歯噛みした。思えば深々の様子は、この場に来る前から少しおかしかった。そもそも彼女はめったなことではこうした大勝負に出ないし、やるとしたら明確な使途があってそこの準備を厚くするための補助としてアテにする程度だ。

 今回、彼女からは使途目的について聞いていない。ひどくおかしな状態だ。

《七ツ道具》の面々もどう言葉をかけたものか迷っている。厄年かつもっとも年長者であり、深々との付き合いも長い十鱒が一歩踏み出すべきか迷っている空気が伝わる。

 身軽に動けるのは、後ろ盾もないが立場もないスミレだけだった。


「――です」

「……!?」


 耳打ちされて、深々が迷いを深めた様子がある。けれどさらに二言、三言つづけるうちにいかりがちだった深々の肩が落ち着く。

 だいぶ、常の様子に戻った。

 覇気が取り戻されている。


「……コールだ」


 札を投げ出す。

 裏になる寸前に見えた札の数字は、二〇。数字は見えていない《七ツ道具》だが、皆が息をのんだ。

 笹倉と周の顔色は部屋が薄闇に包まれつつあるため確認できない。彼らはこの数字を見てどう思うのか。

 果たして、結末は。


「五」

『六〇』


 決着だった。


 おそらく笹倉は侠客、博徒としての気質から第1ターンに勝負を絞っていた。第2ターンの五は第1ターンを外したがゆえの、彼なりの矜持の表れだろう。

 周はもう少々欲を出したか。おそらく五〇前後を笹倉が張り、及び腰の深々が一〇〇以上で三番手になると予想しての数字と思われた。


『降りだ』


 さほど感慨もない様子で周は終了を告げる。

 これ以上はさすがに欲をかいて勝負に出ることもできない。組織のメンツを保つための場であるが故、泥沼の細かな戦いに持ち込むことはない。もっとも、深々につかませた資金情報を考えるなら五〇〇は実際、捨てても惜しくないということなのかもしれないが。

 ともあれここに、次回の水泥棒を務める組織が決まる。立ち合い人となっていた三組織の幹部が現れて甕の中身を解放する。


「決しました」

「水泥棒は笹倉組の担当に」

「資金預かりは安全組合の担当に……」


 笹倉が取り分とした五だけが盆に載せて運ばれ、受け取った安東が肩をすくめながら茶封筒に納める。笹倉自身はこの場に興味を失ったか、幽鬼の足取りですでに場から消えていた。

 周はゆっくりと席を立つ。王辰と欣怡を伴って部屋を横切り、去り際スミレに目を留めていた。


『拾ったかね。その麒麟児』

『……たまたま、ね』


 忠華の語に同じ言葉で返し、深々は視線を卓上の札に落とす。

 周はエレベーターのドア向こうに消え、ついていく欣怡は理逸に少し目配せした。スミレを気にしているのかもしれない。

 いずれにせよ、この場ではとくに意味のないこと。今回の事前準備マエオキと水泥棒が決着し、日常に戻ってから話せばいい。

 場に干渉し終えたスミレは理逸の横に戻って澄ました顔をしている。いや、澄ましてなど……いないのか。ただ出来ることを成し戻ってきただけのこと。彼女はずっとフラットだった。

 普段なら深々もそうだった。今日のような無駄な気負いなどなく、敗北は敗北として勝利は勝利として受け止めと切り替えができていた。

 理逸の横で、白髪交じりのセンターパートを撫でつけた柔和な顔つきの男――十鱒が、一歩進み出て深々の肩に手を置いた。


「戻ろうか。深々」

「……ああ」

「今回は止められなかった僕の責任でもあるかもしれない」


 年長者として、また加齢を理由に退くまではかつて安全組合を率いていた先代のリーダーとして、十鱒はそう語った。

 すれば、織架を除く残りの《七ツ道具》の面々も「いやあたしも言えなかったし」「俺だってそうさ」「言えんもんじゃね……」「んだ」と口々に言った。


 頼りすぎたのか任せ過ぎたのかその両方か。


 元より、織架と理逸を除いて《七ツ道具》に在籍しているのは南古野初期からの古い商店の家系や幼少期より深々と接していた関係者で、身内感がかなり強い。そのことが結束やまとまりを生んで良い方に働くことも多かったが、今回は裏目に出たのだろう。

 勝つには勝って、資金タネはプラス九九五。

 しかしどうにも苦いものが残る、決着だった。


        #


「どうやって気づいた? 俺たちの額が割れてる、って」


 夜。生活安全ビルの織架の部屋へ戻ってきて、明日の事前準備に備えながら問う。

 ただ理逸はそう口にしてから、我がことながらよくそんな不確かな状態で賭け金額を変えさせたものだ……と自分に呆れた。

 そんな薄い自己嫌悪すら見切ったような薄い眼をしてみせて、スミレは冷静に答える。


「正確には『ゎたしたちの額が割れてぃる』と気づぃたゎけではぁりません」

「そうなのか? でもあのときお前、断言したじゃねえか」

「出力結果が同じなら、正確な判断ょりも行動を早くしてぃただける雑な理解のほぅを優先しょうと思っての。単なる言葉選びです」

「なんかさりげなく馬鹿にされた気がするな」


 要するに理逸へ正確に伝えようとすると時間がかかるから結果は同じになるよう、雑な説明として出したのが「額が割れてる」だったということなのだろうが。

 スミレは先の一杯がお気に召したのかまた織架にタンポポ珈琲を淹れてもらっており、これをすすってからつづける。


「ともあれ。まず、会話です」

「会話?」

「ササクラがミミさんと短ぃ会話をしました。ぃえ、短ぃ会話しか、ミミさんが『しなかった』とぃう空気でした」

「それは……」

「ゎたしにはゎかりませんでしたが、パーソナルな事情に踏み込む単語でもぁりましたか」

「……まぁどうせどっかから伝わるだろうが。深々さんは一度、子を堕ろしてる。だから子どもって単語にもともと過敏なんだわ」

「なるほど」


 さすがに同じ性別故に思うところあるのか、めずらしく重たげな印象で目を伏せるスミレだった。

 理逸的にもその子の父親の件などが、あまり深く語りたい話題でもないので先をうながす。


「でも『しなかった』がなんなんだ」

「直前、ぁなたはアンドーにより鮮ゃかに言ぃ負かされてぉりました」

「鮮やかにとか無駄に修飾語つけるな」

「ですから本来ならミミさんは言ぃ合いで一矢報ぃてぉきたいはず。ことさら、そうしたメンツの張り合ぃの色が強ぃ場なのでしょぅ? ぁそこは」

「それは、まあ」

「だとぃうのに癇に障ってもぉし返さなかった。そぅいう動きは『長くしゃべるとぼろが出る』と感じてぃる人間が取りがちなモーションです」

「……あー。麻雀で良い手牌が入ると黙りがちになる、あの感じか」


 大人な対応と言えば聞こえは良いが、メンツの張り合いであるあの場においては不自然な姿勢だったと見てもおかしくはない。

 しかし、そうしたメンツの場に親しいわけでもないだろうになぜこの小娘はそこまで感づくのか。謎だった。


「ぉそらくあれで、ササクラは自身につぃて――資金額などを――ミミさんがつかんでぃると踏みました。つまり、ゃっとここでぁなたの問いを正しい形にしてぉ答えしますが、ゎたしは額が割れてぃると気づぃたのではなく『ササクラがこちらの金額調査に気づぃた』ことに気づぃたのです」

「……うん、たしかにこの入れ子構造な文章構成をあの場で出されたらまちがいなく判断迷ってたな。お前のやり方が正解だ。ありがとう」

「どぅいたしまして。そしてササクラはコレへ気づぃたことで会場へ入る順番は決まってぃなぃものの、先に行くことに決めたゎけです」

「……投入金額を減らしたのを悟られないためか?」

「さすがにぉ分かりになりましたね」


 丁寧に小ばかにしつつも正解だとスミレは認めた。

 思えばスミレはあの笹倉と深々の会話のあとから数点、理逸に確認を取っていた。

 会場入りの順番。談合があるかどうか。甕は常に会場で『他組織から見える位置にあるか』……つまり投入額を少なく調整すると、甕の前から席に戻る際にバッグやケースに札束の重みが残りその挙動を見切られるのではないか……という点までを。


「じゃ、周も額を減らしてたのはどうしてだ? あいつは深々さんとは会話してないはずだ」

「彼はササクラたちがすでにフロァにぉらず、上に向かったことを気にする発言をしてぃました」

「?」

「不機嫌そぅなミミさんとササクラの不在とゎたしたちの動揺と、この三点でササクラと同じ判断にぃたったのではなぃでしょぅか。ササクラとミミさんのぁいだでやり取りがぁった。言ぃ合いに負けたか引いたかぃずれにせょミミさんは一階に残ってぉり不機嫌。なだめょうとしてぃる《七ツ道具》のみなさんの様子から戦意に関ゎるようなパーソナルなことに触れたと予想はつく。それでも言ぃ返しもできてぉらず会場入りの先を譲るょうなかたちになってぃる」

「それでさっきの笹倉の読みと、同じところにたどり着いたってのか?」


 結果から逆算してそう説明されるとそうとしか思えなくなってくるが、それにしたところで不確定要素の塊だ。組織の資金を、大金を放り込む場でそのような瞬時の直感じみたことを判断基準にするものだろうか。

 常識的な、一般的な感性と観点で理逸はそう言おうとした。

 スミレは紫紺の眼で制する。


「でも結局は、どのょうな賭博駆け引きでも一番の情報源は『人』でしょぅ」


 これはなにも言い返せない。

 まったくもってその通りだ。今回深々は、第2ターンで笹倉に言われた通りほとんど視線を上げていない。周りを見ず、数字だけを頼りにしてしまっていた。

 翻って笹倉も、周も、スミレも。周りの人間を観察してその動向を推測していた。

 理逸は目を閉じ、ため息をついて目頭をもむ。

 自分も《七ツ道具》のほかの面々と同じく、深々に寄りかかり過ぎていたと自覚する。深々自身の様子や状態を見ることなく、安全組合リーダー・深々の判断だからと妄信してしまった。

 様子がおかしいのなら、しっかりと見ておくべきだった。


「円藤」


 と、部屋をノックする音につづけて声がかかる。

 パイプ椅子に腰かけていた理逸が振り返ると、部屋のドアをわずかに開いて深々が顔をのぞかせていた。


「いま、構わないかな」

「……はい」


 一瞬スミレに目をやると、珈琲に視線を落としながらも「しっかりして」と口だけ動かしていた。

 頭を掻いて、理逸は深々に伴われ屋上へ向かう。

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